既知と未知
明が先導する訓練に参加し始めて、奈緒たちの生活は一変した。
これまではただただ受動的に、変化した世界で与えられるレベルとスキルの恩恵を甘受していた彼女たちが、明の影響によって本当の意味で世界の変化に対応し始めた。
朝、目覚めと同時に身に付けたスキルを身体に染み込ませるための訓練を行い、朝の訓練が終われば目的地に向けて行軍し、道中ではモンスターを相手に実戦を積み重ねる。
彼女たちの実践での動きは、今となっては老練の域に達した明によってその日のうちに評価され、翌朝の訓練内容に反映された。
正直、彼女たちにはかなり厳しいことを求めている自覚が明にはあった。
これまで訓練らしい訓練も行わず、戦いなどない世界で暮らしてきたのだ。モンスターが現れて世界が一変したとしても、身に染みた平和の感覚はそう簡単には拭えない。
彼女たちのスキルの扱い方などを見ても、とりあえず与えられたものを使っていたというのが現状なのだ。武器にしろ能力にしろ、与えられたものをしかと使い熟すには誰だってそれなりの時間がかかる。
(けど……それでも、今は無茶を承知でやってもらうしかない。与えられたスキルを自分の手足のように扱えるかどうかは、結局自分次第だ)
レベルが100を超えて、より強大なモンスターと戦うことが当たり前となった今、ただスキルを振り回すだけでは生き残ることが出来なくなっている。
レベルが上がれば上がるほど、そう簡単には次のレベルへと上がらなくなる。
この先の戦いで求められるのは、より完成された戦闘技術だ。『システム』から与えられたものを、より自分のものへとした者だけだが生き残れる世界である。
本格的な訓練を始めて五日目。明達は埼玉県を抜けて、茨城県つくば市へと足を踏み入れていた。今朝のミーティングでは、今日中にかすみがうら市へと足を踏み入れて野宿をする予定となっている。
時間はまだ昼過ぎ。このまま行軍すれば夜にはかすみがうら市に到着することも出来るが、みんな、慣れない訓練による疲労も蓄積してきた頃合いだ。その証拠に今朝から仲間たちの間でも会話が減り始めている。無理に進めば疲労からくる戦闘中のミスも起き始める頃だろう。
明は懐から地図を取り出すと考え込んだ。
(予定よりもだいぶ遅れてるな)
神奈川県を出てすでに一週間が経過している。当初の予定では既に水戸市に到着しイフリートとの戦闘に臨んでいたはずだったが、ここに来るまでの道中、予想していたよりもモンスターとの遭遇率が高いこともあって思ったよりも進みが悪い。
(……けど、そのぶん道中ではボスも倒せているし、みんな少なからずレベルアップも出来ている。計算上、世界反転率が再び動き始めるのは二日後だ。貯金はあるけど、余裕もないって感じだな)
出来れば今日のうちにかすみがうら市に到着しておきたい。
明はそんなことを考えながら仲間の顔色と地図を交互に見比べると、やがて決断を下すように地図を懐に仕舞い込んだ。
「今日はここらで切り上げて野営にしよう」
明の一言に仲間たちの口から安堵の息が漏れた。口には出さないまでも、限界を感じていたらしい。
明の言葉にたまらずといった体で彩夏がその場に座り込むと、疲れたように口を開いた。
「助かった……。まだ先に進むと言われたらどうしようかと思った……」
「私も今日はフラフラです……。今日は朝の訓練も結構ハードでしたし」
彩夏に同意するように頷きながら、柏葉もたまらずといった体でその場に座り込んだ。二人に比べてまだ余裕があるのか、龍一が小さく笑う。
「なんだもうへばってるのか? 若いのにだらしねぇな」
「アンタ達みたいな戦闘組と一緒にしないで貰える!? こっちは一応補助組なんだからね!?」
龍一に向けて彩夏が声を上げた。
明が荷物を降ろしながら言う。
「そのわりにはお前、また戦闘系スキルをとってただろ」
ギクリとした顔で彩夏が明を見た。誤魔化すように口笛を吹くが、『解析』を取得している明を誤魔化すことなど出来やしない。『解析』によって開かれた画面にはバッチリと彼女が新しいスキルを取得したのが映っていた。
「使えないと思ったらすぐにリセットさせるからな」
「ひどい! 横暴だ!!」
「生き残るためだ。何とでも言え」
明は呆れるようにして言った。
ポイントの使い道は各々に任せてはいるが、それも今後は考えものかもしれない。効率だけを考えればある程度の役割と取得するスキルを決めておくべきだろう。
そんなことを明が考えていると、柏葉が慌てたように奈緒に声をかけているのが聞こえてきた。
振り向くと、青白い顔をした奈緒が柏葉に支えられているところだった。どうやら、野営用の水を出そうと魔法を使ったところで身体がふらついたらしい。
「大丈夫ですか?」
明の言葉に奈緒が小さく頷いた。平気なことを知らせるように立とうとするが、やはり足元が覚束ない。
無理もない。この五人の中で唯一魔法を扱うのが彼女だ。
人の身で魔法を扱えば扱うだけ、彼女の体力は削られていく。そこに日々の訓練と日中の行軍が重なれば、誰よりも休息が必要となる。我慢強い奈緒のことだから口には出さなかったのだろうが、すでに限界を超えていたのだろう。
明に促されるようにして奈緒はその場に座り込むと、力無く笑った。
「いつもの荷物が今日はやけに重く感じたよ……。自分ではなんてことないと思っていたけど、相当疲れていたんだな」
龍一が奈緒の荷物を受け取りながら言った。
「いつもと違うと思ったら、身体にガタが来てる証拠だ。無理せず周りを頼れ。アンタも明も、我慢強いのは結構だが無理をするのはよくない」
「ああ、すまない」
奈緒は龍一の言葉に小さく頭を下げた。
龍一は奈緒に向けて頷くと、小さくため息を吐き出して見せる。
「せめて荷物だけでも楽に運べればな。これだけの荷物を背負って毎日動き回るのは、正直、俺でもかなり堪える。モンスターとの戦闘になれば邪魔になるしな」
龍一の言葉に明が難しい顔になった。
「そうですね、そのあたりの問題は早々に解決したいところですけど……。今すぐに解決するのは難しいでしょうね。補助系統のスキルに特化した人が、今のメンバーの中には誰もいないし」
「どういう意味だ?」
明の言葉に龍一が首を傾げた。
明は自分の荷解きもほどほどにして、奈緒の荷解きを手伝いながら答える。
「ポイントで取得出来るスキルは、大きく分けて戦闘と補助の二つのタイプに分けることが出来ます。例えば『身体強化』や『魔力撃』なんかはモンスターとの戦闘に役立つから戦闘系。『索敵』や『解体』、各製作系のスキルは補助系といった感じで。その中でも俺が以前取得していた『収納術』のスキルレベルが10になれば、スキルが進化して『亜空間収納』が使えるようになります。それを使えば、こうして荷物を直接運ばなくても亜空間に仕舞い込んで運べるようになるし、便利なんです」
「要は……ゲームなんかでよくある〝インベントリ〟ってやつが使えるようになるってことか?」
「イメージ的にはそうですね」
明の言葉に龍一が唸り、考え込んだ。
「便利は便利だけど、コストが重いな。『収納術』のスキルレベルが10か……。そう簡単には取得出来ないな」
「ええ。だから、そういったスキルを取得する人は戦闘系スキルを取得しないことがほとんどでしたね」
明の言葉に、奈緒たちが顔を見合わせた。
それからそっと顔色を伺うように柏葉が小さく手を挙げる。
「あの、それでしたら今から私が補助系のスキルを取りましょうか? 今でも製作系のスキルを中心に取ってますし、一条さんの『スキルリセット』なら私が取得した戦闘系のスキルをポイントに戻すことも出来ますし……」
言われた言葉に明が首を振った。柏葉を今から補助系に特化させるのは、分が悪いと思ったからだ。
「柏葉さんが今から補助系に特化すると戦力が落ちます。柏葉さん以外の四人でイフリートに挑まなくちゃいけなくなるし、正直、四人になるとイフリートに勝てるかどうかも分からない。今から補助系に特化するのは、あまりオススメ出来ません」
「だったらあと一人、誰か入れたら?」
彩夏が口を挟むようにして言った。
「ボスモンスターと戦える人が増えればいいんでしょ? あたしたちがボスモンスターを倒して時間を稼いでるおかげで他に生き残ってる人達がレベルアップ出来る時間も稼いでるわけだし、今となってはほら、こうしてボスモンスターを倒す人も出てきてるわけじゃん?」
彩夏はそう言うと、日常的に現れ始めたボス討伐を示す画面を指さした。明へと視線を移して言葉を続ける。
「オッサンなら知ってんでしょ? この世界で、あたしたちの他に誰がボスモンスタ―を討伐しているのかさ。その人達を探して、仲間にすればいいじゃん」
彩夏の言葉に、明へと仲間たちの視線が集中した。それは誰しもが心でそう思いながらも口には出せない疑問だったからだ。
明は仲間たちの視線に荷解きをする手を止めると、小さな声で呟いた。
「……この世界で、俺たちの他に誰がボスモンスターを倒しているのかは分からない。ボス討伐が出来そうな人達は何人か知ってはいるけど、その人達じゃないのかもしれない」
明の言葉に彩夏が怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「どういうこと? だって周回ってやつでこの世界を繰り返してるんだって、そう言ってたじゃない」
だったら誰がボスモンスターを倒しているのかぐらい知っているでしょ?
そんなことを言いたげな彩夏の視線に、明が小さなため息を吐き出した。
明は再び荷解きを始めると、呟くようにして言った。
「確かに俺はこの世界を周回しているし、異世界と現実が混ざり合ったこの状況を誰よりも把握してると思うけど、だからって何でもかんでも知ってるわけじゃない。これまで繰り返してきたどの【周回】でも、毎回、こうなった時にはボスを討伐した人が変わっているんだ」
モンスターが現れたあの日、レベルとステータスという概念が等しくみんなに与えられて、誰もが同じスタートラインに立った。
それは言い換えれば、誰しもがほんの少しのきっかけでボスモンスターを倒すことが出来る素質を持っているとも言える。
「前の周回世界で生き残っていた人が、次の周回世界では死んでいることもある。俺が『黄泉帰り』によってこの世界を繰り返すたびに、その結果は常に変わり続けている。どれだけ世界を変えてどれだけ過去に戻っても、振ったサイコロの同じ目が出るのは、俺がその世界でも寸分変わらず同じ行動をとった時だけだ」
現実にモンスターが現れてから今日で23日目。過去、この時期に『世界反転』術式の核となったモンスターと異世界人を撃破出来た例がない。
十八周目となるこの世界の出来事は、これまで何度もこの世界を繰り返してきた一条明にとっても予想がつかないものへとなっている。
「もしかすれば、今のボス討伐の画面を出したのは、軽部さんを含む自衛隊の誰かなのかもしれない。もしくは、あの病院でギガントの脅威から生き残った誰かなのかもしれない。本来ならリリスライラの誰かに殺されるはずだった誰かが、運よくボスを倒しただけなのかも。……そう思うぐらいには、俺にも想像が出来ないんだ」
周回の知識を取り戻したことによって既知が増えた。しかし同時に、この世界が今までとは違う未知であることも分かってしまった。
「これから戦力となる仲間を新しく迎え入れることが出来るかどうかは、正直……運頼みだ」
これから向かう場所に生き残りが居ればいい。その人が、ボスモンスターを倒した経験があるならぜひとも仲間にしたい。
(けど、おそらく……この先にはもう、生き残りがいない)
生き残れるはずがない。
それだけは言い切れる。
「話を戻すけど、柏葉さんがこれから補助系に特化するのはオススメしないし、その代わりに誰かを入れるのも難しい。俺が知る中でも現状ではこれが一番のメンバーだ」
明はそう言い放つと、慣れた調子で野営の準備を整え終えてしまった。