帰るべき場所
シナリオクリアの通知が表示された瞬間、屋上にいたスケルトンたちがピタリと動きを止めた。
まるで糸が切れた人形のように、一斉に骨の山となって崩れ落ちる。カラカラという乾いた音が屋上に響き渡った。
静寂が、屋上を包んでいた。
風に乗って遠くから聞こえてくる街の喧騒も、今の二人には届かない。ただ、荒い呼吸音だけが、生きている証として響いていた。
「終わった、のか?」
アーサーが掠れた声で呟いた。
「ええ……なんとか」
明も同じように掠れた声で答えた。体を起こそうとしたが、筋肉が言うことを聞かない。全身が鉛のように重く、指先一つ動かすのも億劫だった。
二人は屋上のコンクリートに大の字になったまま、星空を見上げていた。
「一条くん」
「なんです?」
「私は……変われたのだろうか」
アーサーの問いかけに、明は小さく笑った。
「変わりましたよ。間違いなく」
「そうか……」
アーサーは安堵したように息を吐いた。そして、震える手を自分の目の前にかざす。
「これが固有スキルというやつか」
アーサーの手のひらに、薄い青白い光が宿っている。死霊術――死者を操る力だ。本来なら、家族を失った絶望と憎悪の中で覚醒するはずだった力が、今、別の形でアーサーの手に宿っていた。
「力の使い方は、これから覚えていけばいい」
明は何とか上半身を起こした。全身のあちこちが悲鳴を上げているが、まだ動ける。亜空間から包帯と消毒液を取り出し、アーサーの手当てを始めた。
「すまない、また君に迷惑を」
「迷惑なんかじゃありませんよ」
明は手際よく止血し、包帯を巻いていく。その手つきは慣れたもので、過去の周回で何度も仲間の手当てをしてきた経験が活きていた。
「それにしても」
アーサーが苦笑した。
「無限に湧き続けるスケルトンと戦うなんて、正気の沙汰じゃない。百体を倒せばいい話じゃなかったのか?」
「まったくです。シナリオシステムも、もう少し手加減してくれればいいのに」
二人は顔を見合わせ、そして同時に笑い出した。疲労困憊の中での笑いは、どこか狂気じみていたが、それでも生きている実感があった。
「さてと」
明は立ち上がった。足元はまだふらついているが、歩けないほどではない。
「家に戻りましょう。奥様たちが心配しているはずです」
「ああ、そうだな」
アーサーも立ち上がろうとしたが、太ももの傷が痛むのか顔を歪めた。明は肩を貸し、二人でゆっくりと階段を降り始めた。
階段には、先ほどまで追いかけてきていたスケルトンたちの骨が散乱していた。もう動く気配はない。シナリオが終了したことで、強制的に出現させられていたモンスターたちは消滅したようだ。
「これ、片付けなくていいのか?」
「そのうち消えますよ。異世界のモンスターは、死後一定時間が経つと分解されて消えるんです」
「便利だな」
「まあ、そうでなければ街中が死骸だらけになりますからね」
ビルを出ると、夜風が心地よかった。街は相変わらず混乱の中にあったが、先ほどまでの死闘が嘘のように、周囲は静かだ。
帰路を歩きながら、アーサーが口を開いた。
「なあ一条くん。一つ、聞かせてくれ」
「なんでしょう?」
「君は、これから何をするつもりなんだ?」
「これから、ですか?」
「何か目的があるんだろ?」
「……そうですね」
明は夜空を見上げた。星は瞬き、月は変わらず二人を見下ろしている。そこには、モンスターが現れる以前と同じ夜空が広がっていた。
明は大きく息を吸い込むと、言った。
「俺は……世界をもとに戻したいんです」
「世界を?」
「この異常な状況を終わらせて、普通の日常を取り戻したい。そのためにも、俺には仲間が必要です」
明は立ち止まり、アーサーを見つめた。
風が吹いて、街路樹がザァアっとした音を響かせて揺れる。アーサーもまっすぐに明を見返していた。
明はアーサーに向けて言った。
「アーサーさん、俺の仲間になってください」
言葉は、夜の住宅街に響くように広がった。
アーサーは明の言葉に何も言わなかった。彼は、言葉の代わりに小さなため息を一つ吐き出して、小さく笑う。
「仲間か……だったら、まずはその口調をどうにかしないとな」
「え?」
「仲間に敬語を使うなんて、おかしな話だろ?」
アーサーはそう言うと、茶目っ気を出すように片目を閉じて見せた。
「私のことを〝さん〟付けする必要もない。さっき戦っていた時のように、砕けた口調で話してくれ」
明は、その言葉に小さく笑った。
それが彼なりの承諾を示す言葉だと、すぐに分かったからだ。
「それじゃあ、そうさせてもらうよ」
明は笑って、右手を差し出した。
「改めてよろしく、アーサー」
「こちらこそだ」
その右手を、アーサーがしかと握り返してくれた。
その温かい言葉と手の感触に、明は感慨深くなって、目を細めた。
過去の周回で、アーサーと仲間になったことは一度もなかった。彼と出会うのははいつも家族を失った後で、憎悪と絶望に支配され、復讐だけを求める亡霊のような男の姿しか、明は知らなった。
「どうした?」
アーサーが不思議そうに明を見つめている。明は我に返り、手を離した。
「なんでもない」
でも、今回は違う。
その悲劇はもう、永遠に訪れない。
二人は再び歩き始めた。住宅街の街灯が、オレンジ色の光で道を照らしている。
明は隣を歩くアーサーを横目で見た。疲れ切っているが、その表情には確かな希望が宿っている。
七瀬奈緒にはメモを渡し、道筋を示した。
花柳彩夏は仲間を失うことなく、トラウマを回避した。
そしてアーサーは、家族を失わず希望を見出した。
全てが、過去とは違う流れを辿っている。
これが18回の失敗から導き出した答えだ。悲劇を回避し、絶望を希望に変える。すべての運命を書き換えることが出来れば、きっと、誰も知らない世界へと辿り着ける。
「なあ、一条くん」
アーサーが口を開いた。
「さっきの話だが、本当に世界を元に戻せるのか?」
「……分からない」
明は正直に答えた。
「でも、やるしかない」
「そうか」
アーサーは深く頷いた。
「なら、私も全力で協力する。家族を守るためにも、この異常な世界を終わらせないとな」
アーサーの家が見えてきた。
窓から漏れる明かりが、暖かく二人を迎えてくれる。
「ただいま」
アーサーが玄関を開けると、オリヴィアとエマが飛び出してきた。
「おかえりなさい!」
家族の再会を見守りながら、明は一歩下がった。
優しい笑顔で家族を抱きしめる彼から視線を逸らし、明は夜空を見上げる。
(――これでいい。俺ができるのは、ここまでだ)
ここから先の道は、彼が決めることだ。
過去、何度も道を踏み外した男が、この先どうなるのかなんて誰にも分からない。
けれど、守るべきものがある人間が強いことは、明自身がよく知っている。
そして、その強さが世界を救う鍵になることを分かっている。
たとえ、彼の行く道の先に待つものが何であろうと、それだけは絶対に変わらない。
「一条さん、何してるの? 入らないの?」
エマの無邪気な声に、明は顔をあげた。
「ああ、今行く」
明は微笑んだ。それは、18回の周回で身につけた、完璧な嘘の笑顔だった。
明は家の中へと歩いていく。
扉が閉まる瞬間、明は心の中で誓った。
今度こそ、全員を救ってみせる。
そして、この永遠の繰り返しを終わらせる。たとえ自分が壊れても、みんなが笑って生きられる世界を作る。
それが——19回目の誓いだった。
温かい光に包まれた家の中へ、明は歩みを進めた。
扉の外では、変わらぬ月が静かに世界を見下ろしていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これにて、2部1章は終了です。
続きはさほどお待たせすることなく、投稿し始めますのでお楽しみに。
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