スーパーの前にて
「ん?」
街に繰り出してすぐのことだ。
ゴブリンを探して徘徊していると、遠くから聞こえてくる騒ぎの声に気が付いた。
(……なんだ?)
耳を澄ませてみるが、モンスターの声は聞こえない。どうやら、誰かがモンスターを相手に戦っているわけではないようだ。
それよりも、どちらかと言えば人同士の揉め事のような――男女の怒声が中心となった騒ぎだった。
「…………」
少しだけ考えて、明はその騒ぎを見に行くことにした。
モンスターがこの世界に出現して数時間。今やほとんどの人が警察や自衛隊の庇護を求めて避難所へと移動している。
いつもならば活気にあふれたこの通りも、今ではがらんとしたものだ。
物音一つで街中に音が反響しそうな静けさの中、こうしてわざわざモンスターを引き寄せるような騒ぎを起こしているのは、どんな人達なのだろうと気になったからだった。
周囲を窺いながら、慎重に。
モンスターだけでなく、警察や自衛隊といった、出会えば間違いなく面倒事に巻き込まれそうな人種の出現に注意をしながら、明はその騒ぎの中心へと向かう。
物陰に姿を隠しながら進むこと数分。すぐに、その現場には辿り着いた。
「あれか」
呟き、明は物陰から様子を窺った。
騒ぎは、とあるスーパーの前で起きていた。
高校生ぐらいの、やんちゃな見た目をした五人の若い男女と、四人の年配の男女が対立して言い争っている。
彼ら高校生の手には溢れんばかりの水やカップ麺、パンなどといった食料が抱えられていて、その背後にあるスーパーの割れたガラス窓や荒らされた店内を見る限り、この騒ぎに乗じて火事場泥棒をしていたのだろうと、明はその様子を見てすぐに察した。
(……どうやら、年配の人達が来た時にはもうすでにあの子達は火事場泥棒をし終えたところだったみたいだな。それで、手に持つ水や食料を見て年配の人達が咎めたか分け与えろと言ってきた――と、そんなところか?)
堂々巡りになっている言い争いを聞きながら、明は状況を把握する。
若い男女の言い分は、これは自分たちが先に確保したもの。出遅れたあなた達が悪い。誰にも分け与えるつもりがない、というのが繰り返される主張だった。
対して、年配の男女の言い分は、こんな時だからこそ、すべての物資は均等に分けるもの。そもそも、その食料や水は勝手に盗んだ物じゃないか。君たちの物じゃない、というのが主な主張のようだ。
(いや、だからってアンタたちの物でもないだろ)
と、明は心の中で年配の男女に向けて呟く。
そもそも、現在時刻は午前六時すぎ。スーパーはもとより、周辺の店舗はまだ開店もしていない時間だ。
この騒ぎの中、こうしてわざわざ開店前のスーパーへと足を運んでいる時点で、この年配者たちも、あのやんちゃな見た目をした高校生たち同じく、火事場泥棒を企んでいたのだろう。それを若い男女――それも、見た目が不真面目な高校生に先越されたから、この年配者たちは文句を付けているだけのように見えた。
「だいたい、君たちのその言い方はなんだッ!! 年上に対する礼儀っていうものを知らんのかッ!!」
言い争いの中で、年配者の中の一人がそんなことを言った。
「…………馬鹿馬鹿しいな」
思わず、明はその言葉に反応して息を吐き出す。
世界にモンスターがあふれて、日常は壊れた。ネットでは今や、モンスターを倒せば強くなれる――つまりはレベルアップをするという話題で持ち切りだ。それが、これからこの世界の常識となるのも時間の問題だろう。
だとすればこれからの世界で起きるのは、モンスターを倒し、レベルアップを重ねた純粋な力を持つ者が支配する弱肉強食の世界だ。
そこに、年功序列やこれまでの世界で通用していた常識は存在していない。
この騒ぎだってそうだ。見たところ、まだスーパーの中には水や食料がある。年配者たちよりも先に火事場泥棒を始めていた高校生たちも、スーパーの中にあるすべてを占有しようとは思っていないようだ。
「スーパーの中にはまだ水も食料もあるじゃねぇか」と、高校生の内の一人が苛立つような声を上げていたが、年配者たちの「君たちの手に持っている物も含めて、すべて均等に振り分けるべきだ」という声は途切れなかった。
(……本当に、馬鹿馬鹿しい言い分だな)
年配者たちの言葉は、この世界が変わったことを本当の意味で理解していない、ある種の平和ボケとも言える言葉だった。
(あの子達も、張り合わずにさっさと行けばいいのに)
そう思って、明は高校生たちを見つめる。
ここまで言い争えば、張り合うだけ無駄だと誰にでもわかることだろう。それならば、さっさと彼らを無視してこの場を後にすればいい。
けれど、それが出来ないのはきっと。彼らの若さの中にある、ちっぽけなプライドが邪魔をしているのだ。年配者たちの言葉に張り合う彼らの様子を見ていると、均等に分けるべきだという言葉よりも、頭ごなしに言われるその言葉に彼ら少年たちは決して従わないとしているかのようだった。
(…………行くか)
明は、彼らの争いに大きなため息を吐き出すと、そっとその場を後にした。
(ってか、いい加減に静かにしないとそろそろモンスターが…………ああ、やっぱり)
物陰に隠れながら進んでいると、路地の向こう側から騒ぎの元へと近づく灰色の体毛を持つ狼の群れに明は気が付いた。
(グレイウルフか。今の俺でも勝てるかどうか分からない相手だな。ステータスもゴブリンより高いし、何より数が多い。戻る必要は……なさそうだな)
戻れば確実に死ぬ。
それが分かっているからこそ、明は即座に撤退の道を選んだ。
……ほどなくして、絶叫と悲鳴が明の背後から聞こえてきた。
かと思えば、その絶叫もすぐに途切れる。おそらく、あの場に居た全員が死んだのだろう。
それを知らしめるかのように、明の背後では、勝利を祝うかのようなグレイウルフの遠吠えがいつまでも響いていた。




