魔力の斬撃
体内で渦巻く魔力は暴発寸前だった。
両手に掴む双剣に魔力を送るたび、体内に刻まれた魔力回路が耐え切ることが出来ず悲鳴を上げている。肌を突き刺す激しい痛みは集中力を乱し、ほんの少しでも気を抜けば、練り上げた魔力があっという間に霧散してしまうような、そんな感覚がひしひしと伝わってくる。
「ふぅ……ッ!」
握りしめた双剣の輝きを見つめて、花柳彩夏は短く区切るような息を吐き出した。
頬を伝い、流れ落ちる汗が鬱陶しい。
早鐘のように鳴り続ける心臓が、今にも限界を迎えて破裂してしまいそうだ。
『魔力連撃』という、本来であれば今はまだ扱うことの出来ないその力の奔流に、未熟な身体が限界を迎えようとしている。
「……っ」
ふと視線をあげると、リリスライラの信者を相手に明が大立ち回りをしていた。
幾度となく繰り返した生き死にの結果、対モンスター戦においては誰よりも経験豊富な彼でも、対人戦ともなればまた勝手が違うようだ。
間合いの読み合い、フェイント。奇襲に騙し討ち。そして、手数。
これまで、ステータスという名前の一方的な暴力を振るわれてきたきたモンスターとはまた違う、同じ人間を相手にしているからこそ生まれるそれらの要素が、対人経験の乏しい明をじわじわと追い詰めている。
(その、経験の差を埋めようとして、オッサンは何かしらの新しいスキルを取ったみたいだけど……)
明の動きは明らかに変わった。
より強く、より速く。かつて彼が使っていた全力には遠く及ばずとも、それでも、それに並ぶ強さを彼は身に付けた。
けれど、それを四人の信者たちは受け止めた。
圧倒的と思われた彼のステータスは、リリスライラの信者たちが使う『疾走』や『剛力』といったステータス補正のスキルによって打ち消されたのだ。
今や彼の力は信者たちと互角だ。
いや、より正確にいえば。一条明はようやく信者たちと互角になった、と言えるのだろう。
「もう……ちょい」
呟き、彩夏は奥歯を噛みしめた。
彼が一人で稼ぐことが出来る時間もそろそろ限界だ。それを、彩夏は誰よりも傍で見ているからこそ肌で感じ取っていた。
(早く、溜まれ!)
だからこそ、焦る。
彼の敗北はすなわち、彼を中心に集まる全員の敗北を意味するから。
彼が敵わない相手に、彼女たち三人が勝てるはずがないことを分かっているから。
一秒でも早く、彼の助けにならなければと。刹那でも早く、このスキルを発動しなければと。
彩夏はそんな焦燥に駆られながらも、祈るような気持ちで明の戦いを見つめ続ける。
「――ッ、終わった!!」
スキルの準備が整ったのは、それから数十秒後のことだった。
一度も暴発することなく、無事に魔力を溜め込んだ双剣にひとまず安堵の息を吐き出すと、彩夏は声を張り上げる。
「オッサン!」
呼ばれたその言葉に、明は彩夏の準備が整ったことを察したらしい。
「ふっ!!」
明は、今まで相手をしていた般若面の男を牽制するように、その手に持つ両手剣を袈裟懸けに振るうと、
「ッらァ!!」
小さくステップを踏むようにくるりと身体を回して、男の腹へと回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ」
凄まじい衝撃に、男が腹を押さえてたたらを踏む。明は追い打ちをかけるように、男の足元を刈り取るような足払いをかけてその体勢を崩すと、飛び跳ねるように地面を蹴ってその場から離脱した。
「やれッ、花柳!!」
「うんっ!!」
明の叫びに、彩夏は頷いた。
すっと、視線を持ち上げる。
「一つ」
呟き、彼女は溜め込んだ力を解放させた。横に薙ぎ払われた右手の刃は、彼女の身体から放たれる魔力を纏いその威力と範囲を拡大させて、青白く光り輝く。
「二つ!」
夜闇を斬り裂きながら飛ぶ魔力の斬撃を、続けざまに振るう左の斬撃が追いかける。
「三つ!!」
腰元に双剣を構えて、彩夏は逆袈裟に斬り上げるように両手を振り抜いた。
途端に視界がぎゅっと狭まり、息が詰まる。意識が一瞬にして奪われそうになる。……肺が、脳が、全身が。己の限界を超えて振るわれるその力に、悲鳴を上げている。
「ッ!」
それでも、彩夏は止まらない。止まるわけにはいかない。
連撃はまだ終わっていないのだ。この双剣に溜めた力は、まだ残っているのだ!
「ラストッ」
前を向く。その瞳に、彼女はしかと己の敵を見据えて、睨み付ける。
ひゅっと、息を吸い込んだ。
この一瞬を後悔しないために。
今を生きて明日を迎えるために。
限界を迎えた身体が倒れないように、ダンッと音が鳴るほど力強く地面を踏みしめ、花柳彩夏は大きく両腕を開き、構える。
「四つ目ェエエ!!」
そして彼女は、二つの刃を噛み合わせるようにして両腕を交差させるように闇を斬り裂く。
斬撃は、一つに重なった。
より大きく、より強大に。同時に振るわれた二つの刃はその威力と範囲を拡大させて、夜を斬り裂き飛んでいく。
それは、さながらかつての一条明が放った『魔力撃』のように。
眼前に立ちふさがる己の敵を切り裂くために、自らの限界を超えて少女が放つ全身全霊の一撃だった。
※ ※ ※
彩夏が振るった魔力の斬撃は、文明の消えた夜の街を青白く照らし、斬り裂いていた。
一瞬の静寂の後、崩れ落ちる家屋やビルの残骸が轟音となって暗闇の中に響き渡る。巻き起こる煙塵はあたり一面を覆い隠すように広がり、スキル発動後の硬直で身動きの取れない少女の姿をあっという間に覆い隠した。
「はっ、はっ、はっ、はっ…………」
視界いっぱいに広がる土埃の中、彩夏は荒い息を吐いて残心を解くように腕を下ろした。
「っ!!」
ぐらりと、身体が大きく揺れる。
慌てて踏ん張ろうとするも、力が入らない。膝が折れた身体は自分の意思とは関係なく、崩れるようにして地面へと傾いていく。
それを、煙塵の中から伸びた腕が支えた。
「助かった」
明だった。
明は、身動きの出来なくなった彩夏をゆっくりと地面に座らせると、囁くように言う。
「あとは任せてくれ」
「……よろしく。これで負けたら、許さないから」
「分かってる」
呟き、視線を上げた。
彩夏が放った渾身の一撃によって、戦況は大きく変化している。
般若面の男は、『魔力連撃』が発動する直前に体勢を崩したことが大きく響いたのか、続けざまに振るわれる魔力の斬撃をモロに受けて絶命した。ピエロマスクの女も目だし帽の男も、回避が間に合わず斬り裂かれている。視界を遮る煙塵のせいでその生死は不明だが、まず間違いなく致命傷を負ったのは確かだ。すぐに動けるとは思えない。
(と、なると……。残りはガスマスクの男だけか)
心で呟き、両手剣を構える。
そうして、煙塵に隠れたその男を探すように明は瞳を細める。
「……やれやれ。相変わらず、派手にやってくれる」
どこからともなく、声が聞こえたのはその時だった。
ついで、土煙の中から影が飛び出してくる。――ガスマスクの男だ。どうやら、彩夏の放った連撃を全て、この男は躱していたらしい。
「っ!」
明は、振るわれた刃を反射的に正面から受け止めた。
甲高い音と共に火花が散って、刃越しに伝わる衝撃に両腕が甘く痺れる。がりがりと互いの刃が合わさり、やがて二人の動きが止まる。
鍔迫り合いだ。拮抗した力は、二人の男をその場に釘付けにしていた。
(くッそ……。力が、強い……!!)
しかしそれも、長くは続かなかった。
じりじりと押されて、少しずつ明の体勢が崩れていく。
それを、必死に耐えるよう力を込めて、明は至近距離から男を睨み付ける。
そんな時だ。
ふと、ガスマスク越しに瞳がぶつかった。
「――……お前」
見覚えのある目元だった。
色素の薄いその虹彩も。年齢を重ね皮膚に刻まれた薄い皺も。日本人離れした、彫りの深いその鼻梁も。
ガスマスクのレンズ越しに見えるそれらのパーツの何もかもが、記憶の中にあるあの男と一致していた。
「まさか!」
はっとして、明は叫んだ。
その言葉に、ガスマスク越しに見つめるその瞳が嗤う。
「ようやく気が付いたか」
耳に届いた聞き覚えのある声に、間違いないと確信する。
こいつは――。いや、この男は!!
「アーサー・ノア・ハイド……ッ!」
唸るように呟く声に、その男――アーサーは喉を鳴らすように笑った。