正体
最初の狙いは、先ほど相手したキツネ面の男だった。
開かれていた距離は一瞬にしてゼロになる。男へと肉迫すると同時に、明は大きく足を開いて、力強く地面を踏みしめる。
「おぉおおッ!」
雄叫びと、腰だめに構えていた両手剣を横に薙ぐようにして振り抜く動作は、ほぼ同じ。
「はッ」
目にも止まらぬ速度で剣を振るう明に、男の瞳が見開かれた。焦りの言葉を吐き出し、男は迫る刃を躱そうと地面を蹴る。
「――や!」
だがそれも、全力の明を相手にするには遅すぎた。
男の言葉が言い終わらぬうちに、銀閃は男の左腕を捉えていた。
肉を裂き、骨を断って。刃は、男の左腕を斬り落としながらもなお勢いを止めず、男の胴体を半ばまで断ち斬り、ようやく、その勢いを止める。
「ぐ、ァアアアアアアアア゛あ゛あ゛あッッ!」
落ちた左腕と裂かれた腹の痛みに、男の口から絶叫があがった。
対して、刃を振るったはずの明の顔は冴えないものだった。眉根を寄せ、反撃に振るわれる猛毒針の軌道を躱しながら、明は小さく舌を打つ。
(――……ッ。想像以上に、手応えが硬いな)
一切の手加減もなく振るった刃だった。
『剛力』スキルによる筋力値の補正がなくとも、今や明の素の筋力値は400を超えている。加えて、明が手にする武器――巨人の短剣の攻撃力は350だ。
単純な攻撃の威力で言えば、明の一閃はあのギガントが振るった拳の一撃を越えたものだった。
にもかかわず、それが半ばながらに耐えられた。
本来ならばあり得ないはずのその出来事に、明はすぐさま思考を巡らせる。
(耐久特化のステータス……いや、『鉄壁』スキルの影響か?)
『鉄壁』スキル。『剛力』や『疾走』と同じく、ステータス補正を行うスキルの名前だ。その効果は、魔力値に応じて耐久値を上昇させるものとなっている。
(『鉄壁』スキルの効果時間は、他の二つと同じく60秒……。今の手応えからして、俺の攻撃を完全に防ぎきれるまでコイツの耐久値が上昇しているわけじゃない……けど、生半可な攻撃じゃ通じない)
だったら、狙いは一つだ。
(急所を、潰す!!)
心で叫び、明はすぐに刃を返した。
背後に跳ぶようにして逃げるキツネ面の男を追いかけ、一歩、前に足を踏み出し肩口で両手剣を構える。
「しっ!」
短く、息を吐いて。溜めた力を爆発させるに、明は剣を突き出した。
「……ッ!!」
切っ先が男の喉元を捉える。
「ごふッ」
刃はその耐久値を破り、気道を潰す。瞬く間に溢れた血が、男の身に付けた仮面の内側を汚した。
「な゛め゛、やがっで!」
しかし、それでも男は死ななかった。
吐き出された言葉は、気道を潰されたからか声にもなっていない。穴の開いた喉元からは、ひゅーひゅーと空気が漏れて、溢れる血と混じって泡に変わっている。
けれど、確かに吐き出されたその言葉には、死に瀕した男の怨嗟が込められていた。
「じに゛やがれ゛!」
男は、残る気力を振り絞るかのように右腕を動かした。瞬間、袖口に隠していた猛毒針が明を襲う。
「そう何度も同じ手が通用するかよ!!」
その針の軌道を、明はすぐに見切り、躱した。捻った身体を無理やりに『軽業』スキルによって整え、瀕死となった男にトドメを刺すべく剣を下段に構える。
「ッ!」
が、その刃は振り抜かれなかった。
『危機察知』スキルが、ふいに身に迫る危険を知らせてきたからだ。
「くっそ!」
すぐにその場を跳んで、横に転がる。
――直後。轟音が明を襲った。
背後から迫っていたおかめ面の男が、手にした大槌を明に向けて振り下ろしたのだ。
大槌は逃げた明の影を捉えて、アスファルト舗装の道路を砕き、押し潰す。広がる衝撃は地面を捲り上げ、激しい土埃が舞った。
(クソッ! ただのハンマーじゃねぇな!?)
弾丸のように飛び散る石片に、明は頭を庇うようにして腕を持ち上げると忌々しげに舌打ちを漏らした。
まるで巨大な爆弾が爆発でもしたかのような威力だ。間違いなく、現実由来の武器ではない。
明は降り注ぐ石片の雨を払うように腕を動かすと、自らへと振るわれた大槌を睨み、『鑑定』を発動させた。
――――――――――――――――――
肉屋のミートハンマー
・装備推奨 ―― 筋力値300以上
――――――――――――――――――
・魔素含有量:12%
・追加された特殊効果なし。
――――――――――――――――――
・攻撃力+350
・耐久値:188
・ダメージボーナスの発生:なし
――――――――――――――――――
「どんなミートハンマーだよ!!」
表示された画面に思わず声を荒げた。
肉を叩く、なんて代物じゃない。肉そのものを跡形もなく押し潰してしまうような攻撃力を持つ大槌だ。
(しかも、装備推奨の筋力値は300以上!? ってことは、アイツの筋力値は少なくとも300を超えてる――――)
「ぉおおおッッ!!」
思考は、土煙の中から飛び出してきたおかめ面の男によって遮られた。
「くっ」
振るわれる大槌を慌てて躱し、唇を噛みしめる。
ギガント戦で経験した『黄泉帰り』によって大幅にステータスが伸びたとはいえ、明の耐久値はまだ300台だ。もはや人外とも言える耐久値を身に付けてはいるが、男の振るう大槌の威力は、そんな彼の耐久値を上回っている。
(動きは遅いッ! けど、迂闊には近づけねぇ!! 単純計算で、コイツの一撃の威力は600オーバーだ。当たれば最後、肉を潰されるどころか骨までやられちまう!!)
今の自分と同じ、筋力特化型。
一撃で相手を仕留めることに意識されたその男のステータス配分に、明は距離を取らざるを得なかった。
(耐久に特化し、あえて肉を斬らせて仕込んだ猛毒針で相手を殺すやり方。攻撃を受ける前に相手を仕留めるやり方。ステータス配分や取得したスキルによって、人それぞれの戦闘スタイルが違う。……分かっちゃいたけど、モンスターを相手にするよりもずっと、面倒だ)
そんなことを考えて、手にした両手剣を正眼に構え直した――その瞬間だった。
「っ!?」
視界の端に影が踊った。
それが、群れの中から飛び出してきたひょっとこ面の女だと気が付いた時には、もう何もかもが遅かった。
「――……くッ」
首筋に走る、小さな痛み。針を刺された、と理解した直後にはすでに猛毒が身体の中を侵し始めていた。
視界がかすみ、大きく揺れる。
ひょっとこ面の女の姿が、視界の中で二重にも三重にも分裂する。ブレた視界の中で、明にトドメを刺さんと、女が腰に帯びた短剣を抜くのが見える。
「ああァ!」
叫び、明は両手剣を振るった。狙いはどこでもいい。とにかく、その追撃を受けるよりも先に、女に刃を当てるのが目的だった。
「ッ、化け物……!」
猛毒針を受けてもなお、動きの止まらぬ明に危険を察したのだろうか。女の口から、そんな言葉が漏れた。
女は、迫る刃を躱すように身を引いた。その動きは、振るわれた刃よりも僅かに速い。
ひゅんっとした音を残しながら空を切った刃に、明は盛大な舌打ちを漏らしたがそれも、すぐに驚きへと変わる。
「――――お前ッ!」
刃は、女の仮面を掠めていた。
割れたひょっとこ面が女の顔から剥がれて、その下に隠していた素顔を露わにする。その頬に刻まれていた紋様を、白日の下に晒す。
「やっぱり……そうか。そうだったか!!」
露わになった女の素顔を――いや、女の頬に刻まれたその模様を見つめて、明は呟いた。
塔と、大きな目。
特徴的で、忘れることのないその紋様は間違いない。襲撃してきたこの連中の正体は――――。
「テメェら、リリスライラだなッッ!!?」
明の叫びに、女の唇は歪に吊り上がった。
「バレちゃった」
笑うように言って、女は手に持つ短剣を明へと突き出した。
その動きは、目で追うのがやっと。自身と、女の間にある速度値の差を瞬時に察した明は、その刃を回避することを、止めた。
「がふっ」
刃は明の腹に突き刺さった。
燃えるような感覚が全身を駆け巡り、刺された腹の痛みに明は奥歯を噛みしめた。猛毒と痛みで視界が暗転しそうになるのを、必死で耐えて、腹を刺した女の腕を掴む。
「これなら、テメェがどれだけ速かろうが、俺の視界がダメになろうが……関係ねぇ」
血を吐き出し、明は拳を握りしめた。
「くらいやがれぇええええええええええッ!!」
身体を侵す猛毒と痛みに抗うように、明は雄叫びをあげる。握りしめたその拳を、ひょっとこ面の女へと全力で叩きつける。
肉を潰し、骨を砕く確かな感触。
バキバキと周囲に鳴り響く音は誰が聞いても致命傷そのもので、地面を跳ねるようにして転がった女はやがてピクリともしなくなった。
その、瞬間だった。
――――――――――――――――――
条件を満たしました。
――――――――――――――――――
ふいに音が鳴った。
――――――――――――――――――
ブロンズトロフィー:はじめての同族殺し を獲得しました。
ブロンズトロフィー:はじめての同族殺し を獲得したことで、以下の特典が与えられます。
・筋力値+5
――――――――――――――――――
トロフィーの取得を知らせる画面が開かれる。
その内容に、視線が奪われる。
「………………ぇ?」
思わず、動きが止まった。
(はじめて? はじめてって、どういうことだ? 同族殺しってことは、人殺しってことだよな。それじゃあ俺は今、はじめて人を殺したのか? そんな、馬鹿な――――)
「死ねぇえいッ!!」
思考は、鼓膜を震わせたおかめ面の男の声に破られた。
はっとして顔を上げると、眼前には大槌の底が迫っていた。慌てて回避を試みようとするも、すでに避けられるような距離ではない。
(やッば! 間に合わ――ッ)
心で叫び、直後に訪れるであろう痛みを覚悟する。
「『聖楯』ッ!」
刹那のことだ。
男と明、互いの干渉を防ぐかのように半透明の膜が展開された。
ついで、闇の中から明を守るようにして影が飛び出してくる。
彩夏だった。柏葉から片割れの短剣を借りたのだろうか。その両手には、雌雄一対の剣が本来の姿となって握られている。
「はぁッ!」
彩夏は、短い掛け声と共に踊るようにおかめ面の男へと襲い掛かると、男の腕にその双剣を突き立て一気に斬り払った。
「助っ人とーじょー」
男の口からあがる絶叫に、ニヤリと彩夏は笑う。
「ぐ、ァ、っ……ッ! チクショウ!!」
彩夏が乱入してきたことで、不利を悟ったのだろう。おかめ面の男は、痛みに呻きながらも小さく舌打ちを漏らす。
仕切り直しを図ろうと距離を取る男の姿に、彩夏が鼻を鳴らした。
「なぁんだ。そのまま、あたしに突っ込んでくるかと思ったけど……。意外と冷静?」
軽い口調で言って、彩夏は鋭い視線であたりを見渡して追撃がないことを確認すると、すぐに明へとその掌を向けた。
「『解毒』」
呟き、発動するその光の温かさに明は身体が楽になるのを感じた。
彼女の両腕が細かく震えていたことに気が付いたのは、その時だ。
「花柳?」
「ん」
「……怖いのか?」
「怖い? なんで」
「だって、お前のその腕……。震えてる」
「ッ」
言われて、彩夏も自分の腕が震えていたことにようやく気が付いたのだろう。
ハッとした表情で自らの両腕を見下ろすと、すぐにバツが悪そうな笑みを浮かべた。
「あ、あはは……。一応、オッサンを助けるためにちゃんと覚悟してきたつもりだったんだけどね」
言って、彩夏はため息を吐き出した。
「だって、しょうがないじゃん。人を斬ったのなんて初めてなんだし。そりゃ、多少は怖気づくよ」
はい終わり、と。彩夏は『解毒』スキルの発動が止まったことを確認すると、そう言った。
それから、血で汚れた双剣へと視線を移すと言葉を吐き出す。
「モンスターを斬るのとはわけが違う。あたしの攻撃で、誰かが死ぬかもしれないってそう考えるとさ。やっぱり、怖いよ。いろいろ」
ぐっと、彩夏は感情を押し殺しているかのように、双剣の柄を握る手に力を込めた。
「…………でも。だからって、オッサンひとりに全部を背負わせるつもりはないよ。みんなも、そう思ってる」
呟き、ちらりと彩夏は視線を送った。
その瞳を追いかけると、ビルの入り口で魔導銃を構えた奈緒と視線が合う。
瞳がぶつかったのが分かったのだろう。
奈緒は、こくりと力強く頷いた。
「仲間でしょ、あたし達。しんどいのも、楽しいのも。罪も、罰も、全部分けようよ。一人で背負い込む必要はないんだよ」
彩夏は気持ちを切り替えるように大きな深呼吸を繰り返した。
「人に武器を向けるのは、まだちょっと、怖い。……けど、出来る。大丈夫」
彼女は、伏せた瞳を持ち上げる。
覚悟を決めたその眼差しを、戦場へと向ける。
「……無理だけは、するなよ」
彼女の気持ちに、明は小さな声で言い返した。
「オッサンにだけは言われたくない台詞だね」
その言葉に、彩夏は呆れた笑みを溢しながら言うと、ついで、話題を切り替えるように口を開く。
「それはそうと、かなり苦戦してたけど。どうしたの?」
「思ったより、連中のステータスが高い。『武器製作』で創られた武器もあるから、そこらのボスモンスターと戦うよりも厄介だ」
「ステータスが高い? あたしやオッサンと同じ、固有スキル持ちなの?」
「そうだな。多分、そうだ。けど、ただの固有スキルじゃない」
「どういうこと?」
明の言葉に彩夏の眉根が寄った。
「……リリスライラだ。連中が持っている固有スキルも『ヴィネの寵愛』っていうスキルだろう」
「――ッ! なる、ほど。そういうこと」
明の言葉に、彩夏は息を吐いた。
「だったら、オッサンが苦戦するのにも納得。だから、あの女の人を殴り飛ばした後、いきなり動きが止まったわけね」
「いや、あれは」
言って、言葉に詰まる。
リリスライラと分かって動きを止めたわけじゃない。そう、答えるのは簡単なことだ。けれど、そうなるとなぜ動きを止めたのかを説明せねばならなくなる。
はじめて人を殺した。
それを告げるのはまだいい。問題は、その言葉の意味が示す先だ。
「…………」
口を噤み、考えこむ明の様子に何かを感じ取ったのだろうか。
彩夏は小さく息を吐くと、再び双剣を構えて戦場を見回した。
「まあ、何でもいいけど。今はとにかく、気持ち切り替えてよ? このままだと、あたし達……全滅してもおかしくない」
「ああ、分かってる」
気になることが出来たのは確かだが、今は彼女の言う通り、無事にこの場を切り抜けることだけを考えるべきだろう。確かめようのないその事実に、気を取られている場合ではない。リリスライラが殺人を厭わない集団であることは確かなのだ。
(今まで相手にしてきたボスモンスターとは違って、こいつらは俺たちと同じ……。一つや二つどころじゃない、多くのスキルを使用してくる分、ボスモンスターよりも厄介だ)
心で呟き、顔を隠した連中を見る。
(残りは六人。いや、五人か。キツネ面の男は……もう、長くないな)
明は、血だまりの中で痙攣を繰り返す男へと視線を向けた。
トドメを刺すことが出来なかったが、それまで与えていた傷は十分、致命傷となっていたようだ。絶えず流れ続ける大量の血液は男の力を奪い、潰された気道に喘ぐその呼吸は、時間が経つにつれて弱々しくなっていた。
(おかめ面の男は、まだ動けそうだな。花柳に腕を斬られたから、多少、力は無くなってるはずだけど……。それでも、あの武器の威力は無視できない。今、この場で優先的に狙うのはアイツか)
おかめ面から視線を外して、明は残りの四人――般若面、ピエロマスク、目だし帽、ガスマスクのそれぞれを身に付けた男女を見つめた。
(残りのアイツらが、どんなステータスとスキルを持っているのかがまだ分からない。様子を見ているつもりなのか知らないが、他の三人とは違ってすぐに襲ってこなかったのが不気味だ。『解析妨害』で、自分たちの手の内が割れてないのを良く分かってる)
おそらく、考えなしに突っ込んだ他の連中を捨て駒にして、冷静に明の動きを見極めることにしたのだろう。
仕方ないな、と明は大きなため息を吐き出した。
(出来れば、この手は使いたくなかったが)
出し惜しみもしていられない相手だ。
『黄泉帰り』によってこの連中の襲撃を無かったことにも出来るが、せめて、蒼汰を狙う理由ぐらいは聞いておかねば、その『黄泉帰り』も意味のないものとなってしまう。
「花柳」
「なに」
「『解毒』が使えるのは、残り何回だ?」
「あと二回」
「その二回は、俺には使うな。こっちはこっちで、何とかする」
即答された言葉に、明は言った。
『神聖術』という固有スキルによって与えられる、その特殊なスキルは日に使える回数に限度がある。
それが分かっているからだろう。彩夏は僅かな逡巡を見せたが、すぐに頷いた。
「分かった。けど、どうやって?」
「イフリート用に溜め込んでいたものを、今、この場で使う」