トラウマ
2章完結後に差し込みで投稿した内容です。
――――もう、やめてくれ。
明の攻撃を搔い潜り、一匹、また一匹とモンスターが食らいついてくる度に、七瀬奈緒は言葉にならない懇願の言葉を吐き出していた。
皮膚が食い千切られて、肉が見えた。
その上からまた牙を突き立てられて、今度は骨が曝け出される。
手足の骨が折れて、砕かれて。
その度に絶叫とも悲鳴ともつかない声を上げて、涙を溢す。
ここから逃げ出そうにも逃げ場はない。周囲を見渡せば、涎を垂らした化け物たちが今度は自分の番だとばかりに次々と襲い掛かってくる。
――――もう、やめて。やめてくれ!!
言葉にもなっていない絶叫に、気が付けば奈緒の喉は裂けていた。
口の中に広がる血の味が気持ち悪かった。
痛みは熱となって、奈緒の内側で暴れ回る。
もはや何度、失神と痛みによる覚醒を繰り返したのか分からない。
そうして、幾度目かの絶叫を上げた瞬間。奈緒の耳元で耳障りな羽音が聞こえた。
ハッとして目を向けると、明の攻撃を搔い潜り接近してきたキラービーが、腹の毒針を今まさに突き刺さんとしているところだった。
――――嫌だ。やめて。それだけは嫌だ!
必死になって吐き出す言葉は、血の泡になって消える。
そして、ブスリ、と。
キラービーの毒針は、奈緒の脇腹に突き刺さった。
その瞬間。奈緒の身体にはこれまでに感じたこともないような激痛が走った。
――――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!
まるで、全身に走る神経そのものを一本ずつ引き裂いていくかのような激しい痛み。
もはやその叫びは声にもならず、掠れた呼吸が口から漏れて、自分の意思とは関係なく身体が跳ねたのを奈緒は感じた。
かと思えば、一気に視界が暗くなる。
うるさく鳴り続けていた、自らの心臓の鼓動の音さえも消えていく。
それまで感じていた痛みも、苦しみも、何もかもが闇に溶かされたかのように、あらゆる感覚が失われていく。
――――やめ、て。
奈緒が最後に浮かべたその言葉は、もはや誰の耳にも届かない。
ただその瞳からは、一滴の涙だけが零れ落ちていた。
――そして、七瀬奈緒は再び生き返る。
「ッ!!」
再び目覚めたその場所は、やはりと言うべきか戦場の中だった。
キラービーに向けて雄叫びを上げながら突撃する自衛隊。
加勢に駆けつけて、けれど力が足りずにキラービーに殺される人々。
絶叫と悲鳴。雄叫びと羽音。キラービーによって噛み付かれて流れた血と、毒針によって死にゆく仲間。
目覚めた瞬間から漂う色濃い死の気配に、奈緒は一瞬にして直前の記憶を全て思い出す。
「ひっ……」
小さな声が奈緒の口から漏れた。
傷の無い腕が、足が、身体が、その全てが。
まるで幻覚でも感じているかのように、あの痛みを忠実に再現してくる。
「い、いや…………!」
息が出来ない。
今回はまだ潰れていないはずなのに。
手を触れると、ぬるりとした何かに触れた。汗だ。しかし、奈緒はそれを汗だと判断出来るほど、冷静ではなかった。
「血ッ!? 血が出てる!!」
そう思い込めば、手足が痛いのも、身体全体が痛いのも全て理解が出来た。
自分はまた、死に瀕している。
そう思い込んだ奈緒は、声を出してその場に蹲った。
そんな奈緒の様子にいち早く気が付いたのは軽部だった。
「七瀬さん!?」
軽部は、隊員と共に眼前のキラービーを手早く片付けるとまっすぐに奈緒の元へとやって来た。
「どうされたんですか!?」
「痛い……。痛いの!! 腕が、足が……お腹が痛いの!! 血が出てるッ! 喉も潰された!!」
「――ッ!? っ、落ち着いて! 七瀬さんは怪我なんかしていませんよ!」
「痛い、痛い痛い痛い!! 嫌、もう嫌だ。何もかもが嫌なの!!」
「七瀬さん!!」
軽部は、混乱する奈緒の両肩を握り締めると大声を張り上げた。
キラービーが彼女の前に現れたのはその時だ。
細かくホバリングを繰り返すキラービーは、ゆっくりと狙いを定めるかのように奈緒の眼前でこれ見よがしに腹の毒針を構えた。
「――――――」
その光景に、奈緒の中では何かが壊れた。
「あ、あ、あァ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫と共に、奈緒は手にしていた拳銃をキラービーに向けて突き出した。
「――――――」
そして、奈緒は魔法を発動しようとする。
けれど、声が出ない。恐怖によって喉が引きつっていたからだ。
呼吸とも呼べない短い息を漏らして、奈緒はパクパクと口を動かす。
そうしている間にも、キラービーは奈緒へと向けて狙いを定めると、一気にその腹にある毒針を突き出した。
――その瞬間だった。
「んんッ!!」
傍にいた軽部が、手にしていたナイフでキラービーの毒針を弾いた。
それから、全身でキラービーにぶつかって吹き飛ばすと、素早く傍に居た人へと指示を飛ばした。
「七瀬さんを早く離れた場所へ!!」
その言葉に、隊員のうちの一人が奈緒を抱えて戦場を離れた。
隊員に抱えられながらも、奈緒は何かを思い出したように錯乱し、絶叫を繰り返している。
その様子に、状況が飲み込めない軽部は額に深い皺を作ると、息を吐いて気持ちを切り替えた。
「…………いったい、七瀬さんに何があったんだ」
その言葉に答えられる者は、この場には存在していなかった。




