仄暗い部屋で②
まず目に飛び込んできたのは、明の過ごす病室と同じ作りをした部屋の構造だった。
扉の正面にあるカーテンは開かれていて、夜空に浮かぶ半月が窓の外には見えた。
非常灯の照らされたその部屋の中に、ベッド上で膝を抱えて座り込んだ奈緒の姿を明は見つけた。
「奈緒さん」
小さく、明は声を掛けた。
すると、怯えるように入り口を見つめていたその表情がほんの少しだけ和らいだ。
部屋に入って来たのが明だと分かったからだろう。
大きな息を吐き出した後、奈緒は口を開いた。
「……一条か。すまない、扉を閉めてくれ。今は、その方が安心するんだ」
その言葉に、明は軽部へと目配せをする。
軽部も、奈緒の状態が分かっているのだろう。
小さくお辞儀をすると、扉を閉めて姿を消した。
明は、ゆっくりと奈緒の元へと近づき、ベッドへと腰かけた。
それから、じっと、手元へと視線を落とす。
彼女に掛けるべき言葉が次々と頭の中に浮かんでは消えていく。
喉元にまでせり上がる言葉は形にならず、彼女の表情を見つめてはまた手元へと視線を落として、幾度となく吐き出された小さなため息だけが、部屋の中を満たしていった。
そうして、互いが無言となって数分。
重たくなった部屋の中で、最初に口を開いたのは奈緒だった。
「…………お前は、凄いよ」
それは、小さく零れ出た言葉だった。
奈緒はじっと何もない空間を見つめて、ぽつぽつと言葉を漏らす。
「これまで、何度も死んで、また立ち上がって。どんなに痛くても苦しくても、また次に向けて動き出している。お前は強いよ」
「……違います。俺は、強くなんかない。俺だってこの世界から逃げ出した。もう無理だと、何もかもを諦めた。でも、そんな時に奈緒さんが居たから、俺は今……ここに居る。奈緒さんがあの時、俺を支えてくれると言ってくれたから、俺は立ち上がることが出来たんだ」
「私が?」
小さく、奈緒が唇を歪めた。
「そんなの、知らないな」
次いで、奈緒はため息と共にその言葉を吐き出す。
知らないのは当たり前だ。
だって、その言葉を掛けてくれたのは、今の奈緒ではないのだから。
「でも、それは確かなことです」
「だったら、その私は知らなかったんだ。死んでしまうと言うことを。この世界で生きることが、どれだけ大変なのかを。ただ立ち上がるってことが、どれだけ大変で苦しいことなのかを、その私は知らなかった。だから、無責任にもお前にそんなことを言ったんだ」
言って、奈緒は一度言葉を噤んだ。
それから、ゆっくりと頭を振ると顔を覆うようにして呟く。
「……すまん。こんなことを、言うつもりは無かった。お前が私の言葉で救われたって知っていたのに……。こんなことを、言うつもりじゃなかったんだ。すまない…………。本当に、すまない……」
それはまるで、その場から消えてしまいそうなほど小さな声だった。
奈緒は、じっと俯いたまま、身動きをしなくなる。
明はその姿を見つめて、唇を固く噛みしめた。
膝を抱えて俯くその姿は、抱きしめればあっという間に折れそうなほど細かった。普段、傍に居たからこそ忘れていたその肩の華奢さが、非常灯に照らされたこの部屋の中ではなおさら際立った。
奈緒は、顔を俯かせたまま罪の告白をするように、呟く。
「……目覚めてすぐに目の当たりにしたキラービーに向けて、魔法を使おうとした。でも、出来なかった。声が、出なかったんだ…………」
ぎゅっと、奈緒は自らの身体を抱きしめる。
震える身体を押さえつけるようにしながら、奈緒は言葉を紡いでいく。
「モンスターの姿を見ると、死ぬ直前のことがフラッシュバックするんだ。あの痛みが、あの恐怖が、あの苦しみが、どうしても蘇ってしまう。あるはずのない傷が疼くように痛むんだ!! ……そして、どうしても考えてしまう。また、私はあんな風に死ぬんじゃないかって」
「…………奈緒さん」
「怖いんだ。もう、怖いんだよ。モンスターが怖い。死ぬのが怖い。それを全て覚えているのが怖い。この世界の何もかもが、どうしようもなく、恐ろしくてしょうがないんだ!」
呟かれるその言葉に、明はそれまで以上にぎゅっと唇を噛みしめて、瞼を閉じる。
彼女の恐怖がありありと伝わって来たから。
彼女の心が、もう立ち直れないほどにボロボロに折れていると知ったから。
――――だから、一条明は。
七瀬奈緒のために、いち早くこの繰り返しを終えようと思った。
死ぬのはもう、自分だけでいい。
彼女にはもう二度と、死を体験してもらう訳にはいかない。
ゆっくりと息を吐き出す。
そして、固く拳を握り締めると奈緒に向けてその視線を投げかけた。
「奈緒さん。これから俺は、あなたにとって嫌な光景を二回、いや三回。もしかすれば、それよりももっと、多く見せなきゃいけないのかもしれない。そして、それが終われば俺と共にまた、街に出てもらう。それがどんなに嫌でも、俺は引きずってでもあなたを連れて行かなきゃならない。そうしないと、この〝シナリオ〟は終わらないからだ」
固く、固く。拳を握り締めて呟く。
その言葉がどれほど彼女にとって酷なのかを知っていながらも、そうしなければならないと分かっているからこそ、明はその言葉を吐き出していく。
「死ぬのは俺だけでいい。奈緒さんはここで、待っているだけでいい。ただ、死に戻った先でまた、モンスターを目にするのだけは…………すみません。我慢してください。出来るだけ、死に戻らないようにはしますが、ボスの強さ次第です」
奈緒は、その言葉をただ黙って聞き続けた。
そして、明の言葉が終わると、長い沈黙を経て、問いかける。
「……どうして、お前は諦めないんだ?」
その言葉に、明は小さく笑った。
「やる前から諦めない。そう、教えてくれた人が居るからですよ」
その言葉に、奈緒は小さく目を見開く。
それから、すぐに目を伏せると感情の読めない表情となって、ただ一言。
「……そう、か」
と、そう呟いただけだった。
明日の更新は夜になります!




