第60話 遺言 と《願い》
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マントを敷き、意識のないエリスをそこに寝かせ、俺はセンセイが動き出すのを待っていた。目を閉じ、瞑想(?)しているセンセイではあるが、何も彼女は意味のないことをする人ではないことを俺は知っている。
ただ、いつになったらセンセイが動き出すのか、一分一秒ですら、待つことがもどかしかった。
ジリジリとした待っている時間の中で、色々な不安が頭を過ぎった。分断されたメンバーのこと。《封印迷宮》の状態のこと。
それから───
思考がそこに至ったとき、ちょうど閉じられていたセンセイの眼が開かれた。
「準備は終えた。ムコ殿行こうか」
どこへ? と疑問に思った俺は悪くないはずだ。
センセイはすっくと立ち上がると、《封印迷宮》に身体を向けて、
「《樒榁》」
何かを唱えると、いつの間にか右手に握られた刀───《緋扇》で宙空にぐるーりと高さ二メートル程の長方形を描いた。
「なっ!?」
俺が驚くのも当たり前であった。
センセイが《緋扇》でなぞった場所が黒い洞となった。洞? 何だいそれは? と言われるかもしれないけれど、そうとしか言いようのない漆黒の空間が目の前に現れたのだった。
「ムコ殿、大丈夫だからついておいで」
大丈夫って言われたってよー! などと内心でビビリながら躊躇っている間に、センセイは洞の中へと歩を進めた。
「ええい! ままよ!」
俺は再びエリスを背負うと、決心して飛び込んだのだった。
○○○
そこは、先程俺が《業無し》を倒した星空の見える荒野であった。
先導したセンセイが見えた。その対面には膝をつけたアンジェリカとアシュ───その手に抱かれたのはミカだった。
ドクンと心臓が早鐘を打った。
最悪の予感が頭を占めた。
「ミカは……どうしたんだ?」
言ってから後悔した。
アシュリーもアンジェリカも目を腫らしてした。
彼女達の涙交じりの声はおよそ言葉にならなかった。
そして何より───
「一歩遅かったようじゃ……」
センセイが告げた。
それだけでなく、全ての生物から感じられる《気》がミカからは感じられなかった。
「あーー」
あーだとかうーだとか、大きな感情は咄嗟には言葉にならない。
天を仰いだ俺に、アシュリーが呼び掛けた。
「すまない、ロウくん、私のせいだ」
涙ながらのアシュリーの言葉は、辛うじて聞き取れるものだった。彼女も、既にいっぱいいっぱいだった。
「彼女は───聖女ミカは、私を庇い、ボスモンスターの、最後の一撃を受けたんだ」
掛けるべき言葉がわからない。
「アシュ、仕方ないこともある」
仕方ない。仕方ない。仕方ない。
何と陳腐な言葉か。何も知らない俺が掛けるに相応しい言葉ではない。けれど、どうしようもないこともある。
俺だって───
「ロウくん、聖女ミカから貴方に、最後の言葉がある」
「最後の言葉───?」
「聖女ミカは、最後に『イチロー、ごめんなさい』と、貴方に謝罪していたよ」
なんだよ、それ───
眼の前が真っ白になったようだった。
「彼女は、命を削って私達を護って、戦ってくれた。最後には、私の代わりに───、いや、違う。彼女は確かに私を護ってくれた。けど、彼女は言ったんだ」
俺は彼女の次の言葉を待った。
「『イチロー、大丈夫でしたか……貴方が無事で良かった』って。恐らく彼女は、最後のあの瞬間に、貴方の身を案じていたんだ」
膝から力が抜けるのを感じた。
思考がいっぱいになり、自ずと涙がこぼれた。
「『ごめんなさい』って言われてもよ、俺は許せねぇよ。
あのとき感じた俺の苦しみは、そんな言葉一つじゃ、消えたりはしない。ミカ、俺は、お前のことは嫌いだ。けどよ、何も死んでしまうことはないじゃねぇかよ……」
改めてミカを見た。血の気の通っていない顔に、乾いた血が張り付いていた。俺はそれを指でなぞった。
「『許さねぇ』ってよ、直接言わせてくれよ。だから頼むよ、死なないでくれよ。頼むよ。頼むよ」
彼女の身体は冷たかった。
涙が溢れた。溢れた涙は彼女の頬へと伝った。
言葉にした通りに、俺はミカが嫌いだ。だけどどうしてか、彼女と過ごしたあの半年のことが、今では思い出すこともなかったあの時期のことが、自然と思い出された。
かつての俺はそんな記憶は捨てちまえと躍起になった。
あの生活は彼女の気まぐれで成り立っていた脆い物に過ぎないと唾棄したのだ。
それは、セナとの生活もあって、ようやく叶った。
はずであった……なのに───。
「ロウくん……」
アシュが俺を呼んだ声が、聞こえた。
わかってる。俺は泣きやむべきなんだろう。
けど、どうしても、彼女との思い出が浮かぶんだ。
俺にはもう、どうしようもない。
『イチロー』とミカが俺を呼ぶたびに、俺は、自分がこの世界で独りではないことを認識したんだ。未熟で心細く、不安から叫び出しそうな俺は、彼女がいたからこそ何とかやってこれた。
俺は、彼女がいなければ生きていなかった。
「ああ、ああ、ああ」
声も、涙も、とめられない。
彼女は、どうしようもなく普通の少女だった。
彼女の笑顔は、俺にだけに見せてくれる、俺だけのものだった。
彼女が微笑んでくれる俺は、普段はクールな顔をしている彼女にとって、特別な人なんだろうと自惚れた。
「ミカァ、頼むよ。目を開けとくれよ」
普段は無表情の彼女が美味しそうパンケーキを頬張った。
べっこう飴という単語を耳聡く聞いた彼女は目を輝かせ俺にそれを作るように頭を下げた。
時折夜になると俺の部屋を訪れて物語をねだった。
そのいづれもが実際にあったことだった。
毒槍に貫かれ朦朧とした俺を一刻も早く回復すべく、抱き締めながら涙した彼女を、俺は見たはずだった。
『イチロー! しっかりして、イチロー!』
俺の安否を思いやり、何度も俺の名前を呼んだのは彼女だった。
「ムコ殿よ」
迷宮踏破を境に変わってしまったミカ。
プルミーさんやエリスとのやり取りで俺はもう理解している。
彼女は変わったのではなく、竜宮院によって変えられたのだ。
俺は彼女を信じるべきだったのだ。
「ミカァ……」
俺が彼女達と一緒にいたなら───いや迷宮の意志でメンバーが分断されたんだ。俺にはどうしようもなかった。じゃあ、彼女達と迷宮で顔を合わせた段階で帰らせるべきだったのか? けど俺達の言葉なんて彼女には通じなかっただろう。
どうすれば、彼女の結末を変えることが出来たか。
やはり、俺は彼女達を諫めるべきであった。
ここまで来たら何を言われても構わなかったはずだ。俺は自身が既に嫌われるとこまで嫌われていると思っていた。
俺は何を恐れていたのか。
考えたところでどこにも行き着くはずのない思考が頭の中をぐるぐるぐるぐると渦巻いた。
そうして、行き着いたのは一つの答えだった。
みんな、ごめん───。
「ロウくん?」
俺の挙動にアシュが、訝しげな声を上げた。
マジックバッグから俺は、ソイツを取り出した。
俺は、ソイツを日に透かすように掲げたのだった。
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新年の挨拶に付きましても、割烹の方で致しております。お手隙でしたら一読お願いします……




