タイムリミットの過ごし方
目覚めは最悪の一言だった。
幻覚のように残る首の痛みに呻きつつ、明は傷のない首を摩りながら心の中で盛大に毒づいた。
(あんなの、どうすりゃいいんだよ! 化け物のステータスが一度見た内容と違う。それどころか、『解析』に表示された名前すらも変わってるッ!! 最初に見た時は蒼汰の名前だったのに、前回の『解析』で表示されていたのは『暴走するヴィネの左腕』だ。いったいどうなってやがる)
ガシガシと頭を掻き毟り、顔を覆った。
痺れのように残る幻覚の痛みがやがて消えていく。混乱する思考がようやく落ち着いてゆく。
明は冷静になるため大きく息を吐き出すと、現状の出揃っている情報を頭の中で纏め始めた。
(まず、蒼汰の中に魔王の身体の一部が埋め込まれているのは間違いない。その身体の一部ってのは、『暴走するヴィネの左腕』って名前からして、左腕で間違いないだろう。蒼汰は、リリスライラの連中から〝器〟と呼ばれ狙われている。連中に掴まれば最後、ヴィネの生贄にされて化け物に代わる。連中に掴まらないように逃げても、今から三日後には蒼汰の身体に埋め込まれたヴィネの左腕が暴走して、蒼汰自身をモンスターに変えてしまう)
これが蒼汰を取り巻く現状だ。同時に、防がなくてはいけない最悪の結末でもある。
(化け物やモンスター化した蒼汰のステータスやスキルは、何もかもがぶっ壊れている。ミノタウロスやギガントの時のように、どうにか出来るなんてものじゃない。正真正銘の、負けイベントだとあれは思った方がいい)
戦闘は出来ない。いや、そのための準備を行う過程で確実に、一条明という男の心は今度こそ本当に壊れてしまう。
(この状況を変えるために、俺たちが出来ることはたった一つだ。……蒼汰の身体の中にある、左腕を取り除くこと。それも、今から三日以内に取り除かなければならない)
果たして本当に、そんなことが出来るのだろうか。
これが体内にあるものならそれを取り除けば済む話だが、問題はそれが蒼汰の身体の中には無かった場合だ。……何せ、『解析』にも表示されない異物なのだ。物理的に取り除くことは不可能のように思えた。
(クッソ、ニコライの野郎が蒼汰のことを歪だって言っていたのはこういうことかよ。蒼汰は今、人とモンスター、二つの種族の狭間にいるんだ)
その拮抗は、時間が経つにつれてじわじわと崩れ、モンスター側へと傾きつつある。
そこまで考えて、ふと、明はニコライが言っていたことを思い出した。
(…………そうだ。ちょっと待て。アイツ、初めて俺たちに会った時に『猶予がもうない』って言ってたよな? ってことは、アイツには蒼汰がやがて左腕に飲み込まれて暴走することが分かっていたのか? だとしたら……そうかッ! 連中が躍起になって蒼汰を狙っているのはコレが本当の理由か!!)
おそらく、ヴィネの身体に耐えられる人間がそういないのだろう。仮に居たとしても、時間の経過でヴィネの身体が暴走するリスクが上がるのならば、連中が躍起になって蒼汰を探していた理由にも納得がいく。
(そうなると、連中が自分たちの手で蒼汰を逃がすなんて考えにくい。連中から蒼汰を一度奪った人がいるはずだ)
ゆっくりと明は息を吐いた。
その人物に心当たりがあった。いや、まず間違いなくそれを成したのは彼しかいない。
「父親か」
「一条?」
呟く明の声が聞こえたのだろう。奈緒が不思議そうな顔で明へと視線を送った。
「どうした?」
「……すみません。わりと、いやかなり。厄介なことに巻き込まれてます」
その一言ですべてが伝わったらしい。
奈緒ははっとした表情になると、小さく頷いた。
「分かった。詳しく聞かせてくれ」
「はぁ……。どうして、こう……。次から次へと無理難題がやってくるわけ?」
数十分後。
明から事のあらましを全て聞き終えて、彩夏が大きなため息を吐き出していた。
「オッサンが拾ってきた子供がまさか世界が破滅するかどうかの鍵になってるだなんて、普通は信じられない話なんだけど? それも残された期限は三日? 短すぎでしょ」
「そうでもない。ミノタウロスやギガントの時は期限が半日も無かったんだ。三日もあれば十分、いろいろ出来ることがある」
「ダメだ。このオッサン、感覚が狂ってる。話になんない」
彩夏はそう言うと、呆れた視線を明へと向けた。
その言葉に、柏葉は小さな苦笑いを浮かべて口を開いた。
「まあ、一条さんが狂ってるのは今に始まったことじゃないから。今はそれよりも、これからどうするのかを話し合わないと」
彩夏の言葉を否定するわけでもなく、さらりと肯定した柏葉は考え込むように唇に指を当てる。
「蒼汰くんの身体の中にある、左腕を取り除く方法か……。一条さんは心当たりがないんですよね?」
「そうですね。そのあたりを探すために、しばらくはまた、繰り返さないといけないと思う」
「繰り返すって、お前……。今回のループは今までとはわけが違うだろ」
奈緒が明の言葉に深いため息を吐き出した。
「今までは敵の強さが分かった上で、それを超えるためにループを繰り返した。繰り返すことで、勝機を見いだせた。だけど、今回はそうじゃない。何かしらの目星をつけておかないと、ただ無意味に繰り返すだけになるぞ」
その言葉に、明は頷いた。
奈緒の言うことももっともだ。今回のループは、結末は分かっているがその方法を解決するための道筋を探すループであり、今までのループとは本質が違う。
リリスライラの連中と渡り合うためにも、今よりもレベルアップは必要だろうがそれは、直接的な解決方法にはならない。
「ええ、だから今回のループでは蒼汰の父親に――清水龍一っていう男のもとに行こうかと思います」
「蒼汰の父親に? どうして」
「あの人が、リリスライラの連中から蒼汰を一度取り戻しているからですよ。蒼汰を隠していたってことは、あの人は蒼汰を取り巻く全てを知っているはずだ。あの人と情報を交換することが出来れば、蒼汰を救う方法にある程度の目星もつくかもしれない」
「……なるほど」
難しい顔で、奈緒は呟いた。
「だったら、すぐにでも動かないとな。何せ、時間が限られてるんだ」
言って、奈緒は立ちあがった。すると、それを慌てたように明が制する。
「ちょ、ちょっと待ってください! 蒼汰の父親には会いますけど、それは俺一人です。それも、今すぐじゃない。今から二日後の昼間です」
「お前ひとり? それに二日後の昼間? なんで??」
奈緒が不思議そうな顔で首を傾げた。
その問いに、明はため息を吐き出しながら答える。
「蒼汰の父親と最初に出会ったのがその日だから、ですよ。あの日、俺たちはいくら探しても蒼汰の父親を見つけられなかったんです。でも、その日だけは会うことが出来た。逆を言えば、あの時と同じ行動を取らなければ、蒼汰の父親と会うことが出来ないかもしれない」
「バタフライエフェクト、か」
身に覚えがあるのだろう。奈緒が煙たそうにその単語を吐き出した。
「確かに、お前の言うことも分かるが……。時間が無いんだろ? それなのに、二日目まで同じ行動を繰り返して待っていろっていうのか? 以前のお前は二日目で蒼汰の父親に出会えたかもしれないが、今回、以前とは違う行動を取ればもしかしたら明日にでも父親に会えるかもしれないじゃないか」
「会えなかった時はどうするんです? 無駄に三日間を終えるかもしれない」
「詭弁だ。試してみないと分からない」
「それこそ詭弁ですよ。奈緒さんがしようとしていることは、存在しない悪魔を証明するために探しに行こうとしているようなものだ。……仮に、その行動で出会えなかったとしても、その行動が間違っていただけっていう結論に行き着くだけで終わってしまう」
「ちょ、ちょっと二人とも!! ストップ。ストップです!!」
口論になり始めたのを察したのだろうか、柏葉が慌てて二人の間に割って入った。
「一条さんが言いたいことも、奈緒さんが言いたいことも分かります! 分かりますけど、今は言い争いしている場合じゃないです!」
「そうだよ、二人とも熱くなりすぎ。二人が喧嘩してたら、それこそ何も出来ずに終わりを迎えるって」
言って、彩夏は小さくため息を吐き出すと二人の顔を見つめた。
「オッサンに確認なんだけど、最初のループの時、あたし達はあの子の父親を探してたんでしょ? その時に父親は見つからなかったのは確かなの?」
「ああ。いくら探しても見つからなかった」
明は彩夏の言葉に頷いた。
それを聞いて、彩夏は言葉を続ける。
「それじゃあ、今回のループはその時に探索した場所じゃないところを探すってのはどう? それで、明日いっぱいかけて探しても父親が見つからなければ諦めて、二日目になればその時と同じ行動を取る。これなら二人の言い分の折衷案になるでしょ?」
その言葉に、明はふむと考え込んだ。
彩夏の提案は悪くないように思える。懸念があるとすれば、一日を費やして取る別の行動が、その後の影響にどれだけ関わってくるのかだが。
(……まあ、これで二日目に影響を及ぼすようなら、次で理由を話して納得してもらえばいいか)
明は心の中でそう呟くと、しかと頷いた。
「分かった、それでいいよ。奈緒さんはどうですか?」
「私もそれで構わない」
二人の同意を確認して、彩夏が頷いた。
「それじゃあ、明日からの行動はそれで。……それじゃあ、オッサン。オッサンが経験した、最初のループで探索した場所のことを教えてよ」
言われて、明は三人へと説明する。
「ああ、あの時に俺たちが探索した場所は……」