似た者
「代わる? 柏葉さんが?」
「はい」
真剣な表情で柏葉は頷いた。
その顔を見つめて、明はゆるやかに首を横に振る。
「……気持ちは嬉しいですけど、大丈夫です」
柏葉が弱いとは言わない。
一条明という人間を除けば、柏葉薫という女性はまず間違いなく、人類に残された希望にもなりうる戦闘能力を今や有している。
でも、そんな彼女でもまだ、この現状を打破するだけの力がない。
大量のイビルアイに囲まれ、もし弱体化の魔法でも使われでもしたら。……彼女は、生きて地下から抜け出すことなんて出来ないだろう。
だから、柏葉には無理だ。
そんな表情で、明は彼女の瞳を見つめた。
「大量のイビルアイのヘイトを管理しながら、イビルアイが大量に蠢く地下まで誘導して脱出しなくちゃいけない。連中の攻撃手段は弱体化の魔法が中心ですけど、普通に体当たりなんか使った攻撃もしてくるんです。戦闘もなく地下から抜け出すのが、今の俺でもギリギリだ。今の柏葉さんがこの中に足を踏み入れれば、生きて戻れない可能性だってある」
「分かってます。だからこそ、です」
「……? どういうことですか?」
「忘れました? 私にはこのスキルがあるってこと」
言って、柏葉は明を見つめる。小さく動く彼女の唇が何かを唱える。
するとゆっくりと、彼女の姿が消えた。『隠密』スキルを使ったのだ。
消えたと思った彼女の姿はすぐにまた明の目の前に現れて、彼女は、その口元にニコリとした笑みを浮かべた。
「『隠密』スキル。このスキルの発動中、私はモンスターから狙われることなく姿を消すことが出来ます。これさえあれば、私はイビルアイに襲われることなく地下から抜け出すことが出来るはずです」
なるほど。確かにその方法でなら可能かもしれない。
明は柏葉の言葉に小さく頷いた。
けれど、それでもまだ不安は残るのは事実だ。抜け出すことが出来たとしても、彼女はどうやってイビルアイを地下の中まで誘導するつもりなのだろうか。
そんな考えが顔に出ていたらしい。
柏葉は、説明を続けるように言った。
「その方法ですが、トロフィーの効果でヘイトの高い一条さんがイビルアイをこの入口付近まで誘導して、地下に続くここから先の誘導を私が引き受ける。そうして、地下に誘導した後に私は『隠密』で姿を消して脱出する」
「地下まで入るにはどうするつもりですか? 今の地下街は、入るのも簡単じゃないですよ」
「『隠密』スキルのONとOFFを繰り返しながら、奥まで進みます。姿が現れている時はイビルアイの注意が私に向くはずですし、囲まれた際には『隠密』を使って注意を逸らします。それを繰り返しながら奥まで進んで、そこからは『隠密』を使って一気に脱出する」
「危険です。ヘイト管理を失敗すれば、柏葉さんが死んでしまう」
「それでも、これがもっとも確実で早い方法です」
言われた言葉に明は黙り込んだ。
時間がないのは事実だ。蒼汰が『ヴィネの左腕』に取り込まれるまであと一日は時間があるが、それもリリスライラと衝突することを考えれば無いに等しい。
悩む明をよそに、柏葉は淡々とした調子で言葉を続けていく。
「問題は、一条さんに向けられていたヘイトを私に向けることですが……。一条さん、確か今日の分の『スキルリセット』残ってましたよね?」
「あ、ああ。確かに今日はまだ使ってないけど」
「良かった。それで、私のスキルをリセットしましょう」
「柏葉さんのスキルを?」
「はい。『投擲』スキルを消して、『挑発』スキルを取得すれば、一条さんに向いていたヘイトを一瞬、私に向けることが出来ます。その隙に一条さんがこの場を離れれば、誘導していたイビルアイのヘイトはこの場に残された私一人に向くはずです」
「……確かに、それなら誘導のスイッチは出来ます。……けど、やっぱり危険です。この方法に失敗すれば、柏葉さんは――――」
「大丈夫です」
明の言葉を柏葉は遮った。
柏葉は明を見つめて、もう一度言う。
「大丈夫です。私に、やらせてください」
静かに、明は彼女を見つめた。
力強い瞳だった。彼女はすでに、覚悟を決めていた。
もともと誰かのために、という想いが強かった彼女だ。以前の明ならばその想いを知りながらも反対し、自力でどうにかしようと思っただろうが、今はもう、共に肩を並べて戦ってくれる仲間がいることを彼は知っている。
「はぁー……」
ゆっくりと、明は息を吐き出した。
そして小さく明は口元に笑みを浮かべると、『解析』を使って彼女のステータスを表示させる。
「分かりました。任せます」
『スキルリセット』を使用する。彼女のステータス画面から『投擲』スキルを選択し、出てきた選択肢で『Y』を押す。
柏葉も、自分のステータス画面の中から『投擲』スキルが消えたことを確認したのだろう。すぐにスキル一覧を開いて、そこに並ぶスキルの中から目当てのスキルを選択した。
「…………それじゃあ、後半戦をはじめましょう。よろしくお願いします」
自らを奮い立たせるように柏葉は言った。
その言葉に、明は頷いた。
「お願いします」
柏葉の作戦は上手くいった。
『隠密』スキルのおかげで、イビルアイの誘導がグッと楽になった。
もちろん、当の本人からすれば楽なものではなかっただろう。実際に、何度か危険な目にあったのか顔を青くしながら地下街から抜け出すこともあった。
けど、それでも柏葉はやめなかった。
まるで自分自身に言い聞かせるように。
何度も。何度も大丈夫と笑って呟いて、彼女は任された仕事を全うした。
「……うん。これならもう、十分です」
瓦礫の下に広がる大量のモンスターの気配を感じながら、明は呟く。
その言葉に、柏葉は疲れた笑みで小さく笑った。
「良かった。……でも、これ一つで終わりじゃないですよね? あともう一つ、二つは用意しないと」
「ええ。でも――」
ちらりと、明は瓦礫へと目を向ける。そこの下に蠢く大量の気配を肌身で感じる。
地下街に詰め込んだイビルアイの数は、概算で二百五十匹。当初の予定であれば、その三分の一の数で良かったところを、途中から柏葉が誘導を変わってくれたおかげで目標以上の数を地下に詰め込むことが出来ていた。
(限界にまでイビルアイを詰め込んだ場所だ。この場所にリリスライラの連中を誘導することが出来れば、連中と大量のイビルアイが衝突するのは間違いない)
明は柏葉の顔を盗み見た。
疲労が溜まっている顔だ。問いかければ本人はまず間違いなく平気だと言うだろうが、その言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。彼女は自分の体調を隠して無理をする癖がある。
(……でも、それは俺も同じか。きっと奈緒さんが聞いたらそう言うんだろうな)
似た者同士だと思った。
自分を殺して、誰かのために生きているその姿が。
今の一条明と、そっくりだと明はそう思った。
(シナリオが、そのきっかけになったのは間違いないんだろうな)
彼女は知ってしまった。
誰かのために、というその想いが叶う未来があることを。
自分を殺し、自らの限界を超えてまで掴み取れる未来があることを、彼女は知ってしまった。
(だからこそ、誰かが止めなくちゃいけない)
明日にでもリリスライラとの全面衝突がある今のこの時に、無理に彼女を疲労させる必要もない。
モンスターハウスがいくつかあった方が連中を誘導するのは楽になるのは確かだが、それで疲労が蓄積していれば本末転倒もいいところだ。
(疲労が、戦闘の足を引っ張る可能性もある。もしも柏葉さんが死ぬようなことがあれば、俺は……)
多分、死に戻る。
一条明が目指す『みんなが笑い合って過ごせる世界』とは程遠いその結末を、きっと、いや必ず自分は否定する。
(奈緒さんだってきっと、同じこと言うだろうな)
心で呟き、明は笑った。
彼女がいつも明のことを心配していた理由がようやく分かったからだ。
「柏葉さん」
と明は彼女を呼ぶ。
その声に、彼女が疲れを隠した瞳を向ける。
「はい?」
「作戦は、終了です。ここで帰りましょう」
「え? 何でですか?」
「柏葉さんのおかげで、当初の予定よりも多くイビルアイを誘導することが出来ました。これなら、この場所一つでどうにか出来ると思います。これ以上の誘導は必要ないです」
「でも――」
明が自分を気遣っていることが分かったのだろう。柏葉は食い下がるように言った。
その言葉に、明ははっきりと首を横に振る。
「俺たちの役目は終わりです。あとは、連中が上手くイビルアイと衝突してくれることを祈りましょう」
「…………分かり、ました」
不承不承、と柏葉は頷いた。
その様子に明は小さく笑って、ぐっと伸びをすると問いかける。
「何か、素材でも集めながら帰りましょうか」
「いいんですか?」
「もちろん」
途端に顔を輝かせる柏葉に明は笑う。
明達に残された時間は少ない。
けれど、それでも。今という時間を過ごすための時間ぐらいは、きっと残されているはずだ。