待ち人
――二十七度目。
(俺のせいだ……。俺が、不用意に近づいたから……ッ! だからッ!!)
目を覚ました明は、激しい後悔に唇を噛みしめていた。
あの時、様子を見るつもりとはいえ、自ら厄介事に首を突っ込んだことで奈緒は死んだ。
あの男が引き連れていた群れに巻き込まれたことは事実だが、不用意に近づきさえしなければ――もしくは、自分ひとりだけで様子を見に行っていれば、奈緒がモンスター相手に嬲り殺しにされることも無かったかもしれない。
そんな考えが、目を覚ましてからずっと、明の心の中で渦を巻いていた。
「――――ッ!」
そして明は、奈緒のことを考えて、さらに強く唇を噛んだ。
これまで幾度となく死を経験してきたが、その死因はほぼ即死に近い状態だった。
だから今回、奈緒が味わったようなじわじわとモンスターに殺されていく恐怖を、明は知らない。
しかし、だからといって想像できないわけでもなかった。
きっと、死に瀕するそれまでの苦痛と恐怖は、一条明が経験したどの死に方よりも長く、強く感じたはずだ。
そんな状況で、目を覚ました彼女が今、どんな思いをしているのかは想像に難くないことだった。
(くっそ……!!)
心で言葉を吐き出し、明は顔を覆う。
ぐるぐると、頭の中では去り際の男が言った言葉が回る。
――――すまん。
たった一言、呟いたあの謝罪は何に対するものだったのか。
単純に、あの厄介事に巻き込んでしまったことに対するものか。それとも、自分が助かりたいがために、あの大群を押し付けたことに対するものなのか。
今となってはその真意を知る術は存在していない。
一条明の既知は、この世界の人々にとっての未知でしかないのだ。
(そもそも、いったい何をすればあれだけのモンスターを引き連れることが出来るんだよ……)
ただ街を歩き回っているだけで、あれだけの数のモンスターの群れに出くわすことなんてありえない。
きっと、あれだけの大群に追われていたのには理由があるはずだ。
(モンスターを大量に集めて、一気に殺すことで経験値を稼ごうと思っていた? ……いや、ないな。だったら、あんな叫び声はあげなかったはずだ。どちらかと言えば、あの叫びは不意にあの群れに出くわした時に出すような――――そんな、叫びだった)
明は、前世で聞いた声を思い出す。
ありありとした恐怖に染まったあの叫びは、自らが蒔いた種によって死に瀕した男が発するようなものでは決してなかった。
(だったら、本当に街の中を逃げ回っている間に群れが大きくなった? ……ありえるな。ブラックウルフから逃げられる足を持っていたし、おそらく、アイツのステータスは速度への一点型だ。もしくは、俺のように固有スキルを持っていて、それが〝逃げに特化〟したスキルだったか……)
固有スキルを持っているのが、自分一人だけとは明は思っていない。
きっと、この世界のどこかには自分と同じように何かしらの〝特別〟を持つ人が居るはずだと、明はそう考えていた。
(……いや、だとしてもあれだけの数になるか? あの群れの中に混じっていた、ブラックウルフとゴブリンとでは速度が全く違うし……。それこそ、あのミノタウロスが居た時のように、そこに現れたボス級のモンスターから逃げようとしない限り、あんな数のモンスターが一斉に動くことなんて――――)
そこまで考えて、明はハッと息を止める。
頭に浮かぶ、一つの仮説。
まさか、ありえない。そう思いながらも、現状あの出来事に対して出せる答えはそれだけだと、明は心のどこかでそう考えていた。
(調べるしか、ないな)
心で呟き、明はこの人生でのやるべきことを決めた。
目覚めたばかりの身体はまた、身動きの取れない状態へと戻っている。
そのもどかしさを感じながらも、明は視線を動かして床に置かれたモノへと目を向けた。
「あとはコイツを……。それまでの間、どうするのかだ」
明の視線の先には、病室の床に平然と置かれているミノタウロスの戦斧があった。
まるで、初めからそこに置かれてあったかのように存在しているソレは、部屋に差し込む陽光を鈍く反射している。
明は、それを見つめるとゆっくりと息を吐き出した。
(……なるほど。これが、インベントリの効果か。まるで、ずっとそこにあった。とでも言うかのように置かれてるな。誰かに見つかれば面倒なことになりそうだ)
この斧が、この世界では初めからここにあったものとして扱われているのかどうかは分からないが、もしもそうでないのならば、確実にこの斧は騒ぎの原因となるだろう。
(隠すことが出来れば良いんだけど……。身体も動かない……。いっそのこと、ループしていることを軽部さんに言った方が後々、厄介事にはならないか?)
そんなことを考えた明は、小さくため息を吐き出すと思考を切り替えた。
(……ひとまず、奈緒さんを待とう)
これからのことを考えるのも大事だが、まずはショックを受けているであろう彼女に寄り添うことが先だ。
そうして、明はじっと、彼女の来室を待ち続ける。
訪れた彼女に、まずはどんな言葉を掛けよう。
どんな言葉でなら、体験したあの恐怖を和らげることが出来るだろうか。彼女の体験した恐怖に、苦痛に、その辛さに、どうすれば寄り添うことが出来るだろうか。
あの時、彼女に貰った勇気を。希望を。優しさを。今こそ、ほんの少しでも返さなければ……。
彼女を待ち続ける間、一条明はそのことばかりを考えていた。
しかし、いくら待っても彼女は訪れない。
時間はただただ過ぎていき、部屋には朱色の筋が差し始める。
やがて、部屋には時間切れを知らせるかのように、小さなノックが鳴り響いた。
その音に、明が俯かせていた顔を持ち上げると、ゆっくりと扉が開かれる。
「失礼します」
そう言って部屋に訪れたのは、明が待ち続けたその人ではなく、この病院を守る自衛官、軽部稔だった。




