逃避行
――六度目。
無事に生き返った明は一人、無人となった会社で怒りに任せて声を荒げていた。
「――――ざけんじゃねぇッ!! なんだ、あのステータスはッッ!!」
死ぬ直前まで、身体強化の恩恵によって喜んでいただけに、唐突に訪れた理不尽への怒りは激しい。
明は、燃え上がる怒りに奥歯を噛みしめると、その激情に身体を震わせて、唸るようにして言った。
「レベル80……だと? レベル45でも十分化け物だって言うのに、何だってんだよ、あのレベルは……ッ!!」
明は力任せに拳を机へと叩きつけて、その威力に机の表面を大きく凹ませると、今度は大きな息を吐き出して、ぐしゃり、と髪をかき乱すと顔を覆い呻くように呟いた。
「………………ほんと、何なんだよ」
それは、心の底から漏れる言葉だった。
死にたくないと、必死に生きてきた。
何度殺されようが、自分に出来る精一杯で生き足掻いてきた。
この世界に現れたモンスターは、簡単に人を殺せるような化け物ばかりで、けれど、そんな世界でも生きていけるよう必死にレベリングをして、スキルのレベルアップも行った。
だというのに、これから半日後にはさらにモンスターが強化される。人とモンスター、その間にあった埋まりかけた溝は、時間と共に再び開いてしまう。そうなる未来が、もうすでに確定されている!!
(世界反転率とやらが1%を超えるのが午後十二時。その時間になれば、ミノタウロスは強化されてしまう。そうなれば、全てが終わりだ。ただでさえ強化がされなくても、ミノタウロスはレベルやステータスが馬鹿高いってのに……。アイツに、勝てるはずがない)
もちろん、勝てるまでレベリングを行い、黄泉帰りを使ったゾンビアタックで挑むという手立てもある。
けれど、それをしてどうなる?
仮にミノタウロスを倒せたとして、その先にある世界はどうだ?
(あの時、表示された世界反転率はまだ、たったの〝1%〟だった……)
つまりそれは、モンスターが強化される余地はまだまだ十分にあるということ。
今でさえ勝つことが出来ない化け物級のモンスターが、時間の経過と共にさらなる力を付けていくということに他ならなかった。
(…………もう、無理だ)
何度生き返ろうが、モンスターが現れたこの世界に未来はない。
この世界は、モンスターによって滅びを迎える。
全ての人間は殺され、喰われてしまう未来が決まっている。
そう、思うしかない事実だった。
「……逃げよう」
これ以上、こんな世界で戦うのは無駄だ。
世界中にモンスターが溢れたと言っても、きっと、どこかにはまだモンスターの影響がない場所があるはずだ。
どうせ生き返るのならば、戦いではなく、その居場所を見つけることに全力を尽くそう。
ゆっくりと、明は前を向く。
その瞳にはこれまでとは違う、仄暗さを感じる別の光が宿っていた。
「まずは隣町――いや、隣の県にまで足を運ぶか。さすがにそこまで離れれば、ミノタウロスもいないだろうし」
呟き、明はさっそく行動を開始した。
いつものようにリュックや食料、水や包丁を買って荷造りを済ませる。
それから、明はコンビニで貯金のすべてを引き下ろすと、通りでタクシーを捕まえて、その中へと乗り込んだ。
「とりあえず、〇〇県まで」
「今からですか?」
「ええ、お願いします」
明の言葉に、運転手は戸惑いながらも目的地をカーナビへと設定すると、静かに車は走り出した。
「ふぅ……」
シートに深く腰掛けて、明は息を吐き出す。それから、流れていく窓の外の景色へと目を向けたところで、その姿がふと目に入った。
――――ボアだ。
そのイノシシ型のモンスターは、何か食べ物を漁っているのか、マンションの外にあるゴミ捨て場に置かれたゴミ袋へと、その鼻先を突っ込んでいた。
「…………今のは、イノシシ……ですよね? まさか、こんな街中に出るなんて」
タクシーの運転手も、明と同じような光景を見たのだろう。
明はその言葉に適当な相槌で合わせると、会話を拒否するように目を閉じた。
タクシーの運転手も、明が目を閉じたのが分かったのかそれ以上のことは何も言ってこなかった。
代わりに、運転手は情報を集めようと思ったのか車内にはラジオが掛けられる。
そうして、静寂を埋めるかのように車内に流れるラジオに明が耳を傾けていたその時だ。
「ッ!?」
車体が傾くかと思うほどの勢いで急ブレーキが掛けられた。
明は、慣性で前部座席のシートに身体をぶつけて、閉じていた目を見開く。
「いったい何が――――」
と、文句の言葉を口にしたところで、明は運転手が急ブレーキを踏んだ理由を目の当りにした。
明が目を閉じていた間に、いつの間にか、タクシーは隣町へと入っていた。
タクシーが急ブレーキを踏んだのはその隣町の中心を走る、国道の真ん中だ。
そこに、一匹のモンスターが車のヘッドライトに照らされて立ち尽くしていた。
「――――っ」
それは、人の倍はあろうかという体躯を持つ大きなモンスターだった。その見た目は、人と豚を掛け合わせたような姿をしていて、道路の真ん中で蹄鉄のある足を器用に使うようにして仁王立ちをしていた。
「――オーク」
と、明は呟く。
初めて見るモンスターだった。けれどそれは、ゴブリンやミノタウロスと同じファンタジーの世界の生き物――オークとしか形容のしようがない見た目をした、モンスターに他ならなかった。
「な、なんだアイツは!?」
初めて目の当りにしたモンスターの姿に、タクシーの運転手が激しく取り乱した。
その言葉が聞こえたのか、それとも、慌てふためく運転手の様子が伝わったのか。オークは、ニヤリとした笑みを浮かべると、その手に持つ鉄剣を見せつけるようにして振りかざした。
――――マズいッ!
一瞬にして、明の全身の皮膚が粟立つ。
明は前のめりとなってシートの間から手を伸ばすと、車のギアをバックへと素早く入れ替えて、呆けたままの運転手へとあらんかぎりの声を張り上げた。
「アクセル!! 早くッ!!」
その言葉に、タクシーの運転手は弾かれたようにアクセルを踏み込んだ。
後ろへと急発進したタクシーは、振り下ろされる鉄剣を間一髪で躱す。
それから、明はギアを運転手へと明け渡すと、
「早く逃げてください!!」
と声を上げた。
運転手は、すぐさまハンドルを捌いて車を逆方向へと向ける。
時間帯が深夜だったというのも幸いして、一連の行動の間に迫る後続車もなく、明達は事故もなくUターンをする。
そして運転手は、ギアをドライブへと入れ直すとすぐさまアクセルを踏み込んで車を発進させた。
「化け物、化け物だッ、何がどうなってるんだ!!」
ぶつぶつと、タクシーの運転手が呟いた。
その言葉に、明は口を開こうとするがすぐにやめて、遠ざかるオークへと目を向けると、その強さを確認するため、スキルを発動させた。
「解析」
――――――――――――――――――
オーク Lv37
体力:93
筋力:105
耐久:123
速度:104
魔力:30
幸運:30
――――――――――――――――――
個体情報:レベル不足のため表示出来ません
――――――――――――――――――
所持スキル:レベル不足のため表示出来ません
――――――――――――――――――
「――――――」
そこに並んだ数値に、明は全てを察した。
ミノタウロスとまではいかないものの、そこに並ぶ数値は全てが高いものだった。
それはすなわち、こうして必死になろうとも逃げきることが出来ないことを示していた。
「ブォオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
逃げるタクシーに向けて、オークが叫んだ。
オークは、剣を振り下ろした体勢から両足に力を込めて一気に駆け出す。
駆け出したオークはあっという間に走るタクシーへと追いつくと、その手に持つ剣を再び振りかざした。
一瞬の閃光。
それが、オークの振り抜いた剣の軌跡だったということに、明は命を落としてからようやく気が付いたのだった。
――七度目。
目を覚ました明は、今度は別の街へと逃げることにした。
前回の死因は、隣町に巣くうオークに出会ったことだ。ならば、今回はその町には向かわず、別の街を経由して県外へと行けばいいと明は考えた。
合わせて、今回はタクシーを使わず電車を使うことにした。
終電に間に合うよう必要な物資すらも買い込まず、目が覚めると同時に会社を飛び出して電車に乗り込む。そうして、いつもならば降りるはずの駅を過ぎて、さらにその先へと向かう。
行先はどこでもいい。
とにかく、少しでも遠く。二度と死ぬことがないようなそんな場所へ、明はただ行きたかった。
けれど、その逃避行も失敗した。
電車が隣の市へと入ってしばらくしてのことだ。
ふいに、ぐらりと車体が揺れたかと思うと、唐突な浮遊感が明の身体を包んだ。その異変に乗客の多く人が気付き、悲鳴や叫び声が車内を満たす。
そんな中、ふいに誰かが言った。
――見てみろ、電車が浮いているぞ、と。
しかし、その認識は間違いだった。
電車は浮いていたのではない。掴まれていたのだ。
その街を支配する、たった一匹のモンスターによって。
――――――――――――――――――
ギガント Lv70
体力:555
筋力:400
耐久:450
速度:120
魔力:50
幸運:50
――――――――――――――――――
個体情報:レベル不足のため表示出来ません
――――――――――――――――――
所持スキル:レベル不足のため表示出来ません
――――――――――――――――――
明が電車の窓から見たのは、駅前に建つ高層ビルと並ぶほど巨大な、猿と人間を掛け合わせたような見た目をした二足歩行のモンスターだった。
その姿はまさに巨人と呼ぶにふさわしく、その圧倒的な力によって、明の乗る電車は振り回され、地面に叩きつけられた。




