居酒屋にて
「すみません、生二つ。あとは枝豆と、卵焼き。それと、串を適当に」
明は奈緒に引っ張られるようにして、繁華街の一角にある居酒屋へと連れて来られていた。
注文を取りに来た店員へと、奈緒は手際よく注文を済ませる。
明は無言でその様子を見つめていたが、店員が立ち去ったことを確認すると奈緒へと向けて口を開いた。
「……あの」
「なんだ」
「どうして、急に飲みにだなんて」
「…………別に。ただ、お前と飲みたかっただけさ。――ああ、それと。今、ここに居るのは会社の上司である七瀬奈緒じゃない。意味は分かるな?」
つまりは、会社の上司部下という関係ではなく、プライベートの、中学からの古馴染みである先輩後輩として接しろ。
そういうことなのだろう、と明は思った。
「…………それで? さっきの話はどういう意味だ」
奈緒は、鞄から自前のシガレットケースを取り出すと、その中の一本を手に取って明へと視線を向けた。
おそらくは、タバコを吸わない明へと許可を求めているのだろう。
それを察した明は、小さな頷きを奈緒に返した。
奈緒は、小さな笑みをその口元に浮かべると、手に取ったシガレットを口に咥えてその先端へと火を点けた。
「一人残って、残業をしていたかと思えば……お前は突然、ピタリと動きを止めた。しばらくして動き出したかと思えば、さっきのあの様子だ。アレが異常だって言わず、なんだって言うんだ」
奈緒は煙を燻らせて紫煙をゆっくりと吐き出すと、明へと目を向けて言った。
「さっきのは……」
呟き、明は口ごもった。
そして、見つめる奈緒の視線から逃げるように、視線を手元へと落として考える。
(俺が死んで、また過去に戻っていると――タイムリープをしていると話すのは簡単だ。でも、だからって、俺の話を信じて貰えるかどうかは別だろう。仮に、ここで全てを話したところで、信じて貰えるはずが――――)
「一条」
明の思考を、呼び掛ける奈緒の言葉が掻き消した。
顔を上げる明に向けて、奈緒は大きく息を吐き出すと言葉を続ける。
「何の縁か、数年前にお前がウチの会社に入社してきて、お前との付き合いは中学の頃からを考えるともう長くなる。だから、お前のことはある程度は分かっているつもりだ」
そう言って、奈緒は言葉を一度区切ると言った。
「大事なことほど口が重くなるのはお前の悪い癖だ。…………いったい、何があった? 世界が滅びるだの、モンスターだの、あれを冗談で言ったわけではないんだろ?」
明達の間に、注文していた生ビールが運ばれてきたのはその時だった。
奈緒は店員が立ち去るまで口を閉ざした。
それから、店員が立ち去ったことを確認すると、また明へと言葉を掛ける。
「あれは――あの言葉は、いったいどういう意味なんだ?」
じっと、奈緒は明を見つめた。
明は迷うように視線を動かすと、一度拳を握り締めて、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「あれは……言葉通りの意味ですよ」
「言葉通り?」
「はい……。七瀬しゅに――すみません、プライベートでしたね。奈緒さん」
ピクリと動いた奈緒の眉に、明は言葉を言い直した。
「奈緒さんは、俺が今……ループ――いや、タイムリープをしていると言って、信じますか?」
「……タイムリープ? お前がか?」
「はい」
「信じない、と普段ならいうところだが……お前の表情を見るに、冗談じゃないんだな?」
その言葉に、明は小さく頷いた。
奈緒は、一度タバコを燻らせると言葉を続ける。
「何か、証拠はあるのか?」
「……証拠、ですか」
呟き、明はスマホを取り出す。
――午前零時、四十七分。
この時間ならば、掲示板サイトに中国国内でドラゴンが見つかったというスレッドが立つ時間だ。
「では、あと数分もすれば掲示板サイトの実況チャンネルに、中国国内でドラゴンが見つかったというスレッドが画像付きで立つはずです」
「……ドラゴン?」
呟き、奈緒はスマホを取り出した。
おそらく、掲示板サイトを見ているのだろう。
奈緒はしばらくの間、何のリアクションも示さなかった。
しかし、時間が経つにつれて、次第に奈緒の瞳は見開かれていく。掲示板サイトに、件のスレッドが立ったのだ。
「――――――驚いたな。まさか本当に……、言った通りになるなんて……」
奈緒は、やがて大きなため息を吐き出すと、スマホを仕舞いながら言った。
「……他にも証拠が欲しければ、午前一時十二分まで待ってもらえれば、今度はSNS上にゴブリンを見た、という呟きがされるはずです。それも、もちろん画像付きで」
「…………いや、いい。お前の表情を見れば、十分だ。おそらく、その言葉も本当に起こることなんだろう」
呟き、奈緒は明を見つめた。
「一条。お前が……、世界が滅びるだの、モンスターだの言っていたのは、その――タイムリープが原因、ということでいいんだよな?」
「……ええ、そうです」
「なるほど」
奈緒は考え込むように難しい顔になると、ゆっくりとタバコを燻らせた。
それから、残り火を消すように灰皿へとタバコを押し付けると、手元にあるビールジョッキへと手を伸ばしてその中身を呷り、口を開く。
「今のお前は、何回目だ?」
「十五回目です」
「そんなにか」
「……はい」
「モンスター……と、お前は言っていたな。それは、中国で見つかったドラゴンのことを言っていたのか? それとも、お前が言う別の……ゴブリンとかいうモンスターのことを言っていたのか?」
「どちらも、ですよ。……今、この瞬間にもこの街、いや世界中にはモンスターが現れています。そのモンスター達は、俺たち人間を襲う。人を喰らう生き物がモンスターです」
「だが、この国には自衛隊がいる。警察だって、機動部隊だっている。人を喰らう生き物が現れるなんて、すぐに問題になるだろ。街に熊が出ただけで大騒ぎになるぐらいなんだ。仮にこの国……いや、街にモンスターが出れば、すくなくとも自衛隊が出てきそうだが」
「ええ、自衛隊は動きますよ。午前三時にもなれば、日本中で目撃されるモンスターと、出現と共に比例していくその人的被害の大きさに、政府が非常事態を出して自衛隊の出動を決定します」
「だったら」
と、奈緒は声を出した。だがすぐに、その言葉は明の言葉で打ち消される。
「けど、自衛隊はモンスターに負ける。……モンスターはただの動物じゃない。銃火器で倒せるのも、一部のモンスターだけです。本当の、化け物相手には銃火器なんて効かない。ただの玩具でしかない」
「銃が効かない? おい、一条。いくら何でもそれは」
奈緒は明の言葉に苦笑いを浮かべた。
明の語る言葉のすべてが真実だとしても、銃火器が効かない生物がいるなんて信じることが出来なかったからだ。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
ジッと、何も言わずに奈緒を見つめる、絶望に打ちひしがれた明と目が合ったからだ。
「……嘘だと、思いますか?」
静かに、明は言った。
それは感情の起伏を消した、どこまでも平坦な言葉だった。
奈緒はその目に生唾を飲み込むと、逃げるようにビールジョッキの中身を呷って口を開く。
「……本当、なのか?」
「ええ」
「本当の本当に、モンスターには銃火器が効かないのか?」
繰り返される確認の言葉に、明は小さな頷きを返して、口を開いた。
「先ほども言いましたが、一部のモンスターにはまだ銃火器は有効です。……でも、化け物――この街で言えば、ミノタウロス相手には何の役にも立たない。奈緒さん、モンスターを人間の常識で考えないほうがいい。今から数時間後には、これまでの常識が全て崩れると思ってください」
その言葉に、奈緒は何も言わなかった。
ただただ難しい顔となって、もう一度ビールジョッキの中身を呷り、シガレットケースからタバコを一本取り出して火を点けた。
明の話す内容に、混乱しているのだろう。
明は、奈緒がタバコを吸うことを知っていたが、それは嗜む程度だと思っていた。だから、こうも短い間隔でタバコへと手を伸ばしたその姿に微かな驚きを覚えながらも、じっと、彼女の姿を観察するように見つめ続けた。