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この世界がいずれ滅ぶことを、俺だけが知っている  作者: 灰島シゲル
六章

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人形師



 叫ぶことも、駆け出すこともできなかった。


 脚がすくみ、腕も動かない。ただ瞳だけが、焼けつく空気の中で明を追っていた。


(まただ……)


 ズキリと胸が痛む。熱や火傷の痛みなんかじゃない。柏葉の中で、ずっと燻っていた何かが音もなく崩れていく痛みだった。


 奈緒が命を賭けて魔法を撃った。


 明は魔力を絞り出し、命を削るようにして幾度もの斬撃を放った。すでに限界を超えたはずのその身体で、今もなお立ちあがろうとしている。


 でも――自分は?


(私は……また、何もしていない)


 瓦礫を動かした。巨人を作って、少し足止めをした。


 それが限界だった。


 明が魔物の懐に踏み込んでいるとき、奈緒が魔力の反動に耐えながら魔法を放っていたとき、自分は、ただ後ろで震えながら見ているだけだった。


(怖かったから……? 無理だから……?)


 そんな言い訳は、もう聞き飽きていた。


 『人形師』スキルを持ちながら、操ったのは岩や鉄くずばかり。誰かの動きを支えることすらままならず、結局、何一つ守れていない。


(一条さんが、七瀬さんが、命を張ってるのに……)


 悔しい。でも、それ以上に惨めだった。


 自分はこの場に立つ資格があるのか。仲間と並んで、戦う権利が本当にあるのか。問いを飲み込んだ喉が、熱でひび割れる。


 瓦礫に繋がる指先が震え、感覚がやけに遠く感じた。


(……せめて、何かできるようになりたかった)


 いつかは役に立つだろうと、瓦礫以外の物の制御を少しずつ練習してきた。その結果、布を操り、ちっちゃな人形を動かすことが出来るようになってきた。


 けれど、それが何だというのか。


 小さな人形を操るだけの力が、〝誰かを守る力〟に届くとは到底思えなかった。


(私が手に入れた『人形師(このスキル)』は、魔力の糸で物を操ることが出来るスキルだ)


 けれど、動かせるのはそれだけなのだろうか。


 ……いいや違う。本当は、自分自身がよく知っている。


 明から、スキルは使い方次第だと話を聞いた、あの日。ふとした思いつきで、自分の手に布を巻きつけて魔力の糸を通してみた。すると、自分の指先が、微かに――けれど、確かに動いたのだ。


 まるで、他人の手を操作するような感覚だったけど、それは紛れもなく、自分の身体だった。


(私のスキルは、物を介せば物以外のものを操れるんだ)


 このスキルは、自分の身体さえも操れる。

 

 まるで人形のように。意志ではなく、魔力の糸で動かせる。


 ならば、出来るはずだ。


 一条明の動きが――剣やその足運び、姿勢や動きだって、彼の持つ全てがこの手で再現出来る。


 周囲の熱気が、また一段と高まった。


 イフリートが、ゆっくりと立ち上がっている。肩を割かれ、膝をついたはずのその巨体が、なおも〝灼熱の王〟として燃え上がっていた。


 その姿に、柏葉は震えた。


 でも、もう一つの感情が、同時に芽吹いていた。


(……違う)


 怖いのは、目の前のイフリートじゃない。


 明や奈緒のように、命を賭ける覚悟を持てず、ただ「できない」と自分を諦めていた、その弱さだ。


(怖いのは、そこから逃げてる自分のほうだったんだ)


 リリスライラと戦った時、変化を望んだ。自分一人でも戦えるのだということを証明したくて、正体不明の劇薬にまで手を伸ばした。


 思えば、いつだってそうだ。


 いつも、何かの力を借りている。


 戦っている〝つもり〟だった。


 補助している〝つもり〟だった。


 でも、それだけじゃ何も守れない。人形を操るこの手は、本当は誰よりも近くにあったはずなのに。


 それなのに、ずっと距離を置いていた。


「……だったら、やる」


 小さく呟いた言葉が、震えた指を止めた。


 柏葉は、指先から伸びた魔力の糸を、自分の右腕へと巻き付けた。続けて、左脚、腰、背中――全身の関節に、身体を覆う衣服そのものに魔力の糸を絡めていく。



(……動け)



 魔力が流れる。


 指先が、魔力の糸に引かれるようにして、わずかに動いた。



(動けっ)



 意識がズレる。


 脳で命令する前に、体が動く。


 引かれて、持ち上がって、支えられて、前に出る。


 ぎこちない。でも、たしかに前に進んでいる。



「……動けッ!!」



 これまで一歩も踏み出せなかったこの足が、いま――災厄が雄叫びをあげる戦場へと、踏み込んでいた。


 剣術の型なんて知らない。


 攻撃魔法も、攻撃技も使えない。


 でも、ずっと見てきた。


 彼の動きを。彼の歩幅を。彼が繰り出す斬撃のリズムと、回避の癖を。



(動かすんだ、私の身体を――この戦場の〝一手〟として!)



 柏葉は、ゆっくりと息を吐き出すと、腰の短剣を抜いた。


 すらっ。


 金属が軋む音を響かせ、柏葉の姿勢が低くなる。


 魔力の糸に引かれながら、ぎこちなくも踏み出すその様は、まるで人形のようでありながらも、確かに意志を宿した剣士のそれだった。


 脚が地を蹴った。


 それは、かつて幾度も目にした、明の踏み込みに重なっていた。


 炎の濁流が視界を塗り潰すなか、柏葉薫は突き進む。


 熱に焼かれた空気が、柏葉の頬を裂いた。けれど彼女は、もう立ち止まらなかった。


 視界の先、崩れた瓦礫の向こうに、明の姿がある。膝をつき、肩で息をしながら、それでも剣を握っている。


(間に合え……!)


 かつて何度も見た踏み込みを、彼女は脳裏で再生し模倣する。右脚の送り出し。腰の捻転。刃の構え方。すべてが未完成で、形ばかりの真似事だ。


 だが、それでも――それでもいい。


「間に合え……!」


 心からの叫びを、柏葉は漏らした。


 その瞬間。


 イフリートの咆哮が響き、再び拳が振り上げられる。狙いはいまだに立ち上がることが出来ていない明だ。その体を叩き潰すため、灼熱と質量をともなった暴力が振舞われようとしている。


「あぁああああッッ!!」


 柏葉の脚が跳ねた。魔力の糸が一段と強く引かれ、身体が空を裂く。


 次の瞬間、爆ぜるような音が戦場に響いた。


 ガァアンッ!


 激しい衝撃が走った。


 短剣が――確かに、灼熱の拳に届いた。


 だが、弾いたというにはあまりに力が足りない。刃は掠め、拳の軌道をほんのわずかに逸らしただけだ。それでも、その〝僅か〟こそが決定的だった。


 拳が地面を叩きつけ、轟音とともに爆風が唸りを上げた。破片と熱気が宙を舞い、戦場は一瞬、時間が止まったかのような静寂に包まれる。


 爆ぜる熱の渦の中、明はかすむ視界を押し上げるようにして顔を上げた。


 そこに――柏葉薫がいた。


 焼け焦げ、裂けた外套をまとい、短剣を構えた彼女は、明の前に立ちはだかるように身を乗り出していた。荒い呼吸を繰り返し、今にも崩れ落ちそうな身体で、それでもなお、彼女の視線は鋭くイフリートを見据えている。


 その瞳に宿るのは、確かな意志の光。燃え尽きることを拒む、静かで揺るぎない決意だった。


「……柏葉、さん……?」


 かすれた声が漏れる。


 その姿を見つめるうち、明の胸の奥に、じわりと違和感が広がっていった。


 構えた短剣の角度、わずかに開いた足の位置、そして重心のかけ方――どれも洗練されたものとは程遠く、粗削りな所作だった。


 けれど、その拙さのひとつひとつに、なぜか見覚えがある。


(……この姿……いや、これは)


 記憶の奥に、かすかな揺らぎが走った。


 何度も繰り返してきた周回の中で、幾度となく積み重ねてきた訓練。そして、戦いの最中に、無意識のうち身体へと染みついていった動き。


 刃の構え、膝の折れ方、重心を逃がすときのわずかな癖に至るまで――柏葉がとっているそれらの所作は、まぎれもなく――


(……俺の構えだ)


 ようやく思い至る。


 この周回中、何度も背中を預けてきた彼女が、自分の一挙手一投足を見つめていたなどと、一度たりとも考えたことがなかった。


 けれど、いまの彼女を見て、確信する。


 その構えは、たしかに拙く、ぎこちない模倣にすぎないのかもしれない。


 それでも――そこには、確かな意志があった。


 恐れを抱きながらも、それを乗り越えようとする、強く、真っ直ぐな意志の炎が。


 柏葉は、まっすぐに明を見返していた。その瞳は潤んでいたが、それでも、揺らぎはなかった。


「……私、もう逃げません」


 震える声だった。だが、その言葉には、紛れもない決意が込められていた。


「一条さんや、七瀬さんみたいには、うまくできない。それでも、ずっと見てました。覚えて、何度も練習して……やっと、一歩だけ、届いた気がして」


 そう言って、短剣を強く握りしめる。


 小さな胸の前で、それを構え直す手には、はっきりとした意志の重さがあった。


「だから、ここからは……私も一緒に戦います。一条さんと、並んで」


 その言葉には、一片の迷いもなかった。


 火と瓦礫に囲まれた戦場で、小柄な身体が確かな覚悟を抱き、静かに立ち尽くしている。


「……っ」


 柏葉薫の声が胸に届いた瞬間、明の中で何かが確かに変わった。


 無力を突きつけられ、すべてを投げ出したくなるような現実の中、それでも隣に立とうとする者がいる。


 そのことを、今ふたたび思い出した。


 これまで、幾度となく隣でともに戦ってくれた奈緒がいた。


 どの周回でも、彩夏は傷つきながらも、最後まで仲間を鼓舞し続けてくれた。


 そして龍一は、冷静に戦況を読み、綻びかけた前線を一人で支え切ってきた。明に次ぐ実力を持ちながらも、その力を仲間のために惜しみなく使い続けていた。


 自分はもう、独りではない。


 仲間たちの存在が、確かにこの背中を押してくれている。


(……ここでは、死ねない)


 立ち上がろうとした肩に、重く鈍い痛みが走る。


(まだ終われない。こんなところで倒れるわけにはいかない)


 踏み出した足には痺れが残っていた。けれど、剣を握る手には、かすかに震えながらも確かな力が戻っていた。


「柏葉さん……ありがとう。助かった」


 わずかに笑みを浮かべる。唇が割れて血の味が広がったが、不思議と痛みは感じなかった。


「でも、俺の真似なんかしなくていい」


 ふらつきながらも、明は剣を構える。


 舞い上がる砂の向こうに、炎をまとった王が再び姿を現していた。


「その剣は、自分のために振るんだ」


 柏葉の目がわずかに見開かれる。その表情から、長く影を落としていた迷いが、静かに消えていく。


 明は歩を進め、彼女の隣に並んだ。背に伝わるぬくもりが、信頼で結ばれた仲間の存在を確かに伝えていた。


「行こう。ここで終わらせる。俺たちの力で」


 その一言を残し、明は前方へ駆け出した。




今の投稿でも問題なさそうなので、このままいきます!


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柏葉さん周回の中でもここまでなったことなさそう だから柏葉さんは柏葉さんだったんかな
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