第25話 顕現
○○○
天候は引き続き悪く、市中の人々の間ではこのまま雨が振り続けたら作物が全滅してしまうという心配や、土砂崩れなどの危険性があるんじゃないかという話で持ち切りだそうだ。
彼らの不安に呼応するように、靄は増加を続け、俺達の負担は苛酷なものとなった。
それは徐々にではあるが、しかしながら確実な悪化で、討伐に携わる者誰しもが、まるで真綿で首を絞められるような危機感を覚えた。
そしてこの日もまた、情報共有の場にてアノンより告げられたのは、悪い知らせであった。
「ついにアロガンスやバーチャスにも《液状生命体》が出現した。もちろん、その性質を持った屍人達を引き連れてね」
これまでの経験から言えば、こちらで起こったことはワンテンポ遅れて向こうでも起こる、ということか。
「出現回数が増え続けていることに加えて、討伐難度が上がったことで、みんなに負担を強いることになっている。けれどここを乗り切れば迷宮が姿を現すだろう。だからそれまで何とか耐えしのいでほしい」
アノンは迷宮の出現が間近であると言い切ったが、今はもう、他に言いようがなかったに違いない。
乗数的、とまでは言わずとも今の靄の出現速度は異常であった。それに加えてセンセイの記憶にもない変異種の出現だ。
《益荒男傭兵団》、《旧都》、領主の私設兵に、後に人員追加された多数の冒険者パーティのいずれもが、疲弊していた。
すぐに戦線が崩れるということはない。けれど裏を返せばそれは、このままいけば、遠くない内にその時が訪れる、ということでもあった。
アノンは一貫して努めて暗くならないようにし、報告を終えたのだった。
○○○
アノンが俺の部屋のソファにぐったりと背を預けた。
いくらタフなアノンであっても疲れの色は隠せなかった。だからこそここでくらいゆっくりと気を抜いて欲しい。
「イチロー、ついに計算上で最終的に討伐する予定であった数の靄の討伐数を超えたよ」
何でも、それは、今回の件でこれくらいの数の魔物を退治するだろうという、センセイの話や言い伝えから導き出された予測数値であったそうだ。
その数を超えてもなお、衰える気配を見せないのだから《封印領域》が如何にヤバイかわかるというものだ。
俺にとっても、いつどこで現れるか分からない敵が無数に攻めてくるというのは、下手すると《新造最難関迷宮》のボス以上にやりにくい相手かもしれなかった。
ガチガチの強敵が一体現れた方が、ナンボほどましだろうかと俺は溜め息を吐いた。
そして俺の視線の先にはセンセイ───彼女は俺のベッドに寝転んでいた。
「んんーーーーー!」
のびーと身体を反らすほどに伸ばし、つま先をぴんと張る姿はリラックスした猫を思わせた。
これは内緒ではあるが、彼女の着物がはだけそうで俺は内心ハラハラしていた。
そんな彼女であるが、アノンの言を受け眉を顰めた。
「《封印迷宮》も成長しとるのかもしれん」
「センセイ……」
前回を踏まえたこちらの対応に対し、上回るようにイレギュラーを発生させる迷宮。
もし、そこに何らかの意思があったとしたら?
───それは最悪な想像と言えた。
「とはいえ、こちらも初動が速かったから、『最悪の事態』は回避出来ておる。それに前回は、運も悪かったからの」
「運?」
俺が尋ねるとよっこいせと腰を起こし、枕をかき抱いた。
「そう。前に封印領域が発現したときには、穀物の不作からくる飢饉や流行り病で、死はその辺に溢れておった。そんな中で、戦うために必要な物資を掻き集め、充分な人員を呼ぶのは、たいそう骨が折れることであった。いや、実際には不可能であったの」
センセイがいたのに不可能であったの?と疑問を抱いたけど、センセイがそう言うのならそれはそれで間違いないのだろう(盲目)。
けどなるほど。確かに、実際に迷宮の踏破を諦めその時代の賢者によって、《封印領域》を無力化するために迷宮自体を封印していたはずだ。
「ワタシも資料で見たよ。そもそも国自体が酷い状況にあったそうだね」
おいせと、アノンも背筋を伸ばした。
「前回は、封印領域が悪さをしだす前からもう、墓の数もバカにならんでの。そこにきてモンスターの大軍じゃ。墓に入れることも叶わずに燃やされた死体もごまんとあった」
その土地は辺り一面が墓で埋め尽くされていた。
痩せこけた人々が涙し、死者の数が多過ぎて埋葬することすら叶わなかった遺体に火を焚べた。
そして嘆き悲しむ彼らの足元から、数え切れないほどの腐敗した腕が伸び、逃げ惑う人々の足を掴み、地の底へ引きずりこむ───そんな情景が自ずと想い起こされた。俺はそこで背筋がぶるりと震えるのを感じた。
今このときは、英気を養うための憩いの一時であったが、一度浮かんだイメージは、俺の頭の片隅に残り続け、消えることはなかった。
○○○
翌日も翌々日も俺らは悪条件の中、討伐を余儀なくされた。
俺達の焦りを知ってか知らずか、靄達の増殖スピードはやはり天井知らずであった。
そしてそれはついに俺達のほぼ限界の討伐速度へと到達した。
ここから先の俺達は削られる一方であり、シーソーの傾きのように、何か一つの失敗を切っ掛けに状況は一気に傾いてしまう───そんな実感だけはひしひしと感じられた。
《益荒男傭兵団》や《旧都》の団員はさすがにを口にはしなかったが、彼らからは疲労の色がありありと見えた。
彼らですらこうなのだ、領主によって追加された一般探索者の人員ならなおさらだろう。
彼らが逃げ出さずに何とか持ちこたえていることに、俺は感謝の念に耐えなかった。
○○○
そしてその三日後。
───雨がようやくやんだ。
空は青く、雲一つない晴れ模様であった。
それは俺達が、ほっと一息吐いたその日の夜のことだった。
俺達が眠りに就こうとしたそのとき、大気が震えた。
立つことも困難なほどの地鳴りと共に、ついに《封印迷宮》がその姿を現したのだった。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
おもしろいと思った方は、よろしければブックマークや『☆☆☆☆☆』から評価で応援していただけたら嬉しいです。
みなさまの応援があればこそこれまで続けることができております。
誤字報告も助かっております!




