第39話 剣聖⑤
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これは私に課された罰なのだろう。
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かつての話だ。
実際のところエリス以上の実力を持っている人物はそれなりに存在した。けれど実力さえあれば誰でも彼女を救えたのかというと無論そういうわけでは無い。
エリス自身が知る限り自分を救うことが出来たのは、師匠を除いて一人しかいなかった。
その人物こそが王国騎士団団長であった父であった。
今ならわかるが、王国騎士団にラグナ・グラディウスありと謳われるほどの父であったが、それでもその重責は重かったのだろう。彼にも周りが思うほどの余裕はなかったに違いない。
そういうわけで、実の娘だからといって何かと気を掛けて積極的にかかずらうといったことは多くはなかった。
それは良く言えば自主性に任せた教育とも言えるが、悪く言えば仕事第一の家庭や子育てをおざなりにした結果の放任主義と言えるであろう。
それでも騎士団の団長を務めており、忠義に篤く、人格者としての父を純粋に尊敬していたエリスであったが、誰もが手を差し伸べてくれない現状に、本人が気付かぬ内に孤独の澱は溜まり続けた。
四六時中、剣を握って生きてきた少女であった。
その彼女が剣をやめようかと真剣に悩んでいた。
己の半身、どころかその彼女の魂とさえ言える剣を捨て去るか否か、そこまで思い悩んでいた彼女を救ったのは師匠であった。
それは何も剣技に関することだけではない。彼と共に過ごした時間こそが彼女の孤独を癒やしたのだ。
彼女は気付いていないが(もっとも気付いたところで間違いなく否定するだろうが)、彼は師匠であると同時に、彼女の兄であり、父でもあった。
二人で料理をしたり、師匠の風呂の時間に飛び込んだり、妥協なしの死ぬ気の訓練を繰り広げたりといった、二人で過ごした時間が、それこそが、彼女にとっての何物にも代えがたい宝であったのだ。
師匠にはきっとわからないだろう。
己がどれだけ彼を敬愛しているかを。
彼女は師匠と共に過ごす内にそれまでは一度たりとも感じたことのなかった感情の奔流を自覚していた。
それはこれまでの何の変哲もなかった世界を、見たこともないキラキラとしたものへと変えた。こんなものはいつまでも続く感情ではない。世界はそんなに甘くない。そう自身に言い聞かせるも、それでも、それを認識してもなお、彼女は師匠のことを、己の全てを捧げても良いほどに焦がれたのだった。
彼との話で何度か「子供の数は騎士団を作れるくらい」という話が出た。初めは天然からでた言葉であったが、それ以降は意識してのことであった。
彼は気付かなかったが、エリス自身は恥ずかしさで顔から火が出そうであった。そのセリフは冗談に包んだ真の気持ちであった。
彼女の中ではとっくに彼と一生を共に過ごし、添い遂げる覚悟が出来ていたのだった。
たとえ彼が嫌だと言ったとしても、たとえ彼が遥か遠い地へ行こうとも、絶対に、絶対に、絶対に離れる気はないという、ダイヤモンドの如き確固たる意志であった。
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それはいつだったか。
何かが変わった。
変わった、ということを認識することが出来たのも、大きく時間が経過してからであった。
一つ一つ、記憶を辿る。
勇者パーティが《刃の迷宮》を踏破し、激戦明けの休養期間ということで、長期療養をとっていた頃。
ちょうどそれは、勇者竜宮院も次の迷宮のことなぞ考える必要もなく、勇者の名声を最大限に浴び、大手を振ってこの世の春を謳歌していたときでもあった。
それと同時に勇者が剣の訓練や魔法の鍛錬などのそれまでは日々欠かさずにこなしていたはずのルーティンに全く手を付けなくなった時期でもあった。
「剣を握ったり魔法を使うなぞ野蛮人のすること。暴力が必要なときは、得意な誰かにやらせればいい。それこそが上に立つもののやり方だよ」とは当時の勇者の弁であった。
代わりに勇者が始めたことは、彼いわく『クリエイティブ』だか『ビジネス』だというものであった。
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それからのことだ。
エリスの導き手である勇者が己の訓練をしないどころか、彼女に手を差し伸べることは一度としてなかった。
それは彼女の剣の実力へと大きな影を落とした。
剣聖である彼女の強さは極限の訓練と、《刃の迷宮》という死線を潜り抜けた果てに獲得されたものであった。
そしてその段階では、彼女の勝ち得た最強の称号は仮初めのものでしかなかった。
どのような分野───それが例えば勉学であっても、スポーツであっても、武術であっても、難易度の高い技を一度成し遂げたからといって、今後もそれが永続的に可能というわけではない。最高のパフォーマンスをいつだって発揮出来るようにするには、成功の感覚を忘れぬうちに何度も何度も繰り返すことこそが肝要であった。
そしてエリス・グラディウスの成長はちょうどそのような時期に差し掛かっていたのだった。
エリス自身《刃の迷宮》探索後から自身一人で、あのときの感覚が、あのときの感覚さえ掴めれば───と、常に何かの陰を追い求めるように鍛錬に励んでいた。
師匠に断られたからといって、いくら一人でがむしゃらに鍛錬を重ねようとも、彼女は自分の状態がどういったものなのか、早々に理解していた。そして、己一人では頂へと至れないことも、己を導いてくれるのは師匠しかいないことも悟っていたのだった。
彼女はかつてのように、何とか彼と剣を交えたいと何度も訓練をせがんだ。それはかつてのスキンシップも含めた彼女なりの甘え方でもあった。
師匠はいつものように溜め息を吐きながら「しゃあねぇなぁ! いっちょもんでやんよ!」と言ってくれる、はずだった。
───そのはずだったのだ。
師匠はエリスが声を掛けると、いつだって「忙しいから」「また今度遊んであげるから」「手を煩わせるなよ」とエリスを適当にあしらった。挙げ句、それでも「師匠! 師匠!」とうしろをついて歩く彼女へとその態度を変えた。
「君は、それほど成長も良くないし、うーん、顔だけだね。
わかってるよ、どうせ君は剣技が優れてるって言うんだろ?
この際だから言ってあげるよ。この世界の人間は馬鹿だからそんなもんが評価されるのかもしれないけど、僕からしたら暴力なんてのはマイナス要素でしかないんだ。だって暴力がいくら上手くともせいぜいは見世物にしかならない。
つまりね、僕からすると、君は顔が良いだけで発育も良くないただの暴力が得意な野蛮人だ。
わかるだろ? 僕の言ってることが。わかったら黙って僕のトロフィーをやってればいいんだよ」
これまで師匠だけが、己を導いてくれた。
───そのはずだったのだ。
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すまない、剣聖⑥に続くんだ。
大丈夫、安心してくれ⑥で終わりだから。