世界編選
――0周目の記憶。
そして、その後に繰り返されてきた17回の周回。
すべての記憶が、怒濤のように明の意識に流れ込んでくる。
「っ、ぁ……」
明は頭を抱えて、その場に膝をついた。
何度も何度も繰り返してきた世界。その中で出会い、そして失ってきた人々の顔が次々と浮かび上がる。
明は震える手で画面を見つめた。
『火精霊王の怨念』
その呪詛を解くには『祝福』スキルが必要だと、画面は冷酷に告げている。
(『祝福』……)
明の記憶が、過去の周回を辿る。
『祝福』は、数あるスキルの中でも最上位に位置する特殊な浄化スキルだ。
取得には膨大なポイントが必要で、さらに特定の条件を満たさなければならない。
0周目で出会った神官リアナ。
彼女はフレリア様に仕える敬虔な神官で、『治癒』の術を使いこなしていた。
だが、そんな彼女でさえ『祝福』は使えなかった。
――『祝福』は、それよりもはるかに高位の神術です。
リアナの言葉が、記憶の中で蘇る。
――私が使えるのは『治癒』の力。それも、これほど強力な『怨念』を解くには、神そのものの力が必要かもしれません。
その後の周回でも、明は『祝福』を持つ者にほとんど出会っていない。
ごく稀に、高位の聖職者や特殊な覚醒者が持っていることがあったが、それも数えるほどだった。
そして今、この場に『祝福』を使える者はいない。
「……奈緒さん」
震える声で、明は目の前の女性の名を呼んだ。
すべての記憶を取り戻した今、彼女がどういう運命を辿るのか、痛いほど理解している。
「……一条?」
奈緒の声は、もうほとんど聞き取れないほど小さかった。
それでも、明を見つめる瞳には、まだ意識の光が宿っている。
明は震える手で涙を拭い、奈緒の傍に身を寄せた。
「何か……言いたい事や、やりたいことはありますか?」
その一言で、周囲の空気が変わった。
彩夏が息を呑む。柏葉が口元を押さえる。龍一の表情が険しくなる。
誰もが、その言葉の意味を察していた。
今、この場で奈緒を救う手立てはない。
『祝福』なしに、この呪詛を解く方法は存在しない。
奈緒もまた、驚いた表情を見せたが、すぐに理解が宿った。
そして、小さく――本当に小さく笑った。
「……言いたいことか」
掠れた声で、奈緒は呟く。
「分からないな」
血の気の失せた唇が、かすかに動く。
「いざ近々死ぬことが分かるとなると、それまでにしておきたいことなんて、案外思いつかないものだ」
奈緒はしばらくの間、天を見上げるように考え込んでいた。
焦げた空気の中で、彼女の呼吸だけが微かに響いている。
やがて、奈緒は小さく笑い、震える手で明を手招きした。
明は、さらに奈緒の傍に寄る。
「もっとだ」
かすれた声に促されて、明は耳を奈緒の口元に近づけた。
奈緒は、明の耳元で何かを呟いた。
「―――、――――」
それは、明にしか聞こえない、最後の言葉だった。
そして、震える手を上げて、明の頬にそっと触れる。
冷たくなりかけた指先が、優しく頬を撫でた。
「生きろ、一条」
掠れた声で、奈緒は言った。
「何があっても」
その言葉を最後に、奈緒の手がゆっくりと落ちた。
瞳から光が消え、呼吸が止まる。
七瀬奈緒は、静かに命を落とした。
海鳴りだけが、変わらずに響いている。
誰も、言葉を発することができなかった。
「嘘……だよね?」
最初に沈黙を破ったのは、彩夏だった。
震える声で、現実を否定しようとする。
「蒼汰に続いて、七瀬もなの……?」
彩夏の瞳に涙が浮かぶ。
「どうにか出来ないの!?」
そして、明に向かって叫んだ。
「ねえ、一条ォ!!」
その時だった。
チリン、という音と共に、画面が展開された。
――――――――――――――――――
ボスモンスターの討伐を確認しました。
世界反転の進行度が減少します。
――――――――――――――――――
その表示に、明の表情が固まった。
明だけではない。画面を見た全員が、凍りついたように動きを止める。
「嘘……」
柏葉が呟く。
「このタイミングか……」
龍一が苦い顔をした。
彩夏は、その場に座り込んでしまった。
(『黄泉帰り』の弊害……)
明は心の中で呟いた。
(絶望的な状況が好転し、他の誰かが力を身につければ身につけた分だけ、俺が持つご都合主義は消えていく)
オートセーブが発動する。
この瞬間が、新たな「起点」として記録される。
つまり――もう、奈緒が生きていた時点には戻れない。
明は静かに立ち上がると、奈緒の遺体に近づいた。
そっと抱きかかえる。まだ温もりが残る身体は、驚くほど軽かった。
「東京に戻りましょう」
低い声で、明は言った。
「せめて、奈緒さんが安らかに眠れる場所に移してあげないと」
誰も、異論を唱えなかった。
◇◇◇
イフリートとの戦いから、数週間が経過していた。
東京郊外の静かな丘。
そこに、七瀬奈緒は眠っていた。
(術式の核が破壊されたことで世界反転率が止まり、異世界の脅威にさらされることがなくなった俺達の反攻は日々増している)
明の前には、ボス討伐を知らせる画面が現れていた。
画面に表示される討伐報告を眺めながら、明は思う。
(あの日以降、多い日には一日に2度――少なくとも、2日に一度は誰かがボス討伐を果たしている)
ボスが残る場所も残り少ない。人類は、再び平和を取り戻そうとしていた。
(だけど……)
明は画面から目を逸らし、目の前の墓標を見つめた。
背後から声がかかったのは、そんな時だ。
「明」
振り返ると、龍一が立っていた。
「お前、またここに居たのか」
明は龍一へと視線を向け、また墓前へと視線を戻した。
龍一は、そんな明に小さなため息を吐き出すと、明の隣に立った。それから、手にしていた酒の小瓶とタバコの箱を墓に供えると、黙って墓石に刻まれた名前を見つめた。
「……俺は、七瀬のやつとは付き合いも短かったから、よく分からねぇが……。七瀬は、どんな奴だったんだ?」
その言葉に、明は龍一を見た。
明はしばらくの間、彼の表情を見つめて、それから墓石へと視線を戻して、言った。
「七瀬奈緒は……モンスターがこの世界に現れて、最初に死ぬ運命にあるはずの人でした」
龍一の表情が変わる。
「何度も、何度も、繰り返してきました」
明は続ける。
「本来なら、あの夜……俺が最初にミノタウロスに襲われたあの夜に、彼女は死ぬはずだった。会社に残っていた彼女は、現れたモンスターに襲われて……」
明の声が震える。
「彼女のことを、何度も救いました。それでも、彼女のことはどの周回世界でも救えなかった」
風が吹く。
墓前の花が、静かに揺れた。
「最初の死を回避しても、別の形で死が訪れる。病気で倒れたり、事故に巻き込まれたり、呪いに蝕まれたり……まるで世界そのものが、彼女の生存を拒んでいるかのように」
明の拳が握られる。
「運命なんでしょうか」
明の声は、どこか遠い。
「彼女は、この世界で生きることを許されていないのでしょうか」
龍一は何も言わなかった。
ただ、明の隣に立って、同じように墓標を見つめている。
しばらくの沈黙の後、龍一が口を開いた。
「……みんな、覚悟を決めたそうだ」
「……そうですか」
明は小さく呟いた。
「すみません」
「何でお前が謝る」
龍一は明の頭に手を置き、わしゃわしゃと髪を乱した。
「俺達だってこんな結末は嫌なんだ」
その手は、温かかった。
「お前が謝る必要なんてどこにもないだろ」
明は微妙な表情で笑った。
それは、笑顔とも泣き顔ともつかない、複雑な表情だった。
◇◇◇
東京の拠点。
彩夏、柏葉、龍一が揃って明を見つめている。
明は自分のステータス画面を開き、『世界編選』の表示を出していた。
「本当にいいんですね?」
確認するように、明は問う。
「だーから、何回も言わせないでよ」
彩夏が口を尖らせる。
「そうですよ。私達だって七瀬さんがいない世界は嫌なんです!」
柏葉も頷いた。
「俺の息子も救ってくれるんだろ?」
龍一が力強く言う。
「だったら俺達になんか遠慮せず、もう一回世界を繰り返してこい」
「……はい」
明は三人に笑みを返して、『世界編選』の表示に触れた。
Yes/Noの選択肢が現れる。
「それじゃあ、みんな」
明は振り返り、仲間たちを見つめた。
「また―――」
その時だった。
突然、警告画面が展開された。
――――――――――――――――――
他の地域での世界反転率が100%を越えました。
……『世界反転』の起動を確認。
壁が崩壊します。
異なる世界が流出します。
――――――――――――――――――
瞬間、世界が変わった。
空が赤く染まった。
血のような色が、天を覆い尽くしていく。空気の密度が変わり、呼吸するたびに肺が重くなった。
街並みが歪み始め、コンクリートの隙間から異様な植物が顔を出す。それらは見る間に成長し、建物を飲み込もうとしていた。
「何、なんなのコレ!?」
彩夏が叫ぶ。
「息が……出来ない」
柏葉が喉を押さえた。
「明!! コレはいったい―――」
振り返る龍一の目に、絶望した表情で空を見上げる明が映った。
「なんだよ……これ」
明の声は震えていた。
何も、知らなかった。
こんな状況は初めてだった。
「何だよこれッ!」
知らない。
知らない知らない知らないッ!
何も知らない!! 分からないッ!!
「いったい何が起きてんだよ!!」
真我同調によって、過去に繰り返してきたすべての記憶を取り戻した明にとっても、この状況は想定外だった。
明は狼狽え、じりじりと空を見上げながら後退った。
「いったい何が――」
そして、気がつく。
違う。知らないんじゃない。
(俺は―――…この結末を見たことが無いんだ)
「明ァ!!」
龍一の叫びに、明がビクリと肩を震わせる。
「これは何だ! 今のお前は全てを知ってるんだろ!?」
龍一が明の肩を掴む。
「この状況は一体何なんだ!!」
明は唇を噛みしめた。
知識として理解はできる。だが、実際に経験したことのない事態に、言葉を選ぶのに時間がかかった。
「異世界の流出……」
ようやく絞り出した声は、重く沈んでいた。
「世界にある五つの基点のうち、俺たちがいる場所を除く全ての場所で、稼働していた術式の進行が100%になりました」
明は、理論上の知識を必死に言葉にする。
「本来なら、すべての地域が同じペースで反転していくはずだった。でも、俺たちが日本の反転を止めてしまったことで……」
声が震える。
「完全に反転した地域と、そうでない地域の間に『差』が生まれた。ここは大丈夫でも、他の地域は今、完全に崩壊しています……。だから、その地域で稼働していた術式が俺たちのところにも流れ込んできて―――…」
「それじゃあ、この状況は」
龍一の言葉を遮るように、新たな画面が展開された。
――――――――――――――――――
世界反転率が4%を超えました。
世界反転率が4%を超えたため、異なる世界の一部が出現します。
――――――――――――――――――
続けて、次の画面。
――――――――――――――――――
世界反転率が7%を超えました。
世界反転率が7%を超えたため、異なる世界の常識の一部が適応されます。
――――――――――――――――――
そして、さらに。
――――――――――――――――――
世界反転率が10%を超えました。
世界反転率が10%を超えたため、モンスターが本来の力の一部を取り戻します。
――――――――――――――――――
次々と画面が一同の前に現れ始め、現実が瞬く間に変わっていく。
遠くから、モンスターの雄叫びが響き始めた。
「一条さんッ! これを元に戻す方法は!?」
柏葉が必死に問う。
「……っ、進んだ反転率を元に戻す方法は……ない」
明は苦渋の表情で答える。
「この状況を防ぐには……俺たちの地域だけじゃなくて、他の地域も……その場所の基点の崩壊を、防ぐしかない」
「なんだ、だったら簡単じゃない」
彩夏が恐怖を隠すように笑った。
「今度こそ本当に、アンタがこの世界を救っちゃえばいいでしょ?」
彩夏は明の肩を押す。
「さっさと行っちゃいなさい! 次の世界に!」
その瞳には涙が浮かんでいた。
「行って、その世界でまた私を助けてよ!」
「そうですね……! また会いましょう、一条さん!!」
柏葉も明を後押しする。
「明、俺達を頼むぞ」
龍一が力強く頷いた。
「みんな……ごめん」
三人に押されて、明は『世界編選』を選択した。
震える指で、Yesを押す。
◇◇◇
世界が暗転した。
明の前に、一つのウインドウが表示される。
――――――――――――――――――
バッドエンド18
不幸の連鎖 を回収しました。
――――――――――――――――――
もはや見慣れた悪趣味な表示に、明はため息を吐き出した。
そして、すぐに『彼女』へと呼びかける。
明の前に新たなウインドウが表示された。
――――――――――――――――――
お疲れ様でした。
今回は運が悪かったですね。
――――――――――――――――――
「いや、俺のミスだ」
明は首を振った。
「『第六感』のスキルレベルを上げるのが遅れてしまった」
悔しさを滲ませながら続ける。
「おかげで周回の記憶が戻らず余計に時間をかけてしまったし、『残機』を無駄に消費した」
――――――――――――――――――
すぐに19周目を始めますか?
――――――――――――――――――
「もちろん」
明は即答した。
「今回の功績を清算してくれ」
――――――――――――――――――
分かりました
清算中です……
・ミノタウロスの撃破 過去に達成された功績です
・ウェアウルフの撃破 過去に達成された功績です
・ハイオークの撃破 過去に達成された功績です
・ハルピュイアの撃破 過去に達成された功績です
・リザードマンの撃破 過去に達成された功績です
――――――――――――――――――
目の前に流れていくリザルト画面を、明は無表情で眺める。
何度も見てきた光景だった。
――――――――――――――――――
・ギガントの撃破 過去に達成された功績です
・サハギンチーフの撃破 過去に達成された功績です
・邪教リリスライラの撃破 過去に達成された功績です
・グリフォンの撃破 過去に達成された功績です
・セイレーンの撃破 過去に達成された功績です
・イフリートの撃破 今回が初めての功績です
・術式『世界反転』の無効化 今回が初めての功績です
――――――――――――――――――
新たな功績が二つ。
それは、今回の周回での成果だった。
――――――――――――――――――
……お待たせしました。
あなたの活躍で、世界の可能性がまた一つ広がり
私とあなたとの力の繋がりが深くなりました。
今なら『シナリオ』、『インベントリ』、『スキルリセット』の三つの力を
最初からあなたに付与することが可能ですが
どうされますか?
――――――――――――――――――
明は少し考えた。
「ポイントによるスキルの獲得を今よりも楽に出来るか?」
――――――――――――――――――
以前の私の力では不可能でしたが
今回のあなたの活躍によってそれも可能になりました。
スキル獲得に必要なポイント数を半分にしますか?
――――――――――――――――――
「頼む」
――――――――――――――――――
分かりました。
それでは次回の周回以降
『全てのプレイヤーがスキル獲得に必要なポイント数が半分になります』
――――――――――――――――――
小さな変化かもしれない。
だが、これで多くの人が生き残る可能性が増える。
――――――――――――――――――
今回の周回で獲得した功績が二つあるため
もう一つ、力を付与することができます
――――――――――――――――――
明は慎重に考えた。
そして、ずっと気になっていたことを口にする。
「……それなら、前に言っていた『記憶の補完』は出来そうか?」
――――――――――――――――――
可能です。
ですがその場合、大量の蓋然性を消費します。
――――――――――――――――――
「かまわない」
明は即答した。
記憶の欠落――それは、0周目から続く問題だった。
――――――――――――――――――
わかりました。
では『黄泉帰り』の発動回数を50に設定します
――――――――――――――――――
ループ回数の減少。
それは明にとって、新たな枷となる。
「分かった」
それでも、明は受け入れた。
少し間が空いて、新たな文字が表示される。
――――――――――――――――――
……一条明
まだ、あなたは理想を求めますか?
――――――――――――――――――
「当たり前だ」
明は力強く答えた。
「そのために、俺は人間を辞めたんだ」
拳を握りしめる。
「何度だって繰り返す。何度も、何度も」
瞳に決意の炎が宿る。
「決まった運命なんてぶち壊してやる」
――――――――――――――――――
頼りにしています
では19周目を始めます
――――――――――――――――――
世界が白く染まっていく。
明は静かに目を閉じた。
次こそは――
次こそは、みんなを救ってみせる。
その決意を胸に、一条明は再び時を遡った。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
これにて第二部完結です。
原作をずっと追い続けてくれた方も、漫画を読んで原作に興味を持って読んでくれた人もいるかと思います。本当にありがとうございます。
漫画を描いてくださった翼先生には、ここまでのプロットお渡ししてお願いしてありました。
かなりの高クオリティで、この物語を再現してくれたことに多大な感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
さて、この話の続きですが、実はあります。
第三部は全ての記憶を取り戻した一条明のRTAです。
そう長くお待たせすることなく、連載を再開することになるかと思いますので、お楽しみに。
また、第三部をもって、連載の場をカクヨムに移行しようかと思ってます。
こちらでも投稿はしますが、最初に更新をかけるのがカクヨムです。
今はなろうに連載していた話を、カクヨムに投稿している最中なので、この作業が終わり次第、カクヨムで連載を再開する形になるかと思います。
よろしくお願いいたします。
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最後に
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ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
☆☆☆☆☆での評価をお願いします。
ブクマまだしてなかった方も、ブクマしてくれると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




