一条明 -0- ⑩
二人は廃墟と化した街を歩き続けた。田村の『生還者』スキルに導かれながら、魔物の群れを避け、危険な区域を迂回していく。
時折、遠くから魔物の咆哮が響くが、田村は的確に安全なルートを選んでいた。そのスキルの有用性を、明は素直に認めざるを得なかった。
「この先の交差点、右に行くと魔物の巣があるから左ね」
田村が軽い口調で指示を出す。明は黙って従った。
歩きながら、明は田村を観察していた。確かに彼の情報は正確で、危険察知能力は優秀だ。このまま彼と行動していけば、安全にこの世界で生きていくことが出来るだろう。
しかし、だからこそ気になった。
田村の動きには、緊張感が足りない。
この世界で六日間も生き延びてきたというのに、どこか余裕がありすぎる。まるで、絶対に死なないという確信でもあるかのように。
「なあ、田村」
「ん? なに?」
「お前のスキル、『生還者』って具体的にはどんな効果なんだ?」
田村の足が、わずかに止まった。
振り返った彼の顔には、いつもの軽い笑みが浮かんでいたが、目の奥で何かが揺れていた。
「あ〜、それね。簡単に言うと、危険を察知するスキルかな」
「察知?」
「そう。『この道を行くとヤバい』とか『ここに隠れれば安全』とか、生き残るための選択肢が何となく分かるんだ」
説明は曖昧だったが、明はそれ以上追求しなかった。固有スキルの詳細を明かしたがらない気持ちは理解できる。自分も『黄泉帰り』については、まだ完全に打ち明けていないのだから。
やがて二人は、半壊したコンビニの前で足を止めた。
「ちょっと休憩しない? 流石に歩き疲れたよ」
田村がそう提案し、明も頷いた。
店内は荒らされていたが、奥の冷凍庫に缶ジュースがいくつか残っていた。二人は黙ってそれを分け合う。
「ねえ」
田村が缶を傾けながら言った。
「明、君には誰か大切な人とかいないの? 家族とか、恋人とか」
突然の質問に、明は手を止めた。
「……なんで、そんなことを聞く?」
「いや、単純に気になっただけ。こんな世界になっちゃって、みんなバラバラになっちゃったじゃん? 俺も、大切な人の安否が分からなくてさ」
田村の声には、わずかに感傷的な響きが混じっていた。初めて見せる、人間らしい表情だった。
明は少し考えた。
まず頭に浮かんだのは、実家の両親のことだった。埼玉に住む母親は、息子の安否をどれほど心配しているだろう。連絡が取れない状況が続いて、もう一週間近くになる。父親も定年を迎えたばかりで、この異常事態にどう対処しているのか分からない。
それから、会社の同僚と、上司の七瀬奈緒。あの夜、缶コーヒーを差し入れてくれた彼女は今、どうしているのだろうか。
そして――彩夏のことを思い出した。短い時間だったが、確かに大切な仲間だった。彼女はもういない。二度と戻ってこない。
「……いる」
明は静かに答えた。
「会社の上司や同僚。それから、実家の両親も。みんな安否が分からないんだ」
「そっか……」
田村は何かを考え込むような表情を浮かべた。
「俺も、大切にしてた人がいたんだ。まあ、元はお客さんなんだけどさ」
「お客さん?」
「あ〜、えーっと……接客業やってたから」
田村の説明は曖昧だったが、明はそれ以上追求しなかった。
「親とかは?」
「ああ」
田村の表情が一瞬曇った。
「親父とは縁切ったんだ。昔からそりが合わなくてさ。お袋は……まあ、元気でやってると思うけど。こんな世界じゃ、どうなっているのか分からないからね」
その口調には、複雑な感情が混じっていた。明は深く追求することはしなかった。
しばらくの沈黙の後、田村が立ち上がった。
「そろそろ行こうか。夜明けまでに、もう少し距離を稼いでおきたいし」
明も立ち上がる。その時、店の外から微かな足音が聞こえてきた。
「魔物?」
明が短剣に手をかけると、田村が首を振った。
「違う。人間の足音だ」
二人は慎重に外を覗く。街灯の壊れた通りを、一人の人影が歩いていた。
それは、見覚えのある人物だった。
「佐藤さん……?」
明が小声で呟く。確かに、三日前に出会った元自衛官の男だった。だが、その様子がおかしい。佐藤の顔つきは以前とは別人のようで、狂信的な光を宿した目が夜闇を見つめていた。
「おい、佐藤さん!」
明は思わず声をかけそうになったが、田村に腕を激しく掴まれて止められた。
「待て……俺、あの人を前に見たことがある」
田村の声が震えている。
「数日前、人の声がする建物があったんだ。生存者がいるかもしれないと思って、こっそり様子を見に行ったら……あの人がいた。でも様子がおかしかったから、見つからないように逃げたんだ」
「人が集まってる建物? でも、お前は避難所なんて知らないって……」
「あんなものは避難所なんかじゃない!」
田村が激しく首を振った。
「だから避難所は知らないって答えたんだ。あそこは邪教徒どもの巣窟だった。人間を生贄に捧げる、地獄のような場所だったんだよ。避難所だと思って近づいたら、とんでもない罠だった」
明は息を呑んだ。田村の顔は恐怖で歪んでいた。
「俺は隙を見て逃げ出した。でも、その時の光景が頭から離れない……血まみれの祭壇、異形の神像、そして、それを囲んだ大勢の人達……。避難所だと思って近づいたのが間違いだった」
明は佐藤を見つめた。確かに、以前とは雰囲気が全く違う。元自衛官らしい規律正しさは微塵もなく、狂気じみた空気を纏っている。
明の脳裏に、彩夏から以前聞いた話が蘇った。
――リリスライラ。
悪魔を崇拝し、魔物を殺す人間を殺せば何でも願いが叶うと信じている連中がいると、彼女はそう言っていた。
「リリスライラの信者になったのか……」
明が呟くと、田村が首を傾げた。
「リリスライラ?」
「俺も聞いただけだからよく知らないけど、ヤバい思想を持った連中だって言われた。自分たちの願いを叶えるために、人を殺してるって」
「だったら間違いない。俺が見たのは、そんな連中の集まりだったよ。明が出会った時のあの人が、どんな人だったのか俺は分からないけど、今はもう近づかないほうがいい。あいつは今、悪魔に魂を売り渡したクソ野郎だ」
田村はそう、言葉を吐き捨てた。
佐藤は通りの向こうで立ち止まり、何かを呟いていた。その声は聞き取れないが、不気味な響きを持っている。
「行こう」
田村が明の袖を引っ張る。
「ここにいると見つかる。あいつらの感覚は異常に鋭いんだ」
明は複雑な心境だった。以前の佐藤は話が分かる人だと思っていた。それが今では、得体の知れない邪教の信者になってしまっている。たった数日で、こんなにも簡単に人は変わるのかと、信じられない気持ちでいっぱいだった。
「……分かった」
二人は息を殺して、佐藤から離れるように移動した。だが、その時、佐藤がゆっくりと振り返った。
彼の目が、明たちの隠れている場所を正確に捉えていた。
「見つかった……」
田村が震え声で呟いた。
佐藤の口元が、不気味に歪んだ。そして、異世界の言語で何かを唱え始めた。その言葉は人間の舌では発音できないような、禍々しい響きを持っていた。
「逃げろ!」
田村が叫び、二人は街の奥へと駆け出した。
背後から、佐藤の狂った笑い声が響いてくる。それは、もはや人間のものではなかった。
明は走りながら思った。この世界は、自分が思っている以上に複雑で危険なのかもしれない。魔物だけでなく、人間同士の争いや、異世界からの脅威まで存在している。
「こっち!」
田村に先導されながら、明たちは通りを駆け抜ける。
狭い路地に飛び込んだところで、二人はゴブリンの群れを発見した。七体ほどの小規模な群れで、十分に対処可能な相手だった。
「あの群れを倒して、奥に進もう。そうすれば、どうにかあの人から逃げきれる」
「分かった! 俺が五体引き受ける。田村は二体頼む」
明の提案に、田村は緊張した表情で頷いた。さっきの恐怖がまだ残っているようだった。
「やってみる」
二人は息を合わせて、ゴブリンたちに襲いかかった。
明は手にした短剣を振るい、襲いかかって来るゴブリンたちを瞬殺する。戦闘にはまだ慣れていないが、赤い月の光で大幅に上昇した身体能力が、明の経験不足を補ってくれた。
一方、同じく身体能力が強化されているはずの田村は苦戦しているようだった。まともな武器もないのか、田村が手にしたのはそこらに落ちていた空き瓶だった。
田村はそれを割って、先端を鋭利なものに変えるとゴブリンの相手をする。明と同じく戦闘には慣れていないようで、空き瓶を握ったその手は細かく震えていたが、何とか二体を倒すことに成功した。
「やった……」
田村の声には、達成感よりも安堵が混じっていた。佐藤との遭遇で受けた恐怖を、戦闘で紛らわせようとしているのは見て明らかだった。
明は目の前に開かれたレベルアップの画面から視線を逸らし、言った。
「こっちは終わった! そっちは?」
「こっちもなんとか。急ごう、ここでモタモタしてると、他の群れがやってくる」
明達の戦闘音を聞きつけたのか、通りの向こうで低い唸り声が響いた。その唸り声に混じり、背後からは二人を追いかけて来る足音がする。明たちはすぐに走り出し、その場を後にした。
その直後だった。
背後から、佐藤が驚く声と魔物たちの鳴き声が聞こえてきた。どうやら、明達の戦闘音を聞きつけてやってきた魔物と、佐藤が鉢合わせたらしい。
「これであの人から逃げきれる」
背後から聞こえてくる戦闘音に、田村が安堵の息を吐いた。
「……助かった」
明は小さな声でお礼を言った。
「止めてくれなければ、あの人に近づいてたところだった」
「別にいいって。こんな世界なんだし、助け合ってなんぼでしょ」
明の言葉に、田村が無邪気に笑う。
明は、その言葉に柔らかな笑みを浮かべて、小さく頷いた。




