魔法の弱点
――時間は五分前に遡る。
柏葉薫が数十を超える信者たちを相手に苦戦を強いられていた頃、奈緒たちもまた、たった一人の男を相手に苦戦をしていた。
「どうした!? もうギブアップか!!?」
嘲笑とともに振り落とされた踵がアスファルト舗装の地面を割る。
何気なく放たれた拳が瓦礫に当たり、粉々に砕け散る。
振るわれた手刀がビルの外壁を切り裂き、軽く放たれた蹴りが路上に放置された車を吹き飛ばした。
男の放つ全ての攻撃が人知を超えた一撃だ。
その全てを奈緒と彩夏は回避する。
――回避させられている。
「ほら、右からいくぞ!」
嘲るように声をあげて、アーサーが拳を構えた。
慌てて奈緒がステップを踏んで身体を捻ると、その宣言通りに奈緒の右側にストレートが放たれる。
「次は上だ」
続けざまに声をあげて、わざとらしく大きく振り上げた踵が奈緒の視界に入った。
回避のために地面を蹴るのと、振り上げた踵が落ちてくるのはほぼ同時。
「あぅッ!」
至近距離で砲弾が爆発したかのような衝撃が奈緒を襲う。飛散する礫に身体が穿たれ、全身を襲う激しい痛みに涙が出そうになる。
けれど、ここで動きを止めるわけにはいかない。
止まれば、容赦のない追撃がくることが分かっている。
「くッ!」
痛みに耐えながらゴロゴロと地面を転がると、直前にまで身体があった場所へとナイフが突き立てられた。
「ッ!」
そこらのホームセンターで手に入れたかのような、ただのナイフが易々とアスファルト舗装を貫いたのを見てぞッとする。
現実にある既存の武器が持つ威力じゃない。見た目こそ地味だが、明らかにスキルによって創られた武器だ。その証拠に、アーサーの常軌を逸した力で振るわれながらも、それは刃が欠けることも刀身が曲がった様子も見られなかった。
「このっ!」
アーサーが動きを止めたのを見て、彩夏がチャンスと襲い掛かった。しかし――。
「狙いが甘い」
振るわれた刃を、アーサーは上半身を反らしただけで躱した。
「攻撃は単調で、工夫もない」
呆れるようなため息を吐き出し、腕を軽く振るう。
振るわれた腕は彩夏の身体を捉えて、彼女はメキメキと骨を軋ませながら地面に叩きつけられた。
「世界が変わって、君はいったい何をしてきたんだ? ステータスに頼り、棒切れを振り回してきただけか?」
呻く彩夏に言い聞かせるように、アーサーは言った。
余裕のある言葉だ。否、実際に余裕があるのだろう。
アーサーとの戦闘が始まってからずっと、奈緒と彩夏はアーサーに弄ばれ続けている。
攻撃の軌道は奈緒たちが回避しやすいように事前に言われ、振るわれる拳や蹴りの威力は傍から見ても分かりやすいほど明らかに手加減がなされている。
スキルも、『死霊憑依』と口にして以降は使用している様子がない。
ただただ純粋な力で、じっくり、じわじわと嬲られるように。奈緒と彩夏は、その身体に生傷を増やしていた。
「君もだ、七瀬くん。玩具の銃を振り回すだけなら誰だって出来るぞ」
呆れたようにアーサーが嗤った。
「馬鹿にして……ッ!」
小さく奈緒は舌を打った。
地面を叩くようにして全身をバネのようにして跳ねながら起き上がると、即座にアーサーへと狙いをつける。
「ショックアロー!」
魔導銃を構える暇などない。
指先だけで方向を示し、放たれた光の矢がアーサーへと迫った。
――だが、それも無駄に終わる。
「それが、魔法の弱点だ」
冷めた表情で呟き、アーサーが軽くステップを踏んだ。
「発動のために指向性が必要だから、慣れてしまえば狙いが分かりやすい」
軽い身のこなしで躱し、アーサーが嗤う。
「加えて、発動するごとにスタミナを消費する。一対多の乱戦にも、一対一の個人戦にも向いていないし、使えない。躍起になって魔法スキルを使えば使うほど体力は尽きて、動きが悪くなる」
アーサーが駆けた。
「ッ、チェイン!!」
慌てて奈緒が拘束魔法を発動させる。
しかしアーサーは、その発動場所が分かっていたかのようにステップを踏んで現れた鎖を躱すと、奈緒の懐へと滑り込んだ。
「魔法使いを相手にする時に気を付けるべきことはただ一つ。相手の狙いを、見定めることだ」
呟き、拳を振るう。
振るわれた拳が奈緒の腹へと突き刺さった。
メキメキと骨が鳴る。肺の中の空気が一気に吐き出されて、視界が一瞬にして暗くなる。
「が――――」
ついで、襲う衝撃と激痛。
アーサーに吹き飛ばされた奈緒は、瓦礫の山へとその身体を埋めるとピクリともしなくなる。
「銃を捨て、速度を重視し指先で狙いを付けたのは考えたな」
悠然とした態度で呟き、アーサーは奈緒のもとへと歩み寄った。
「だが、だからこそ分かりやすい。指先を相手に向けるなど、銃口よりもさらに狙いがバレバレだ」
立ち止まり、瓦礫の中に埋まる奈緒を掴み持ち上げる。
「世界が変わって、明日でもう二週間だ。何も考えず、ただ魔法を放つだけなら今では子供だって出来るようになっている」
奈緒の腕を掴むその手に力が込められた。
バキバキと骨を砕く音があたりに響き、奈緒の口から絶叫があがった。
痛みで覚醒した奈緒は状況を察したように激しく抵抗するが、その拘束から逃れることが出来ない。
アーサーは、藻搔く奈緒へと冷めた視線を送りながら言葉を続ける。
「魔法のメリットやデメリットも理解していない。固有スキルも満足に扱えない。本当に……宝の持ち腐れだな」
感情を隠したような平坦な口調で言って、アーサーは手に持つナイフを奈緒の腹へと突き立てた。
「ぐ、ぁああッ!!」
激しい痛みに、奈緒の口から声が漏れる。
「レベルに見合わないその高い魔力値も」
『解析』を使用し奈緒のステータスを見たのだろう。
アーサーは呟くように言って、腹に突き刺したナイフを引き抜いた。
そのまま、首を狙われた。
途端に血飛沫が噴き出すが、アーサーはそれを意に返した様子がない。
どこまで淡々と、手慣れた様子でナイフの切先を次の急所へと向ける。
「どんなに致命傷を与えようが、不思議と生き延びるその身体も」
今度は心臓を狙われた。
「がっ――! ごぷっ」
奈緒の口から血が溢れ出る。
傷口からドクドクと血が流れ出て、あたりが真っ赤に染まっていく。
「……全部」
吐息がかかるほどの至近距離で、その瞳が気味悪く細められる。
「全部!!」
そして少しの間を空けて――ニコリと。
アーサーは嗤った。
「君には、勿体ないものばかりだ」




