上限
深夜になると、セイレーンから逃げていたモンスターが湖の周囲に戻り始めていた。
モンスターたちの気配をいち早く察した明はひとりテントから抜けだすと、仲間たちが起きないように静かに寝ずの番を始める。
明が抜け出したことに誰も気付かない。
寝静まった仲間たちのテントへと目を向けて、明は「仕方がないな」と心で呟いた。
今日はセイレーンとの戦闘に続き、モンスターの生肉を摂取したことで体内魔素も上昇している。モンスターの生肉を食べることに慣れた明や龍一ならまだしも、彼女たちにとっては酷な試練だったはずだ。心身ともに疲弊していてもおかしくはない。
(奈緒さんたちは仕方がないとしても、龍一さんは……酒の飲みすぎだろうな)
どの周回世界においても、蒼汰を失くした龍一は酒に溺れる傾向にあった。酒を飲み、無理やりにでも意識を落とさなければ彼はもう眠ることさえも出来ないのだ。
(結局、今回も蒼汰を助けることは出来なかったな)
明は夜空を見上げると、肺の中に溜まった重たいため息を吐き出した。
前回の世界では蒼汰の魔王化を防ぐことが出来ず、蒼汰によってこの世界は滅びを迎えた。前々回は明以外の全員が死んでようやく蒼汰を倒し、その前は今回と同様、蒼汰を殺すことで決着した。
これまで、一度たりとも蒼汰を助けてあげることが出来ていない。
あの子は、どの世界でも様々な形でこの世界の滅びに関わる運命にある。
「…………蒼汰は、リリスライラが介入した時点でもう、助けることが出来なくなる」
明は瞳を閉じて、小さな声で言った。
それから瞼を持ち上げると、今度は別の言葉を発する。
「『進行度』」
明の呟きに応じて、画面が開かれた。
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現在の世界反転率:3.91%
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明は目の前に開かれた画面を見つめた。
リリスライラが必死に妨害しようとしていた世界反転率はまだ3%ほどの侵食で止まっている。
記憶にある中でも、これは初めてのことだ。
本来であればとっくに4%を超えていてもおかしくはない。
(それだけ、今回は順調に進んでるってことだ。奈緒さんも、彩夏も、柏葉さんや龍一さんも、みんなまだ生きてる)
しかし、この先はどうなるのか分からない。
これが4%になれば今度は、異世界の環境の一部がこの世界に現れる。そうなれば、モンスターたちにとってより有利な環境で戦うはめになる。
(なんとしてでも4%未満でケリをつけないと)
明は心の中でそう呟くと、目の前に開かれた画面を消した。
それから今度はステータス画面を開き、そこにある『黄泉帰り』の文字に触れる。
すると、そこにはこれまでとは違う、見慣れない文字が記されていた。
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黄泉帰りの規定回数に達しました。
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「やっぱり、あの『黄泉帰り』が最期の一回だったか」
画面の文字に、呟きが漏れた。
薄々そうじゃないかと感じていた。きっかけとなったのは、セイレーンのクエストを始めるために『黄泉帰り』をしたあの時だ。目の前に現れたトロフィー画面を見て、嫌な予感はしていた。
あれは、どの周回世界でも『黄泉帰り』の上限に達した時だけに現れる画面だったから。
明は深いため息を吐き出した。
『第六感』のスキルレベルをあげたあの日から、『黄泉帰り』の回数に上限があることはすでに知っていた。
だが、その限界がいつ訪れるのかが分からなかった。この世界で残された『黄泉帰り』があと何回であるのか、どのシステム画面にも映ることがないからだ。
しかしそれでもまだ平気だと、あと一度ぐらいならばどうにかなると、自分勝手にタカをくくってしまった。その結果、貴重な一回を使い潰してしまった。
……いや、言い訳はよそう。ただの慢心だ。
記憶を取り戻した今、どうにかなると心の中で思ってしまったがゆえに引き起こしてしまったミスにすぎない。
(もうこれ以上、俺はこの周回で『黄泉帰り』をすることが出来ない)
明は心で呟き、画面を見つめた。
モンスターがこの世界に現れてからまだ、一ヶ月弱。本来であれば、こんなところで『黄泉帰り』を使い潰すはずがないのだが、これまでの『黄泉帰り』の積み重ねがあったおかげで今までで一番良い線を辿っているのも事実だ。
『黄泉帰り』が消えてしまったことは残念ではあるが、それを後悔するのもまた違う気がする。
(もう少し早めに『第六感』のスキルレベルを上げることが出来ていれば、また違ったのかもしれないな……)
これまで幾千幾万と過去に戻ってきたが、どれだけ過去に戻っても〝たられば〟や〝もしも〟といった思考は消えてくれない。むしろ、過去に戻れば戻るほど、より完璧で理想的な〝答え〟があったのではないかと、その時の選択を後悔してしまう。
それが今を生きていることだと言われればそうなのかもしれないが、過去に戻る特権を持つ者の身としては永遠の課題とも言える悩みの種だ。
明は『黄泉帰り』の画面を消して、『超感覚』というスキルに進化したかつての『第六感」の画面を見つめた。
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超感覚Lv1
・パッシブスキル
・スキルの所持者は、次元と時空を超えた感知能力を有するようになる。また、五感では感じ取ることの出来ない物事の本質を、正しく見極めることが出来るようになる。スキル所持者の感覚の強さは、スキルレベルに依存する。
獲得ポイントを100消費して、スキルのレベルを上げますか? Y/N
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次のスキルレベルに必要なのは100ポイント。ちょうど、セイレーンのクエスト報酬によって得たポイントと同じだ。全てを注げばスキルレベルを上げることが出来る。
……ここで、スキルレベルを上げるべきだろうか。
そうすればきっと、まだ取り戻せていない記憶を全て取り戻すことが出来るはずだ。イフリートとの戦いもより有利になるかもしれない。
(…………いや、イフリートの攻略法はもう分かってる。ここで記憶を取り戻したところで、その攻略法が変わるとも思えない。今の俺は『黄泉帰り』を失ったも同然なんだ。トライ&エラーの特権を失った今、次の攻略で確実にイフリートを倒すことが出来るよう自分の強化に使ったほうが良いな)
明は頭に浮かんだ思考を振り払って、そう結論付けた。
スキル画面を開き、『斧術』スキルに『スキルリセット』をかけて、還元されたポイントをそのまま『剣術』スキルに振り直す。
それから夕食時に目を付けていたスキルへと、余らせていたポイントを割り振り次々と取得していく。
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スキル:『自動再生』Lv3を取得しました。
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スキル:『魔力連撃』Lv1を取得しました。
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『疾走』や『剛力』のスキルレベルを上げることはしなかった。魔力漏れを患った今、魔力の管理には人一倍気を遣わなければならないからだ。スキルレベルを上げれば効果は増すがその分、魔力の消費も激しくこれら魔力消費型のスキルレベルを上げるわけにはいかなかった。
代わりに、生命力を伸ばす『自動再生』のスキルレベルアップと、『魔力連撃』を取得しておいた。『魔力連撃』は『軽業』スキルとのシナジー効果も狙える上に、単純に手数を増やすことが出来るから便利な攻撃系統スキルだ。その分、魔力消費も激しいから注意しなければならない。
出来上がったスキル構成見つめて、明は言った。
「ひとまず、今はこれでどうにかするしかないな」
過去の周回世界の明が見れば、酷いスキル構成だと笑われるような内容だ。けれど、記憶を取り戻したのが遅かったのだから仕方がない。スキルリセットをして構成を組みなおす時間もないし、むしろ、このスキル構成でここまでやってきたのだからよくやったと自分で自分を褒めたいぐらいだ。
ゆっくりと夜が更けていく。
明日は山越え、その先はついにイフリートとの決戦だ。
この世界を変えた術式の破壊も目の前に迫っている。




