夕陽の来訪者
眠りに堕ちていた明の意識を浮上させたのは、部屋の扉を叩くノックの音だった。
「んん……?」
その音に、ベッドに突っ伏して寝ていた奈緒も起きたのだろう。
小さな声を出して、奈緒は身体を持ち上げると大きな欠伸を噛み殺す。
「……んー、あぁ、随分寝たな」
そう言って、奈緒は時間を確認するように辺りを見渡した。
午睡から目を覚ますと、部屋の中は燃えるような茜色に包まれていた。
奈緒は、夕陽に染まる顔を明へと向けると、その口元に笑みを浮かべて尋ねた。
「なんだ、お前も寝ていたのか?」
おそらくは、寝起きではっきりとしない、明のその表情をみて言ったのだろう。
明は、その言葉に小さく笑うと、言葉を返す。
「ええ、まあ。誰かさんが、俺の傍で気持ち良さそうに寝ていましたからね。その眠気に当てられて」
冗談めかして言ったその言葉に、奈緒が笑った。
「それだけの冗談が言えるなら、体調はもう大丈夫そうだな」
「ええ、もう平気です」
二人の間に、再度ノックの音が響いたのはその時だ。
――コン、コン、コン、と。
規則正しく叩かれるその音に、明と奈緒は視線を合わせる。
「……どうぞ」
入室を促したのは明だった。
看護師か医者が、様子を見に来たのだろうか。
そんなことを考えていると、ゆっくりと扉が開いて、一人の男が部屋の中へと足を踏み入れてくる。
「……失礼します」
そう言って、明達の前に立ったのは、泥や返り血で汚れた迷彩柄の服を身に付けた自衛隊員だった。
歳の頃は三十代半ばといったところだろうか。百八十センチはあろうかという高い身長と、服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体。短く刈られた丸い坊主頭と、身なりを整える暇もないのか口の周りに生えた無精髭が特徴的な男だった。
男は、明達に向けてお辞儀をすると、ゆっくりとした口調で口を開く。
「お話し中のところ、申し訳ございません。一条さんがお目覚めになられたと聞いて、挨拶に参りました。…………もしかして、お邪魔でしたか?」
ベッドに横になる明の傍に、奈緒が居たからだろう。
軽部と名乗ったその男は、申し訳なさそうな顔になると、おずおずとした様子でそう言った。
「いえ、大丈夫です」
そう言って、明は首を横に振る。
その言葉に安心をしたのか、軽部は穏やかな笑みを口元に浮かべると、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。では、少しだけお時間を頂きます。……まずは、改めましてご挨拶を。私、陸上自衛隊の幹部自衛官をしている軽部稔という者です。現在、我々自衛官は、そちらの七瀬さんを含めた一部の方と共に、モンスターからこの病院を守らせていただいております」
軽部の言葉に、明は奈緒へと視線を向けた。
明の視線に気が付いた奈緒は、小さな頷きと共に口を開く。
「軽部さんと、その部隊の人達が、今はこの病院を守る要なんだ。とは言っても、自衛隊の人達も数が少ないから、私を含めて動ける人達が時々一緒に戦ってる」
「本来ならば、我々自衛官が国民のみなさまに力を借りることはあってはならないことなんですが……。出現したモンスターの数に、我々だけでは対処することも出来ず……。この病院の中でも、モンスターと戦う意思のある方にご協力をお願いして、力を借りている状況です」
奈緒の言葉を引き継いだ軽部の説明を聞いて、明は二人の関係をなんとなく理解した。
この世界にモンスターが現れると同時に、人々の中に出現したレベルとステータス、スキルという力によって、一般人と訓練を受けた者の差は限りなく無くなった。
もちろん、戦闘の際に生じる立ち回りなどでは雲泥の差が生じているだろうが、戦力といった点ではほぼ等しいと言えるだろう。
何せ、モンスターが出現したあの瞬間から、全人類はある意味で一つのスタートラインに一斉に並んだのだ。
自衛官であろうが、軍人であろうが、一般人であろうが、レベルの始まりは全て1から。
ステータスに関しては、それまでに受けた訓練の結果が反映されているのかもしれないが、そんなものは、スキルの取得一つで大きく変わる。
そんな世界になってしまったからこそ、自衛隊が有志の一般人と共に、モンスターに立ち向かっているというその話は、絶対にあり得ないことだと断定できるはずがなかった。
「七瀬さんは、凄い方ですよ。モンスターがこの世界に現れた早い段階から、この場所を守るために、病院内に残された人達と協力をしてモンスターと戦っていました。我々が合流してからは、最前線に立つのはもちろん我々ですが……。しかし、今でも七瀬さんには、モンスターとの戦闘が生じた際には力を貸していただいております」
軽部はそう言って言葉を続けると、奈緒へと向けて小さく頭を下げた。
奈緒は、軽部のそのお辞儀を受け止めると、首を横に振って答える。
「いえ、そんな……。私は、私に出来ることをしているだけですから」
「……ありがとうございます」
軽部は奈緒の言葉にまた、小さく頭を下げた。
それから、軽部は表情を改めるとその口元に小さな笑みを浮かべて、奈緒の顔を見つめた。
「それにしても、良かった。一条さんが意識を失っている間、七瀬さんはずっと不安そうにしていましたから。一条さんが目覚めて、少しは顔色が良くなっているので良かったです。やはり、恋人が目を覚まさないというのは精神的に堪えますからね」
「――――ッ!?」
その言葉に、いち早く反応したのは奈緒だった。
ガタンとパイプ椅子を倒しながら立ち上がると、軽部の言葉を遮るようにして大声を上げる。
「ちょ、ちょっと!? いきなり何を言ってるんですか!?」
「何って……違うのですか? モンスターが一度、病院内に入り込んだ際に、一条さんの名前を叫んで駆けつけていたではありませんか。だから、私はてっきり――――」
「ああああッ! やめてくださいッ、コイツの前でそんな話しないでください!!」
軽部の言葉を遮るように、奈緒は大声を出した。
その様子に、軽部は一瞬だけ呆気にとられた様子を見せて、すぐに何かを察したのかその口元に笑みを浮かべると、
「ああ、このことは秘密でしたか。申し訳ございません」
と、悪びれる様子もなくそう言った。
「では、お二人はいったいどういう関係で?」
「中学からの腐れ縁で、今は会社の先輩後輩ですよ!! それ以上でもそれ以下でもないです!」
奈緒は軽部へと向けて言った。
それから、明へと視線を向けると次いで口を開く。
「一条も、黙ってないで言い返せ!」
「……まあ、そうですね。奈緒さんとは付き合いが長いですが、そんなんじゃありませんし」
――――というか、この人は……。昔からその手の話題ですぐに動揺するのを、早くどうにかしたほうがいい。
そんなことを思いながら、明は奈緒の言葉に頷きを返す。
奈緒は、明の言葉に「それ見たことか」とでも言わんばかりに軽部へと視線を向けた。
軽部は、そんな奈緒の顔に不思議そうな顔をすると、
「まあ、お二人がそう言うのでしたら」
とそう言って、頷きを返した。
奈緒は、そんな軽部に向けてさらに何かを言わんとしていたが、明は一度小さく咳払いをすると会話の流れを切り替えた。
明日から1話更新です。(その代わりと言ってはなんですが、1話の文字数は増えますのでご勘弁を……)
時間は12時に。よろしくお願いします!