一条明 -0- ⑳
その夜。
明と田村、そしてリアナの三人は預言書を開いて、今後について話し合っていた。
「ひとまず、方針としては『座』に出会うことだ。ここを拠点に過ごすにしても、現状では足りないものが多すぎる」
明がそう言った。田村が頷く。
「そうだね。まず食料が足りてない。備蓄はあるけど……リアナ、これは君がここで過ごすために集めていたものだろう?」
「はい。私たち神官は、フレリア様のお世話をするためにここに籠り、日々を過ごしていました。ここにある食糧はすべて、街の人々からの寄付で集まったものです」
「なるほどね。飢饉に見舞われながらも、食糧を寄付していたのか」
「フレリア様は街の人々にとって、崇拝の対象であり、暮らしを豊かにしてくれていた神様だ。どれだけ食糧が少なくなろうと、街の人々は寄付を止めなかっただろうな」
明の言葉に、リアナが小さく頷いた。
「そうです。神官が、フレリア様のお世話をすることが出来なくなれば、今よりもフレリア様がお姿を現さなくなるかもしれないと、みなさんは少ない食糧を持ちよってくださってました」
「それじゃあ、リアナ。君はこの神殿の外には出たことがないのか?」
田村の問いかけに、リアナは頷いた。
「ありません。私は戦う術を持たないので……」
「なるほど。それじゃあ、食糧調達は俺たちの仕事ってわけだ」
田村が明を見た。明は、その視線に頷きを返す。リアナはそんな二人のやり取りを見て、感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます。もし、傷を負った際には私に任せてください。簡単な癒しの術は心得があります」
「癒しの術?」
「フレリア様より授かった力です。例えば……そうですね。明さん、手を見せてください」
「手?」
明は言われるが両手を開いた。そこには、自ら短剣でつけた傷が出来ている。すでに血は止まり始めていたが、そこには、しっかりとした赤い線が刻まれていた。
「失礼します」
するとその手を、リアナが両手で包み込んだ。
いったい何事かと目を見開く明をよそに、リアナは睫毛を伏せて祈りを注ぐ。
「フレリア様。豊穣と水の癒しの力を私にお与えください―――…『治癒』」
瞬間、リアナの掌から光が溢れた。
その光景を見た明は、息を呑んだ。かつて彩夏が見せてくれた治癒の力と同じような、温かい光。しかし、どこか質感が違う。彩夏の力が太陽のような明るさだったとすれば、リアナの力は月光のような静謐さを帯びていた。
「すごい……完全に治ってる」
明は治癒された手のひらを見つめた。傷跡すら残っていない。
「これがフレリア様の力なのか」
「はい。ただ、私の力には限界があります。致命傷や、失われた部位の再生などは……」
リアナの言葉が途切れた。
「十分だよ、ありがとう」
明はそんなリアナに向けて、小さく笑った。
そしてふと、彩夏のことを思い出す。あの時、彼女を救うことができていれば、今のこの状況にも何かしらの変化があったのだろうか。
「明?」
田村の声で、明は我に返った。
「ああ、すまない。昔のことを思い出してた」
「なに、もしかして女の子の事?」
ゲスな勘繰りをした田村がニヤニヤとした顔で言った。
明はその言葉に小さくため息を吐きながら、言い返した。
「まあ、そうだな。お前と出会う前に少しの間だけ、一緒に行動していた子のことを思い出していた」
「へぇ〜、明にもそんな相手がいたんだ」
田村が興味深そうに身を乗り出した。
「どんな子だったの? 可愛かった?」
明は少し考えてから、静かに答えた。
「強い子だった。俺なんかよりずっと勇敢で、この世界のことも詳しくて」
その声音に込められた感情を察したのか、田村の表情が真剣なものに変わる。
「……もしかして、もう」
「ああ」
明は短く答えた。それ以上は語らなかったが、田村にも察しがついたようだった。
リアナが静かに口を開いた。
「大切な方だったのですね」
「うん。彼女がいなかったら、俺はこの世界で何もすることが出来ないまま、死んでいた」
明は彩夏の短剣に手を添えた。腰に差したそれは、今も変わらず明を守り続けている。
「そういうお前はどうなんだ?」
明は話題を変えるように、田村に視線を向けた。
「さっきゲスな顔してたけど、お前にも誰か大切な人がいたんじゃないのか?」
「え? 俺?」
田村が一瞬戸惑ったような表情を見せた。
「前に言ってただろ。大切にしてた人がいたって。お客さんだったとか」
明が思い出しながら言った。
田村の表情が複雑なものに変わった。いつもの軽薄な笑みが消え、どこか遠くを見るような目をする。
「ああ……まあ、いたよ。俺なんかを気にかけてくれる、優しい人だった」
「過去形か」
「この世界がこんなことになってからは、会えてないからね」
田村は苦笑いを浮かべた。
「生きてるかどうかも分からない。でも……」
言葉が途切れた。
田村にしては珍しく、感情を押し殺しているような様子だった。
「まあ、俺みたいな人間でも、誰かに必要とされてたんだなって思うと、ちょっと救われるっていうか」
リアナが優しく微笑んだ。
「きっと、その方も田村さんのことを大切に思っていたはずです」
「そうだといいんだけどね」
田村が照れくさそうに頭を掻いた。
明は田村の横顔を見つめた。普段は軽薄で信用できない男だが、こうして見ると、彼もまた大切な人を失った一人の人間なのだと実感する。
「その人に、また会えるといいな」
明が静かに言った。
「……ありがと」
田村が小さく呟いた。そして、いつもの調子を取り戻すように、わざとらしく明るい声を出す。
「さあ、湿っぽい話はこれくらいにして、明日の準備をしようぜ!」
「そうだな」
明も話題を変えることに同意した。
「明日から食料調達に行くんだろ? どの辺りを探索する?」
「街の外縁部はまだ探索していない区域があるはずだ」
明が地図を思い浮かべながら答えた。
「ギガントとミノタウロスが戦った場所からは離れているし、比較的安全かもしれない」
「でも、油断は禁物だよ」
田村が警告した。
「世界反転率が上がれば、魔物の動きも変わってくるかもしれない」
リアナが心配そうに二人を見つめた。
「どうか、お気をつけて。私はここで、可能な限りの支援をさせていただきます」
「ありがとう、リアナ」
明が感謝の言葉を述べた。
それから二人は、リアナに情報を共有するため、お互いの持つ力の詳細を明かした。『黄泉帰り』や『生還者』という二人が持つ固有スキルの詳細を聞いて、リアナは複雑そうな顔になった。
「なるほど。〝死から戻る力〟に〝死なないための選択が出来る力〟ですか……。どちらも私たちの世界にはないものですね」
「そうなのか?」
明がリアナを見つめた。リアナはこくりと頷く。
「はい。私たちの世界には、お二人が呼ぶ固有スキルというものが存在していないのです」
「どういうことだ?」
田村が首をひねった。リアナは説明を続ける。
「あなたたちが呼ぶスキルというものは、私たちの世界では〝武技〟と呼ばれるものです。いずれも経験や研鑽を積み、習熟を重ねた上で身につけることが出来るとされるもので、習得した武技には神々の力が宿るとされています」
「神々の力……」
「はい。例えば、さきほどお見せした『治癒』という〝武技〟ですが、その習得には深い信仰心と癒しの心が必要とされています。その上で、フレリア様のお力を借りることで、私は、武技という奇跡の力を現実に顕現させることができるのです」
明は興味深そうに身を乗り出した。
「つまり、リアナたちの世界では、努力と信仰で力を得られるってことか」
「そうです。誰もが平等に、努力次第で力を手に入れることができます」
リアナは続けた。
「ですが、あなたたちの『固有スキル』は違う。生まれながらに持っている、特別な力。それは私たちの世界の理とは全く異なるものです」
「確かに、俺たちの固有スキルは最初から持ってたものだな」
田村が腕を組んで考え込む。
「でも、普通のスキルは俺たちも経験で覚えてるぞ。『解析』とか『危機察知』とか」
「それらは私たちの『武技』に近いものかもしれません」
リアナが頷いた。
「おそらくですが、あなた方が覚えるスキルと呼ばれるものは、私たちの世界の力と均衡がとれるよう、『座』が用意したものなのでしょう」
「それじゃあ、俺たちが持つ固有スキルは? リアナたちの世界にも似たようなものがあるのか?」
「ありません。だからこそ、その力を持つあなたたちが特別なのだと思います」
リアナはそう言うと、二人を見据えた。
「『座』が、あなたたちにそのような力を与えたのには、意味があると思います。これは私の予想にすぎませんが、もしかすると『座』は……あなたたちに、均衡を保つ役割をして欲しいのかもしれませんね」
「均衡を保つ役割……」
そんなことを言われても今ひとつピンとこない。
明からすれば、会社帰りに化け物に殺されて、そのまま、巻き込まれるような形で異変と向き合っているだけなのだ。
彩夏のように誰かを癒す力も、田村のように危機に敏感なわけでもない。均衡を保つ力など、自分には無いように思えた。
翌朝、明は朝日と共に目を覚ました。窓から差し込む光が、神殿内を優しく照らしている。昨日までの緊張した日々が嘘のように、穏やかな朝だった。
「おはようございます、明さん」
すでに起きていたリアナが、水差しを持って現れた。
「朝の水です。どうぞ」
「ありがとう」
明は水を受け取り、顔を洗った。冷たい水が眠気を覚ましてくれる。
「田村はまだ寝てるのか」
「ええ。かなり疲れているようでしたから」
確かに、田村は深い眠りについていた。普段の軽薄な表情とは違い、寝顔は意外に幼く見える。
「もう少し寝かせてやろう」
明はそう言って、装備の確認を始めた。剣の手入れをし、革鎧のベルトを調整する。
「明さん」
リアナが遠慮がちに声をかけた。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「何だ?」
「あなたの持つ『黄泉帰り』という力について……それは、本当に無限に使えるものなのですか?」
明は手を止めた。
「正直、分からない。今のところ制限はないようようだけど」
「もし、何か異変を感じたら、すぐに教えてください」
リアナの表情は真剣だった。
「神々の力にも、私たちが持つ力にも属さない、第三の力……それがどのような代償を求めるか、私には分かりません」
「代償か」
明は考え込んだ。確かに、これほど便利な力がノーリスクというのは都合が良すぎる。
「気をつけるよ。ありがとう」
しばらくして、田村も目を覚ました。大きく伸びをしながら、彼は起き上がる。
「ん〜……もう朝か」
「おはよう、田村」
「おはよ〜。今日から食料調達だっけ?」
「ああ。準備ができたら出発しよう」
三人は簡単な朝食を取った。リアナが残り少ない保存食を分けてくれたが、これ以上彼女の備蓄を減らすわけにはいかない。早急に新たな食料源を確保する必要があった。
「それじゃあ、行ってくる」
明と田村は装備を整えて、神殿を出ようとした。
「お待ちください」
リアナが二人を呼び止めた。
「これを」
彼女が差し出したのは、小さな銀色のペンダントだった。
「フレリア様の護符です。わずかですが、加護があるはずです」
「でも、これは君の……」
「いいえ、今はあなたたちに必要です」
リアナは微笑んだ。
「無事に帰ってきてください」
明はペンダントを受け取り、首にかけた。不思議と、心が落ち着くような感覚があった。
「ありがとう。必ず無事に帰ってくる」
二人は神殿を後にした。
朝の空気は澄んでいて、鳥のさえずりさえ聞こえてくる。まるで、この世界に異変など起きていないかのような錯覚を明は覚えた。
「さて、どっちに行く?」
田村が周囲を見回しながら尋ねた。
「まずは北東の区域を調べてみよう」
明が提案した。
「あの辺りは商業地区と住宅地の境目だ。保存の利く食料が見つかるかもしれない」
「了解〜」
二人は慎重に森を抜けて、街の外縁部へと向かった。
途中、何度か魔物の気配を感じたが、『危機察知』を持つ田村のおかげで、うまく回避することができた。
やがて、目的の地区に到着した。
そこは、他の場所と同様に異世界の影響を受けていたが、建物の多くはまだ原型を留めていた。
「ここなら、何か見つかりそうだな」
明が周囲を観察しながら言った。
「あ、あそこ見て」
田村が指差した先には、『道具屋』と書かれた看板が見えた。
「道具屋ってたしか、気力回復薬とか置いてあったよな」
「そうだ。食べ物じゃないけど、疲労を取るのにはちょうどいい」
「よし、調べてみよう」
二人は慎重に店に近づいた。扉は半開きになっており、中は薄暗い。
「『危機察知』は?」
「今のところ大丈夫。でも、油断はできない」
店内に入ると、予想通り商品棚に気力回復薬が並んでいた。しかし、その多くは既に荒らされており、床には商品が散乱している。
「誰かが先に来てたみたいだな」
田村が落胆した声で言った。
「いや、待て」
明は奥の棚を指差した。
「あそこはまだ手つかずみたいだ」
確かに、店の最奥部にある棚には、いくつかの瓶詰めが残されていた。
「食べ物かも」
「やった!」
田村が駆け寄ろうとした、その時。
ガタン!
店の奥から響いた物音に、明と田村は身を強張らせた。




