混合種
「ッ!? 固ゆぅ――っぶ!」
「ちょッ! 彩夏ちゃん!!」
明の言葉に驚き、大声をあげそうになった彩夏の口を柏葉が慌てて覆った。
「大きな声で何を言ってるんですか!」
「ん、んんー!!」
「固有スキルなんて単語を言えば、一条さんが『解析』を使ってることがあの人にも伝わるでしょ!? 相手のスキルが分かるのは、『解析』Lv3になってからだって知ってますよね!?」
取得こそ簡単な『解析』スキルだが、そのスキルレベルを上げるのは容易ではない。莫大なポイントが必要だ。
つまりは、相手の所持しているスキルが分かった時点で、一条明の異常さが伝わることになる。
そんなことを言いたいらしい柏葉は、彩夏の口を必死に押さえつけると睨みをきかせた。
しかし、モンスターが現れる前とは違って、今やレベルアップを重ねた柏葉の力は人知を超えている。当然、以前と同じ感覚で同じ行動を取れば、その結果も変わってくる。
「んんッ! んーッッ!!」
「それに、七瀬さんも言っていたじゃないですか! まだ油断できないって!! もしも、あの人がリリスライラの人達と繋がってたりでもすれば、こちら側の余計な情報が」
「あの、柏葉さん」
目を白黒させながらも、柏葉に口と鼻を完全に覆われて呼吸を止められた彩夏の顔色が変わり始めるのを見つめて、明はそっと口を開いた。
「もう、そのぐらいにしてあげて? 花柳の顔がどんどん青くなってる」
「え? あああぁっ! ごめんなさい、彩夏ちゃん!!」
「ッ、ぷはぁっ!! 死ぬかと思った…………」
覆われていた手がどかされ、彩夏が大きく息を吐いた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい!!」
「いや、いいって……。うん、次から気を付けてくれれば。あたしも、迂闊だったし」
ペコペコと頭を下げる柏葉に、彩夏は疲れたように笑った。彼女は喉の調子を確かめるように小さく咳払いをすると、途切れた会話を再開させる。
「……それで? どんな名前なの?」
「スキル名は『慧眼』。効果は分からないけど、目に関するスキルなのは確かだろうな」
『解析』で判明した画面に映るスキルの効果は、確認することが出来ない。けれど、その効果は画面に映る文字を見て想像することは出来る。
「『慧眼』か。確か、将来を見通す力……とか、そんな言葉だったか?」
明の言葉に奈緒が呟いた。
奈緒の言う通りだ。――慧眼。世間一般でそれは、将来を見通す力や、物事の本質を見極める能力として知られている。
それがスキルという力に変われば、どのような影響を及ぼすのかが分からない。もしかすれば、世間一般で知られている内容とはまた違う能力である可能性だってある。
だからこそ、今、目の前にいるこの男が『解析』画面で判明したステータス値以上の力を持っているような気がして、明はニコライと出会ってからずっと警戒を緩めることが出来なかった。
(本質を見極める、か。俺の持つ『第六感』もそれに近い効果だったはずだよな?)
明の持つ『第六感』の効果は、五感で感じ取ることが出来ない、物事の本質を見極めることが出来るようになるものだ。
単純な直観とはまた違う、もう既に知っている情報であるかのように根拠もなく正しいとこれまで判断を下してきたものはすべて、このスキルの影響が大きかった。
(もしも『慧眼』が『第六感』と同じものなら、俺のように感覚的なあやふやなものじゃなくて、はっきりとした何かがあの男には見えている?)
と心の中で言葉を溢した時だ。
ふと明は、自分たちを見つめるニコライの表情が固いものへと変わっていることに気が付いた。
「……皆さん。街の外から来た、とおっしゃっていましたよね? 目的はこの街の食料ですか?」
ニコライは小さな声で相談を続ける明たち四人に向けて、感情を隠したような平坦な言葉を吐き出した。
「見ての通り、この街はこの有り様です。この街には、皆さんにお渡しできるようなものはありませんが」
この四人は、この街の物資を奪おうとしている。
おそらく、そんなことを考えたのだろう。口を開いたニコライの態度には、ありありとした警戒心が浮かんでいた。
明は即座にその言葉を否定するべく、首を振って口を開いた。
「いえ、俺たちはこの街から食料を奪うつもりはありません」
「それでは、どのような目的でわざわざこの街に?」
「えっと……」
問いかけられた言葉に、思わず言い淀んでしまった。
この街に足を運ぶことを決めたのは、蒼汰の事をどうにかするためだ。その周囲にリリスライラの影を感じたからこそ、その真偽をはっきりとさせるために、わざわざこの街へと足を運んだ。
蒼汰の件にリリスライラが関わっているのかどうかその確証がまだ得られない以上、迂闊に連中の名前を出すわけにはいかない。もしもこの男が連中との繋がりがあるのならば、名前を出せばまず連中に伝わる。最悪、この男がリリスライラの信者そのもの、という可能性もある。
どちらにせよ、探りを入れている現段階ではリリスライラという単語を出すこと自体が禁忌のような気がした。
(でもだからって、どう答えればいい?)
上手い言い訳が見つからない。
そんな明のことを見かねたのだろう。隣に居た奈緒が小さなため息を吐き出した。
「一条、別に隠すこともないだろ」
「え?」
「イフリート。そのモンスターを探しに来たんだろ? どうせならこの男に聞いてみればいいじゃないか」
言って、奈緒は小さく笑った。
その笑顔に、明は奈緒が助け船を出してくれたことに気が付いた。
あとは任せた、とでも言いたそうに顎をしゃくる奈緒に頷きを返して、明は言葉を引き継ぐ。
「俺たちはこの街の食料を奪うつもりはありません。実は、とあるボスモンスターを探しています。……イフリート、この名前に聞き覚えはありませんか?」
「イフリート?」
ニコライの眉間に皺が寄った。
「聞いたこともないモンスターですね」
「あなたの他の、生き残りの人達はどうですか? 分かりそうですか?」
「いえ、分からないのではないでしょうか。みんな、この街から出たことがない人ばかりなので……。あの教会で、唯一この街の外を知るのは、わたしだけですからね」
「そう、ですか……」
期待はしていなかったが、イフリートの手がかりが潰えたことに明は肩を落とした。
そんな明の様子を見てか、ニコライが不思議そうな顔となって尋ねる。
「あなた方はどうして、そのモンスターを探しているのですか?」
「俺たちの街にも、あなたのように他の街から逃げてきた人が居たんですよ。……その人から聞いたんです。イフリートというボスモンスターが、どこかにいるって」
シナリオのことを、出会ったばかりの人間に話すつもりもない。
適当にでっち上げた話を伝えて、明は最後に「世界反転率、知ってますよね?」とニコライに聞いた。
その言葉にニコライが頷く。それを見て、明は途切れた言葉の続きを口にする。
「俺たちは、その世界反転率の進行を止めるために旅をしています。行く先々の街を支配する、ボスを倒しているんです」
「……なるほど。ここ最近、毎日のようにあの画面が現れるのはあなた方のおかげでしたか」
身に覚えがあるのだろう。ニコライは納得するように頷いた。
けれど、その表情はすぐに怪訝なものへと変わった。視線は、明達から外れて蒼汰に注がれる。
「でしたら……なぜ、あなた方はそんな歪な子を連れているのです?」
ニコライの言葉に明の眉が寄った。
「歪?」
「え、ええ……。すべて承知の上で連れ回しているのかと思いましたが、その様子だと違うようですね」
「どういう、意味ですか?」
吐き出す言葉が小さく揺れる。
「この子が歪って、あなた……何か知ってるんですか?」
その声音に、戸惑いと不審の感情が入り込む。
そんな明へと、ニコライは戸惑うように瞳を動かした。何を考え込んでいるのか、その視線が宙を二、三度彷徨ってやがて大きなため息と共に、止まる。
「仕方がないですね」
吐き出される言葉は、意識しなければ聞き逃してしまうほど小さかった。
明は、紡がれる言葉を聞き逃すまいと神経を集中させる。いや、明だけでなく、その場にいた蒼汰を除く全員が、ニコライの紡ぐ一言一句の言葉に集中して耳を傾けていた。
「正直に言って、コレを明かすべきなのかどうか非常に悩みましたが……。あなた方の疑問に答えるには、まず、このことを話さなければいけません」
ニコライは、そんな明たちの顔を見渡すとゆっくりと呟いた。
「わたしには、固有スキルという特殊なスキルがあります。――名は『慧眼』。森羅万象、ありとあらゆる物質、事象の本質が正しく視えるようになる……そんなスキルです。似たスキルで『解析』や『鑑定』、『目星』がありますが、わたしにはそれらのスキルを取得する必要はありません。もちろん、それらの上位スキルにあたるものも、私には必要ない」
上位スキル。確かにそう呟かれた言葉に、明の眉が跳ね上がった。
そんな明の様子に気が付いたのか、ニコライが小さく笑った。
「気になりますか? ええ、そうでしょうね。あなたも、わたしと同じ特別なのですから。焦らなくても、あなたならいずれ、すぐに取得することが出来ますよ」
まるでこちらのステータス画面そのものを覗き見たかのような言い方だ。……いや、事実。ニコライは明のステータス画面を、その『慧眼』というスキルを使って覗き見たのだろう。『第六感』による根拠のないその判断が、明の眉間に皺を刻んだ。
「……話が逸れましたね。とにかく、『慧眼』というスキルを持つ私の前ではありとあらゆる物事が正しく、ありのままの状態で記されます。だからこそ、分かるのです。その子がどれだけ歪で、危うい状態なのかが」
明達を見渡していたニコライの青い瞳は、蒼汰の前で止まる。その瞳が鋭く、細くなる。
「はっきりと言います。その子は人の皮を被っただけの化け物です。本質は、人とモンスターの混合種ですよ」
ピタリと、明たち四人の動きが止まった。それぞれが、信じられないという顔になって、蒼汰を見つめた。
「急に、何を言って……」
掠れた声で柏葉が呟く。
その言葉に、ニコライは首を横に振る。
「嘘ではありませんよ。私からすれば、その子が今、人のように振舞えているのが不思議なぐらいです」
「馬鹿馬鹿しい。そんな話、信じられるか!」
ニコライの言葉を遮るように奈緒が声を荒げた。
「いきなり何を言い出すのかと思えば……。蒼汰がモンスターと人の混合種? そんなの、ありえない。この数日、わたしたちはずっとこの子の傍に居たんだ。この子がモンスターなら、どうして私たちは襲われていないんだ!」
「この話を信じるのかどうかは、あなた方にお任せします。……ですが、そこの彼はあなたとは違うみたいですよ?」
「なに?」
ニコライに言われて、奈緒の視線が明へと向いた。
「……一条?」
先ほど交わした龍一との会話が、頭の中でぐるぐると回る。父親らしからぬあの態度が、どうしても気になってしまう。
(……もしも本当に、この男の言うように蒼汰が人とモンスターとの混合種なのだとしたら? その事実を他の人達も知っていたのだとしたら? そして、それが原因でこの街のコミュニティにも属することが出来ずに追い出されたのだとしたら?)
蒼汰が、もしも本当に人とモンスターの混合種であるのならば。
出会ってからずっと、疑問に思っていたことの全てに説明がつく。あの父親が、蒼汰を捨てた理由もある程度の納得が出来る。
(少なくとも俺の『第六感』は、ニコライの持つ『慧眼』というスキルが物事の本質を見抜くスキルで間違いないことを告げている。だとすれば、ニコライの言ったことは間違っちゃいない? 蒼汰は人とモンスターとの間に生まれた子供なのか?)
ふと蒼汰に母親のことを聞いた時の反応を思い出した。
あの時、蒼汰は泣いていた。その涙の正体は、モンスターである母親が死んだことが原因だったのか?
(……いや、だとしても。モンスターがこの世界に現れてからまだ十日だぞ? 蒼汰は六歳だ。仮にモンスターと人の間に生まれた子供だとして、ほんの一週間やそこらでここまで大きくなるはずが)
「どうにかしたいですか?」
ふいにその思考を破るかのように、ニコライが声を出した。
「その子をどうにかしたいと思いますか?」
「……出来るんですか?」
視線を上げて、明はニコライを見つめる。
その瞳に、ニコライは頷きを返す。
「ええ。幸い、わたしが身を寄せている教会に『浄化』と呼ばれるスキルを所持している人がいます。そのスキルを使えば、その子の暴走を食い止めることが出来るはずです」
「一条、それ以上その詐欺師の言うことを聞くな。蒼汰がモンスターと人の混合種だなんて話、信じるのか?」
「それは、信じられませんけど……」
「第一、仮に本当のことだとして。その『浄化』ってスキルで蒼汰が無事である保証はどこにある? 私は反対だ」
「そう、ですね……。私も、この話は信じられません」
奈緒の言葉に同意するように、柏葉も頷いた。
「ここ数日、蒼汰君の様子を見ていましたが、この子は本当に、ただの子供です。そんな子が急にモンスターとの混合種だなんて言われても、嘘だとしか思えないというか……」
「……うん。そうだね。あたしも信じられない。第一、モンスターが現れたのは十日前でしょ? 数カ月、数年ならまだ分かるけど、たった数日で人とモンスターの混合種だと言われても、正直ありえないって」
柏葉の言葉を引き継ぐように、彩夏もまた不信感を口にする。
それらの言葉にニコライはただ頷きだけを返して、明へと真偽の是非を問いかけるかのように碧眼を注いだ。
「なるほど。彼女たちはこう言ってますが?」
「……俺、は」
明は考える。
奈緒たちが口にした不信ももっともだ。この男の話が真実である保証はどこにもない。ただ一つ、今この場ではっきりとしていることは、この男が持つ『慧眼』というスキルが物事の本質を見極める力を持っているということだけ。この男が口にした言葉が嘘か真かは、まだ分からない。
「…………すみません。やっぱり、俺もあなたの言葉を信じられないです」
結局。明はニコライに向けて不信の言葉を口にした。
ニコライは明の言葉に大した反応を見せなかった。ただ小さく、頷きだけを返して「そうですか」と呟くと視線を外した。
「それがあなた方の選択であるなら、わたしからは何も言うことはありません。……ですが、気を付けてください。猶予はもう、ありませんよ」
ニコライはそう言って、会話を切り上げるように明達から背を向けた。
「それでは、わたしは教会へと戻ります。あまり遅くなると、他の者がわたしのことを心配するので」
「……ええ。わかりました。もしかすれば、後ほどお邪魔することになるかもしれません」
イフリートの情報が潰えた今、この街で生きる人々に尋ねるべき質問はなくなった。けれど、蒼汰に関わることは未だに残っている。
まずは奈緒たちと共にどうするべきかを相談しよう。
そんなことを考えて口に出したその言葉に、ニコライは小さく頷いた。
「分かりました。わたしがお世話になっている教会は、この通りをずっと歩いた先にあります。もしも、そこへ来ることがあれば歓迎しますよ」
「ありがとうございます」
明の言葉に、ニコライは小さく頷いた。
そして足音もなく、ニコライは姿を見せた時と同じように、ふらふらとした足取りで立ち去っていく。
その後ろ姿を、明達は何も言わずにただ見送り続けた。