第10話 階段を踏み締めてのぼる(教会②)
本日2話目です
◇◇◇
「はぁ、こんな簡単なことがわからないのかい? まあ仕方ないか。異世界の蒙昧の輩には少しばかり難しかったか」とリューグーインは溜め息を吐いたのだった。
「つまりね。僕の言いたいことは『この僕の一時間は一億円を超える』ということだよ」
肘掛けに肘を付け、顔の前で両手を組んだ。
思わせぶりな表情に、シエスタはふいに吹き出しそうになった。彼女は慌ててそれを必死に隠し、告げなければいけないことを告げた。
「勇者様のお時間が貴重であることは重々承知です。けれどこちらからお呼びした手前彼らを無下にすることは───」
シエスタの顔の横を花瓶が通過した。
ガチャーンと陶器の割れる音がけたたましく響いた。
勇者リューグーインが投げたのだった。
彼の顔が怒りで異常なほどに紅潮していた。
「俺に何度も同じことを言わせるなッッ!! このノータリンがッッ!!」
彼は激昂し声を荒げた。
「今すぐに帰らせろ」
再び椅子に腰を下ろし、勇者が命じた。
「いや、ちょっと待て。待たせとけ。いくら待たせても構わない。代わりなぞいくらでもいるからな。
それよりまずは花瓶を片付けろ。濡れた絨毯も新しい物に替えておけ」
どこまでも身勝手な彼に対しシエスタはこんな馬鹿げた仕事をするのは自分だけで十分だと思った。
だから彼女は「かしこまりました」と返事し、まずは割れた陶器の大きな破片から自分一人で片付け始めた。
竜宮院は自分の命令通りに動く彼女を眺めた。
そうそう、コレこそがコレなんだよ。
コレコレ。コレだよ。
みんな俺の命に従えば良いんだ!
ああ、ああ、何よりだ!
再び彼は脳から脳内麻薬が分泌される感覚を覚えた。
とその時、掃除すべく屈んだ彼女の豊かな臀部が目に入った。
確かシエスタといったか。
地味な格好であるため気にも留めなかったがよくよく見てみると、ルックスもその辺の貴族令嬢とは比べ物にならないほど素晴らしいじゃないか。
それに何て肉感的なスタイルなんだ。
あの野暮ったいシスター服の上からでもわかるほどに胸も尻も強調されてるじゃないか。
ごくりと喉が鳴った。
リューグーインは一度それが欲しくなると思い留まることを知らなかった。
「シエスタ。一度手を止めてこちらへ来たまえ」
怠惰から重かった腰が急に軽くなったのを感じた。
彼は立ち上がり、命令に応じて近くへ寄った彼女のウィンプルへと手を伸ばし、取り外すと床へと投げ捨てた。
シエスタは聖女とはまた違った、きめ細やかな金の髪の肉感的で美しい女性だった。
髪を一度二度手櫛で撫で上げ、シエスタのぽってりした唇に指を伸ばして荒くなぞった。
我慢という我慢なぞこの世界に来てからしたことのない勇者であったが、厚かましくも『もう我慢の限界だ』と感じた。
「君、良いねぇ。本当に良いよ」
シエスタは、心を無にした。
無遠慮に人の肌や髪の毛に振れる無神経さに、興奮を隠せない荒い呼吸に、これまでの彼の不躾な仕草に、物言いに、彼という人格と、それを形作るその全てに対して、彼女は己の心の内にある甘さと、一時の淡い想い出を捨て去ることを心に決めたのだった。
「ここも良いんだけどさ、もっと良い所があるんだよ。ああ、そうだ! 今から君も僕のものになってよ! 勇者である僕のものになれるだなんてこれ以上に栄誉なことはないでしょ!!」
更にもう一度彼女の髪へと手を伸ばし、それを一房鼻の前に持っていき大きく息を吸い込んだ。
興奮冷めやらぬリューグーインは、
「ああ、良いねぇ! 良いねぇ! ああ、ああ、ああ」と繰り返すと彼女の腕を掴み部屋から連れ出そうとした。
「僭越ながら宜しいでしょうか勇者様」
その場で立ち止まりリューグーインの返事を待たずにシエスタは続けた。その氷のような表情にリューグーインは戸惑った。
「私がこちらへと寄越されたのは聖女ミカの代わりにございます。その役割は勇者様である貴方の身の周りの世話と、警護にございます」
「警護?」
「その通りです。聖女ミカは貴方の身が何人からも脅かされぬよう堅固な結界を四六時中張り巡らせておりました。これは枢機卿様からも御証言がございます。
であるならば、私は貴方とのロマンスを楽しむよりはこれまで聖女ミカが長年努めてまいりました『勇者様を護る』という使命に殉じたいと存じます」
「そんなの、別に結界を張りながらでも出来るだろう? 簡単な話だよ」
する意思があるかどうかはこの際置いておいて、簡単なわけがなかった。
自分には簡単なことだから本当に簡単なことだと思っているのか、それとも何も知らずに減らず口を叩いているのか。
その答えはシエスタには考えるまでもなかった。
「それだけではございません。勇者様のお気持ちは非常にありがたいのですが、お気持ちに沿うことは出来かねます」
「互いに了承してるんだ! 別に構わないだろう!」
山田が見たら『おいおいがっつき過ぎィー! がっつき虫かよ!』などとツッコんだだろう。
「これまでに何度も私達クラーテルの者からお話させていただいたことと存じますが、僭越ながらもう一度心を鎮めてお聴きくださいませ。
そもそも私達聖職者は神に己の身を含めた全てを捧げております。
ですので、勇者様の御期待されるような行為を行った時点で、私達は私達の信ずる神から、全ての加護や能力を剥奪されるのです」
リューグーインは「クッッッ!!」と呻いた。
快楽か能力かを天秤に掛けていることは自明の表情であった。そもそも天秤に掛けて良いものでもないのだ。
シエスタはダメ押しが必要かと内心で眉を顰めた。
「私の能力は聖女ミカには及びませんが、それに次ぐものです。
勇者様に説くには失礼かと存じますが、これからますます激しくなる勇者様の迷宮探索におきまして、もし万が一聖女ミカを喪われた際のことを考えますと、彼女のスペア足り得る私の力を温存しておくに超したことはないと思われます」
リューグーインが「チッ!」と吐き捨て、シエスタを突き飛ばした。勢いのまま床に倒れ込んだ彼女は、割れた陶器の一部で掌を切ったのだった。
「君、モテないだろ?」
持てない? 保てない? もてない? モテナイ?
シエスタには彼が言ってることが理解出来なかった。
「君は口が達者な女性だよ本当に。
モテる女ってのは、有能であったとしても、それを感じさせずに、それとなく男性を立てる女性だよ。
君のそれは何? 有能アピールかな? バカバカしい!
積極的に男の前へしゃしゃり出る女性は僕の好みじゃないんだ。だから君は不合格」
ああ、『モテない』ですね。
シエスタは己の心がさらに冷えていくような感覚に陥った。
リューグーインがシッシッと彼女を追い払う仕草で部屋から追い出そうとした───ちょうどその時、
「失礼しますねぇ」という明らかに失礼な中年のダミ声がドアの向こうから聞こえた。
声の主は返事も聞かずにドアを開けたのだった。
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