因縁の相手
「……じょう! おい、一条っ!」
六度目の目覚め。
聞き慣れた奈緒の呼び声に、明はゆっくりと顔を上げた。
「ようやく起きたか。ったく……白目むいて突っ伏してるから、倒れたのかと思ったぞ」
一言一句変わらない奈緒の台詞を聞き流しながら、明は、首筋の痛みを押さえて立ち上がる。
今回、やるべきことはすでに決まっていた。ミノタウロスを倒し、次の段階へと駒を進めるのだ。
そのためには、いろいろと準備をしなくてはならない。
明は決意を込めるように唇をグッと噛みしめると、奈緒の正面へと向き直った。
「奈緒さん」
「おい、名前――」
「大事な話があるんです」
「……話?」
奈緒が怪訝そうな表情を浮かべた。いつもなら「すみません」と謝罪して、そのまま仕事に戻るはずの明が、真剣な表情で自分を見つめている。
「突然のことで、信じられないかもしれませんが、これから話すことを聞いてください」
明は深呼吸をして、続けた。
「今から約二時間後、午前0時15分。この世界に異変が起きます」
「は?」
「モンスターが出現し、人間にレベルやステータスという概念が付与されます。まるでゲームのような世界になるんです」
奈緒は数秒間、明を見つめた。
「一条……お前、いきなりどうした? 疲れてるのか?」
「正気です」
明は、デスクの引き出しからメモ用紙を取り出した。そして素早くペンを走らせる。奈緒が怪訝な顔で明の手元を覗き込もうとしたが、明は巧みに紙を隠しながら書き続けた。
三分ほどで書き終えると、明はメモを四つ折りにして奈緒に差し出した。
「これを持っていてください」
「何だこれは?」
「この世界が今夜、何か信じられないようなことになったら、その時に開いて読んでください。その時のあなたに必要な情報が書いてあります」
メモには、奈緒のために用意した詳細な成長指針を記していた。
『身体強化』と『魔力回路』、そして『初級魔法』や『射撃術』を基礎とした遠距離魔法特化型ビルドだ。将来的には魔導銃の二丁持ちと『上級魔法』を組み合わせた、近接戦闘も可能な万能型魔法銃士へ特化していく詳細な道筋が残されている。
奈緒は、心配そうな表情で明を見つめた。
「一条……お前、本当に大丈夫か? 熱でもあるんじゃ――」
「奈緒さん、約束してください。困ったことになったら、そのメモに目を通すと」
明の真剣な眼差しに、奈緒は言葉を飲み込んだ。
「……分かった。預かっておく」
奈緒はメモをジャケットの内ポケットにしまった。明はそれを確認すると、小さく息を吐いた。
(よし。これで、奈緒さんが生き残る確率は上がった)
明は、過去の周回で奈緒の適性を見極めていた。
彼女の冷静な判断力と、優れた空間把握能力。それは、魔法を弾丸のように操る戦闘スタイルに最適だ。
明はデスクの荷物を軽くまとめると、ネクタイを緩めて鞄を手にした。
「じゃあ、俺は帰ります。これから、しばらく連絡は取れなくなると思いますが……俺は大丈夫なので心配しないでくださいね」
「連絡が取れなくなるって――お前、いったい何を」
「よろしくお願いします。まずは一週間、頑張りましょう。あとで迎えに行きます」
明はそう言うと、奈緒の返事を待たずにオフィスを出た。
残された奈緒は、ポケットの中のメモに手を当てながら、不安そうに明の背中を見送っていた。
◇
明は近くのネットカフェに入ると、すぐさまPCの前に座った。
時刻は午後十時四十分を示している。世界が本格的に変わるまで、あと一時間二十分しかなかった。
明は複数のSNSアカウントにログインした。旧TwitterにFacebook、Instagram、TikTok、そして各種掲示板。できる限り多くの人の目に触れる必要があった。
キーボードを叩く音が、静かな個室に響く。
『【緊急警告】今夜0時、世界は一変します』
明は投稿を始めた。
『信じられないかもしれませんが、あと1時間20分後、この世界に異世界のモンスターが出現します。同時に、人類全員にレベルとステータスというシステムが付与されます。』
送信。すぐに次の投稿。
『レベルは経験値を得ることで上昇します。モンスターを倒すことで経験値とポイントが手に入ります。ポイントはある一定量を溜めることでスキルと呼ばれる特殊能力と交換することができ、その他には体力、筋力、耐久、速度、幸運の5つのステータスに振り分けることができます』
送信。
『初心者へのアドバイス:
1.最初に現れるのはゴブリンという小型モンスター
2.緑色の肌、身長1m程度、棍棒を持っている
3.単体なら素人でも倒せるが、群れは危険
4.ゴブリンの棍棒を奪えば武器になる
5.体力値を優先的に上げること。生存率が上がる』
送信ボタンを押すたびに、すぐさまリプライが飛んでくる。
『病院行けよwww』
『なろう小説の読みすぎだろ』
『薬でもやってんのか?』
『俺もそんな感じの小説書いたことある』
明は気にせず投稿を続けた。
『ステータス画面は心の中で「ステータス」と念じれば開きます。最初に取るべきスキルは「身体強化」です。全体的な身体能力が向上します』
掲示板にも同じ内容を投稿する。
『東京・埼玉・神奈川・茨城の一都三県のそれぞれの街には、ボスモンスターと呼ばれる強力なモンスターが出現します。初心者が勝てる相手ではありません。出会ったらすぐに逃げてください』
返信の嵐だ。
『マジでヤベー奴いるwww』
『こういう奴が事件起こすんだよな』
『ジョン・タイターを思い出す流れ』
『設定凝ってて草』
明は構わず続けた。一人でも多くの人に、少しでも情報を残さなければならなかった。
明はさらに詳細な情報を投稿していく。各モンスターの弱点、推奨される戦い方、スキルの組み合わせ、世界反転率の存在。
『「世界反転率」は、この世界がどれだけ異世界に侵食されているのかを判断する基準になるものです。世界反転率が1%を超えれば、出現したモンスターが強化されます。なので、それまでの間にどれだけ自分を強化出来るかが鍵になります』
炎上し始めた投稿を見ながら、明は苦笑した。
(今は狂人扱いでいい。でも、世界が変わった後なら、きっと誰かの役に立つ)
時刻は午後十一時三十分。
明は最後の投稿をした。
『あと30分です。この情報を、信じるか信じないのかは自由です。でも、もし私の言った通りになったら、この情報を思い出してください。一人でも多くの人が生き残れることを願っています』
送信を終えると、明は立ち上がった。
ネットカフェを出て、深夜の量販店に立ち寄る。動きやすい服装と、包丁売り場で刃渡り18センチの三徳包丁を二本、購入した。店員は怪訝な顔をしたが、明は気にしなかった。
(これで準備は整った)
明はそのうちの一本を新聞紙で包み、ジャケットの内側に忍ばせた。
そして、運命の時刻を待った。
◇
午前0時。明は、自宅への帰り道を歩いていた。
目的地はすでに決まっている。過去十八回、最初の死を与えてくれた存在に、今度は明が死を与える番だった。
歩き始めて五分。
予定通りの場所で、予定通りの存在と遭遇した。
身長三メートルの巨体。筋骨隆々とした褐色の肉体に、手には自身の身長ほどもある巨大な戦斧。
牛の頭を持つ人型の怪物――ミノタウロス。
「ブモォオオオッ!」
ミノタウロスが明を発見し、咆哮を上げた。地面が振動するほどの大音量に、近くの窓ガラスがビリビリと震える。
明は恐怖を感じなかった。十八回も殺されれば、恐怖など とうに消え失せている。
「待たせたな」
明は呟き、ミノタウロスを見据えた。
出現直後のミノタウロスのレベルは45。各能力値は、体力値112、筋力値190、耐久値78、速度値110だ。
対して、現在の明の総合レベルは19。各能力値は、体力値30、筋力値66、耐久値65、速度値66……と、純粋な数字だけを見れば劣る。通常であれば、とうてい敵う相手ではない。
しかし、能力値の差がすべてではないことを、明はもう知っている。
――チリン。
――――――――――――――――――
前回、敗北したモンスターです。
クエストが発生します。
――――――――――――――――――
C級クエスト:ミノタウロス が開始されます。
クエストクリア条件は、ミノタウロスの撃破です。
――――――――――――――――――
ミノタウロス撃破数 0/1
――――――――――――――――――
「さあ、戦ろうか」
クエスト画面を消して、明が挑発的に呟いた瞬間――ミノタウロスが動いた。
巨大な戦斧が、風を切って振り下ろされる。
明は『疾走』を発動した。世界がスローモーションのようになった。『戦闘感覚』スキルと『疾走』スキルの相乗効果だ。
『疾走』は単純に速度を上げるだけでなく、動体視力も一時的に向上させる効果がある。反射神経と反応速度を向上させる『戦闘感覚』と合わさると、こうした現象が起こる。
明は紙一重で斧を避けると、ミノタウロスの懐に飛び込んだ。
「『剛力』!」
続けてスキルを発動する。筋力が瞬間的に倍増する感覚が全身を駆け巡った。明は渾身の力を込めて、ミノタウロスの膝に拳を叩き込む。
ゴキッ!
鈍い音と共に、ミノタウロスの膝が不自然な方向に曲がった。
「ブギャアアアッ!」
痛みに吼えるミノタウロスが、片膝をついた。明はすかささ後方に跳躍し、距離を取る。
ミノタウロスは怒りに目を血走らせ、片足を引きずりながらも突進してきた。戦斧を横薙ぎに振るう。明は『戦闘感覚』で軌道を読み、最小限の動きで回避した。
斧が空を切る。その隙に、明は再び接近した。
今度は顔面を狙う。跳躍し、ミノタウロスの鼻っ面に膝蹴りを叩き込んだ。鼻骨が砕ける感触とともに、ミノタウロスの鼻から血が噴き出し、ミノタウロスが後方によろめく。
「―――…ッ!!」
明は追撃の手を緩めない。『疾走』の効果時間を最大限に活用し、ミノタウロスの周囲を高速で旋回しながら、隙を見ては打撃を加えていく。
ミノタウロスは巨大な戦斧を振り回すが、その動きは次第に鈍くなっていった。片膝の負傷が響いているのは、見て明らかだ。さらに『戦闘感覚』を持つ明には、その大振りな攻撃は見切りやすかった。
「ブ……モォ……」
ついにミノタウロスが、両膝をついた。全身から血を流し、荒い息を吐いている。
明はジャケットの内側から、包丁を取り出した。刃がギラリと街灯の光を反射する。
「これで終わりだ」
明は包丁を構え、魔力を集中させた。『魔力操作』スキルが、体内の魔力を制御する。
そして――
「『魔力撃』!」
包丁の刃に青白い光が宿った。魔力が刃を覆い、切れ味を異常なまでに高める。同時に、魔力の奔流が包丁を通じて放出される態勢が整った。
明は全力で包丁を振りかぶり、ミノタウロスの首筋に向けて振り下ろした。
シュバッ!
空間を切り裂くような音と共に、青白い魔力の斬撃が放たれた。
三日月型の魔力の刃が、ミノタウロスの首を深々と切り裂き、アスファルト舗装路に深い切れ込みを残す。
「ブ……ギャア……」
ミノタウロスが断末魔の叫びを上げた。
首から大量の血が噴き出し、巨体が前のめりに倒れていく。
ドシン!
地面が揺れるほどの衝撃と共に、ミノタウロスが地に伏した。ピクリとも動かない。完全に、死んでいた。
パキッ……パキパキッ!
明の手の中で包丁が砕け、破片が地面に散らばった。量販店で買える程度の包丁では、魔力撃の負荷に耐えられなかったのだ。
明は砕けた包丁の柄を投げ捨て、大きく息を吐いた。
――チリン。
聞き慣れた電子音が鳴り響く。
――――――――――――――――――
レベルアップしました。
レベルアップしました。
レベルアップしました。
……………………
…………
……
ポイント12を獲得しました。
消費されていない獲得ポイントがあります。
獲得ポイントを振り分けてください。
――――――――――――――――――
C級クエスト:ミノタウロスが進行中。
討伐ミノタウロス数:1/1
C級クエスト:ミノタウロスの達成を確認しました。報酬が与えられます。
クエスト達成報酬として、獲得ポイントが50付与されました。
――――――――――――――――――
条件を満たしました。
シルバートロフィー:大物食い を獲得しました。
シルバートロフィー:大物食い を獲得したことで、以下の特典が与えられます。
・体力値+20
・筋力値+30
・速度値+20
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魂に刻まれた困難を乗り越えました。
固有スキル:黄泉帰り のスキルに新たな効果が追加されます。
固有スキル:黄泉帰り の追加効果により、以下のシステム機能が解放されました。
・インベントリ
・シナリオ
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ボスモンスターの討伐が確認されました。
世界反転の進行度が減少します。
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賽は投げられた。
今この瞬間をもって、この世界の秒針は一つ前に進んでしまった。
次の目覚めからは、この時点から始まることになる。すなわちそれは、ミノタウロス戦までに明が下した決断が、世界に刻まれたことを意味していた。
明は画面を見つめて、小さく肩をすくめた。
(やっぱり、最初のボスは報酬が豪華だな。今のこの時点で、ポイント50が貰えるクエストはかなり嬉しい)
だが、安堵している暇はない。
今こうしている間にも、状況は刻一刻と悪化していくばかりだ。街のあちこちで、人々がモンスターに襲われている。
「急がないと」
明は呟き、死体となったミノタウロスに向き直った。
「でもその前に……ちゃんと報酬は貰わないとな」
その手に握られていた斧を拾い上げ、ニヤリと笑う。
取得した大量のポイントの使い道は、すでに決まっていた。
明は、スキル一覧画面を呼び出すと、3ポイントを消費して『解体』スキルを取得する。そしてミノタウロスの両角へと手を掛けると、バキリとへし折った。
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魔力撃Lv1
・アクティブスキル
・魔力を消費し、斬撃の威力が向上する。消費する魔力とスキルによる攻撃範囲は、スキルレベルに依存する。
・斬撃によるダメージは、スキルレベル、自身の筋力値、魔力値に比例して上昇する。
・取得条件:いずれかの武器術スキル1つと魔力操作スキルを取得していること
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大物食い
・分類:トロフィー
・ランク:シルバー
・取得条件:レベル差15以上のモンスターを討伐する
・効果:体力値+20、筋力値+30、速度値+20
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ミノタウロスの角
・かつて無言で突き立てられた絶望の証。猛牛の燃え尽きぬ怒りが宿っており、加工には注意を要する。魂を削る音がするからだ。
・分類:魔物素材
・魔素含有量:3~5%
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