決着
その戦いを見守る者は多かった。
ある人は家の中から窓越しに。
ある人は外に飛び出して遠巻きに。
ある人は駆けつけた野次馬と共に。
叫びをあげる怪物の咆哮に誰もが身体を震わせて、怪物と互角に戦う男の姿に驚いて、それと同時に誰もが皆、その男が怪物に敗れ死んだ時は今度は自らが死ぬ番だと、暴れる怪物の姿を見て本能的に察していた。
七瀬奈緒は、その戦いを見守る野次馬の中の一人だった。
彼女は会社を出た明の後を、こっそりと追いかけてきていた。
それは、『殺す』と口にした明の言動にきな臭いものを感じたからでもあったし、それを口にした時の明の表情が、寸前にまで見ていたものとは明らかに違う、悲壮な決意を固めたものと変わっていたことに驚き、言いようのない嫌な胸騒ぎを感じたからでもあった。
――彼は、何かとんでもないことをしようとしている。
そう思った奈緒は、それが犯罪に関わることならばすぐに止めるべく、会社を出た明の後を追っていたのだった。
そうして、追いかけた先で奈緒は、怪物と戦う男の姿を目にした。
怪物が腕を払うとその勢いによる風圧で風が巻き起こり、手に持つ戦斧が振るわれれば衝撃と共に地面が割れて石片が舞った。
明らかに人が挑むべき相手じゃない。
その攻撃一つ一つが、必殺の一撃を放っている。
それは、モンスターを知らない奈緒でも、彼がその身を賭してこの世ならざる怪物と戦っていることを十分に理解することが出来る光景であり、同時にその理解は、怪物と相対する彼が瞬きを挟んだ次の瞬間にはあっさりと死んでいてもおかしくないことを示す光景でもあった。
「――――」
彼の名前を叫ぼうにも、声は出なかった。怪物が発する咆哮は身を竦ませて、常軌を逸した戦いの圧は息をすることさえも憚られた。
それは、奈緒だけでなく周囲に居た人々も同じだった。
誰が呼んだのか、到着した警察もまた、恐怖に震えてその光景を見つめることしか出来なかった。
その場に居た誰もが皆、固唾を飲んでその戦いを見守ることしか出来なかった。
◇ ◇ ◇
明とミノタウロスとの戦いは苛烈を極めた。
ミノタウロスとの戦いの直前で明が取得したスキル、『疾走』は魔力を1消費する代わりにステータスの速度を上昇させる効果があった。
その上昇値は、消費後の自身の魔力の値×疾走のスキルレベル×10。
それによって、明の速度は71から121へと上昇し、ミノタウロスの速度110を大きく上回った。
「ッ!」
ミノタウロスが振るう戦斧を、身を捻り躱して明は懐に飛び込む。
すぐにミノタウロスは地面を蹴って距離を取ろうと試みるが、前へと詰める明のほうが動きは速い。
「ォらァッ!!」
叫び声と共に振り抜かれる蹴りが、ミノタウロスの握る戦斧を弾いた。
さらにその動きは止まらず、明はぐるりとその場で円を描くようにして回転すると、拳を振り払うようしてさらにミノタウロスの身体を打ち抜く。
「ガァ」
ミノタウロスの口から苦痛に満ちた声が漏れて、よろりと身体が揺れた。
だが、それだけで倒れるミノタウロスではない。
足を踏み出し、ふらつく体勢をすぐに整えると、その手に握る戦斧を振りかぶる。
「ブゥウウウォオオオオオオ!!」
叫び、ミノタウロスは戦斧を振り払った。
月の光に照らされる凶刃が銀閃となって、夜の闇に煌めく。
その軌跡を、明はミノタウロスの体勢から予測するとしゃがんで躱した。それは、既視感さえも感じる、すでに見知ったその攻撃方法だったからだ。
この戦いで、明はそれまでに培ったすべてを吐き出していた。
幾度となく死んだ記憶を経験に変えて。
何度も目にしたその光景を知識に変えて。
繰り返し殺された過去を未来に置き換えて。
ミノタウロスの一挙手一投足から、その攻撃パターンを予測し、予知し、回避する。
「ふっ!!」
息を吐き出して、明はカウンターを放つように戦斧を握りしめたミノタウロスの手を殴りつけた。
痛みでミノタウロスが声を荒げて、反射的に腕を払う。
その動きを見越して、明はすでに背後へと跳んで逃げて、すぐさま前に飛び出してまたその手を狙う。
そうして与え続けたダメージは着実に蓄積し、ミノタウロスの身体を蝕んだ。
「――――ッ」
何度目になるか分からない攻防の後、ふいにミノタウロスが戦斧を取り落とした。
与え続けられる執拗なダメージに、握力が失われたのだろう。ミノタウロスの手から離れた戦斧は、その重さを感じさせる音を響かせながら地面に転がった。
(チャンスッ!!)
明はその隙を逃すことなく、さらに追撃の一撃を加えようと両足に力を込める。――その瞬間だった。
「ッ!?」
ぞわり、と。全身に広がる悪寒。
漏れだす殺気に当てられて、明の皮膚が粟立つ。
――――マズいッ!
瞬間的に察した明は、追撃の手を止めて後ろに跳んだ。
直後、明の身体を衝撃が襲った。
戦斧を手放したミノタウロスが、明と同様にその手に拳を握り締めて、明の身体を拳で打ち抜いたのだ。
「ぐ――っぷ!」
後ろに跳んで衝撃を逃したにも関わらず、それでもなお、身体を穿つ凄まじい衝撃。
バキバキと折れる自らの骨の音と共に、口の中へとせり上がり吐き出された血の塊は、明が致命的なダメージを負ったことを示していた。
「一条ッ!!」
誰かが、自分の名前を叫んだことを明は聞いた。
同時に、街中に響くような悲鳴を誰かが発したのを明は耳にした。
凄まじい勢いで吹き飛ばされた明は、ブロック塀を突き破り、その家屋を破壊してその屋内へと転げ出る。
そして、ごぼごぼと、明は口から血を吐き出して、ぼやける視線を声の方向へと向けた。
そこで初めて、明は自分の戦いが多くの人に見守られていたことに気が付いた。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ…………。しま、ったな…………」
今までは、出現したモンスターに住人が避難し、人気の消えた住宅街でモンスターと戦っていたから気にも留めなかったが、今はまだ世間にモンスターという存在が認知される前だ。
そんな状態で、何も考えずにミノタウロスと戦えば人も集まってくる。
明を吹き飛ばしたミノタウロスも、周囲に集まる人の姿に気が付いたようだ。ニヤリと、その口元に醜悪な笑みを浮かべると、明から視線を外してその身体の向きを変えた。
「ゥウウウォオオオオオオ!!」
そして、ミノタウロスは周囲に集まった人々を威圧するように咆哮を上げた。
「ひ、ひぃいいいいいい!?」
「こ、こ、こっちに来る!?」
「どけッ、どけよッ!! 逃がしてくれ!!」
あっという間に、周囲は蜂の巣を突いたかのようなパニックに包まれた。
そんな中でも唯一、ミノタウロスに立ち向かう人の姿もあった。集まっていた警察の内の一人が、ミノタウロスに向けて叫びを上げながら発砲したのだ。
だが、この怪物にそんな玩具は通用しない。
吐き出された弾丸はミノタウロスの身体に当たり、その身体を傷つけることなく、ぽとり、と地面に落ちた。
「じゅ、銃が効いてない!!」
その光景は、人々をさらなる恐怖に陥れるのには十分なものだった。
「く、そ…………」
奥歯を噛みしめ、明は震える身体に力を込めて立ち上がる。
激しい痛みで視界が明滅し、思考を乱すような靄が頭の中を覆った。
咳き込むと同時に血塊が吐き出されて、ボタボタと破壊された家屋の床を真っ赤に汚していく。
(…………やっぱり、ダメだったか)
いい線をついていたと思っていた。
取得した『疾走』のスキルは、確実に明の力になっていた。
しかし、それでも足りなかった。
明は、口元に諦めの笑みを浮かべる。
彼女の姿を目にしたのは、その時だった。
(ッ!?)
逃げ惑う人々の中で、必死にこちらへと向けて進もうとする彼女を、明は知っている。
いや、知らないはずがなかった。
(奈緒、さん?)
どうして、彼女がここに?
いや、今はもうそんなことはどうでもいい。それよりも今、重要なことは――――。
「やめろ」
このままでは確実に、彼女が死ぬということ。
「やめろぉおおおおおおおお!!」
叫び、明は震える両足に力を込めて、一気に駆け出した。
速く。もっと速く!!
このままでは彼女が死ぬ。死んでしまう!!
「『疾走』ッ!!」
――チリン。
――――――――――――――――――
スキル:疾走は使用中です。
効果残り時間:13.96秒
――――――――――――――――――
「――――ッ!!」
表示されたその画面に、明は強く唇を噛んだ。
重ね掛けは出来ない。
それはつまり、現状における速さの限界を示す表示に他ならなかった。
「ォオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
ミノタウロスが叫び、その手を振り上げる。
その先には逃げ惑う住人と共に、こちらへと進もうと――前に進もうと、藻掻く奈緒がいる。
「ぁぁぁああああああああああああああッッッ!!!!」
声を上げて、明は地面を蹴り飛ばした。
少しでも速く。一秒でも速くその場所に駆けつけようと、身体に力を込める。
けれど、それでももう間に合わない。明が奈緒のもとへと到着するよりも早く、ミノタウロスの振りかざした拳は、ゆっくりと奈緒へと向けて振り下ろされる――――。
――パァンッ!!
と、一発の銃声が響いたのはそんな時だった。
「食らえ化け物ぉおおおおおおおお!!」
その声の主の叫びを、明は知っていた。
いつかの人生で職質をしてきた、あの中年警官だ。おそらく、化け物が出たという通報を受けて駆け付けていたのだろう。その叫びをあげた中年の警官は、恐怖に震えながらも自らの職務を全うするために、街の住人を守ろうと拳銃を構えていた。
――パァンッ! パァンパァンッ!!
全ての銃弾を吐き出すように、彼は間髪入れずに発砲を繰り返した。
打ち込まれた銃弾は全て、ミノタウロスの分厚い筋肉に阻まれて大したダメージを与えていなかったが、そのうちの一つがたまたま、ミノタウロスの瞳を直撃した。
「ゥウウウウガアアアアアアアア!!」
ミノタウロスの高い耐久をもってしても、眼球に受ける衝撃を殺すことは出来なかったようだ。痛みで叫びをあげるミノタウロスはその動きを止めて、じろりと、その中年警官へと怒りの矛先を向けた。
それを見て、明はすぐさま思考を切り替えた。
ミノタウロスの気が逸れた。この状況を打破するにはもう、今ここで、アイツを殺す他に方法はない。
身体は満身創痍だ。
気を抜けば、今すぐにでも意識が飛びそうなほど、激しい痛みが身体を襲っている。
(……けど!)
俺はまだ、死んでいない。俺はまだ、生きている!!
「『疾走』」
明は、スキルの効果時間を見るために呟いた。
――――――――――――――――――
スキル:疾走は使用中です。
効果残り時間:5.96秒
――――――――――――――――――
明は素早く地面を駆け抜けて、落ちていたミノタウロスの戦斧を拾った。
あまりのその重さに、ビキリ、と満身創痍の身体が悲鳴をあげて、口の中に血が溢れ出る。
「『疾走』ッ」
――――――――――――――――――
スキル:疾走は使用中です。
効果残り時間:2.96秒
――――――――――――――――――
――残り、約三秒。
「ッ!!」
戦斧を担いだ明は奥歯を噛みしめると両足に力を込めて、地面を蹴りつけて跳んだ。
その瞬間に、ブチブチと筋肉が裂ける音が耳に届く。
怒りの咆哮を上げていたミノタウロスも、明のその行動に気が付いたようだった。
「ォオオオオオオ!!」
声を上げて、ミノタウロスは眼前に跳び上がった明を地面に叩き落とさんと、その手を大きく振りかざす。
「『疾走』ッッ!!!!」
――――――――――――――――――
スキル:疾走は使用中です。
効果残り時間:0.96秒
――――――――――――――――――
明は、その画面を目にすると同時に、反射的に構えた戦斧を全力で振り抜いた。
その直後、スキル『疾走』の効果が途切れて、身体全体に重りが圧し掛かったようにその動きが遅くなる。
そしてその速度の差が、ミノタウロスによる攻撃を受ける隙へと繋がった。
「――――」
明の手に伝う、硬い何かを引き裂くその感触。
同時に、ミノタウロスの拳が打ち付けられた身体の芯から伝わる、バキバキと骨が砕けて肉が潰される感覚。
「ッ!!」
明は、遠のく意識を必死で繋ぎとめようと、奥歯を割れんばかりに噛みしめる。
首筋に突き刺さった戦斧は振り切れていない。
ミノタウロスの耐久によって、その刃が半ばで止まっているのだ。
「ッ、ぁあッ!!」
まだだ。まだ、俺は死んでいない。俺はまだ、生きているッ!!
ならば――――。
「ぁぁぁああああああああああああああ!!」
明は、己が全てを出し切るように。
自分の身体が壊されることさえも厭わず、その腕へと全身全霊の力を込めて、戦斧を振り抜いた。
明が吹き飛ばされるのと、ミノタウロスの首が身体からズレ落ちたのはほぼ同時だった。
地面を跳ねて、転がりながらも、遠のく意識の中で明は、首の無くなったミノタウロスが地面に倒れたのを見た。
その瞬間、明の眼前には次々と新たな画面が開かれていく。
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レベルアップしました。
レベルアップしました。
レベルアップしました。
……………………
…………
……
ポイントを8つ獲得しました。
消費されていない獲得ポイントがあります。
獲得ポイントを振り分けてください。
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C級クエスト:ミノタウロスが進行中。
討伐ミノタウロス数:1/1
C級クエスト:ミノタウロスの達成を確認しました。報酬が与えられます。
クエスト達成報酬として、獲得ポイントが50付与されました。
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条件を満たしました。
シルバートロフィー:大物食い を獲得しました。
シルバートロフィー:大物食い を獲得したことで、以下の特典が与えられます。
・体力値+20
・筋力値+30
・速度値+20
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魂に刻まれた困難を乗り越えました。
固有スキル:黄泉帰り のスキルに新たな効果が追加されます。
固有スキル:黄泉帰り の追加効果により、以下のシステム機能が解放されました。
・インベントリ
・シナリオ
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ボスモンスターの討伐が確認されました。
世界反転の進行度が減少します。
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それら画面の一つ一つは、明が成し遂げた功績を讃えるものばかりだった。
「……良がっ…………だ」
――――これで、無事。明日を乗り越えられる。
呟かれるその言葉は最期まで吐き出されることが無いまま、明はゆっくりと瞼を下ろす。
暗闇の中で、傍に駆け寄る誰かの気配を感じたが、明はついにその瞳を開くことがないまま、意識を闇の中へと閉ざしたのだった。




