夕陽の来訪者②
――二十九度目。
予定通り、ウェアウルフに殺された明はいつもの病室のベッドで目覚めた。
前世の最後では予行演習として明はウェアウルフとやり合ったが、圧倒的な速度を前に、疾走無しでは手も足も出なかった。
だが、収穫もあった。
ウェアウルフの攻撃方法が分かったことだ。
どうやら、ウェアウルフはその手から伸びる爪での斬り裂きや徒手格闘を中心に、素早い動きによる連続攻撃を得意とする戦闘スタイルのようだった。
(動きは素早く、軽やか。下手な攻撃はすぐに避けられて、反撃を受ける機会へ繋がる……。やはり、今回も疾走スキルが頼りになるな)
明は冷静にそう分析をすると、自動再生が身体を癒すまでの間、前世を思い返して、頭の中でウェアウルフとの戦闘のイメージを固めていく。
そして夕方になり、ほどなくして軽部が訪れる時刻へとなろうとした頃。
満身創痍だった明の身体は、問題なく動けるまでに回復していた。
(自動再生のスキルレベルを上げたかいがあったな。身体を動かせるまでの時間が、半分にはなってる)
身体を起こして、明は調子を確かめる。……問題はない。痛みの具合で考えるに、この調子ならば全快まで一時間足らずといったところだろうか。
(今回の黄泉帰りから、ミノタウロスの戦斧に加えてオークの鉄剣も一緒に過去戻りしてるが……。これを持って院内を移動するのは無理だな)
床に置かれたそれらの物へと目を向けて、明はそんなことを考える。
ボスへと挑む前に、奈緒を探さなければならない。
世界の焼き増しとも言えるこのループの中では、以前とは違う行動をこちらが取らなければ、人々は記憶の中にある動きとほぼ同じ行動を取る。
しかし奈緒は今、明と同じく黄泉帰りを繰り返す人間だ。
以前はトラウマによるフラッシュバックで、薬を飲まされて病室へと運ばれていたようだが、今回も同じようにトラウマで錯乱しているとは限らない。
その場合は、この病院内のどこかで心と身体を休ませているはずだ。
(奈緒さんの居場所を知っていそうな人が居ればいいんだが――――)
そう思って、明が病室を抜け出して廊下を歩きだしたその時だ。
明は、廊下の向こうからこちらへと歩いてくる軽部を見つけた。
軽部も、廊下を歩いてくる明に気が付いたのだろう。
まさか、今朝まで満身創痍で動くこともままならなかった男がもう動けるようになるとは思ってもいなかったのか、軽部はポカンと口を開いたまま動きを止めて、明を見つめた。
「――――いち、じょう……さん? どうして、ここに……。いやそれよりも、もう動けるんですか?」
まるで幽霊でも見たかのような表情だ。
いや、実際にそう思っているのか、軽部の視線が足元に向けられたのを明は感じた。
そんな軽部の様子に、明はこの人もそんなことを信じているんだな、と思わず小さく噴き出す。
それから、軽部を安心させるように口元を綻ばせると口を開いた。
「ええ、まあ。スキルの効果ですよ。俺がそこらの人と同じじゃないことは、あなたならもう知っているでしょう?」
その言葉に、軽部は戸惑いながらも思い当たる節があるのか、納得するように頷いた。
「……確かに、一条さんが我々とは違うことは重々承知していましたが…………。まさか、あれだけの傷が一気に治るなんて。いったい、どんなスキルを取得すれば、そんな驚異的な回復力を身に付けるのでしょうか? やはり魔法のようなもので身体の傷を治したのですか?」
「いえ、自動再生というスキルの効果です。スキルの取得ポイントは7なので、ポイントに余裕があればモンスターとの戦闘を積極的に行う皆さんは取得しておくといいですよ」
その言葉に、軽部は「なるほど」と言って考え込んだ。
おそらく、スキル取得に使うポイントの大きさと、現在のステータスとモンスターとの戦力差を比べて、ポイントを溜めて取得するかどうかを悩んでいるのだろう。その瞳が細かく宙を動いているのを見て、明はそう考えた。
そんな思案顔となった軽部に向けて、明は間を置いて口を開く。
「それよりも、軽部さんに聞きたいことがあります。奈緒さん……七瀬奈緒の居場所はどこですか? おそらくですがキラービーとの戦闘中にパニックを起こして休んでるのではないかと、俺は思っていますが」
「――――どうして、一条さんがそれを……? 確かに、七瀬さんはキラービーとの戦闘中に突然、過呼吸となって、今は個室で休まれてますが…………」
「なるほど。ありがとうございます」
個室、という単語を聞いて明はすぐに奈緒の居場所が思い当たった。
すぐにその場所へと足を向けようと、軽部の横をすり抜けようとしたところで再び声が掛けられる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 一条さんには、いろいろと聞きたいことがあるんです! あなたの部屋にある、大きな斧や剣、それに、レベルの低いあなたがどうやってミノタウロスを倒したのかを――――」
「すみません。訳は必ず、後で話します」
明は、軽部との会話を強引に打ち切った。
背後からは再び軽部から疑問の声が上がっていたが、明はその声に、最後まで反応をしなかった。
◇ ◇ ◇
いくつか前の人生で足を運んだ病室へと向かう。
ほどなくして辿り着いたその病室の扉は、訪れる者を拒んでいるかのように固く閉ざされていた。
「…………」
一度、明は扉の前で深呼吸をする。
そして、ゆっくりと。明は、その扉をノックした。
「――――奈緒さん」
次いで小さく吐き出したその声に、室内からハッと息を飲むかのような気配と共に、ガタリと何かが床に落ちる音がした。
どうやら、彼女がこの中に居るのは間違いないらしい。
しばらく間を空けて返事がないことを確認すると、明はまた、中にいるはずの彼女に向けて声を掛ける。
「奈緒さん。俺です、一条です」
ゆっくりと、出来るだけ優しく、明は言った。
しかし、やはりと言うべきか彼女からの返事は無かった。
声が届いていないわけではない。その証拠に、扉の向こうでは息を潜めて、こちらの様子を窺っている気配を感じ取った。
(……仕方ない、か)
ため息を吐き出し、明は扉の取手に手を掛ける。
「開けますよ」
言って、明が扉を開こうとしたその時だ。
「やめろッ! 開けないでくれっ!」
悲鳴にも似た制止の言葉が、室内から響き渡った。
明は、その声にピタリと動きを止めると、その体勢のまま言葉を掛ける。
「……どうして、開けちゃダメなんですか?」
「…………お前に、合わせる顔がないからだ」
「俺に? どうして?」
その言葉に、奈緒からの返答は無かった。
しばらく間を空けて、明は奈緒の言葉を待つ。
だが、途切れてしまった会話は再び始まることが無かった。
明はゆっくりと息を吐き出すと、再度扉の取手へと力を込める。
「すみません。入ります」
「ちょ、待って――――ッ!」
室内からは再び制止の言葉が響いたが、今度はその言葉を聞き入れなかった。
その部屋の中は、窓から差し込まれる夕陽によって茜色に染まっていた。
明はまず視界を覆う朱色に目を細めて、室内を見渡す。
すると、まるであの日の夜からずっとそこに居たかのように。あの時とまったく同じ体勢で、ベッド上で膝を抱えて座り込んだ奈緒の姿を明は見つけた。
違いがあるとすれば、彼女の頬には大粒の涙が流れていたことだ。
ぽろぽろと流れ出るその涙が、夕陽に反射して明の目に焼き付く。
奈緒は、頬と目元をすぐさま拭うと顔を隠すようにして俯いた。
「…………どうして、入って来たんだ」
消え入りそうな声で、奈緒は言った。
「お前にだけは、こんな姿を見られたくなかった。…………だから、扉を開けるなと言ったのに」
「……すみません。でも、どうしても奈緒さんと話がしたくて」
「話をするだけなら、扉越しでも出来ただろ」
「確かにそうですが……。喧嘩もしてないのに、扉越しに話をするのは少し、寂しいです」
「だからって勝手に入ってくるヤツがあるか。馬鹿」
奈緒は、顔を俯かせたまま言った。
明はそんな奈緒の様子に一度口を開くが、やがて言葉を飲み込むと、静かにその口を閉じた。
掛けるべき言葉がたくさんあった。
たくさんあったからこそ、明にはどの言葉を掛けて良いのかが分からなかった。
しばらくの間、互いの会話が途切れる。
明は小さく息を吐き出すと、奈緒へと向けて声を掛けた。
「……俺も、座っていいですか?」
返事は無かった。
けれど、確かに小さく。奈緒が頷いたのが明には分かった。
明はあの日の夜のように、そっとベッドに腰かける。
それからまた、あの時のようにじっと手元へと視線を落とすと、呟くように言葉を漏らした。
「…………奈緒さん。外に、出ましょう。俺の準備は終わりました。あとは、奈緒さんだけだ」
その言葉に、奈緒からの返事は無かった。
明は奈緒の様子を見つめて、何か一つでも返事が欲しいと、今度は話題を変えて問いかけてみる。
「……さっき、俺に合わせる顔がないって言ってましたけど、あれはどういう意味ですか? まさか、その泣き顔を見られたくないから、なんて理由じゃないでしょ?」
その言葉にも奈緒は、反応を示さなかった。
やはり、ダメか。そう思って、明が再び話題を変えようと口を開こうとしたその時。
奈緒が、小さな声で言葉を漏らした。
「…………二回」
「え?」
「あれから二回、お前は死んだ。私がこうして、何もしていない間に、だ」
その言葉に明は、なるほど、とゆっくりと息を吐く。
彼女が何に対して負い目を感じているのかが分かったからだ。
「だから、俺に会いたくなかった、と?」
「……そうだ。お前がこの世界で戦っている間、私は何もしなかった。出来なかった! モンスターと戦うことすら、しなかったんだ!! そんな私が……今さらお前に会って、どうするっていうんだ」
奈緒が口に出した最後の言葉は、細かく震えていた。
奈緒は、自らの腕を片手でぎゅっと掴むと、顔を俯かせたままさらに言葉を吐き出す。
「結局、お前ひとりが頑張ってる。私は、それが嫌だったはずなのに……ッ! 気が付けば結局こうしてまた、お前だけがひとりでどうにかしようとしている!!」
――そんな自分が許せない。
声には出さないまでも、奈緒のその悲痛な叫びは、明には痛いほど伝わってきた。
「やっぱりお前ひとりはダメだと、こうしている間にも私は、何度も思った。立ち上がろうとした。……でも、出来なかった。モンスターを見れば、あの出来事を思い出すんだ! 忘れることが出来ないんだ!!」
奈緒はそう言うと、ようやく顔を持ち上げた。
泣き腫らした真っ赤な瞳が明の姿を捉えて、溢れる涙が頬を伝って流れ落ちた。
「無理だ。無理なんだよ、一条。このままじゃダメだって、私自身、分かってるはずなのに……。どうしても、あの出来事が私を縛り付けるんだッ!! 立ち上がることすら出来ないんだよ!!」
七瀬奈緒は、昔から真面目な人だった。
自分に正直であり、それでいて厳しかった。
彼女は口にした約束を、最後まで守ろうとするような人だった。
だからこそ、彼女は今、その鎖に縛られている。
死に戻りによって傷ついた心によって動けなくなった身体が、彼女自身をさらにまた、傷つけている。
立ち上がろうとしても立ち上がれない。そんな自分を奈緒自身が許せなくて、彼女は心から悲鳴を上げている。
ひどい、悪循環だ。自分で自分の首を絞め続けていると言ってもいい。
そっと、明は目を伏せる。
そうして、彼女の苦しみを和らげるにはどうすれば良いのかを考える。
しかし、いくら考えたところでこの場で出来ることは何もない。
奈緒が苦しむこの状況を破るには、彼女自身が過去の傷を克服して立ち直るか、もしくはその元来の真面目な性格そのものを変えて、トラウマのある自分を受け入れるようにするしか方法はないように思えた。
(でも、それは違う。奈緒さんが、奈緒さんでなくなるのは違うと思う)
明は、真面目な奈緒が昔から好きだった。
真面目で、だけど時々抜けていて、後輩や友人に優しく頼りがいのある彼女のことが、明は彼女と出会った頃から好きだった。
だから、彼女には彼女のままでいて欲しい。
その性格を、この世界で負った心の傷が原因で変えないで欲しい。
彼女が彼女であることが、一条明にとってのかつての日常なのだから。
モンスターが現れて、どんなに世界が変わっても。
それだけは、変わってほしくはなかった。
(これは……。俺のエゴだ。勝手な押し付けだ。…………だけど、奈緒さん自身のことを考えても、この方が良いに決まってる)
固く拳を握り締めた明は、奈緒に向けて、ゆっくりと言葉を口にする。
「……奈緒さん。あなたのトラウマを克服するには、あなた自身の足で、立ち上がるしか方法はありません。一人で立てないなら二人で立てばいい。肩なら貸します。いくらでも手を差し伸べます。……だからもう一度。俺と一緒に、モンスターが現れたこの世界に、足を踏み出しましょう」
「だが、一条……。私は――――」
「大丈夫。大丈夫です。奈緒さんのことは、俺が守ります。ボスが奈緒さんの元に向かうなんてこと、俺がさせません。文字通り命を賭けて、俺はあなたを守り抜くと誓います。そのためになら、俺は何度だってこの世界をやり直します」
じっと、明は奈緒を見つめた。
「まずは一緒に、ボスを倒しましょう。奈緒さんにとっての悪夢を終わらせましょう。これ以上、奈緒さんが死に戻りの恐怖を味わうことがないようにしましょう」
奈緒は明の言葉に、固く唇を噛みしめた。
それから、また唇を小さく震わせると、奈緒はこくりと頷いた。
「分かった」
呟き、そして奈緒はまた、ぎゅっと片手で自らの腕を掴む。
それから、震える唇で大きな息を吐き出すと、消え入りそうな声で言った。
「…………すまない」
呟かれたその謝罪の言葉は、何に対してのものだったのか。
その理由を、明は最後まで聞くことが出来なかった。
10/26追記
クライマックスは一気に投稿します。
なので、26の投稿はお休みです。




