フラグ管理
夜が明けて、一日目。
前日の話し合いで決まった通り横浜の街へと向かった明達は、すぐに捜索する範囲を決めると、足早に街の中を駆け抜けていた。
「なん、で! あたし達、朝からこんなに走ってんの!?」
息を切らせながら彩夏が叫ぶ。
「そろそろ、休憩したいんだけど!」
「仕方ねぇだろ!」
と、彩夏の言葉に応えたのは明だ。
汗を流す彼女たちと比べて、ステータスに大幅な差があるからか明の額には汗一つ浮かんでいない。それどころか彼女たち三人分の荷物と自分の荷物、さらには蒼汰を腕に抱きながら走る彼は、余裕のある表情で背後を振り返った。
「この街の北西部に、初日のこの段階では父親がいないことは既に分かってんだ! かといって、街の東側はリリスライラの活動範囲だから迂闊に近づけない。今、この段階でリリスライラの連中に見つかれば、すぐに襲われるのは目に見えてる! だから、今回は街の南側を探索しよう……って、これさっき言ったよな!?」
「それは分かってるんだけど! だからって、こんなに急ぐ理由ある!?」
「急がないと、父親を捜索する時間が無くなるんだよ」
明に代わって、奈緒が彩夏の疑問に答えた。
「昨日、私達が居たのは街の北西部に近い場所だ。あの場所から街の南側へ移動するだけでも、直線距離で30キロ以上。のんびり歩けば少なくとも5時間はかかる! それに、実際にはモンスターの影響で、道が途絶えてるところも多いんだ。少しでも時間に余裕を持たせようと思うなら、今は走るしかない!!」
「ってか、花柳。お前……クエストの関係で10キロランニングしてただろ。そのスタミナでどうやって終わらせたんだ?」
「だから、あの時も本当にキツかったの!」
不思議そうにする明へと、彩夏が声を荒げるようにして言い返した。
「短い距離なら全然平気なんだけど、長距離は昔から苦手なんだって! それよりも、逆に、どうしてオッサンや七瀬は平気なわけ!? 七瀬なんて、体力値もあたしとそう変わんないじゃん!!」
「そういえば、確かにそうですね。一条さんはまだしも、七瀬さんが息が切れてないのは不思議です。喫煙者なのに……」
彩夏ほどじゃないにせよ、息を切らした柏葉が首を捻った。
「七瀬さんの体力値って、私たちとそう変わりませんよね?」
「あー、それは多分だけど。体力値=スタミナじゃないからだと思う」
柏葉の言葉に明が呟いた。
「このステータスにある体力値ってのは、簡単に言えばその人が持ってる生命力だ。ゲームで言うところのHPバーだと思ってくれていい。走ったり動いたりした時に感じる、疲労とはまた別なんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。まあ、推測だけどな。……だけど、ほぼほぼ当たりだと思うぞ。『第六感』が反応してるし」
言って、明は思考を巡らせた。
これまでもそうだが、ときおりこうして『第六感』スキルが反応を示してくることがある。そんな時は決まって、なぜかは分からないが、必ずその推測が"正しい"という確信を持つことが出来ていた。
「また『第六感』ですか……。ほんと、何なんでしょうね、そのスキル」
難しい顔で柏葉が言った。
すると疲労に顔を歪めたで彩夏が呟く。
「あたしからすれば、喫煙者なのに平然としてる今の七瀬の方が気になるんだけど」
「いや、私もかなりキツイ。正直、タバコやめとけば良かったって本気で思ってる。……でも、それでも楽そうに見えるのは、昔取った杵柄ってやつだろうな」
そう言うと奈緒は、明に追従するように進路を塞ぐ瓦礫を飛び越えた。
着地をすると同時にまた地面を蹴って、今度は角から姿を見せたイビルアイ――横浜の街に出現する、巨大な目玉の姿をしたモンスターだ。動きは遅いがこちらのステータスを下げるデバフ魔法を使って来る――へと素早く魔導銃の照準を合わせると、魔法を発動させた。
「ショックアロー!」
飛び出した光の矢がイビルアイに当たり、衝撃となって炸裂した。
耳障りな音を出して蠢くイビルアイを、続けて瓦礫を飛び越えてきた柏葉が通りすがりに短剣で一撃を加えて、最後に瓦礫を飛び越えてきた彩夏がその目玉の中心を短剣で貫いた。
ブチュリと音を立てながら潰れる目玉が、決して手では触れたくない緑の粘液を周囲に飛ばす。それを避けながら、彩夏は貫いた短剣を引き抜くと同時にトドメとばかりにイビルアイへと蹴りを入れて、苛立つように声をあげた。
「あー、もう。ただでさえキツイのに鬱陶しい! コイツ、何で死に際に変な液体飛ばしてくるわけ!?」
「それも含めて、一つの攻撃なんだろ!」
叫ぶように彩夏へと言い返して、明は、彼女たちと同様に飛び出してきたイビルアイへと飛び掛かると勢いよくその目玉の中心へと踵を落とした。
「こいつらの魔法にだけは気を付けろ! こっちのステータス落としてくるから、一気に叩かれて終わるぞ!」
「分かってる!」
叫び、彩夏は仲間の死体の影から飛び出してきたイビルアイを踏みつけた。
ゼラチン状の何かを直接足の裏で踏みつぶしたような感触が靴越しでも伝わり、ぞわりと彩夏の皮膚が粟立つ。けれどそこで動きは止めずに、彼女はすぐさまその目玉を蹴り飛ばして再び走り出した。
そうして幾度となくモンスターとの戦闘を繰り返し、時には足止めされながらも、明達がようやく事前に決めた探索の範囲内に入ったのは、横浜の街への足を踏み入れてからちょうど三十分後のことだった。
「時間がない。すぐに探そう」
明の号令で息つく暇もなく二手に分かれて、彼らは捜索をし始める。
――しかし、結果は空振り。
半日ほどかけて捜索したが父親の姿は見つからず、街の南側には父親がいないことを結論付けた明達は、これまでのループで安全が確保できていることが分かっている街の北西部へと一度戻り、そこで夜を明かした。
そうして、迎えた二日目。
前々回のループをなぞるように街の東側へと移動した明達は、予定通り蒼汰の父親と接触を図ろうとしていた。
「……で、これからどうするんだ?」
ビルの物陰からこの街のボスモンスターであるサハギンチーフの姿を眺めながら、奈緒が言った。
「ここに来れば父親に会えるって言ってたけど、どこにもいないね。『索敵』スキルにも反応はないし」
事前に話を聞いて、『索敵』を発動させていたのだろう。彩夏が訝しむように首を傾げている。
「本当にここにいるの?」
「いる。それは間違いない。『索敵』スキルに反応がないのは、効果範囲外から俺たちを見ているからだろうな」
明はそう呟くと、ちらりとした視線を背後のビル群へと向けた。
「この街は、湾港部に近づけば近づくほど背の高い建物が少ない。けど、少し離れればすぐに高層ビル群が立ち並ぶ場所だ。ビル群の中で探そうと思えば、他のビルや瓦礫が視界を遮り邪魔にはなるが、逆に、ビル群からはこの水場が良く見える」
「あのビルから? 見えるの?」
「双眼鏡でも使えばすぐに見えるさ。それなりの速度値さえあれば、あそこからここまで来るのに数秒もかからない」
「なるほどね」
と彩夏が明の言葉に息を吐いた。
「あっちはあたし達のことが見えてるから、あたし達が動き出せばそれに合わせて動いて隠れることも出来るわけか。でもそれじゃあ、それこそどうするの? 会うんでしょ? 何か方法があるわけ?」
「もちろん。フラグを立てるんだよ」
「フラグ?」
彩夏が眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「何かしらの条件が必要ってことか」
元が技術職だからだろう。明の言葉の意味に、奈緒はすぐさま気が付いたようだ。
「ええ。それを、これから行います。先に言いますけど、絶対に蒼汰をここに隠していてくださいね。蒼汰が出てくると、多分、あの人はすぐに逃げますから」
「……? ああ、分かった」
こくりと奈緒が頷く。それを見て、明はおもむろに立ち上がった。
「お願いします」
突然、明が立ち上がったからだろう。彼女たち三人は、呆けたような視線で彼の動きを追いかけた。
「あの、一条さん? 何をするつもりですか?」
三人の疑問を代表するように、柏葉が口を開く。
その言葉に、明はニコリと小さく笑った。準備運動をするように屈伸を何度か挟むと、前を向いて表情を改める。
「それじゃあ、フラグを立ててきます」
その行動は、何の前触れもないものだった。
いきなり物陰から飛び出した明は、躊躇する様子もなくサハギンチーフの元へと駆け出したのだ。
「はっ!?」
「一条さん!?」
「フラッグって、まさかそれの事なの!?」
突然の明の行動に、彼女たちの口から驚愕の声が漏れた。
「オッサンを追いかけないと!」
「いや、でもこの場合って追いかけちゃダメなんじゃ? 蒼汰くんのことしか一条さんは言ってませんでしたよ!?」
「~~~~ッ、ああ、もう! 一言ぐらい説明していけ!!」
背後でぎゃあぎゃあと騒ぐ奈緒たちの言葉に、明は心の中で謝罪した。
言い忘れたわけじゃない。彼女たちに黙ってサハギンチーフの元へと向かったのも、明が考えるフラグ管理の一つだと思ったからだ。
(父親が出てくるまで、なるべく行動を変えないようにする。そうすれば、きっと――――)
心で言いながら、明は身に付けていた防具の全てを脱ぎ捨てる。
出来るだけ、あの時と同じように。自らの命を今ここで落としても構わないと言わんばかりに、明は、サハギンチーフの間合いへと無防備な姿で向かっていく。
「さぁ、こい!」
一言一句違わぬ、あの時と同じ言葉。
それを、この付近のどこかでしかと見ているであろうその人物に届けとばかりに声を張り上げ、明はサハギンチーフの前へと躍り出た。
声が聞こえたのは、その時だった。
「『疾走』ッ!!」
大きな声だった。
その声に、明は待ってましたとばかりに唇を綻ばせた。
「結果は、同じところに辿り着く」
呟き、明は助けに来た男へと視線を向けた。
「待ってましたよ。龍一さん」
「……あ゛?」
明の言葉に、その人物――清水龍一の眉間に深い皺が刻まれていた。




