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VS セイレーン③

 


 夢を見ていた。


 どこか懐かしくて、これがどうしようもないほど過去の思い出だと分かる、そんな夢。

 まるで春の日差しを浴びて午睡をしているかのような、そんな半醒半睡(はんせいはんすい)のまどろみの中で、花柳彩夏だけがひとり、確固たる自我を保っていた。



(いったい何が起きて……。そうだ、確かセイレーンの唄声を聞いたんだ)



 だとすればこれは、セイレーンが魅せる夢なのか。

 よくよく耳を澄ませてみると、夢の中であるにもかかわらず、どこからか不思議な歌声が聞こえてきている。

 それがセイレーンの唄声であることは明らかだった。


 彩夏はハッとして、明が言っていたことを思い出した。


(セイレーンの唄声を聞けば、誘惑と魅了の状態異常にかかり、セイレーンに誘われるまま水底に沈んでいく……)


 マズイ、このままだと溺死する!


 夢の中だというのに背筋が凍り付いた気がした。

 慌てて周囲を見渡すが、仲間の姿はどこにもない。おそらく、それぞれが別の夢の中にいるのだろう。そこでもきっと、同じような歌声が流れていて同じような夢を見ているはずだ。


(どうにかして抜け出さないと!)


 彩夏が心で呟き、夢の中で動き出そうとしたその時だ。

 彩夏の目の前に、青白い画面が開かれた。



 ――――――――――――――――――

 重度の精神汚染を確認しました。


 個有スキル:神聖術 『精神汚染 免疫耐性』 を所持しています。

 固有スキル:神聖術 『精神汚染 免疫耐性』 が発動します。

 ――――――――――――――――――



 次の瞬間だった。

 彩夏は不思議な力に引き摺り出されるかのように、夢の世界から放り出された。


「っ!?」


 何が起きたのかが分からず、呆然として目の前に現れている画面を見つめる。

 そして今の自分に何が起きているのか、すぐに理解した。


(神聖術の新しいスキル……。っまさか、あのオッサン! この状況を見越して!?)



 ―――『精神汚染 免疫耐性』スキル。


 ここに来るまでの間、一条明に言われるままレベルを上げて、新たに使えるようになっていた『神聖術』のスキルのうちの一つだ。

 このスキルを取得した当初は、いったいどこで使うものか分からなかったが、どうやら魅了や誘惑といった精神干渉系のスキルに抵抗するためのものだったらしい。


(なるほど。ここ最近、やたらとあたしに構うようになったのはコレが理由か)


 一条明が【周回】と呼ぶ別世界の記憶を取り戻してからここ一週間、彩夏はずっと彼に振り回されてきた。

 例えばデイリークエスト。以前はその存在を知りながらも何も言わなかったはずなのに、記憶を取り戻してからは人が変わったように口を出すようになった。やたらとクエストに同行したがるし、同行したらしたで、何かと理由をつけては負荷をかけてくる。

 その影響もあってか、レベルの上昇も以前とは比にならない速さだ。


(万が一の保険をかけてたってわけね)


 デイリークエストは、クエストを受けた本人の負荷がかかればかかるだけ、支払われる報酬の経験値が大きくなる。

 彩夏は心の中で大きなため息を吐き出して、明を見つめた。

 その肝心の明はといえば、セイレーンの術中にハマって夢の中だ。意思に反して動き始める身体の制御をどうにか取り戻そうとしているのか、時折ピクピクと身体がひくつくように動いている。けれど、やはりセイレーンの誘惑の唄声には逆らえないようで、一歩、一歩確実に足は湖面へと向かっていた。


 他の仲間も状況は同じだ。いや、明に比べればまだ酷い。唄声の誘惑に抵抗も出来ていないのか、まるで夢遊病のように覚束ない足取りで着実に前へと進んでいる。



(意識を取り戻したのはあたしだけ)


 心で言って、彩夏は指先へと意識を向けた。



(……身体の自由は奪われたまま、か)



 試しに右腕へと力を籠めてみるが、それも同じだ。他の仲間と同様に、意思に反して身体は前に進んでいる。

 ついに両足が湖面を踏んで冷たい水に晒された。

 ひやりとした感覚に、思わず他の仲間も意識を取り戻さないかと期待してしまうが、そう上手くはいかないようだ。


(あたしが、どうにかするしかない)


 湖面で歌声を響かせるセイレーンが、勝利を確信したかのようにニヤリと歪な笑みを浮かべていた。

 その笑みを、彩夏は力いっぱい睨み付けた。


「く……ちは、う、ご……く」


 時間がない。

 すでに身体の半分が水に浸かってしまった。

 このまま進めば、ほどなく全身が水底に沈むだろう。

 ならば、やるべきことは一つだ。



「『(サイ)……(レント)』」



 全身に力を籠めて、彩夏は絞り出すようにその言葉を紡いだ。

 その瞬間だった。

 まるで見えない何かに口元を塞がれたかのように、セイレーンの唄声が止まった。

 同時に、彩夏の隣で唄声に抗い続けていた男が動き出した。



「彩夏、ナイスだッ!」



 お礼の言葉と同時に、明は懐から取り出した魔弾を即座に投擲した。

 人外の筋力によって投げつけられた銃弾が、空気を切り裂きセイレーンの喉元に深く突き刺さる。セイレーンの口から声なき悲鳴が上がるが、その声も明達には聞こえない。彩夏の『沈黙』によって全ての音が遮断されているからだ。

 湖面で藻掻くセイレーンを見て、明が舌打ちを漏らした。


「さすがに魔弾じゃ仕留めきれないか」


 武器に与えられた攻撃力の問題だ。人外の筋力で投げつけたものだとしても、魔弾そのものの攻撃力はやはり、明が持つ巨人の両手剣よりも遥かに劣る。セイレーンの高い耐久値を破ったとしても、トドメを刺すまでには至らない。


「明」


 魅了と誘惑から抜け出し、正気を取り戻した龍一が声をかけてきた。


「悪い、アイツの歌にまんまとハマってしまった」

「それを言うなら俺もです。……というよりも、アイツの呪歌を防ぐ方法は普通ありません。聞けば最後、その時点でアイツに誘われて溺死するので」

 

 明はため息混ざりにそう言うと、ちらりとした視線を彩夏に向けた。

 明は彩夏に向けて言った。


「黙っていて悪かったな」


 一条明が神聖術で取得するスキルの中に、セイレーンへの対抗手段があると分かったのは前回の周回中のことだった。

 それを『超感覚』のスキルを得て思い出した明は、セイレーンと戦うことを決めてすぐに彩夏のレベルを上げることに専念し始めた。これまで一度も口を出さなかったデイリークエストについて介入し始めたのも、このためだ。

 すべては、セイレーンが呪歌を唄った時に成す術もなく全滅するのを防ぐため。


 明の言葉を聞いた彩夏が、ふんっと鼻で息を吐き出して言い返す。


「その言い訳については後で聞くわ。……それよりも、これからどうするつもり? またさっきみたいに連携して動くの?」

「いや、その方法はもう出来ないな。湖畔で戦っていた時ならまだしも、今はもう水の中だ。水を蹴って距離を詰めようにも、地上に比べれば動きが鈍る。その間に逃げられれば元も子もない」

「それじゃあ、どうするのよ。仕切り直す?」


 彩夏のその言葉に、明が考え込んだ。

 仕切り直せばセイレーンは二度と水面には上がってこないだろう。湖底で息を潜めるセイレーンを見つけ出し、討伐するのは至難の業だ。出来ればこのまま押し切りたい。


(……問題は、この距離をどう詰めるのかだけど)


 明はしばらくの間、何かを考え込んでいたようだったが、やがて仕方ないか、と小さく息を吐いた。

 あまり気は進まないが、ここが『魔力回復薬』の使い所だろう。

 数が少ない薬を一つ消費することにはなるが、ここで仕留められないよりかはまだマシだ。


「彩夏」

「何?」

「前に、魔力に頼らずモンスターと戦える方法があるってことを、教えたのを覚えてるか?」

「武技のこと?」

「そうだ。だから今回は、魔力があれば―――スキルを上手く使い熟すことが出来れば何が出来るのか、見せてやるよ」


 明は彩夏に奈緒たちを連れて離れることを伝えると、懐から『魔力回復薬』を一つ取り出し一気に飲み干した。

 ゆっくりと吐いた男の呼気に身体の内側から漏れ出る魔力が宿り、消える。

 急速な勢いで身体の中から失われていく魔力の渦の中、明は両腕を絞るようにして両手剣を持ち上げた。



「『剛力』」


 瞬間、魔力に覆われた両腕にビキビキとしたいくつもの筋が浮かんで、瞬く間に筋肉が膨張した。



「『集中(コンセントレーション)』」


 ついで呟かれた言葉に、明の世界から雑音が消える。

 強制的に研ぎ澄まされた思考と感覚によって、何倍にも引き延ばされた時間感覚によって明は世界が止まったかのように錯覚した。



 その世界で、明はさらに言葉を紡いだ。



「『巨大化(メガモーフ)』」


 巨人の短剣に付随されたスキルによって、握りしめた剣が巨大化する。

 明は彩夏へと語りかけるように言った。



「スキルは力だ。けれど、その力を扱うのは俺たち自身。つまりスキルは道具と一緒で、使い方と組み合わせ次第でどんな力も引き出せる」



 スキルの中には、相性の良いスキルを上手く掛け合わせると、シナジーを発揮しより大きな効果を生み出すことが分かっている。

 例えば『魔力撃(マナブラスト)』。

 『魔力撃』の威力は、スキル使用者の『筋力値』と『魔力値』によってその威力が跳ね上がることが分かっている。だから、『魔力撃(マナブラスト)』の前に『剛力』スキルを使用することによって、跳ね上がった『筋力値』をそのまま『魔力撃』の威力へと変えることが出来る。



「だから、俺たちはスキルを使い熟さなくちゃいけない。どれだけスキルのことを理解し利用出来るのかによって、その人自身、何が出来るのか変わってくるからだ」



 そしてこれは、そんなスキルのシナジー効果を利用したほんの一例だ。

 異世界人たちが使う武の技の模倣と、システムによって得られるスキルの効果を掛け合わせて、利用した、一条明が作り出した疑似スキル。


 無駄を省いた洗練された動きと、圧倒的な質量、人外を越えた力を制御し、これまで十七を超える世界を繰り返した一条明だからこそ放てる、究極の一撃。




「―――『海割り』」




『超感覚』によって取り戻した過去の感覚が、剣を導くように明の両腕を動かした。




 そして、ほんの一瞬。

 世界から音が消えた。

 その次の瞬間には、凄まじい衝撃と轟音を響かせて湖面が割れた。

 地形を破壊する一撃だ。底が見えた湖底に深く剣筋が切り刻まれ、そこに分かれた湖の水が戻り、流れ込んでいく。




 ――――――――――――――――――

 レベルアップしました。

 レベルアップしました。

 レベルアップしました。


 ポイントを3つ獲得しました。

 消費されていない獲得ポイントがあります。

 獲得ポイントを振り分けてください。

 ――――――――――――――――――

 B級クエスト:セイレーンが進行中。

 討伐セイレーン数:1/1


 B級クエスト:セイレーンの達成を確認しました。報酬が与えられます。

 クエスト達成報酬として、獲得ポイントが100付与されました。

 ――――――――――――――――――

 ボスモンスターの討伐が確認されました。

 世界反転の進行度が減少します。

 ――――――――――――――――――




 それから、少し遅れてセイレーンの討伐を知らせる画面が開かれた。

 頭上から降り注ぐ大粒の飛沫の雨を受けながら、柏葉が呆れた顔で言った。


「一条さん……。人間卒業おめでとうございます」


 奈緒が呆れた苦い笑みを浮かべる。


「ここまで来ると逆に怖いな。そのうち地球ごと壊しそうだ」


 呆れた二人とは打って変わって、不機嫌そうに彩夏がそう言った。


「というよりも、それが出来るなら最初からやってよ」


 明が困ったように笑う。


「出来るだけ『魔力回復薬』を使いたくなかったんだよ。湖畔におびき寄せた時点で倒せるなら、それが一番良かった」


 手持ちにある『魔力回復薬』の数は少なく、そう何度も服用することが出来ない。新しく『調合』しようにも、素材が無いから『調合』も難しいだろう。


『魔力回復薬』は奥の手だ。

 出来れば温存しておきたい。


 そんなことを考えていると、彩夏がじっとこちらを見つめてきていることに気が付いた。視線が合うと、彩夏が腕を組んで小首を傾げてくる。



「それで? アンタ、どうしてセイレーンについていろいろ黙ってたわけ? アイツの歌にあたしの神聖術で対抗できることも、アイツには魔法が効かないことも、刺突耐性があることも、全部最初から言ってくれてれば良かったじゃない。そうすれば、ここまでしなくて済む苦労もあったはずだけど?」


 彩夏の言葉に、明が正面から向き合った。

 明は彼女の瞳をしっかりと見据えて、言った。


「だからだよ。セイレーンは他のモンスターよりも知能がある分、狡猾で残忍だ。おまけに臆病で、逃げ足も速い。俺たちには敵わないと察すれば、アイツはすぐに湖底へと逃げてしまう」


 だから明は、仲間であろうとセイレーンの情報を事前に渡すことはしなかった。

 すべてはセイレーンを油断させるために。

 コイツらなら勝てると確実に思わせるために、必要以上の情報を仲間に伝えることをしなかった。



「どうしてもセイレーンには勝たなきゃいけなかったんだ。気分を害したなら謝る。もうしないよ」

「本当でしょうね?」


 じろりと見つめられる視線に、明はこくりと頷いた。


「まあまあ、いいじゃねぇか。勝てたんだから! な?」


 場の雰囲気が悪くなったことを感じたのか、龍一が話を纏めるように明と彩夏の肩に手を置いてきた。

 彩夏は水に濡れた前髪をかき上げて、小さなため息を吐き出して見せる。


「別に怒ってないわよ。ただアーサーに利用されていた時を思い出して、嫌だっただけ。理由を聞けば納得はするし、次は相談ぐらいならしてくれるんでしょ?」

「もちろんだ」

「だったらいいわよ」


 彩夏はそう言って鼻を鳴らすと、視線を頭から真っ二つに切り裂かれたセイレーンへと向けた。


「それで、これからどうするの? イフリートのためにアイツと戦ったのは分かったけど、なんかの素材にするわけ?」


 素材と聞いて、柏葉の目が輝いた。

 わくわくとした瞳で、彼女は明へと問いかけてくる。


「何を作ればいいですか? 武器ですか? 防具ですか? それとも新しい調合薬?? 素材は全部、私が貰ってもいいんですよね!?」


 明は詰め寄って来る柏葉へと呆れた笑みを浮かべると、小さく頭を振って答えた。


「残念ですけど、セイレーンの素材を渡すことは出来ません。アレは全部、食用です」

「え? 食用?」


 きょとんとした顔で柏葉が明を見つめた。

 いや柏葉だけじゃない。その場に居た全員が、明の言い出したことをすぐに理解することが出来ず、戸惑っていた。

 明はそんな彼女たちの顔を見渡し、ニコリと笑いながら言った。



「それじゃあ、本格的にイフリート戦の準備を始めましょうか。大丈夫、死にはしません。ただ少しだけ、身体に変化が出るだけです」

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