回復薬
「清水、さん?」
呆然と奈緒は目の前に現れた男を見つめた。
その視線に龍一は浮かべていた険しい表情を和らげ、頷きを返してくる。
「おう。どうやら間に合ったみたいだな。二人とも無事――……」
が、そこでようやく奈緒と彩夏が満身創痍の状態であることに気が付いたようだ。龍一は、口元に浮かべていた笑みをすぐに消した。
「じゃ、なさそうだな。本当に、間一髪のところだったか。彩夏、お前……回復スキルがあったはずだろ? 七瀬の傷の治療は出来ないのか?」
「そうしたいけど、使用回数切れなの。一日で使える上限が決まってるから……今日はもう、使えない」
「ッ、そうか……」
彩夏の言葉に龍一が小さなため息を吐き出した。
龍一は、思案するようにその瞳を動かすとやがて何かを決意するようにまた息を吐き出す。
「仕方ねぇな。ここでアンタらに死なれると、寝覚めも悪い」
言って、龍一は懐を探ると小さな小瓶を取り出した。見覚えのあるその小瓶は、彼の隠れ家の床に転がっていた酒瓶の一つだ。日本酒のラベルが描かれたその瓶の中身を確かめるように、龍一は軽く振ると奈緒へと手渡してくる。
「使え。傷口に一滴ずつ垂らして、残りは全部飲み干すんだ」
「使えって、これ、お酒じゃ?」
受け取り、戸惑うように奈緒は言った。龍一が答える。
「見た目はな。中身は違う。リリスライラを抜ける時、連中から盗んだものだ。どういう原理かは知らねぇが、それを使えば傷が良く治る」
「まさか、それって……回復薬?」
酒瓶をまじまじと見つめながら彩夏が言った。
「前に、柏葉さんが言ってた。『調合』スキルで創れる回復薬があるって。その時は材料もないし、必要な材料もどこにあるのか分からないから今すぐには創れないって言ってたけど、これがそうなの?」
「俺に聞くな。言っただろ、盗んだだけで中身は知らないって。ただ、効果だけは保証する。それがあるおかげで、俺は『自動再生』スキルを取得せずに済んだからな」
そう言った龍一の言葉を聞いて、奈緒は意を決したようだ。
彼女は、恐る恐るといった体で蓋を外すと、その中身を腹の傷口へと一滴垂らした。
「うッ……!」
液体に触れた傷口がじゅあっとした音を立てた。彩夏の使う『回復』スキルとは違い、この液体の治癒には激しい痛みが伴うようだ。奈緒の顔が苦痛に大きく歪んだ。
「七瀬!? ッ、ちょっと!! これ、本当に回復薬なの!?」
「黙って見てろ。痛みがあるのは最初だけだ」
龍一の言葉の通りだった。
苦痛に歪んでいたはずの奈緒の表情が次第に和らぎ、深い息を吐き出した後には止血された傷口だけが残っていた。
「血が……止まった?」
呆然と奈緒は腹部を見つめた。
『回復』スキルを事前に使っていたからだろうか。アーサーにナイフで刺されたはずの深い傷口は、その痕だけを残して完全に止血されていた。
「傷が深ければ痛みが増すが、使わないよりかはマシになるはずだ。傷口の止血が終われば、中身を飲むのを忘れるな。多少、血の気も戻る」
言って、龍一は奈緒から視線を外すと今度は彩夏へと視線を向ける。
「悪いな。出来ればお前にも渡したいところなんだが……。今のが最後の一本だ」
「あたしは別に……大丈夫。それよりも、ごめん。一瞬だけ、アンタのことを疑った」
「気にするな」
小さく、龍一は笑った。
その笑顔に彩夏もまた笑みを返し、思い出したかのように戸惑いの視線を彼へと向ける。
「……でも、どうして清水のオッサンがここに? アンタ、一条のオッサンと一緒に行動していたはずじゃ?」
「その、明から言われたんだよ。お前らを助けに行って欲しいってな」
「あたし達を?」
「ああ。お前ら、俺たちと別れた後に派手に爆発を起こしただろ? アレを見て、明のヤツもこいつらの狙いに勘付いたみたいだな。信者連中が俺たちを追いかけてきてないことが分かった途端、すぐに来た道を引き返し始めた」
言って、龍一はちらりと地面に伏したアーサーを見つめた。
「あの場に集まっていたこいつらが俺たちを追いかけてきていないとなれば、考えられるパターンは二つ。残る二つのグループの内、どちらか一方に信者連中が偏っているか、もしくは俺たち以外を追いかけたのかだ。……こいつらの行動が読めない以上、俺たちは二つに別れるしかなかった。悔しいが、戦闘能力だけで言えば俺よりも明が上だ。蒼汰の方は明に任せて、俺はお前らの安否を確認することになったわけだ」
「それじゃあ、一条は」
回復薬を飲み干し終えた奈緒が言った。龍一は頷く。
「蒼汰のところだ」
「そうか」
蒼汰が無事だと分かったからか、それとも明が無事だと分かったからなのか。奈緒は安堵の息を吐き出した。
そんな奈緒へと、龍一はちらりと視線を向ける。
「飲み干した薬の効果が出るまで多少、時間がかかる。それまでアイツの相手は俺が代わる」
「これぐらい、平気だ」
青白い顔で呟かれたその言葉に、龍一は呆れるように鼻を鳴らした。
「今にも倒れそうな顔しておいて、何言ってんだ。いいからじっとしてろ」
と龍一が笑ったその時だ。
「また……お前か…………」
怨嗟の如き低い唸り声が聞こえた。
ついで、ヒュンっとした空気を切り裂く音が聞こえてくる。
「ッ!」
反射的に、龍一が反応した。
手にした槍を振るい、飛来してきたナイフを払い落とすと、彼は鋭い視線をそのナイフの主へと向けて舌を打った。
「チッ、やっぱりアレぐらいじゃあ倒れねぇか」
「清水、龍一ぃ……」
ボタボタと口の端から血を溢し、アーサーは、のそりと身体を起こすと叫びをあげた。
「この……裏切者がァ! 依代を我々から奪うだけでなく、また邪魔をしようというのか!!」
「奪ったんじゃねぇ。取り返したんだよ!! テメェらからな!!」
叫びを返し、龍一はアーサーへと向き直る。
「奪われたのは俺たちだ!! テメェらのせいで、沙耶は死んだ!! アイツは……蒼汰は、テメェらに母親を奪われた!! お前たちさえ居なければ、俺たちはまだ一緒に居られたはずなんだ!!」
「だからどうした!! お前が依代を奪わなければ、お前さえ……お前さえ居なければ!! 今頃……私は家族に出会えていた!」
「テメェの嫁や娘に会うために、俺の息子を犠牲にするんじゃねぇ!」
「犠牲なくして得られるものなど何もない!! 私は……私は!! 家族のためにならば修羅になると決めたのだ。どんな犠牲を払ってでも蘇らせると、私は彼女たちの亡骸に誓ったのだ……!!」
アーサーはそう言うと、腰元から替えのナイフを引き抜いた。
「それを、邪魔しようというのなら……。かつて仲間だったお前であろうと、容赦はせんぞ」
「あァ、そうかよ」
呟き、龍一は手の内でくるりと槍を回した。
「だったら俺も、全力でお前を倒すだけだ。蒼汰の為になァ!!」