第12話 背後から崩落してます(教会④)
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今回リューグーインの元へシエスタを遣わせたのは教会───アルカナ王国を総本山とするクラーテル教の枢機卿の一人であった。
教会といえど組織である。当然として権力抗争は存在したが、上層部が圧倒的な実力と名声を誇る者で固められていたため、今現在の教会権力のパワーバランスは安定していた。
そういった中でこれまでの勇者の行動に対して疑問を持った多くの教会幹部の意見が一致したとしても、それは不思議なことではなかった。
今回シエスタを遣わせたのは教会の総意でもあった。
同僚のみならず上層部の誰からも一目置かれ、清廉潔白を旨とする彼女の目から見た勇者は───聖女ミカが心酔している勇者は───はたしてどのような人物であるのか。
それを見極めるのがシエスタに与えられた命であったのだ。
もちろん、強大な権力を持つのみならず、優秀な人員を備えたクラーテル教が、勇者の醜聞を知らない訳はなかった。
だからそれを踏まえた上で、シエスタには、直接勇者と過ごし見極めてくるようにといった命を与え勇者の元へと送り出したのであった。
つまり彼女が今回下す判断が、教会のこれからの動きに大きく影響を及ぼすことになるのだった。
要するにシエスタは勇者にとっての裁定者であった。
枢機卿との連絡まで時間は幾許もなく、彼女が最終決断を下すまでに多くの時間は残されていなかった。
一週間を思い返し、彼女の心の内で、今回の勇者に関する報告とその判断はおよそ定まっていた。
けれど、彼女には迷いがあった。それは小さなものであったが、白い布に飛び散った墨のように決して無視は出来ないものであった。
気付かない振りはどうしても出来なかった。
彼女の最終的な判断を妨げているのは、かつての彼に関する記憶であった。
シエスタは枢機卿からの連絡の前に、今一度、己を見つめ直す必要があることを自覚した。
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シエスタは聖職者であり、清廉潔白であることはもちろん、いつでも笑みを絶やさず決して怒らず、何人に対しても寛容であるため聖職者の鑑だと評されることがあった。
けれど彼女だって人間であり、怒りや悲しみなどの感情も当然ながら存在した。
ちょうど、勇者召喚が行われた頃、シエスタは聖女ミカと己の力を比べて、無力さに打ちひしがれていた。
嫉妬を知らない彼女であるから、無力の責は己にあるのだとひたすらに自らを責め続けていたのであった。
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異世界の人間であるので、魔法が使えないどころか、剣すらも一度も握ったことがないという。
彼はそれどころか生き物を手に掛けたことがないと言った。ネズミなどの小動物はもちろん、虫などを触ることすら苦手なのだとこぼした。
彼は礼儀も正しく、会話からは学んだ者特有の確かな知性を感じさせた。けれどそれと同時に若干の頼りなさも感じた。
彼をこの世界に召喚したことに対し罪悪感があったが、それとは別に、本当に彼のような少年が、数多の屈強な戦士や名の通った魔法使い達を次々と飲み込んできた不倒の迷宮を踏破出来るのか、といった疑問は強く残った。
けれど、その心配が杞憂であったことはすぐさま明らかとなった。
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シエスタは聖女ミカと共に、少年達のための回復職のリーダー的役割を任されていた。だから彼らの訓練を一番身近に、そして一番長く見届けたのも彼女達二人であった。
訓練初日は基礎的な訓練であった。
剣の握り方といった基礎的なことから、素振りの仕方などといった初歩の初歩からのスタートであった。
開始から間もない頃は多くの者が「召喚されし者を教えるにしては通常の新人訓練と何ら変わらない」と感じた。
けれどその考えは間違いであった。
忘れがちであるが、そもそも彼らは素人であった。
彼らにとっては木刀すら重く、素振りだって百回もすれば腕がパンパンになるのだ。
十五分も素振りをすれば彼の握力は失われ、木刀を握ることさえ困難となった。
その頃には、共に召喚されたもう一人の少年は訓練場から姿を消し去り、これ以降彼の姿を見ることはなかったが、一方、残った少年の瞳には成し遂げなければならないという強靭な意思が伺えた。
その後、誰かからあったのであろう提言を了承した彼は、回復魔法により怪我を治すでもなく訓練での疲労を癒やし、延々と訓練を続けた。
それに伴い聖女ミカやシエスタをはじめとする教会から集められた回復職のシスターがフル稼働することとなった。
彼は、動けなるまで訓練をし回復、さらに動けなくなるまで訓練をし回復───を幾度となく繰り返した結果、初日から十時間を超える訓練をぶっ続けでこなしたのだった。
驚異的な努力を続けた彼は、数日で実践的な訓練へと移行することとなった。
それからは彼の訓練風景は目を覆いたくなるようなより凄惨なものとなった。
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訓練を施す騎士にも当然手加減はあったろう。
けれども数日前には、剣の握り方すらを知らなかった少年が相手だ。こうなることは火を見るより明らかだった。
シエスタの目の前には疲労と打撲や傷によってボロ雑巾のように倒れた少年がいた。興味本意で訓練所を覗き込む侍女達があまりの惨状に甲高い悲鳴を上げた。
けれど、回復魔法を施されるや、彼は「まだまだやれるぞ!!」と威勢よく飛び出したのだった。
シエスタはそれから何故か気が付けば彼を目で追っており、どうしてか彼から目が離せなかった。
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時と共に訓練はますます過酷なものとなり、シエスタや聖女ミカの出番は必然的に多くなったのだった。
剣の握り方も知らなかった少年は、数日でとある騎士と木刀を一合交わすことを可能とした。かと思えば本気を出したその騎士に散々打ち据えられた末にズタ袋の様に転がり、新米シスターなどはその光景に泡を吹いて倒れた。
そうした翌日の早朝には、件の騎士と五分の打ち合いを果たし、昼頃にはこの騎士を下した。
まさに不屈の精神であった。
日々の過酷な訓練を着々と、そして文字通り休むことなく延々とこなすことで、少年の相手は徐々に格上となっていき、ついには騎士団長が彼の相手となっていた。
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何度も繰り返される回復には膨大な魔力が必要であり、シエスタや聖女ミカが休息を取っている際には、多人数のシスターでカバーし合う必要があるほどの厳しい勤めとなった。
聖職者とは言え、少年の訓練が始まった頃は、あまりの過酷な勤務に一部のシスターは気怠げな表情を浮かべた。
またシスター達は年若く少ない娯楽として身近な噂話を好んだ。それがクリティカルに他者の誹謗でない限りは聖女ミカもシエスタも目を瞑った。
訓練の初日などは「本当に彼らで大丈夫なのかしら?」「あんなに華奢で剣すらまっすぐに振れないのに凶悪なモンスターを本当に倒せる様になるのかしら?」「そう言えばもう一人のお方はどこにいかれたのかしら?」などと少年に対して懐疑的な声が多かった。
そんな彼女達にはシエスタも「慎みを持ちなさい」と何度か注意したのだった。
けれど日を追うことに徐々にではあるが、彼を陰ながら応援するシスターも現れるようになった。
曰く「諦めない姿が尊いのです」
曰く「回復を施したときに『ありがと』と微笑んでくれて頬が熱くなりました」
曰く「もっと話してみたいわ」
などと、彼女達の噂も概ね彼に対して好意的なものとなり、そうして今となっては彼の訓練に同行するお役目は多くの者が立候補するものとなった。
聖女ミカはもちろん、王都に在住しているシスター達のまとめ役であるシエスタは常に同行することとなったけれど、彼女はその役目を重荷であるとは全く感じなかった。
いつの間にかシエスタも、少年の訓練時に周りで声援を上げるシスターと同様、「はしたないかしら」とは思いつつも、内心では彼の活躍の一つ一つに喜んだのだった。
そしてそんなある日のこと。
決定的な瞬間が訪れた。
「やるね」
そのセリフは騎士団長のものであった。
少年の剣が彼の首元にぴたりと触れた。
彼が王国最強の剣士と名高いグラディウス騎士団長を下した瞬間であった。
すいません。
加筆修正繰り返して長くなったのでまだ続きます。
もうちっとだけ続くんじゃというヤツです。
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シエスタさんをないがしろにすることは地獄への片道切符でした。
 




