この手の届く範囲
ぼんやりとした非常灯が、ベッド上で顔を俯かせた一条明の顔に色濃い影を作り出していた。
時刻は午前三時。
身体は、自動再生によってもう動いても問題のない状態まで癒えている。
明は、自らの手のひらをじっと見つめた。
(……どうして俺は、彼女を守り切れなかったんだ)
幾度となく死を経験し、その力はミノタウロスを倒すほどまでなった。
この街に出現した雑魚相手ならばどうにかなると、過信していた。
選択を間違えても死に戻ってやり直せる、そう思っていた。
だが、その結果。
七瀬奈緒の心は死んだ。ボロボロに傷ついて。
きっと、トラウマになっていることだろう。もう二度とモンスターの姿は見たくない、そう思っているに違いない。
それほどまでにあの死は凄惨で、想像を絶するものだった。
「っ!」
明は、唇を強く噛みしめた。
(――――何が、『この手が届く範囲に居る〝誰か〟なら助けられるかも』だ!! 近くに、手の中に居た奈緒さんさえも、俺は……守れなかった!!)
それは、この世界で再び目覚めた一条明が決めたことの一つ。
〝ほんの少し頑張れば〟どうにか出来るかもしれないと思っていたことだった。
「――――ッ!!」
明は、強く拳を握り締める。
自分の弱さに反吐が出そうだった。
過信と慢心をしていたこれまでの自分を許せそうになかった。
(俺は……まだ、自分を守る力を身に付けただけに過ぎないんだ)
〝誰か〟を守るためには、まだ力が足りない。
もっと、もっと。レベルを上げて、ステータスを高めていかなければ、強くならなければ。
それを、決意する。
「…………奈緒さんは、起きたかな」
薬で眠っているとは聞いたが、延々と眠り続けられるはずがない。
きっと、どこかのタイミングで奈緒は起きているはずだ。
それならば一度、奈緒と話したい。
あの夜、彼女に救われた時のように。
今度は自分が彼女に寄り添う番だと、明はそう思っていた。
ちらり、と。明はスマホの画面に目を向けた。
「…………その前に、まずは終わらせないと」
自分自身がどんな状態であろうと、この世界で定められたイベントは必ず起こる。
それが分かっているからこそ明は、その叫びが聞こえるよりも前に行動を移すことにした。
そっと、明はベッドを抜け出す。
床に置かれた戦斧が自分も連れていけとその存在を主張しているように感じたが、明はそれを無視した。
室内で戦うには邪魔になる。
全力で駆け抜けて、明はエントランスロビーへと辿り着く。
すると、ちょうど侵入しようとしていたところだったのだろう。
ガラス扉の割れる音と共に聞こえてくる獰猛な獣の唸り声が響き渡った。
見れば、まるで暗闇から抜け出してくるかのように、体毛が真っ黒な狼達が次々とバリケードをこじ開けて侵入してくるところだった。
明は、そのモンスター達へと冷たい視線を向けるとすぐに腰を落とした。
「……ッ!!」
そして、一条明はブラックウルフへと飛び掛かる。
それはまるで、前世での仇を討つかのように。
不甲斐ない自分自身への怒りをぶつけるかのように。
彼女のレベルアップのために抑えていた、一度目の襲撃の際には出さなかった自らの全力を八つ当たりするように吐き出した。
声を張り上げ暴れ回る男の手によって、ブラックウルフの襲撃は数分もしないうちに鎮圧された。
◇ ◇ ◇
軽部稔は、その男の戦いを茫然と眺めていた。
ブラックウルフの群れが病院内に侵入しようとしていると、哨戒に当たっていた隊員から聞いたのはつい先ほどのこと。
その知らせを聞いて、すぐに院内の戦える民間人へと応援要請を出し、軽部を含む自衛隊はすぐにその現場へと駆けつけた。
だが既に、その戦場には彼の姿があった。
「ォオオオオ!!」
怒りとも哀しみともとれぬ声を上げる男が、獰猛な狼達の中で暴れる。
風を切って振るわれるその蹴りや拳は狼達の骨を砕き、肉を潰す。
戦闘の余波で壊されたバリケード――病院内にあった机や椅子を組み合わせた簡素なものだが――の破片を手に取ると、それを狼達の身体や頭蓋に突き刺し、その動きと息の根を止めていく。
もはや、どちらが化け物なのか分からない。
吹き荒れる暴風の如く暴れ回るその男の手によって、狼達は次々と屍へと変わっていく。
その光景をしばらく見つめた後、軽部はハッと気を取り直すと隊員たちに向けて命令を下した。
「総員、戦闘態勢を維持。大丈夫だとは思うが、気を抜くなよ!! すり抜けてきたモンスターが居れば、我々が相手をするんだ!」
その命令に、隊員たちの返事が重なった。
その返事に小さな頷きを返すと、軽部は再びその男へと視線を向けた。
男の戦いを見て、軽部は自身と男の間に広がるステータスの差を改めて実感した。
この街に、彼に敵う人間は居ないだろうと軽部はごく自然に考える。
だからこそ、この男がこれ以上の力を付けた際に、一体誰が止められるというのだろうか。
(あの牙がもし、我々に向いたら……)
そんな想像をして、軽部は全身の皮膚を粟立たせた。
◇ ◇ ◇
死体が積み重なったエントランスロビーは、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………。ふー…………」
明は、暴れ回る鼓動を鎮めるようにゆっくりと息を吐き出す。
それから、顔について乾きかけた返り血を拭っていると、自分を見つめるその視線に気が付いた。
「…………」
いったい、いつからそこに居たのか。
自衛隊を含む多くの人々が、じっと、明の行動を見守るように見つめていた。
明は彼らへと向き直ると、小さく言葉を溢すように呟いた。
「俺は、ここを出ます。その前に、奈緒さんに会いたい。……どこに居ますか?」
「――――ボスを倒しに行く、ということですか?」
代表して口を開いたのは軽部だった。
その言葉に、明は小さな頷きを返す。
「……ええ。ですが、その前にやるべきことがある。確かめなくちゃいけないこともあるから……。今回、ではないでしょうが」
含みのあるその言い方に、軽部の眉がぴくりと動いたのが分かった。
けれど、軽部はただ、小さく頷くだけだった。
「分かり、ました。案内しましょう」
「ありがとうございます」
明は小さく頭を下げた。
それから、軽部に連れられるようにして院内を移動する。
連れてこられた場所は、病棟の4階奥にある個室だった。
軽部は、その個室の前で立ち止まると、明へと振り返る。
「この先です。一時間ほど前に、七瀬さんは目を覚ましていると聞いています。起きてからは、錯乱状態も落ち着いていると聞いていますが……。今はまだ非常に不安定です。くれぐれも、刺激を与えないようにお願いします」
「分かってます」
その言葉に、明は小さく頷いた。
そして、個室の扉の前に立つと、小さくその扉をノックする。
「…………」
返事は無かった。
しかし扉の中の物音が、中の人物がそのノックに反応したことを教えてくれる。
明は一度意を決すると、ゆっくりとその扉の取手へと手を掛けて、開く。
明が固めた決意に関しては『ほんの少しだけ』に書かれています。




