頼み
「そう、た? 何言ってんだ?」
「お願い、お父……さ、ん」
「やめろ、やめてくれ。そんな事を言うな!」
「お父さん……殺して」
「やめろ!!」
「お父さん」
これまで以上にハッキリとしたその言葉に、龍一の身体が大きく揺れた。
蒼汰の言葉に動揺したのは龍一たちだけではない。明達もまた、蒼汰の言葉に動揺を隠せなかった。
「蒼汰?」
「私の、聞き間違いか? 今、自分を殺せって」
「いえ、私にもハッキリと聞こえました」
「どういう……こと? 嘘、だよね?」
彩夏の言葉に、その場にいた誰もが応えることが出来なかった。
蒼汰の言葉が続いている。自分を殺してほしいと、齢六歳の少年が呟き続けている。
誰も、何も言えない。いや動くことすら出来ない。
そんな中、最初に動き出したのは彼の父親である龍一だった。
顔を俯かせていた龍一が言った。
「……分かった」
激しい葛藤の跡を示すかのように、その唇には血が滲んでいる。龍一は滲む血を拭う素振りすら見せることなく、腰に差していたツインダガーを抜くと触腕の本体がある方角へと歩き始めた。
その龍一を即座に明が引き留めた。
「っ、待ってください何をするつもりですか!? まさか、本当に……あの子を殺すつもりですか!?」
「止めるな明! 蒼汰の……アイツの、最後のお願いだ。蒼汰が蒼汰でいられる間に、俺は蒼汰のお願いを聞いてやりたい!!」
「だからって蒼汰を殺す必要はないでしょう!?」
「じゃあ、どうすりゃいいんだ!」
声を荒げて、龍一が振り返った。
「俺はどうすりゃいいんだよ!! もはや人間ですらないアイツの親として、俺が出来ることは何がある!! 俺はアイツの父親だ。父親なんだ!! お前には想像できるか!? 怪物に変えられた息子が、自分を殺してくれと懇願される俺の気持ちがッ!! お前には分かるのかよ!!」
「ッ」
明は龍一の言葉に、唇を噛みしめた。子供のいない明でも、彼の気持ちが痛いほどに理解することが出来たからだ。
しかしだからと言って、龍一が蒼汰を殺してもいい理由にはならない。
明はそう考えなおすと、龍一を見据えて言った。
「でも……それでも。あの子を殺すのは、間違ってる」
「そんなこと、俺も分かってんだよ! だったら何だ、お前には何か出来るのか!?」
「出来ます」
明は即答した。
「俺の『黄泉帰り』なら、この状況をひっくり返せるかもしれない」
その言葉に、真っ先に反対を示したのは奈緒だった。
「一条、お前まさか……あの子を元に戻す方法が分かるまでループするつもりか? やめろ! それは無謀だって前にも話しただろ!!」
「そうですよ! レベルを上げるためにループするのとは訳が違うんですよ!?」
「二人の言う通りだよ! たった数回で済めばまだいいよ!? でも数十…それこそ数百を越えるかもしれないじゃない!!」
「それでも!」
反対の声を上げる彼女たちに言い聞かせるように、明が声を張り上げた。
「それでも……!! 俺にこの力があるのは、この時のためだって俺は思ってる」
「一条!!」
奈緒の反対の声に、明は安心させるように笑った。
「大丈夫。さすがに、俺も自分の限界が分かっています。自分が壊れる前にきっと、方法を見つけます」
明と、彼女たちのやり取りを見つめていた龍一の目が、縋るようにして明に止まった。
「任せて……いいんだな?」
「はい」
明は頷く。
その頷きに安堵したかのように、龍一が震えた息を吐き出した。
「分かった」
そして龍一は、明の手を取り握りしめた。深く、深く。頭を下げて、龍一は明に呟く。
「息子を頼む」
そして、一条明はまたループする。
今度は自分のためではなく、誰かを救うために。
少年が辿る運命を否定するための回帰を始めた。
◇ ◇ ◇
「ぼ……くを、ころ……して」
目覚めと共に耳に届いたのは、怪物となった蒼汰が発した悲痛な願い事だった。
素早く周囲を見渡して、明は自分の置かれた状況を把握する。
(回帰場所は……ニコライが死亡した直後。龍一さんが蒼汰に呼びかけて、自我が戻ったあたりか)
すでに事が起きた直後である。しかもループに踏み切るほぼ直前だということを考えれば、回帰場所としては最悪の部類だ。
(異世界人だったニコライが死んでも回帰地点が更新されている……。ってことは、アイツはやっぱり"ボスモンスター"としての扱いだったのか?)
ニコライが死ぬと同時に現れたボス討伐を示すあの画面。この世界を脅かす異世界人もまたボスモンスターと同じ扱いなのであれば、あの画面が表示されるのも納得がいく。
(間違いない。『黄泉帰り』の地点変更のトリガーは、『シナリオ』の特殊な事情を除けば、〝世界反転率の進行度が減少した〟ことを示す画面が表示されることだ)
『黄泉帰り』の回帰地点の更新を、これまではボスモンスターを討伐することだとしていたが、その仮説が今回の件でより具体的になった。
その後の回帰場所は多少ズレがあるようだが、あの画面がトリガーだとすれば今回の『黄泉帰り』の回帰地点がココであることも納得できる。
(とりあえず、いろいろ試すところからだな)
明は覚悟を決めるように息を吸い込む。
今回のループでやるべきことは明確だ。蒼汰を元に戻す方法を見つける。ただそれだけ。ミノタウロスやギガントの時のように、手が出せない化け物をどう倒すのかあれこれ画策する必要はない。
(まずは会話からだ)
龍一の言葉に反応したということは、誰かの言葉にも反応するということだろう。
明はそう思って、動きを止めた触腕へと一歩前に踏み出した。
「蒼汰くん」
「お……にい、ちゃ……?」
「君を助けたい。俺たちの声が聞こえるなら、この腕をどけてくれ」
「僕……たすけ、る? 助け、ぇええええ、るるるるゥウウウウウウウウ? たすけ、たすけけけけけタス……タスケェエエェエエエエエエエ。たすける?」
蒼汰の様子が変わった。
まるで明の言葉に苦しむように、伸ばした触腕を何度も震わせてはその言葉を何度も繰り返す。
「蒼汰くん?」
その様子に、明が眉を顰めた時だ。
「助けて」
蒼汰が呟き、触腕が明の頭を薙ぎ払った。
明は、ゴンッと何かが地面に落ちる音を聞いた。
それが自分の頭が胴体と離れて飛んだ音だと気づくのには、そう時間がかからなかった。