VS セイレーン①
――チリン。
翌朝のことだ。一条明は耳に馴染んだ特徴のある音で目を覚ました。
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条件を満たしました。
ゴールドトロフィー:死に慣れた英雄 を獲得しました。
ゴールドトロフィー:死に慣れた英雄 を獲得したことで、以下の特典が与えられます。
・筋力値+30
・速度値+50
・幸運値+100
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久々のトロフィー獲得だ。しかもトロフィーの中でもランクの高いゴールドである。
明は目の前に表示されたその画面を無表情に眺めると、小さなため息を吐き出した。
(これが出てきたってことは、そろそろか)
心の中で呟きを漏らした。
以前はトロフィー取得の条件が分からず行き当たりばったりで取得していたが、周回の記憶が不完全ながらも戻った今、これまで謎に包まれていたトロフィーの取得条件とそれらのカテゴリーも何となくではあるが理解している。
今回取得したトロフィーは〝二度目の死亡〟や〝五十度目〟と同じカテゴリーに位置する、『黄泉帰り』を規定回数行ったことで取得するトロフィーだ。ブロンズ、シルバーと順に獲得をして、今回、トロフィーの中でも上から一番目に高いランクであるゴールドトロフィーを獲得した。
理由は分かっている。
『クエスト』を発生させるためにわざとセイレーンに殺され、たった今、『黄泉帰り』を行ったからだ。どうやらその『黄泉帰り』によってゴールドトロフィーの獲得規定回数に達したらしい。
(『トロフィー』システムの中でも、このトロフィーだけは貰っても嬉しくはないな。自分がどれだけ死んできたのかの証明みたいなものだし)
『トロフィー』システムは一条明が起こした行動における業績と功績を讃えるものばかりだが、このトロフィーだけは話がまた別だ。
死は効率化の手段だと割り切ってはいても、結局のところ敗北の救済措置に過ぎないトロフィーに毎回どう反応していいのか分からなくなってしまう。
(まあ、貰えるものは貰うべきか)
明はそんなことを考えると、目の前に浮かぶ画面を手で払い消した。
テントの外に出ると、彩夏と龍一が先に起きていた。
訓練が休みとは言っても、この二人には毎朝発生する『クエスト』がある。無視することも可能なクエストではあるが、二人ともクエストを終わらせてきたらしい。
顔を合わせると挨拶してくる二人に挨拶を返していると、奈緒や柏葉も起きてきて全員揃ってしまった。
現れた奈緒たちを見て龍一が笑った。
「何だよ、訓練が休みとか言いながら結局みんな早起きしてるじゃねぇか」
「まあ、何だかんだ早朝の訓練がここ数日の日課になっていたからな。訓練が休みと分かっていても自然と目が覚めてしまった」
奈緒が笑いながら答える。
奈緒の言葉に柏葉が頷き、気合を入れるように拳を握った。
「今日は本格的なボス戦ですからね。呑気に寝てもいられません」
「気合を入れすぎて前に出過ぎないようにだけしてくださいね」
セイレーン戦での柏葉の立ち位置は、後衛に寄った真ん中だ。基本能力値の低い柏葉が前に出すぎると、激しい戦闘の余波を受ける可能性が高くなる。
「分かってますよ!」
窘めるようにして言った明の言葉に柏葉が慌てたように頷いた。
それから昨日の会話を思い出すように視線を彷徨わせると、事前に決めた作戦を口にする。
「セイレーン戦での私の立ち位置は、後衛よりの中衛。一条さん、龍一さん、彩夏ちゃんが一番前で、七瀬さんが一番後ろ……ですよね? 基本的には一条さんがセイレーンの攻撃を受け止めますが、受け止めきれなかった攻撃は龍一さんがカバーをする。セイレーンが私たちを〝魅了〟状態にするスキルを使用してきた際には、彩夏ちゃんが即座に『沈黙』を使ってスキルを防ぐ」
「そして、その合間に私が援護」
柏葉の言葉を奈緒が引き継いだ。
明は二人の言葉に小さく頷きながら言う。
「はい。重ねて言いますが、ステータス能力値の低い二人は絶対に前に出てこないでください。一撃受けるだけでもかなり危ないので」
「それを言うならあたしもなんだけど」
明の言葉に彩夏が呟いた。
彩夏は明や龍一の顔を交互に見渡しながら言う。
「あたしもアンタたちに比べれば能力値は低いでしょ。それなのに本当に前に出なきゃいけないの?」
「『聖楯』と『沈黙』のスキルには発動効果範囲があるだろ。ある程度前に出ていないとスキルが届かないこと、知ってるぞ」
「……どうして知ってんのよ。今まで言ったことないはずなのに」
どうしても何も、今までの周回中に彼女自身が言ったことだ。記憶が戻る前までは回復役の彩夏がなぜ前衛に出たがるのか不思議でならなかったが、記憶が戻りそれらの理由を思い出したことでようやく腑に落ちた。
「今のオッサンには隠し事が出来ないみたいで落ち着かないわ」
彩夏は明に向けてそんなことを呟くと、ふくれっ面で顔をそむけてしまった。
◇◇◇
準備を整え、かすみがうら市へと出発する。山に沿うようにして歩き、なるべくモンスターとの接触を避けながら土浦市を経由して南東へと下ると、大きな湖面が目の前に広がった。霞ヶ浦湖だ。
「大きいですねぇ……。ここが本当に湖なんですか?」
どうやら見るのは初めてらしい柏葉が、目を皿のように丸くして湖を見つめた。
すでに戦闘の準備に取り掛かり始めた明が答える。
「日本で二番目に大きな湖らしいですが、今では水棲モンスターの苗床です。あまり近づきすぎるとサハギンに食われますよ」
「えっ?」
くるりと振り返った柏葉の背後で水面が泡立った。次の瞬間だ。ザパァとした音を立てながら魚人が顔を出した。
横浜で見たサハギンチーフよりも体格が小さい。人と魚を掛け合わせた見た目は同じだが、その身体を覆う鱗や棘はサハギンチーフよりも控えめだ。むしろサハギンチーフよりも人に近い見た目をしている。
「ぎゃぎゃぎゃ!!」
サハギンが叫び、口を開いた。
ぬめりのある粘液が滴り落ちて、サメを思わせる鋭い牙が顔を覗かせる。狙いは、油断していた柏葉の頭だ。
「きゃあっ!」
悲鳴をあげた柏葉の身体がぐんと後ろに引っ張られた。駆け寄った明が柏葉の服を引いてサハギンの間合いから遠ざけたのだ。
明はその手で素早く腰に帯びた両手剣を引き抜くと、手にした〝巨人の短剣〟で現れたサハギンを両断した。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます。助かりました」
息絶えたサハギンを見つめて、柏葉が安堵の息を吐いた。
明は死体を湖に向けて蹴り落とすと、気にするなと首を振った。
実のところ、一度『黄泉帰り』をしたことで柏葉が湖面に近づきサハギンに襲われるのは分かっていた。知っていながらもそれを言わなかったのは、こうでもしないとセイレーンが傍に来てくれないからだ。
「それよりも、来ます。構えてください」
明の言葉に仲間たちの表情が変わった。
湖に広がるサハギンの血に釣られて、湖底から大きな影が近づいてきている。ぶくぶくとした大量の泡が湖面に浮かび、その泡がゆっくりと消えた、その瞬間だった。
ドッ――パァアン!
湖に潜んでいた怪物が、湖面の底から飛び出してきた。
目の前に現れたそのモンスターは、一見すれば人のようだった。
絹のように細く滑らかに流れる黄金の髪を持ち、人形かと見間違うかのようなどこまでも整った貌。翡翠の瞳は吸い込まれるかのように美しく、見る者すべてを魅了するかのような不思議な光を宿している。
けれど、その人物が人ではないことはその身体が証明していた。
湖の底から飛び出してきたその女性の身体は鱗で覆われていた。背中には鳥のような翼が生えていて、一見すれば魚人のようにも鳥人のようにも見えてしまう。
――チリン。
音が鳴った。同時に明の目の前には事前に『黄泉帰り』を行い、条件を満たしていたクエスト画面が開かれる。
――――――――――――――――――
前回、敗北したモンスターです。
クエストが発生します。
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B級クエスト:セイレーン が開始されます。
クエストクリア条件は、セイレーンの撃破です。
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セイレーン撃破数 0/1
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「あれがセイレーン?」
現れたセイレーンの美しさに見惚れた柏葉が言った。
柏葉と同じくセイレーンに見惚れた龍一が言葉を漏らす。
「綺麗だ……。正直、どんなモンスター何だろうと思っていたが……あんなモンスターだったなんて」
見惚れていたのは柏葉や龍一だけではない。
奈緒や彩夏も、予想していたよりも遥かに美しいモンスターの登場に我を忘れていた。
しかし、それがセイレーンにとって人間を狩る常套手段だった。
穏やかな笑みを湛えたセイレーンがゆっくりと口を開く。
その動きに、五人の中で唯一セイレーンに見惚れていない明が即座に反応する。
「彩夏ァッ!!」
空気を切り裂くような明の大声が仲間たちの耳朶を叩いた。
その声が仲間たちの意識を一瞬にして現実に戻し、名前を呼ばれた彩夏はハッとして半ば反射的にそのスキルの名前を口にする。
「『沈黙』!!」
その次の瞬間だ。
魅了の唄を歌い始めたセイレーンの声が即座に途切れた。
突如として声を封じられ、攻撃の機会を失ったセイレーンの顔が怒りに歪む。同時にようやく正気を取り戻した仲間たちが慌ただしく戦闘態勢に入り始める。
両手にツインダガーを持った彩夏が言った。
「危なかった! 何だったの今の!!」
「魅了の唄声だ。あのままだったらかなりマズかった」
彩夏の言葉に明は言い返し、注意深くセイレーンの次の行動を見つめる。
奈緒が気合を入れ直すように細く息を吐いた。
「あんな見た目のモンスターが居るだなんて……。女の私でも思わず見惚れたぞ」
「一条さん、よく見惚れませんでしたね」
「アイツに会うのは初めましてじゃないんでね。それに、見た目は美しくてもその中身が狂暴なモンスターなので油断はしないでください」
「おい明」
セイレーンを見つめていた龍一が明の名前を呼んだ。
「俺の見間違いか? 俺の『解析』画面には、アイツのレベルが150を超えているように見えるんだが」
いつの間に『解析』スキルを取得していたんだろう。龍一が小さな声で呟いた。
その一言に、女性陣の顔が固まった。
「は? 150??」
「嘘でしょ? ギガントだってレベル112だったよね?」
「というよりも、今まで出会ったモンスターの中で一番レベルが高い気がするんですけど」
「大丈夫です。ギガントよりもステータスは低いので」
「そういう問題じゃないだろッ! そんな怪物、私たちが本当に勝てるのか!?」
奈緒は明の言葉に声高く言い返すと、魔導銃で狙いを済まして『ショックアロー』を放った。
光の軌跡となって飛来した魔法の矢が、セイレーンにぶつかり衝撃となって破裂する―――。
パァン!
はずだった。
放たれた魔法がセイレーンに弾かれた。
これまで幾度となくボスモンスターに通じ窮地を救ってきた奈緒の魔法が、セイレーンにはその威力を発揮する前に霧散したのだ。
「ちょっと待て! アイツ魔法が効かないぞ!?」
「魔法無効のスキル持ちです。魔法関連のスキルは全て効きません」
「それじゃあ私の『光雨』も通じないじゃない!」
頭を抱える彩夏の傍を柏葉が駆け抜けた。
柏葉はぐっと身体を反らせると、手にした『猛毒針』を空に浮かぶセイレーンへと投げつける。
が、その『猛毒針』もセイレーンの身体を覆う鱗に弾かれた。
柏葉が叫ぶ。
「毒針もです! 鱗が硬すぎて通用しません!!」
「刺突耐性持ちです。剣か打撃でしか攻撃は通りません」
「それじゃあ俺の槍も通じないじゃねぇか!!」
次々と発覚するセイレーンの脅威に、一気に仲間たちが慌ただしくなった。
声を封じられたセイレーンは、そんな仲間たちを嘲笑うかのように次の攻撃へと入りはじめる。
セイレーンの指先に奇妙な魔法陣が浮かんだ。
それがセイレーンの扱う水魔法の前兆だということを明は知っていた。
「来るぞ、避けろ!」
魔法陣から放たれた水弾が降雨のように飛来する。一発一発が凄まじい威力を持った攻撃だ。地面に当たった水弾は次々と地面を抉り、陥没させていく。
「これはちょっとマズくねぇか!?」
次々と飛来してくる水魔法を避けながら龍一が叫んだ。
「こっちの攻撃は通じねぇ、おまけに相手はレベル150越え! どうするつもりだよ!!」
「一条さん、勝算はあるんですよね!?」
「もちろんです」
柏葉の言葉に明が頷いた。
必要最小限の動きで飛来する魔法を避けていた明は、攻撃が途切れた隙を狙って両足に力を溜める。
「言ったでしょ? ギガントよりもステータスは低い相手だって」
明が両足に溜めた力を解放するようにして地面を蹴り、跳んだ。
弾丸のようにセイレーンに向けて跳んだ明は、その勢いのまま手にした両手剣を払ってセイレーンの鱗を引き裂いた。
「ギャァァアアアアアアア!!」
どす黒い血が舞った。
明はセイレーンの身体を蹴りつけるようにしてまた跳ぶと、地面に着地して言った。
「確かにコイツはいろいろなスキルを持っているし、魔法や刺突攻撃なんかに耐性はある。……けど、コイツ自身の耐久はギガントほどじゃない」
明が仲間たちへと振り返った。
「大丈夫、落ち着いて戦えば勝てる相手だ」
どこまでも冷静で落ち着いた表情とその言葉に、仲間たちの顔から焦りが消えた。
こくりと頷き武器を構え直す仲間たちを見て、明は小さな笑みを浮かべてセイレーンへと向き直る。
「よし、それじゃあ頼むぞ。みんな」
「『任せろ!!』」
明の言葉に仲間たちが綺麗に揃った声でしかと応じた。