怪しい男
「なるほど。それなら、これを使うといい。私の自前の物で恐縮だが、趣味のアウトドアで使っていたナイフだ。まだモンスターを相手に使っていないから、刃毀れもしていない。十分に戦闘で使える代物だぞ」
「ああ、すみません。ありがとう――――」
と、言葉を口にしたところで明は動きを止めた。
奈緒との会話に、自然と混じってきたその声に聞き覚えがなかったからだ。
「ッ!?」
勢いよく、明は背後を振り返る。
すると、いつからそこに居たのだろうか。
明と奈緒の間、ちょうど距離にして中間に位置するその場所に、一人の男が壁に背中を預けるようにして立っていた。
彫りの深い顔立ちだ。まず間違いなく、東洋人ではない。それなりの年齢を重ねているのか、額や目元には薄っすらと皺が刻まれており、髪や口元を覆う髭は白く染まり始めている。身に付けた衣服は黒いシャツに黒のジーンズと、まるで夜の暗闇に染め上げられたかのように全身が黒で覆われていた。
「なッ!?」
「えっ!?」
明と奈緒、二人の声が同時に重なった。
それから、ハッとした表情を浮かべるとすぐに気を引き締める。
その男の手に、刃渡りが十センチほどの小型のナイフが握られていたからだ。
「っ、いったいどこから!?」
叫び、奈緒は警戒するように男を睨み付けると太股にぶら下がる拳銃へと手を伸ばした。
「……誰だ、あんた。いつからそこに居た? 俺たちがこの部屋に来た時には、誰も居なかったはずだが」
対して、明はいつでも動き出せるように腰を落とすと、静かに、唸るような低い声で男へと問いかけた。
そんな二人の様子に、男はまるで悪戯が成功したとでも言うべきかのようにクスクスと喉を鳴らして笑うと、小さく肩をすくめて口を開く。
「まったく、質問が多いな。ナンセンスだ。もしも私が君たちの敵だった場合、それらの質問にまともに答えると思うかね?」
「……何?」
明は男の言葉に目を細めた。
男は、明に向けてまた面白がるように喉を鳴らして笑うと、手の内で弄ぶようにナイフを揺らした。
「ああ、警戒しないでくれ。もしも、と言っただろう? 私は君たちの敵ではないし、君たちと敵対するつもりは毛頭ない。ゆえに、君たちの質問に答えようじゃないか。……何、若者の疑問に答えるのは年長者の務めだ。遠慮はいらないよ?」
言って、男はニヤリと口の端を吊り上げてみせる。
「ではまず、私がいつからここに居たのかだが……。ズバリ、答えよう! 私はずっと、君たちの傍に居た!! 君たちが甘いひと時を過ごすかのように傍に寄り添い月を見つめていた時も、この部屋に入った後に仲睦まじくキャッキャウフフと包帯を巻いている時も、その後に恥ずかしさから互いの距離感が分からなくなってドギマギしていた様子も、バッチリ全部、見させてもらった!! うむ、実に奥ゆかしく歯がゆい時間だった。ごちそうさまでした!!」
「なっ!!??」
その言葉にすぐさま反応を示したのは奈緒だった。
「は、はぁ!? 一体どこから!! というか、言い方が気持ち悪い!! きゃ、キャッキャウフフって……!! そんなの、私たちしてない!!」
奈緒はすぐさま声を荒げると、明に向けて同意を求めるように顔を向けてくる。
「だよな?! キャッキャウフフなんて、私たちしてなかったよな?!」
「……奈緒さん、ちょっと落ち着いて。面白おかしく言われただけですよ」
奈緒に向けて、明はため息と共に言った。それから、緩んだ空気を正すようにじろりと鋭い視線を男へと投げかけると、明は低い声で問いかける。
「ずっと俺たちの傍に居た、っていうのはあながち間違いじゃないみたいですね。……あんた、いったい今までどこに隠れていたんだ? この部屋に入る前も、入った後も。あんたの姿や気配なんてものは感じなかった。間違いなく、俺たちしか居なかったはずだが」
「どこにも隠れちゃいないさ。ずっと、傍に居たと言っただろ?」
男は明の言葉に笑みを浮かべた。
「――――隠密。そのスキルを、君は知っているかな? 剛力や鉄壁、疾走などと言ったスキルを取得しない場合にのみ、取得できるスキルの名前だ。効果は気配を消すことが出来るというシンプルなものだが……。その効果が非常に強力であることは、身を持って体験してもらった通りだ」
言われて、明は自らのスキル一覧から消えていたそのスキルの存在を思い出した。
(そういえば、前にそんな名前のスキルを見かけたな……。気配を消せても、モンスターを倒せなければ意味がないと思って、その時は取得することを見送ったんだが……。そうか、疾走を取得したあの時から、俺のスキル取得の一覧から名前が消えていたのか)
もしかすれば、隠密以外にも取得できなくなったスキルはあるのかもしれない。
明はそう考えると、男に悟られないよう息を吐き出して、思考を切り替えた。
「それで、わざわざ隠密を使ってまで俺たちを監視するような真似して、いったい何が目的だ」
「特に、何も。強いて言えば突然、目の前に知らない髭のオジサンが現れれば、君たちはいったいどんな顔で驚くかなーと、そう思っただけだ!!」
その言葉に、明の眉がピクリと跳ねた。
「は?」
ドスの効いた低い声が口から零れ出る。そんな明の感情を察したのだろう。奈緒が小さく、声を掛けてきた。
「落ち着け、一条。ペースを乱されるな。コイツの思うツボだぞ」
「……ッ。…………あんたが、急に俺たちの前に現れた理由は分かった」
奈緒の言葉に一度深呼吸を挟んだ明は、感情を押し殺すように静かに言った。
「それで、結局。あんたは一体誰なんだ。どうして俺たちに付き纏う?」
「『誰だ』、か。……ふむ。その質問は、はたして本当に必要なものかな? なぜなら、私は見て分かる通りモンスターではないし、もしも私の名前が知りたいのであれば、わざわざ聞く必要もない。そうだろう? 一条明くん?」
その言葉に、明は心の中で舌打ちをした。目の前の男に、『解析』スキルを使われたことを察したからだ。
(クソッ、自分から名乗るつもりはないってことか。それなら、お望み通り――――)
明は、男の言葉に心の中で悪態を吐くと、解析を使用する。
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アーサー・ノア・ハイド 54歳 男 Lv12
体力:21
筋力:13
耐久:29
速度:28
幸運:15
ポイント:0
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個体情報
現界の人族。
魔素結合率:0%
身体状況:正常
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所持スキル
・死霊術
・解析Lv1
・隠密Lv1
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――――アーサー・ノア・ハイド。
それが、男の名前なのだろう。
男の名前を知った明は、ざっと男の解析画面へと目を通す。そして、そこに並ぶあまりにも低いステータス値とレベルに、思わず言葉を失った。
(なんだ、このステータス……。スキルは……たった三つ? その内の一つはレベル表記がない。ってことは死霊術ってのは固有スキル、だよな?)
「どうやら解析を使ったようだね。驚いただろう?」
そんな明の表情に男は――アーサーは、解析を使われたのだと察したのだろう。ニヤリとした笑みを浮かべて、手にしたナイフをゆっくりと撫でると、
「では見て分かった通りだ。私は――――弱い!! そこのお嬢さんよりも遥かに、だ!! ……だから、怒りに任せて私を殴ろうなどと思うなよ? 死ぬぞ? ――――私がな!」
と、なぜかドヤ顔でそう言った。