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第64話 聖女ミカ / ミカエラ

◇◇◇



「聖女ミカよ。目を覚ましなさい」


 少女の意識は、厳かな、それでいて暖かな声によって引き上げられ、浮かび上がった。

 目覚めた少女は、自身が見覚えのある宿屋の一室の、ベッドに腰掛けていることに気がついた。

 ここは、一体どこでしょう? と少女は自問した。

 

「ここは、貴女の心の中」


 隣に気配を感じた。

 そこにいたのは、柔和で穏やかな美しい(かんばせ)の女性だった。ただ、不思議なことに、それが誰なのか認識出来なかった。はっきりとそこにいるはずなのに、まるで脳に曇りガラスでも被せられたかのように、何度思い出そうとしても、何故かその人物が誰なのかがわからなかった。


 そもそも、気配は気付かなかっただけで元からあったのか、それとも急に現れたものなのか、それすらミカにはわからなかった。

 それよりも、ミカが疑問を呟いた。


「心の、中?」


「そう、私が身体から離れた貴方の魂を、貴女と私の間にある《(えにし)》を手繰(たぐる)ことで、この場に引き戻しました」


 声は暖かく、優しさに満ちていた。

 生前(・・)から常に、己の心の内に暖かな存在を感じた。

 今、自分の隣でベッドに腰掛けている人物はそれと同じ存在なのだと、確信した。


「……」


「浮かない表情をしていますね」


 美しい女性が誰なのか、見えずとも少女には理解出来た。

 

「貴女のその表情も致し方ないことでしょう」


 声には確かな思いやりが感じられた。


「クラーテル様……、どうして私を引き戻されたのでしょうか?」


 少女の記憶のとある箇所以降は、様々な要因によって完膚無きまでバラバラにされていた。酷い部分になると二つの記憶が重複していたり、書き換えられたりといった、およそ人間の所業とは考えられない何かを施されていた。

 ただしかし、(くびき)を壊し、枷を外した彼女は、思考の自由を取り戻していた。それゆえ、不自然な状況を把握し、冷静に努めて考えることが出来た。


「私は、このまま消えるべきでした」


 何が正しくて、何が間違えていたか。


「私は、このまま消えたかった」


 彼のこと。勇者のこと。己のこと。

 誰が何をして、誰が何をされたのか。

 その全てを、彼女はほぼ理解出来た。

 否、出来てしまっていた。


「私はもう、生きてなんていたくなかった」


 (せき)を切ったような心情の吐露はもう止まらなかった。


「私は浅ましくも醜い女です。今だってそうです。

 私はこの期に及んで、消えてしまいたいなどと口にしながらも、もしもあの日(・・・)に戻ることが出来たならと、現実から逃げるようなことを考えています」


 彼女達が今いる空間は、彼女の心───記憶にある、とある宿屋であった。

 少女にとっての、そこ(彼の隣)は唯一の場所であった。

 そこはもう、二度と戻ることの出来ない、いつかの、あの日の、あの場所であった。




 ───明日ダンジョンを踏破したら、貴方に伝えたいことがあります。




 伝えたかった思いがあった。

 自身の立場や状況を認識してなお、ゆずれない願いだった。


《封印迷宮》で再会した彼のことを思い出した。

 自分達の罵声に、困ったように苦笑する彼の隣には、既に新しいメンバーがいた。

 あの場所───彼の隣は、私の、私だけの場所であった。

 そのはずだった───


「けれど、もう、どうあっても、元に戻ることはありません」


 その言葉が無様で独り善がりなこともわかっていた。

 あのときに想いを馳せて後悔することは惨めで、何より醜悪であることを彼女は知っていた。それでももはや彼女は自分では己をとめることが出来なかった。


「貴女は、このようなところでいなくなるべきではありません。

 これまでに貴女は、数え切れないほどの多くの人の命と心を救ってまいりました。その功績は、誰もが知るところでしょう」


 暖かな声が告げた。


「私は───」


 少女が言い募ろうとしたのを、声は遮った。


「貴女がいなくなることで大勢の者が悲しむでしょう。

 そして何より、貴女には、まだやらなければならないことがあるはずです。そうではありませんか?」


 誰にどれだけ悲しまれたとしても消えてしまえば同じだ。

 全てが終わる。ただそれだけ。

 別にそれで、構わなかった。


「クラーテル様。私は、取り返しのつかない罪を犯しました。どうしたって私はもう、現実と向き合うことが出来ません」


 現実と向き合うことは時として何よりも残酷なのだ。


「ならば、貴女は自らの罪を認識してなお、贖うことなくこの世を去ろうというのですか?」


 少女の返答に、美しい女性───クラーテル教主神クラーテルは少女へと厳しい視線を向けた。


「貴女が己の罪を認識し、真に罪を贖いたいのなら、他者からの赦しを乞う必要はありません」


 その言葉は綺麗事ではない。


「貴女が、傷を負わせた彼に、贖いたい気持ちがあるのであれば、貴女は、逃げるべきではない」


 クラーテルは少女に安易な道を選ばせない。


「逃げずに、精一杯向き合いなさい」


 少女は己に向けられた厳格な視線の、その奥にある真なる優しさに気付いた。


「己に向き合い、彼に向き合いなさい」


 厳しさこそが、唯一全てを救う手段であった。


「そして、赦しを乞わず、赦しを求めず───」


 現実と向き合うことは何より残酷で、何よりも難しい。


「ひたすらに過去を償う。その道は、貴女にとって茨の道となるでしょう。

 ときには過去の己を思い出し、その身を儚くしたい思いに駆られるかもしれません。またときには、道半ばで貴女も傷付き、あの時に逃げれば良かったと思う日がくるかもしれません」


 赦しを乞わず、赦しを求めず。

 ひたすらに、心のままに。

 それは永遠にも似た何かだ。


「私に、そのようなことが出来るでしょうか?」


 既に大きく道を踏み外した少女に、自信なんてこれっぽっちもなかった。


「私には、自信がありません……万が一また道を踏み外してしまったらと考えたら私は自分自身が怖くて……」


 クラーテルはくふふと笑ってみせた。


「貴女のその気持ちが、(まこと)の心より出ずるものであれば、これまで貴女の心の内にいた私は、貴女の母として、姉として、友人として、いつだって貴女の背中を押しましょう」


 主神クラーテルはぬばたまの黒髪を揺らし、少女を抱きしめた。


「わ、わたし……」


 少女の頬をつつと涙が伝った。

 こらえていたものがこぼれ落ちたのだ。


「大丈夫ですよ、聖女ミカ───いえ、聖女ミカの名を継し者、ミカエラ。ここ(・・)では、私は聖女としての貴女ではなく、ミカエラという一人の人間である貴女と対話しました」


 主神クラーテルは赤子をあやすように、少女───ミカエラの背中をとんとんと叩いた。


「これまで、たくさんの辛いことがあったでしょう。そしてこれからも、今まで以上の苦しみが貴女を襲うでしょう。だから今だけは、私は、聖女ミカではなく、ただのミカエラとしての貴女を(ねぎら)い、その功を(むく)いましょう」


 主神であるクラーテルの言葉に、ミカエラは、自然ととめどなく涙が流れるのを感じた。


「これまで、よく頑張りましたね」


 クラーテルの言葉には万感の思いが込められていた。

 そして、クラーテルはミカエラにも届かぬ声で、


「いつか貴女が己を赦し、彼に赦される時が来るように、私は貴女を見守り続けましょう」


 そう、呟いたのだった。











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[気になる点] 読んでて思ったんですけどミカ達はリューグーインに心歪められた被害者であって辛い出来事にはなってしまったけど、それは実質本人の意思でやった訳じゃないですしミカ達は悪くないと思うんですが……
[良い点] ミカもかあ。 竜宮院の悪さから全員(世界中)解放されちくりー [一言] この分だと、あえて彼女らに心に刻まれるようなこと(罰?)があるのなら、どんな攻撃やトラウマよりもセナとの関係性を知っ…
[気になる点] ……センセイが実は神様? フィズバン的な?
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