メモに導かれて
明がホテルを出た後、彩夏たちは明の言葉について話し合っていた。
「ねぇ、あの人のこと信じる?」
鳴瀬優香が不安そうに聞いた。
「信じるも何も、実際に助けてもらったじゃん」
男子生徒の一人が言う。
「でも、なんか怪しくない? 未来が見えるとか」
「怪しいけど……」
彩夏は明が去っていった方向を見つめた。
「でも、あの人の目、嘘をついてる目じゃなかった」
「彩夏は人を信じすぎだよ」
鳴瀬がため息をついた。
「そうかな……でも、ユッカ」
彩夏は親友を見つめた。
「あの人、私のこと特別扱いしてた。なんでだろう?」
「さあ……可愛いからじゃない?」
「ユッカ! 真面目に!」
「冗談だって。でも確かに変だったよね。まるで前から知ってたみたいな」
彩夏は明が残していった地図を見つめた。一週間後、廃工場。なぜそこなのか。なぜ一週間なのか。
疑問は尽きない。
「とりあえず、あの人の言う通りにしてみない?」
彩夏が提案した。
「レベル上げして、強くなって。一週間後に会えたら、全部聞いてみよう」
「彩夏がそう言うなら……」
鳴瀬が頷き、他のメンバーも賛成した。
ホテルのガラス扉が勢いよく開いたのは、その時だ。
全員が一斉に振り返る。ゴブリンかと身構えたが、入ってきたのは人間だった。
ダークグレーのスーツを着た女性だった。髪はモンスターとの戦いで乱れ、ジャケットには点々と返り血が付着している。右手には血のついた棍棒を握っていた。
「……ん? 失礼、先客がいたのか」
女性――七瀬奈緒は、高校生たちを見て少し驚いた様子でそう言った。
「あ、あの……」
彩夏が恐る恐る声をかける。
「大人の人ですよね? よかった……」
奈緒は苦笑した。
「そりゃあ、高校生から見れば大人だけど。高校生がこんな時間に、ここで何してるんだ? 今が夜遊び出来るような状況じゃないって分かってるでしょ?」
「それは……」
彩夏たちは顔を見合わせた。モンスターに襲われて、謎の男に助けられて、という話をどこまで信じてもらえるか。
奈緒は棍棒をカウンターに立てかけ、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
「まさかとは思うけど、一条明って人に会わなかったか?」
「え!?」
彩夏たちが同時に声を上げた。
「知ってるの? あの人のこと!」
奈緒は眉をひそめた。
「やっぱり、あいつがここに来てたんだな。メモにわざわざ場所を指定してるから、おかしいと思ったんだ」
「あの……一条さんとはどういう関係ですか?」
鳴瀬優香が横から尋ねる。状況を整理しようとする冷静さが、その声音に表れていた。
「どういう関係……まあ、簡単に説明するなら会社内の直属の主任だな。小さな部署だから上司みたいなものか」
「上司……」
彩夏は奈緒を見つめた。この人なら、明のことを詳しく知っているかもしれない。
「あの、座りませんか? 立ち話もなんですし」
「そうだな」
奈緒は小さく頷き、ロビーのソファーへと腰を下ろした。疲労が滲む動作だったが、その目は鋭く周囲を警戒し続けている。高校生たちも奈緒の周りに座った。
「改めて自己紹介をしようか。私は七瀬奈緒。さっきも言ったけど、一条の上司だよ」
「花柳彩夏です」
「鳴瀬優香です」
他の高校生たちも自己紹介をした。
「それで、一条に何をされたの?」
奈緒の口調には、少し警戒が混じっていた。
「助けてもらったんです」
彩夏が説明を始めた。ゴブリンに襲われたこと、明が現れて全滅させたこと、そしてレベルシステムについて教えてもらったこと。
奈緒は黙って聞いていたが、途中で自分のポケットからメモを取り出した。
「これ、一条が私に渡したものなんだけど」
彩夏がメモを覗き込む。そこには細かい字で、スキルの取得順序や成長方針が書かれていた。
『身体強化Lv1 → 魔力回路Lv1 → 初級魔法Lv1 → 射撃術Lv1 → ……』
「これって……」
「ゲームの攻略メモみたいでしょ? 最初は頭がおかしくなったのかと思ったよ」
奈緒は苦笑した。
「でも、あいつの言う通りモンスターが現れて、心の中で『ステータス』って念じたら本当に画面が出てきて……それで、メモの最後に書いてあったこのホテルに来たら、君たちがいた」
彩夏はメモの最後を見た。
『駅前のビジネスホテルへ。そこは明日の正午まで安全です。そこで他の生存者と合流してください』
「一条さん、最初から奈緒さんがここに来るって分かってたんだ……」
「どういう意味だ?」
奈緒が首を傾げた。
彩夏は、明が言っていた『未来が見える』という話をした。奈緒の表情が真剣になっていく。
「未来が見える……まさか、本当に?」
「信じられないですよね。でも、一条さんはあたしの名前も知ってたし、あたしに特別な才能があるとか……」
「特別な才能?」
彩夏は頷いた。
「あたしだけの魔法が使えるようになるって言うんです。みんなを支える力があるって」
奈緒はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「一条との付き合いはそれなりに長いけど……あいつは普通の人だよ。真面目で、仕事もできるけど、特別変わったところはなかった。でも……」
「でも?」
「今日の夜、急に変なことを言い出したんだ。『今夜、世界が変わる』って。それで、このメモを渡されて」
奈緒はメモを見つめた。
「『まずは一週間、頑張りましょう。後で迎えに行きます』って言って、会社を出て行った」
「一週間……」
彩夏は明が残した地図を取り出した。
「私たちにも、一週間後にここに来いって」
奈緒が地図を見た。
「郊外の廃工場? なんでそんな場所に」
「分からないです。でも、一条さんは仲間を集めるって」
鳴瀬が口を挟んだ。
「彩夏は信じすぎだと思うけど、あの人、確かに私たちを助けてくれました。でも、なんか隠してる感じがして」
「隠してる……」
奈緒は考え込んだ。
「確かに、今日の一条は変だった。まるで別人みたいに」
「別人?」
「なんていうか……覚悟を決めた人の目をしてた。死地に赴く兵士みたいな」
重い沈黙が流れた。
やがて、奈緒が立ち上がった。
「とりあえず、今はあいつの言う通りにしよう」
「奈緒さんも信じるんですか?」
「信じるしかないだろ。現に、モンスターは実在して、レベルアップなんてものが起きてる。それに……」
奈緒はメモを見つめた。
「このメモ、すごく詳細なんだよ。まるで、実際に経験した人が書いたみたいなんだ」
彩夏はハッとした。
「もしかして、一条さん……」
「何?」
「いえ、なんでもないです」
彩夏は首を振ったが、心の中である可能性を考えていた。
(もし、一条さんが本当に未来を見てるんじゃなくて、経験してるとしたら?)
馬鹿げた考えだ。でも、そう考えればこれまでの言動の全てに辻褄が合う気がした。
「ところで」
奈緒が話題を変えた。
「君たちの親とは連絡が取れたのか?」
「それが……」
彩夏の表情が暗くなった。
「連絡しても既読がつかなくて……。電話も繋がらないし」
「……回線が混雑してるのかもしれないな」
奈緒が難しい顔で言った。
「震災時にはよくある話だ。LINEやSNSのプロフィールに、無事であることを知らせる内容と、今いる場所を記載しておくといい。いろいろと落ち着いたら、あとで家族を探しに行こう」
「ッ! ありがとうございます!!」
「君たち、レベルは?」
「全員1です。まだモンスター倒してないので」
「私は3だ。さっきゴブリン一体と戦って、何とか倒せた。外に出るならもう少しレベルを上げないといけないな」
奈緒は棍棒を手に取った。
「一条のメモによると、この街に出現したモンスターは7体だ。その中でも、ブラックウルフっていう狼のモンスターが一番強いらしいから、遭遇しても逃げ切れるだけの力は身につけないと」
「もしかして、奈緒さんも来てくれんですか?」
彩夏が心配そうに聞いた。
「当たり前だろ。こんな世界に、高校生だけを送り出すなんてことは出来ないさ」
奈緒はそう言って小さく笑うと、胸ポケットからシガレットケースを取り出した。そこで、目の前にいるのが未成年だと分かると、ばつの悪そうな顔をして取り出したケースをまた胸ポケットへと仕舞った。
「それに、一条が『後で迎えに行く』って言ったんだろ? なら、それまでは生き延びないと」
奈緒の目には、強い意志が宿っていた。
彩夏は奈緒を見つめた。この人も、明を信じようとしている。
「あたしたちも一緒に戦います!」
「彩夏?」
鳴瀬が驚いたが、彩夏の表情は真剣だった。
「一条さんが言ってた。私には、みんなを支える力があるって。なら、それを証明してみせます」
他の高校生たちも頷いた。
奈緒は微笑んだ。
「頼もしいな。でも、無理は禁物だ。一条のメモにも書いてある。『最初は慎重に。死んだら終わり』って」
「はい!」
彩夏たちは力強く返事をした。
その時、ホテルの外から物音が聞こえてきた。
全員が緊張する。
「ギギッ……」
ゴブリンの声だ。
奈緒が棍棒を構えた。
「ふー……まったく、タバコを吸う暇もないな」
「私たちも戦います!」
彩夏が棍棒を握りしめた。
窓から外を覗くと、ゴブリンが3体、ホテルの入口付近をうろついていた。
「ちょうどいい数だ」
奈緒が呟いた。
「作戦を立てよう。花柳さん……だったっけ?」
「あ、彩夏で大丈夫です。みんなもそう呼んでくれてるし、七瀬さん……あたしよりもずっと年上ですし」
「分かった。それじゃあ改めて……彩夏、君がリーダーだ」
「えっ、あたしですか!?」
「一条が特別視してたんだろ? なら、それには理由があるはずだ」
彩夏は戸惑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「分かりました。じゃあ……」
彩夏は仲間たちを見回した。
「まず、男子三人が正面から。女子は側面から援護。奈緒さんは……」
「私は後方支援。そうしないと、君たちのレベルが上がらない。いざとなったら助けに入る」
作戦が決まり、全員が配置についた。
彩夏は深呼吸をした。
(あたしに、何の力があるのか分からないけど……。これだけは分かる。あたしは、ユッカたちを守りたい。あたしの大切な人達を、死なせたくない!)
そう考えるだけで、力が湧いてくる。
彩夏は手にした棍棒を握りしめて、前を向いた。
戦いの火蓋が切って落とされた。
◇
一方、明は次の目的地へと向かっていた。
亜空間から取り出した双眼鏡で、遠くからホテルを確認する。
窓から、彩夏たちがゴブリンと戦っている様子が見えた。そして――
「奈緒さんも合流したか」
明は安堵のため息をついた。
メモに書いた通りに動いてくれた。そして、彩夏たちと出会い、共に戦い始めている。
(これで、奈緒さんの生存率も上がる。彩夏の『神聖術』が覚醒すれば、回復役として最高のコンビになるはずだ)
明は双眼鏡をしまい、その場を離れた。
時刻は午前二時半。モンスターが出現した直後は、同時多発的にあちこちで事件が起きている。
仲間たちの身に降りかかるすべての悲劇を止めるには、あまりにも時間が足りなかった。




