魔人 VS 魔人
焼け焦げた大地の上で、二人の〝魔人〟が対峙する。
一方は、漆黒の結晶と呪詛に包まれた異形。
一方は、熾火のごとき神威を纏う灼熱の王。
互いの身体から漏れだす瘴気と熱気がぶつかり合い、空気そのものが悲鳴をあげていた。
「捕食者ヲ……気取ッたツモリカ、人間」
イフリートが低く唸った。その声には自らを脅かす異端に対する、確かな畏れが潜んでいた。
「気取る……? 違ェよ」
龍一は槍を軽く振るった。
柄を握るその手にはもはや皮膚の色は残っていない。黒い結晶が指を覆い、血管のように魔素が走っている。
「俺ハ今まデ……テメェらを喰らって生きてきた。捕食者ヲ気取ったつもりナんか、最初からねェ」
槍を構える動きはゆるやかで、しかし、そこには曇りなき殺意があった。
「この世界デの俺ハ、〝喰う側〟ナんだよ」
そして次の瞬間。
龍一の身体が弾けたように動いた。
「『疾走』ッ!」
火花のように魔力が散る。
爆ぜるような音とともに、地面が亀裂を描いて砕け散る。
龍一の加速は音を置き去りにし、空気がその場を滑り落ちた。
その動きに応じるように、イフリートも地を蹴る。灼熱の奔流が巻き起こり、鋭い爪が燃え上がった。
――二つの存在が、衝突する。
炎と瘴気。力と衝動。魔爪と魔槍。
拮抗する破壊の奔流が空を引き裂き、周囲の空気を震わせた。衝撃波が広がる。離れたプレハブ工場の壁がべこりと凹み、畑を挟んだ先の住宅の窓が軋みを上げた。
静寂が、音と熱に踏みにじられていく。
「ゥオオオオオオオッッ!」
龍一の槍がイフリートの胴を浅く抉った。
「グォオオオオオオッッ!」
同時に振るわれたイフリートの拳が龍一の肩を焼き飛ばす。
どちらも譲らない、呼吸ひとつ挟まずに繰り広げられる激しい攻防。槍と爪が交錯するたび、焦土と化した地に風圧が走った。
――この戦いは、力だけでは決まらない。
読み合い、予測し、殺意を込めて研ぎ澄ました一撃の差。
僅かな狂いが命を分ける。
「『神穿ち』」
「『ブろすとロア』」
互いに示し合わせたように距離を取り、技を放つ。
龍一の放った神速の突きと、イフリートの咆哮と共に放たれた火焔の衝撃が、空間の中心で激突する。
空が割れるような轟音が走り、周囲を震撼させた。
爆風を切り裂くように、二つの影が再び前へ――そして、激突する。
「オラァッ!」
龍一の槍が下から跳ね上がる。
それを、イフリートが身を翻して爪で押し返す。
「クッ……!」
反動で龍一の足が滑る。だがそのまま体を回転させ、逆手で槍を振るう。
刃がイフリートの腕を浅く裂いた。
「グッ……!」
火の粉のような血飛沫が舞い、イフリートの顔が一瞬だけ苦悶に歪む。
すぐさま地を踏み鳴らし、炎が奔流となって周囲を薙ぎ払った。
「チッ……!」
龍一は舌打ちを漏らし、跳躍した。
焦げた空を駆け、炎の壁を飛び越えるようにして再びイフリートに肉薄する。
「まだダッ!」
叫びとともに、空中で槍を構え直し、逆落としに振り下ろす。
「――甘イな」
イフリートはそれを読んでいた。
振り下ろされる槍に合わせて、烈火の如く燃えあがる爪を真下から突き上げる。
二つの力が、再び空中で激突する。
爆音と共に、火と瘴気が爆ぜた。
両者の肉体を削り、削り返し、荒れ狂う風が舞う。
龍一が着地した時、両者は血を流していた。
そして、最初に姿勢を崩していたのは、龍一だった。
「ハッ……は……っづ、ア……くそ……」
龍一はその場に膝をつく。
激しい咳と共に、喉奥から血の塊がこぼれ落ちた。
皮膚の下で筋が裂け、骨が軋む。全身が痛みに悲鳴を上げていた。
地に伏した龍一を見下ろすように、イフリートがゆるやかに振り返った。
「羽虫は、どれだけ足掻イても羽虫ニすぎなイ。諦メロ」
全身から火の粉を散らしながら、静かに告げる。
激闘の末に生じた傷は、すでに癒えつつある。
その回復力は、龍一が抱いた覚悟すら無力と笑うように映った。
「……ククッ……諦めろ、ね」
龍一は槍を杖代わりに立ち上がる。全身の傷から、どろりとした黒い血が流れ落ち、地面を汚した。その血の色は、もはや人のものではなかった。
「悪ィな……そんな境地はもう、とっくに過ぎてンだよ」
血に塗れた口元を拭い、べったりと貼りついた髪をかき上げる。
赤黒い液体が指を伝い、滲んでいった。
「テメェらが現れてから、何もかもが最悪ダ。命がいくつあっても足りやしねェ。諦めル機会ナンざ、いくらでもあった」
再び咳き込み、血を吐く。
龍一は、足元に広がる血だまりをしばし見下ろし、静かに息を吐いた。
(もう、長くはもたねぇな……)
まだスキルの効果は確認していない。
だが感覚で分かる。
『魔人化』は強大な力をもたらした。だが同時に、確実に命を削っている。
この力は、人の枠を超える代わりに、この身を魔性へと堕としている。
(―――……だから、何だ)
奥歯を食いしばり、イフリートを睨み据える。
(この身体が人間じゃなくなるから……何だって言うんだ)
槍を構え直す。
赤く染まった眼が、灼熱の王を捉えていた。
「アイツは……ソウタは、魔物ニなろウガ最後まデ耐エたンだ……ッ」
喉が焼けるほどの叫びが、濁った空気を突き破った。
「父親の俺ガ……こんなトコで挫けテらレっかよッ!!」
その怒号に、槍の穂先から黒紫の魔素が迸った。
「――『疾走』!!」
足元の地面が砕けた。
一瞬の加速。空間が歪み、龍一の姿が掻き消える。
気づけば、すでにイフリートの背後に立っていた。
その手には、殺意を込めた槍が構えられていた。
「『神穿ち』ッ!!」
収束された魔力が一線の突きへと凝縮され、音すら置き去りにして放たれた。
龍一の槍が空間を貫き、イフリートの背を穿つ。
音が、遅れて世界に追いついた。
爆風が周囲の空気を一瞬にして吹き飛ばし、地面が剥ぎ取られるように裂けていく。
イフリートの身体が浮いた。
黒煙と血飛沫を撒き散らしながら、吹き飛ばされたその巨躯が、瓦礫の山へと叩きつけられる。炎が爆ぜ、骨が折れる音が鈍く響いた。
(まだだ)
このまま、 イフリートをテリトリーの外へ押し出そうと、龍一が駆け出そうとしたその時だった。
「っ……!」
膝が崩れた。
「……っ、あ……がッ」
視界が歪む。
槍を支えに立つのがやっとだった。
肉体の限界を超えて放った技の連発。『身体強化』スキルの熟練度が低い龍一の肉体では、たとえ『魔人化』していても耐え切れるはずもなかった。
体内に取り込んだ魔素が暴れている。全身を駆け抜ける激痛とともに、血が噴き出すように喉まで逆流してくる。
足が、動かない。
(ちっ、力が……抜ける……!)
そう思った瞬間だった。
崩れかけた瓦礫の中から、灼熱の気配が蠢めいた。
「ナ……めるナ……!!」
轟然たる咆哮が響く。
イフリートが、立ち上がっていた。
焼け爛れた胸には風穴が空き、片腕はだらりと垂れ下がっている。それでも、その瞳は死んでいなかった。
瘴気と混じった炎が再び蠢き、灼熱がその爪に集まっていく。
「貴様ノヨウナ……人間風情ニ……負ケルワケガ……!!」
地を割って跳躍したイフリートが、一直線に龍一へと迫る。逆巻く炎と破滅をその爪に纏い、破壊の一撃を叩き込まんとしていた。
動けない。
足が、腕が――もう、反応しなかった。
(やべえ……間に合わねぇ!)
視界の端で、灼熱の弾道が迫る。
死が目前に迫ったその瞬間だった。
「――『聖楯』っ!!」
鋭く透るような声が、空間を断ち割った。
次いで、眩い光の障壁が龍一の前に展開される。
灼熱の拳がそれを叩いた。
光が軋み、音を立てて歪む。防壁が火花のように明滅し、地面を抉りながらもその一撃を受け止めていた。
「……間に合って、よかった……っ」
その声に、龍一が目を見開く。
そこには、血と埃にまみれた少女――彩夏が立っていた。
彼女は傷つきながらも、それでもなお両手を広げて盾を支えていた。
足元が震えていた。呼吸は乱れ、立っているのもやっとの状態であるのは見て明らかだった。それでも、彼女は一歩も引かなかった。
「おじ……さん……今、絶対に倒れちゃダメ……!」
遮られたイフリートが、苛立ちの声をあげる。
「……貴様……ッ!」
その一瞬の隙を龍一は見逃さなかった。
槍を、もう一度握る。
砕けかけた脚に力を込め、魔素を一点へと集束させた。
「コイツで終わりだ……!! 『神穿ち』ッ!!」
黒紫の魔力が唸りを上げる。
放たれた一閃が、今度は真正面からイフリートの胸を穿ち抜いた。
灼熱の王が吹き飛ぶ。
そしてその身体は、ついに――灼熱の境界を越えた。




