三つの人影
アーサー視点です。
横浜郊外にある一軒の民家を、数十人の男達が取り囲んでいた。
男たちの顔はそれぞれチープな仮面やマスクに覆われていて、その表情を知る術はない。
異様な光景だ。確かな悪がここには存在している。
それを裏付けるかのように、民家を取り囲む彼らの手にはそれぞれ武器が握られていた。
「『位置に着きました』」
民家から離れたマンションの屋上で一人、様子を伺っていたアーサーの頭の中に声が響いた。同胞の声だ。『念話』というスキルを用いて届くその声は、ラジオのノイズが混じったかのように聞こえにくい。けれどもしかと内容が理解できるその言葉に、アーサーは誰にともなく頷いた。
「『了解した。連中の動きはどうだ?』」
「『こちらに気付いた様子はありません。このまま踏み込みますか?』」
再びアーサーの頭の中で声が響く。民家の様子を見ていたのだろう。返事は少しだけ遅れていた。
「『まだだ。『索敵』スキルを持っているヤツがいるかもしれない。もう少しだけ連中の様子を見る』」
「『分かりました』」
返事を最後に頭の中のノイズが消える。『念話』スキルが途絶えたのだ。
アーサーは完全にノイズが消えたことを確認すると息を吐き出し、同胞が取り囲む民家の方角へと目を向けた。
(巨人殺しが動いた気配はない、か。こちらの動きに気が付いていないのか? もしくは、こちらの動きが分かった上で様子を見ているのか……)
明が今、何度目のループの中にいるのかが分からない。しかし数時間ほど前、街で明を見かけた時には、イビルアイを大量に引き連れて移動しているところだった。一見すればただモンスターに追われているだけのように見えたその光景も、相手が一条明であるということになれば話は変わる。
(タイムルーパーというのは、つくづく厄介だな)
アーサーは大きなため息を吐き出した。
(ループ回数を重ねれば重ねるほど、あの男はどんどん有利になっていく。こちらがどんな切り札を用意していようが、あの男からすれば既知の切り札である可能性が高い。切り札だと思っていたものが、知らず知らずのうちに対策をされていて、まったく使えない下策に成り代わっている可能性もある)
だからこそ、アーサーは悩む。
一条明が街で取っていた不穏なあの行動が、あえてこちらに見つかるようにしていたものなのか、違うのか。
(連中の中で一番厄介で、戦闘能力が高いのはヤツだ。そんなヤツが、イビルアイにただ追われるものか?)
普通に考えてありえない。何かしらの策を用意しているところだった、とみるべきだ。
(出来ればあの男の裏をかいてやりたいところだが……。下手に動けば、それこそあの男の掌の上だという可能性もある)
裏をかこうとすれば、その裏を。裏の裏をかこうとすれば、そのまた裏を。
一条明が今、どのような情報を持っているのかが分からないからこそ、思考は沼にハマっていく。一条明がタイムルーパーであるというその情報一つで、アーサーは自らの思考から抜け出せなくなる。
(いっそのこと、神父殿を連れて正面から襲った方が確実なのかもしれんな)
策もない、ステータスという絶対の暴力による蹂躙だ。
それこそがまさに、一条明に対する唯一の策なのではないか?
そんなことを、アーサーが考えたその時だった。
――ドォオオオオンッッ!!
突然、地揺れする轟音が夜の街に響き渡った。
「『ッ、何事だ!!』」
慌てて、アーサーは『念話』を飛ばす。
すぐに同胞からの返答はあった。
「『アーサーッ!! マズイ、連中が逃げ出した!!』」
「『なに!?』」
「『アイツら、隠れていた民家にガソリンを巻いて火をつけやがったんだ! 爆発に乗じて、何人かが逃げ出した! 爆発に巻き込まれた仲間も数人やられてる!!』」
頭の中に響く報告に、アーサーはすぐに事態を理解した。
(くそッ! こちらの襲撃がバレていたか!!)
一条明の策略か、はたまた相手の『索敵』スキルの範囲内に入ってしまったことによるものか。
どちらにせよ、襲撃は失敗した。
その事実を認めたアーサーは、取り乱すことなくすぐに思考を切り替える。
「『作戦は続行だ。すぐに逃げた連中の後を追え。依り代だけは絶対に逃がすな』」
「『でもッ! アイツら、三方向に別れて逃げてる! どれが依り代か見分けがつかねぇ!!』」
「『索敵を使え!!』」
「『もうやってる!! でも、逃げた三人全員が、二人分の気配を持ってるんだよ!!』」
「『何……だと!?』」
慌てて、アーサーは屋上の縁へ駆け寄り夜の街へと『望遠』スキルを発動した。
急速な勢いで強化されていく視力が、夜の街を駆ける三つの影を確かに捉える。
一人は、ニコライのいる礼拝堂がある方向へ。
もう一人は、横浜駅のある方向へ。
そしてもう一人は、残りの二人とは真逆の方向へ。
全員が全員、性別やその姿を隠すように赤黒いローブで全身をすっぽりと覆って、瓦礫や家屋の屋根を飛び越えながら一目散に走り去っていた。
(人影は三つ、しかし三つの人影に対して気配は二つ!! ――っ、やられた! 誰が依り代を抱えているのか分からなくさせる作戦か!? 三つのうち、残り二つは陽動だ!!)
アーサーはすぐに明の作戦を看破する。
その上で、逃げた三人のうち誰が蒼汰を抱えているのかを考える。
(単純に考えて、神父殿の元に依り代を持っていく可能性は低いっ! 駅の方向は、あの男がイビルアイを大量に引き連れていたところだ。下手すれば罠である可能性がある。あの中で一番、依り代を抱えている可能性が高いのは真逆に逃げたあのローブ!!)
……いやしかし、本当にそうだろうか?
もしかすれば、その考えの裏を読んでニコライの元へと向かうあの影こそが、依り代を抱えた正解なのではないだろうか?
(ッ、くそ!!)
迷っている時間はない。
そうしている間にも、三つのローブはどんどん距離を空けている。
(――……仕方ない)
顔を歪めて、奥歯を割れんばかりに噛みしめたアーサーは、やがて静かに決断を下す。
「『……部隊を半分に分けろ。半分は駅の方角に。残りの半分は、一番遠くに逃げるローブを追え』」
「『ッ、残りの一つはどうする!?』」
「『神父殿に任せる。それで十分なはずだ』」
言われた言葉に、『念話』先の男は納得したようだ。了承を示す言葉を最後に『念話』が途切れたのを確認して、アーサーは大きく息を吐き出した。
「やってくれるじゃないかタイムルーパー」
呟き、アーサーは動き出す。
向かう足は、三つの影の中でも街から離れるように逃げていくローブ姿へと向けられていた。