居酒屋にて②
次に奈緒が口を開いたのは、タバコを一本、ゆっくりと吸い終えた後のことだった。
「…………モンスターが現れて、この世界はどうなった?」
タバコの吸い殻を灰皿に押し付けながら、奈緒は呟くように言った。
その言葉に、明は小さく首を横に振る。
「分かりません。俺は……今日の正午以降を生き延びたことが無いので」
「正午以降を? なぜだ」
「その時間になれば、この世界に現れたモンスターが強化されるからですよ。この街で一番強いモンスター……ミノタウロスに、俺は何をどうしても見つかり、殺される。殺されればこうして過去に戻り、また人生をやり直している。殺されても死ぬことがないまま、ずっと……」
奈緒は明へと掛ける言葉が見つからなかったのか、小さな息を吐き出し押し黙った。
明は、その様子を見つめながら、さらに胸の内に溜まっていた言葉を溢す。
「もう、どうしていいのか分からないんです。レベルやスキルなんてものがあっても、モンスターそのものが強化されていくなら……。それはもう、意味がない」
「ちょっと待て。レベルやスキル? まさか、これからの世界は、ゲームみたいにモンスターを倒せば自分のレベルが上がるのか?」
「ああ、言ってませんでしたっけ。……その通りです。俗に言う、『異世界が来た』ってやつですよ。奈緒さん、試しに『ステータス』と心の内でも、口でもどちらでもいいので言ってみてください」
その言葉に、奈緒は心で呟くことにしたようだ。
しばらくすると奈緒の目は大きく見開かれて、何もない宙を見つめて泳いだ。
それが、表示されたステータス画面を見つめていることに明はすぐに気が付いた。
しばらくの間、奈緒は自分のステータス画面を見つめていたが、やがて大きなため息を吐き出すと、明へと視線を向けて口を開く。
「………………驚いた。まるでゲームみたいだ」
「俺からすれば、出来の悪いゲームそのものですけどね」
奈緒の言葉に、明はため息を吐き出すようにして言った。
「一条、お前のレベルも、私と同じレベル1なのか?」
「今の俺は、レベル1ですよ。まあ、もっとも、総合レベルは25ですが」
「総合レベル?」
「繰り返していると、言ったでしょう? レベルやステータスを、俺は前回から引き継いでいるんです。その引き継ぎでのレベルが25ってことです」
「なるほど。そういうことか」
奈緒は明の説明を理解したようだ。
小さな頷きを返すと、やがてため息のような息を吐き出した。
「夢、じゃないんだよな?」
「頬でも抓りましょうか?」
「いや、いい。実はもう、試してるんだ」
言いながら、奈緒は苦笑を浮かべて自らの腕へと視線を落とした。
どうやら、机の下で自分の腕を抓っていたようだ。
痕のついたその場所を見ながら、奈緒は明へと問いかけた。
「この画面を消す方法は?」
「腕でも手でも、なんなら身体でも、どこでもいいです。とにかく、動作によって画面は消えます」
言って、明は先ほど『ステータス』と口にしてから現れた自分のステータス画面を、実演するように手を振って消した。
奈緒はそれを見て、明の真似をするように手を動かす。
そうして、確かに消えた画面を見たのか、ゆっくりと息を吐き出した。
「信じられないことばかりだ。でも、実際に目にすると、信じるしかない」
呟き、奈緒は明の目を見つめる。
それから確かめるように、ゆっくりと奈緒は明へと問いかけた。
「一条。お前の体験した、繰り返しの中での私は……この世界にモンスターが現れてから、どうなった?」
その言葉に、明は視線を手元へと落とした。
「…………すみません。今まで、自分のことで精一杯だったから、奈緒さんにまで気を掛ける余裕がなくて……分かりません。ただ、アイツ――ミノタウロスは、この街の人間を全て喰らい尽くしていたはずです。だから、奈緒さんも……もしかしたら」
「――――そうか。いや、いい。おおよそ、私がどうなったかは察した」
奈緒は明の言葉に小さな笑みを浮かべた。
「……すみません」
と明は呟く。
その言葉に、奈緒はまた小さく笑うと、
「どうしてお前が謝るんだ。私だって、世界がそうなれば、まず真っ先に自分のことを一番に考える。お前が気にすることじゃない」
そう言って、手元のビールジョッキへと口を付けた。
それから、奈緒はその中身のすべてを飲み干すと、明へと視線を向けてニヤリとした笑みを浮かべた。
「ただ、まあ……。そうだな。もしも目の前で私が殺されそうになっていたら、旧い付き合いの、友人のよしみで助けて貰えると嬉しい。もちろん私も、お前が死にそうになっていたら助けるが」
奈緒はその言葉を茶化すようにして言った。
その言葉に、明は思わず小さな笑みを浮かべる。
「分かりました。その時は、必ず。……俺に、それが出来るのかは別ですが」
「何度も繰り返してるんだろ? その中の、いつだって良いんだ。気が向いた時にでも、助けてくれれば私はそれで嬉しい」
奈緒はそう言うと、「それと……」と呟き、言葉を続けた。
「一つだけ、話を聞いていて気になったことがあるんだが……。お前は、さっきからずっと、いずれミノタウロスに殺されると言っていたが……、一度は試したのか?」
「試す? 何をですか?」
「ミノタウロスを倒すこと、だよ。聞けば、時間が経てばモンスターは強化? されるんだろ? だったら、強化される前にその、ミノタウロスってやつを倒すことは試したのか?」
「それは……まだ試していません」
「なぜだ?」
「試したところで、その先の世界に希望が見えないからですよ。……この世界に現れたモンスターはミノタウロスだけじゃない。隣町にはオークが溢れてるし、隣の市は巨人みたいなモンスターが支配している。例えミノタウロスを倒したとしても、そいつらに殺されれば、俺はまた……この世界を繰り返すだけです」
「だから、諦めると?」
「そうです……。そうですよ。だって、どうしようもないじゃないですか!! 生き延びたって、もう意味がない! モンスターが溢れて、人が大勢死んで!! さらには時間経過でモンスターが強化されて!! そんな状況で、仮に無事、明日を迎えたところで何の意味があるって言うんですか!! この世界に残されたのは、緩やかに迎える破滅だけですよ!!」
叩きつけられるように声を荒げた明に、奈緒は何も言わず明の目を見つめ続けた。
明は、その視線から逃げるように、手元のビールジョッキへと手を伸ばすとその中身を呷る。運ばれてきてから時間が経ったからか、少し生温いその液体の苦みが喉を刺激して、明は眉間に深い皺を刻んだ。
「…………いくらレベルを上げても、スキルを手にしても意味がない。これからの世界は、そういう世界なんです」
間を空けて呟かれた明のその言葉に、奈緒は何も言わなかった。
ただ、じっと、奈緒は手元を見つめ続けて、やがてポツリと言葉を漏らす。
「――――どんな案件でも、やる前から無理と言って諦めるな。無理というのは、まだ余裕がある証拠だ」
その言葉に、明はゆっくりと視線を上げた。
奈緒は明の顔を見つめると、唇の端を吊り上げて歪めるようにして笑みを浮かべる。
「うちの、社長の口癖だ。いかにもブラックらしい、ありがたい言葉だろ? ……私は、この言葉が大嫌いだ」
奈緒はそう呟くと、その言葉自体を馬鹿にするように鼻で笑った。
けれど、すぐにその表情を改めると、ため息を吐き出して言葉を続ける。
「でも同時に、私はその言葉の一部は正しいとも思ってる。――やる前から諦めない。この部分だけは、どんなことにおいても通用することだと思ってるんだ。一条、まだ未強化状態のミノタウロスを倒すということを試していないなら、一度はやってみろ。お前がこの世界を繰り返しているのなら、なおさら、やる前から諦めちゃダメだろ」
「奈緒さんは――――。奈緒さんはッ!! 知らないから言えるんですよ! 死ぬってことが、どれだけ痛くて、辛くて、苦しくて……ッ、どれだけ怖いことなのか分からないから、そう言えるんです!」
「そうだな、その苦しみは私には分からないことだ。それは……おそらく、お前以外の誰にも理解することが出来ないものだろうな」
「だったらッ――――!!」
「けど、その世界にはまだ、私が生きている」
明の言葉を、奈緒は強い口調で打ち切った。
その強い口調に、明は思わず口を噤んで奈緒を見つめる。
奈緒は、明の視線を受け止めると、その口元を優しく綻ばせて言葉を続けた。
「その世界には、私がいる。今のお前と比べれば、その世界の私は、モンスターを相手にする時は本当に頼りないだろうが……。それでも、お前がこうして苦しい時、傍で話を聞くことぐらいは出来る。一条、どんなに繰り返そうが忘れるな。お前は、一人じゃない」
「――――ッ」
明は、奈緒が言ったその言葉に思わず息を止めた。
奈緒は明の顔を見つめながら、さらに優しく語り掛ける。
「ミノタウロスが、この街の人間を殺しているんだろ? だったら、ソイツを早い段階でお前が殺せ。ソイツが、この街の人間を殺す前に、お前がソイツを殺すんだ。それは、この世界を繰り返しているお前にしか出来ないことだ」
「奈緒さんは……。奈緒さんは!! …………俺に、また、死ねと言うんですか?」
「そうじゃない」
奈緒はゆっくりと首を横に振った。
「そうじゃないんだ、一条。一人で戦う必要はないって言ってるんだ。この世界にモンスターがあふれるんだったら、一人でも多くの戦力が必要だろ? お前に比べれば、そりゃ誰だって頼りないだろうさ。…………だがな、そんな奴らでも、お前の背中は守ってくれる。死んで生き返るお前が疲れ果てた時に、立ち止まり、休むべき場所を作ってやれる。何も、お前ひとりで頑張る必要は無いんだ。少なくとも私は、お前の味方だ。お前が死に物狂いで戦うのならば、私も一緒に死に物狂いで戦うさ」
「どうして……。どうして、そこまでそう言い切れるんですか」
「何言ってるんだ。当たり前だろ? お前と、私の仲じゃないか」
言って、奈緒は小さな笑みを浮かべた。
「一条。この街がミノタウロスによって滅びるのならば、まずはその未来を回避しろ。ミノタウロスをお前が倒せば、私は生き残る。そして、生き残った私に、またこの話を聞かせてくれ。そうすれば私はまた、お前の話を信じて、誰にも知られることのないお前の偉業を、心から褒め称えた後に、お前と一緒にその世界で頑張ろうとするだろうさ」
奈緒はそう口にすると、途端に恥ずかしそうな顔となって、
「……あー。こんなことをはっきりと言うのは、あまり柄じゃないな」
とそう言って、はにかんだ笑みを浮かべたのだった。
明は、はにかむ奈緒の顔を見つめて、ゆっくりと震える唇で息を吐き出した。
そうして、明は自らの感情を自覚する。
(この世界にモンスター現れて、スキルやレベルなんてものが出てきてからずっと、俺はただ一人、自分のことだけを考えていた。レベルを上げて、スキルを取って、まるでゲームみたいだと、一人で馬鹿みたいにはしゃいで……。黄泉帰りの、本当の恐ろしさすらも考えずに……。自分ひとりが、この世界で生き残ることが出来ればいいと思っていた)
繰り返しによって擦り切れた心に、小さな光が灯る。
光は、熱となって明の全身を駆け巡る。
(――――でも、違ったんだ。それじゃあダメなんだ。俺だけが生き残る世界なんて、なんの意味もない)
止まっていた時間が動き出したかのように、ドクドクと激しく動く自らの心臓の鼓動を明は自覚した。
(俺は……延々と続くモンスターが強化される世界が怖かったんじゃない。死に続けるしかなかったあの世界が恐ろしかったわけじゃない。モンスターが現れたこの世界に、希望が見えなかったからすべてを諦めたわけじゃなかったんだ)
身体が熱かった。
凍り付いていた感情の氷塊が溶け出すのを感じた。
流れる血潮は思考を回し、自分がこれからやるべきことをはっきりと自覚させてくる。
(俺は――――)
――俺は、ただ一人。モンスターが現れてこれまでの日常が崩れ去ったこの世界で、生き残るのが怖かったんだ。
そう、明が自覚した時。
明の心には再び気力の炎が燃え上がった。
明は、ビールジョッキを手にするとその中身を一気に飲み干して、力強く机に置く。
「……奈緒さん。俺、もう一度やってみます」
呟き、明は立ち上がった。
それを見て、奈緒がその口元に笑みを浮かべる。
「……そうか。今回のお前なら、その、ミノタウロスを倒せるのか?」
「いえ、今の俺じゃまだ無理です。もっと、レベルを上げないと。アイツに勝つには、スキルだって、今のままじゃダメなはずです。だから、あと何度か……俺はこの世界を繰り返さなきゃいけない」
「それじゃあ今の私とは、ここでお別れだな。……一条。頑張れよ」
「――はい。ありがとうございます。ミノタウロスを倒した時は、真っ先に奈緒さんにすべてを伝えます」
「ああ、そうしてくれ。モンスターの強化まで、時間が決まってるんだろ? 急ぐのか?」
「そう、ですね。昼になれば、モンスターが強化されるのを考えると……。実質、自由に使える時間は十二時間です。その間に一つでも多く、レベルをあげないと」
「それじゃあ、ここの勘定は私がしておく。早く行け」
「すみません、ありがとうございます」
頭を下げて、明は慌ただしく居酒屋を後にした。
その後ろ姿を、奈緒は口元に笑みを浮かべたまま見送る。
そして、その姿が完全に消えたことを確認すると、大きく息を吐き出してシガレットケースへと手を伸ばした。
「……さて、と。これから、私はどうしようかな。いざ近々死ぬことが分かるとなると、それまでにしておきたいことなんて、案外思いつかないものだ」
奈緒は小さく笑って、タバコに火を点けた。
それから大きく紫煙を吐き出すと、奈緒はゆっくりと、明の言う残り時間までに出来ることは何があるのか、と考え続けたのだった。




