ウェアウルフ
奈緒と別れた明は、軽部に挨拶を済ませると、一つ道具を貸して欲しいとお願いした。
「双眼鏡、ですか」
軽部は、明の申し出に目を瞬かせた。
まさか、奈緒との会話の後にそんなことを頼まれるとは思ってもいなかったのだろう。
けれどすぐに、軽部は明の申し出を了承するように、その首を縦に振った。
「分かりました。準備しましょう。とはいえ、我々が持っているのはレチクル付きの双眼鏡ですが……。使い方は分かりますか?」
「ああ、いえ……。倍率さえ上がるものであれば今は十分です」
「分かりました、では自室でお待ち下さい。」
軽部に頭を下げて、明は自分の病室に戻る。
それから、ミノタウロスの戦斧を手に取り、しばらく待っていると軽部がやって来た。
「これをどうぞ」
そう言って渡されたのは、おそらく隊員の誰かが使っていたのであろう軍用の双眼鏡だった。
明は、その双眼鏡を受け取ると、丁寧にお礼を口にして病院を後にした。
街の中心に向けて歩きながら、明は自身のステータス画面を確認する。
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一条 明 25歳 男 Lv1(39)
体力:66(+1Up)
筋力:166(+1Up)
耐久:135(+1Up)
速度:150(+1Up)
魔力:20【21】(+1Up)
幸運:40(+1Up)
ポイント:1
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固有スキル
・黄泉帰り
システム拡張スキル
・インベントリ
・シナリオ
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スキル
・身体強化Lv3
・解析Lv1
・魔力回路Lv1
・魔力回復Lv1
・自動再生Lv1
・疾走Lv1
・第六感Lv1
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ダメージボーナス
・ゴブリン種族 +3%
・狼種族 +10%
・植物系モンスター +3%
・獣系モンスター +5%
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前回の人生で獲得したトロフィーによって、狼系のモンスターに対しては大きなダメージボーナスを獲得している。
さらにはレベルアップをしたことで、ポイントも1つ増えていた。
(……ん? 前回、疾走を使ったから現在の魔力値が最大値よりも2つ減ってると思ってたけど、1つしか減ってないな……。もしかして、どこかのタイミングで回復していたのか?)
だとすれば、魔力回復Lv1で魔力の回復に掛かる時間はおおよそ一日ということになる。
(長いな……。そのあたりも、スキルのレベルをあげてどうにかしていかないと)
そう考えると、明はため息を吐き出して画面を閉じた。
それから、明はじっと、これからのことについて考える。
奈緒があの状態である以上、無駄な死に戻りは出来ない。無駄に死に戻れば、それだけ彼女はキラービーとの戦場で目を覚ますことになる。
彼女の心に負担を掛けないことを考えれば、数少ない死に戻りでいずれかのボスを攻略する必要があった。
(まずは、ボスの情報を集めないと……。そのための手がかりは、あのモンスタートレインだ)
明は心で呟きながら、男と出会ったその場所へと足を向ける。
明は知っていた。
ボスが現れるその周辺では、街に蔓延るモンスター達が怯え、逃げるようにその場から姿を消すことを。
しかし、この街にはもう、ボスと呼べるモンスターが居ない。
この街を縄張りにしていたミノタウロスは確かにこの手で殺し、その証拠とも言える戦利品の戦斧は今、手元にある。
それらのことから、あのモンスタートレインが起きていた原因で、考えられる可能性は大きく分けて二つ。
(……あの、ミノタウロスが復活しているか。もしくは、別のボスがこの街にやって来ているか)
明は、心でその可能性を思案する。
とはいえ、ミノタウロスの復活に関してはありえないだろうと思っていた。
ミノタウロスを討伐した際に表示されていた画面には、世界反転率の低下が記されていた。
もしも時間の経過でミノタウロスが復活しているのだとすれば、低下していた世界反転率そのものがボスの復活と共に元に戻るはずだ。
しかし、今までそんな画面は一度たりとも出てきていない。
もしかすればこの先、ミノタウロスが復活するのかもしれないが、ボスを討伐すれば低下する、世界反転率というシステムが存在している以上、一度討伐したボスの復活はありえないことのように思えた。
(ってことは、現状で考えられるモンスターの大移動が起きていた原因は一つだけ。……他の街に出現していたボスが、この街にやって来ているってことだ)
その結論に、明は大きく息を吐き出した。
なぜ、他の街のボスがこの街にやって来ているのかは分からない。
だが、現在この街を牛耳るボスの座は空白だ。
だから他の街を支配していたボスモンスターが、新たな縄張りを求めてこの街に攻め入ってきていると言われれば、納得が出来ることのように思えた。
「何にせよ、まずはそのボスの姿を拝まないとな」
小さな声で明は呟く。
これまでの繰り返しの中で、明は周辺の街々に逃げ込んでいる。
その度に、その街を支配するボスモンスターに殺されているだけに、この街に攻め入ってきているボスさえ見つければ、どこの街からやって来たのかを突き止められると考えていた。
移動の途中で襲い掛かってくるモンスター達を確実に仕留めながら、明は足を進めていく。
やがて、前回死亡したその場所までやって来た。
神経を尖らせて周囲の気配を探るが、モンスターがボスを恐れて逃げている様子はない。
どこかで逃げ惑うモンスターがいるかもしれないと、ほんの少しだけ足を進めたが、物陰から奇声のような鳴き声を発して飛び出してきたゴブリンに襲われて、明は舌打ち混じりにゴブリンへと拳を振るって吹き飛ばした。
「まだ、ボスは攻めてきてないのか? あの男がモンスターに追われていたのはまだ後だしな……。しばらく、適当にレベリングをして時間を潰すか」
呟き、明は小さくため息を吐き出す。
そうして気持ちを切り替えると、自らの強化を行うため、手当たり次第に周辺のモンスターを狩り始めた。
それから、数時間後のことだ。
モンスターを相手にレベリングに励んでいた明はふと、周囲のモンスターの数が増えてきていることに気が付いた。
よくよくモンスターの動きを観察すると、東にある住宅地側からモンスターが流れ込んできているように見える。
その様子に、明はボスがすぐそこまで来ていることを察すると、移動を開始した。
逃げ惑うモンスターに向けて斧を振るって、確実にその息の根を止めて経験値へと変えていく。
時には大きな群れとなって移動していくモンスター達との戦闘を避けて、物陰に潜みその群れをやり過ごす。
そうして、歩みを進めていくと次第にモンスターの姿は減り始めた。
気が付けば、生き物の気配が感じられないほど静かになったのを見て、明は確信する。
(…………この感じ、間違いない)
身に覚えがある光景だ。
生き物という生き物が全て死に絶えたような、静謐とはまた違う静けさが支配した世界。
空気に含まれる異様とも言える殺気の重圧が、知らず知らずのうちに明の皮膚を粟立たせていた。
(あとは、ここのどこにボスが居るのかだけど……)
明は、物陰に潜みながら前に進む。
すると、立ち並ぶ住宅の中でひと際高い建物を見つけた。三階建ての賃貸アパートだ。三階部分のベランダが軒先よりも前に出ているため、その手すり部分から跳躍し軒先に掴まることが出来れば、力任せに屋上へと上がることが出来そうだった。
(――あそこなら!)
素早く、明は駆けこむようにアパートの中へと滑り込んだ。
中階段の入口に戦斧を置くとすぐさま三階にまで駆け上がって、手身近な部屋の扉を蹴り破り、中へと侵入する。
部屋はもぬけの殻だった。モンスターの出現と共に、ここの住人は慌てて出て行ったのだろう。つい先ほどまでそこに居たかのような生活感の中に、床に散らばった衣服や持ち歩き用の大小のバッグが散乱し、さらにはきちんと閉め切られていない冷蔵庫に残った半ば腐敗しはじめた食材の匂いが鼻を刺激した。
明は、その部屋の中へと侵入するとすぐにベランダへと向かった。
そうして、そこから頭上を見上げて距離を測ると、手すりへとよじ登り一気に跳躍する。
「フッ、ん……!」
以前ならば確実に届かなかったであろうその距離も、ステータスが向上した今ならば問題ない。
縁に指が掛かると一気に力を込めて指の力だけで身体を持ち上げて這い上がり、無事屋上へ到着した。
「……よし」
呟き、明は落とさないように懐に仕舞い込んでいた双眼鏡を取り出して、あたりを見渡した。
小さな路地。住宅地の間を通る車道。そして放置された車が並ぶ駐車場。
その一つひとつを見逃さぬように、ボスの姿を探す。
そうして、いくつかの路地へと目を向けた時だ。
(――――いた)
明は、そのモンスターの姿を見つけた。
二足歩行の狼、とでも言えばいいだろうか。
オークが蔓延るあの街やギガントが支配したあの街とはまた違う、別の街を支配していたボスモンスター。
以前はその姿を見かけると同時に殺されていたことを思い出して、明は一度、ぎゅっと唇を噛みしめると息を吐いた。
(アイツが、この街に来ていたのか。もしかして、俺のトロフィーの効果に釣られて攻めてきてるのか? …………どちらにせよ、アイツを放置していれば、この街はいずれ支配されることになる)
明はそう心の中で呟くと、さっそく『解析』を使用してそのモンスターの情報を目に焼き付けた。
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ウェアウルフ Lv93
体力:237
筋力:213
耐久:257
速度:412
魔力:70
幸運:51
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個体情報:レベル不足のため表示出来ません
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所持スキル:レベル不足のため表示出来ません
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「…………クソッたれだな」
思わず、その数値の高さに舌打ちをした。
分かってはいたが、強化されたボスモンスターと、自身とのステータスの差が大きい。
だが幸いなことに、あのボスは速度がかなり高いが、それ以外のステータスはまだ対応できる範囲にある。
機動力さえ奪ってしまえば、まだどうにかすることが出来るだろう。
「よし……」
呟き、明はアパートの屋上からまたベランダへと降り立った。
この人生においてやるべきことは既に、明の頭の中で決まっていた。