VS イフリート①
戦闘の始まりは、彩夏が放つ神聖術だった。
「『光雨』ッ!」
突き出した両掌に光が灯り、灼熱の焔が渦巻く城跡の上空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
ポツ、ポツと。
上空の魔法陣が崩れるようにして光に代わり、激しい礫となって降り注いだ。土砂降りの雨を思わせるような光の豪雨だ。炎の中心に居座るその怪物がゆらりと彩夏に視線を向けた。
そこに、長槍を構えた龍一が突っ込んだ。
「『疾走』」
呟きと同時に、龍一の身体がぐんと加速する。
踏み込む足の勢いに地面が抉れた。風となって疾駆する男の勢いに、巻き込まれた炎が激しく揺れ動いた。
行く手を阻む炎も物ともせず、弾丸のような勢いでイフリートへと肉迫した龍一は、その怪物の顔を見つめてニヤリと笑った。
「……なんだよ、俺の方がまだイケメンじゃねぇか」
呟きと同時に長槍を払った。
ひゅんッ!
銀閃が炎を切り裂いてイフリートの身体を捉える―――。
その寸前、イフリートが軽く掌を広げて持ち上げた。
刃はイフリートの掌にあたり、硬い音を響かせながら止まる。何かのスキルや魔法を使った様子はない。イフリートの外皮が単純に硬いのだ。
「硬ッてェな……。ここに来るまでの間、わりと真面目に頑張ってきたつもりなんだが。そんな簡単に受け止められると、さすがに傷つくぜ」
龍一の言葉に、イフリートは何の反応も示さなかった。
ただただジッと、イフリートは龍一を見つめ続けている。
まるで龍一の一挙手一投足を見守っているかのような静けさだ。
攻撃を加えたにも関わらず静かなその瞳がどこか気持ち悪くて、龍一は警戒するように軽く地面を蹴って距離を取った。
「なんだ? 反撃もしないのか?」
一応、防御をするかのような行動は見せたがそれまでだ。距離を取ったところで追いかけてくる素振りもない。変わらずイフリートは龍一を見つめ続けている。
龍一はその奇妙な様子に怪訝な顔になると、くるりと長槍を回して構え直した。
「何のつもりか知らねぇが、攻撃しないんだったらそれでいい。このままテメェをこのエリアから押し出してやるよ」
強者ゆえの余裕か。それとも傲りか。
どちらにせよ反撃をしないのであれば、それはそれでちょうどいい。明から聞いた情報では、このモンスターとのステータス能力値の差は歴然だった。攻撃を一度でも食らえば瀕死になる可能性もあるのだし、このまま攻撃をしてこないのであれば、この勢いで押し切ってしまおう。
「シッ!」
短く息を吐き出し、龍一は再び突っ込んだ。
その勢いのまま今度は素早く長槍を突き出す。空気を抉るような突き技だ。
ボッ! とした音を立てながら槍の穂先がイフリートの胸を穿つが、やはりと言うべきか。穂先は硬い外皮に阻まれ、弾かれてしまう。
龍一は弾かれた槍を素早く引き戻すと、すぐに次の攻撃へと移った。
「まだまだァ!」
叫び、龍一は穂先を横に振るうようにして薙ぎ払った。
攻撃はイフリートが持ち上げた右手で受け止められるが、龍一の攻撃は止まらない。息をつく間もなく今度は切り返すように槍の柄でイフリートの腕を叩き、その勢いで返した穂先を頭上から振り下ろした。
その攻撃を、イフリートが頭で受け止めた。
避ける様子すらなかった。避けるまでないと、そう言いたいのだろう。
じっと龍一を見つめていたイフリートが、そこで初めて口を開いた。
「ドうヤラ、うるさい小虫ガ入り込ンだようだ」
低く轟くような声だった。
イフリートの感情に呼応しているかように周囲の炎が僅かに揺れ動いたのが分かる。
龍一は言語を介したイフリートに向けて小さく笑った。
「へぇ? アンタ、喋れんのか。まあお前らが喋ったところで今さら驚きはしないけどな。セイレーンのやつも喋っていたし」
「異界ノ人間にシテはヨク動く」
「本場の化け物に褒められるとは、嬉しいね。このお礼は風穴でいいか?」
龍一が左足を大きく踏み込んだ。
「『神―――』」
呟きに、龍一の全身に魔力が駆け巡る。
事前に発動していた『疾走』スキルが、龍一の動きを加速させた。蹴り出した足の力が、余すことなく全身へと伝わり長槍へと集約していく。
「『穿ち』ィッッ!!」
そして速さは、力へと代わる。
放たれた神速の突き技がイフリートを直撃した。
穂先がイフリートの外皮を貫いた。その勢いは止まることなくイフリートの胸部を穿ち、外皮を破って拳大の風穴を開ける。
この戦闘でイフリートに与えた初めてのダメージだ。
イフリートの顔に動揺の色が濃く浮かぶのを見て、龍一の唇がニヤリと綻んだ。
「!?」
しかし、その喜びも一瞬だった。
イフリートの胸に空いた穴から炎が噴き出して、瞬く間に出来たばかりの傷を塞いだからだ。
明の言葉を思い出して、龍一が舌打ちを漏らした。
「チッ……なるほどな。これが『超速再生』か。明のやつがコイツに何度も負けているのも分かる。確かにこれじゃあ勝つのも不可能だ」
外皮が硬いとか、生命力が異常だとか、そんな次元の話ではない。
ただの再生とはまた違う、受けたダメージの即時回復。ダメージ完全無効化とも言い換えることも出来る、人知を超えた驚異的な回復速度だ。
「チートもいいところじゃねぇか」
セイレーンを倒しここに来るまでの間、さらに多くの魔物を喰らい続けてきた。
体内魔素率は40%を超え、速度も筋力値もすでに400を超えている。戦闘に関しては明から直接指導も受けてきたし、人知を超えた能力値を持つこの身体の使い方もそれなりに理解してきたつもりだ。
リリスライラと戦った時とは何倍にも強くなった自信がある!
しかし―――。
(やべぇな。この能力値の差と、この回復速度はぶっちゃけ手に負えねぇぞ。コイツに勝てるビジョンが全く見えねぇ……)
ひとまず一度体勢を立て直すか。
そう考えて、龍一が地面を蹴って後退しようとしたその時だ。
「オドろいタな。まサカ傷を負ウことニなルとは」
イフリートが腕を払った。
それがイフリートの攻撃だと分かった時には、全てが遅かった。
「ガ―――ァアアアアアっっ!!?」
どこからともなく出現した炎が蛇のように蜷局を巻いて、龍一の足元から全身を締め付けた。視界が一気に赤へと染まる。熱を感じたのはほんの一瞬で、熱感は即座に痛みへと変わり、全身を激しく焼きながら瞬く間に五感を奪っていく。
「おじさん!!」
誰かが遠くで叫んだ気がしたが、その声さえも龍一には届いていなかった。
「が、ぅ……あ」
人肉が灼けた嫌な臭いがあたりに充満する。
プスプスと煙をあげて、全身を炭化させた龍一がガクリと膝をついた。
しかし、それでも龍一は倒れない。
ここ水戸市に来るまでの間、魔物を喰らい続けて伸ばした脅威的な生命力が、龍一の命を辛うじて繋ぎ止めていた。
イフリートもまさか龍一が生きているとは思ってもいなかったのだろう。興味深そうな目で龍一を見つめた。
「どうヤラ他の塵芥どもトハ違ウようダ」
しかしここまでだ。
イフリートはそう呟くと、龍一へとトドメを刺さんと再び腕を持ち上げる―――。
その瞬間だった。
「『聖楯』ッ!!」
彩夏が発した言葉が龍一とイフリートの間に割り込んだ。
発動した防護膜がイフリートの炎から龍一を護った。
「『回復』!!」
ついで、龍一の下へと駆け込んだ彩夏がその身体に手を押し当て、叫ぶように言葉を発する。
温かな癒しの光に包まれて、意識を取り戻した龍一が呟いた。
「ぐ、助かった……!!」
「まだ助かってないッ!」
彩夏は叫ぶように言うと、腰から抜いた短剣でイフリートを斬りつけた。銀閃がイフリートの腕を切り裂くが、その皮膚にはダメージを与えられない。
彩夏は悔しそうに薄い唇を噛みしめると、今度は短剣の柄を口に挟んで広げた掌をパンッと音を鳴らし合わせた。
「『光雨』―――」
『神聖術』を発動させる。
そしてすぐに、合わせた十指をイフリートに向けて声を上げる。
「『嵐雨』ッ!!」
イフリートの頭上に幾重にも重なる魔法陣が描かれた。描かれた魔法陣はすぐに溶けだし、光の礫となって降り注ぐ。
先ほどのような広範囲に展開する魔法とはまた違う。超局所的に展開された、一点集中型の光の雨だ。
初めて目にする彩夏のスキルに、龍一が驚きながら振り返った。
「これ、新しい技か?」
彩夏がその言葉に首を振る。
「ただの応用。前に、一条のオッサンがスキルは使い方だって言ってたでしょ。あの言葉を聞いてからずっと、練習してたの。一度の発動で技の発動回数5回のうち2回を消費しちゃうから燃費は悪いけど、攻撃の威力はかなり上がってるはずッ!」
彩夏の言う通りだった。
まるでバケツの底をひっくり返したかのように降り注ぐ光の礫は、イフリートの姿を瞬く間に白く染め上げていた。
「ぐぅウウウウッ!?」
イフリートの口から呻きが漏れていた。
『超速再生』スキルがその身体についた傷を癒し続けているが、断続的に激しく降り注ぐ光の礫の攻撃に追いついていない。少しずつその巨体は光に削られ、どす黒い血が地面に流れ始めている。
「追撃ッ!」
「分かってる!!」
彩夏の言葉に龍一が長槍を握りしめた。
「『疾走』」
呟き、龍一は地面を蹴って駆け出した。
加速した身体の負荷に耐え切れなかったのか、『回復』で癒しきれなかった傷口が開き、ブシュリと血が全身から噴き出す。
しかし、それでも龍一は止まらない。
ここが絶好の好機であることを本能的に理解していたからこそ、龍一は身体の痛みを無視して大きく足を踏み込んだ。
「『神穿ち』!」
神速の突き技が再び発動する。穂先がイフリートの腹を捉え、拳大の風穴を開けた。イフリートの怒号が轟いたのはその時だった。
「ォオオオオオオオオ!!」
全身から発せられる魔力の衝撃に、彩夏の神聖術が掻き消された。
衝撃は傍にいた龍一を吹き飛ばし、遠く地面に叩きつける。攻撃に集中していた彩夏もまた防御が間に合わず、衝撃に巻き込まれて背後に倒れ込んだ。
「羽虫ガ……調子にノルなよ」
怒りに顔を歪ませたイフリートが低く言った。
彩夏の攻撃が止んだことで、イフリートの『超速再生』が機能し始める。全身から炎を噴き出し、出来た傷口を瞬く間に塞ぎながらもより一層の敵意を剥き出しにしたイフリートが地面を蹴って間合いを詰める。
狙いは、この場で最も厄介な攻撃を持ち、回復能力のある彩夏だった。




