清水蒼汰
翌朝、蒼汰が目を覚ました。
蒼汰は、自分の置かれた状況を良く分かっていないようだった。いまだに涙の跡が残る、真っ赤に泣き腫らした瞳で不安そうにきょろきょろと周囲を見渡していた。
その瞳が、見知った明の姿を見つける。すると、すぐにほっとした表情に変わって、蒼汰は小さく口元を綻ばせた。
「――ぉ」
ぐぎゅるるるうううう……。
蒼汰が口を開くよりも早く、腹の虫が空腹を主張した。
その音に明は笑うと、蒼汰を軽く手招きする。
「おいで」
恥ずかしそうに顔を赤らめた蒼汰は、小さく頷いて段ボールのベッドから這い出てきた。
「ちょうど、朝ご飯を作っていたんだ」
明の目の前には鍋で煮込まれたスープがあった。軽部から貰った干し肉と、干し椎茸を使っただけの、具材の少ないスープだ。コンソメをベースに味が付けられているのか、鍋の中身は綺麗な黄金色に染まっている。
蒼汰は興味深そうに明の手元を覗き込み、問いかけた。
「何を作ってるの?」
「干し肉のスープだよ」
「食べたことない」
「きっと気に入るよ。嫌いな食べ物はある?」
「ないよ」
「そっか。偉いね」
ぐぎゅるるる……。
「あっ」
と、蒼汰が呟きお腹を押さえた。
「ごめんなさい」
その言葉に、明は首を横に振る。そして、傍に置いてあったマグカップを手に取ると、鍋の中身を取り分けて蒼汰に手渡した。
「はい。熱いから、気を付けて」
「……いいの?」
「もちろん」
「ありがとう」
呟き、蒼汰は明の手からマグカップを受け取った。
小さな口で息を吐いて、マグカップの中身を冷ますとゆっくりとその中身を啜る。
「あちっ」
「大丈夫?」
「うん。……でも、美味しい」
よほど気に入ったのだろうか。蒼汰はまたマグカップの中身を吹き冷ますと、チビチビとその中身を啜り始める。
そうして、マグカップの中身を全て飲み終えた時には、蒼汰の顔は幾分かすっきりとした表情になっていた。
空腹が紛れたことで、余裕が出てきたのだろう。蒼汰は、不思議そうな顔で明の手元を指さす。
「これは?」
その指先は、明が扱う鍋に向けられていた。
明は鍋の中身をぐるりとかき混ぜると、蒼汰の質問に答える。
「クッカー。キャンプとかで使われる、持ち運びが便利な鍋って言えばいいのかな。キャンプはしたことある?」
「あるよ。お肉が美味しかった」
「肉が好きなの?」
明の言葉に蒼汰は小さく頷いた。
「うん。でも、お刺身も好きだよ」
「そっか。俺も刺身は好きだな。好きな物が一緒だね」
そんな、二人の会話が聞こえたのだろう。ふらりと、どこからともなく奈緒がやって来た。どこかで、タバコでも吹かせていたのだろうか。彼女が傍に近寄ると、ふわりとしたバニラによく似た匂いが漂ってくる。
「お、起きたのか」
言って、奈緒は蒼汰を見て笑った。
「おはよう。よく眠れた?」
「……うん。お姉さんは誰なの?」
「私か? 私は……そうだな。こいつの友達だ」
「お兄さんの?」
「そう。お兄さんの」
奈緒はそう言って、明へと視線を向ける。
「そう言えば、花柳はどこに行ったんだ? 私が起きた時にはもう姿が無かったんだが」
「花柳は、朝早くから出掛けてますよ。いつものやつです」
「ああ、デイリークエストか」
奈緒は明の言葉に頷いた。すると、二人の会話を聞いていた蒼汰が首を傾げる。
「くえすと?」
その言葉に、明は考え込むように小さく唸った。
「んー……。そうだね。この世界にモンスターが現れたのは分かる? 一週間ぐらい前から、俺たちにはレベルやステータスっていうのがあるんだ。クエストっていうのは、その中での一部の人だけが出来るシステムって言えばいいかな」
「お父さんが言ってたゲームの話?」
「そうだね。ゲームに例えた方が早いかもしれない。蒼汰はゲームするの?」
「マイン〇ラフトなら好きだよ」
同じゲームでも、サンドボックスとRPGではゲームの種類が違う。
明は、蒼汰へと現状の説明を行った。その説明は出来るだけ簡単に、よく噛み砕いて話したつもりだったけれど、たった六歳の子供がたった一度の説明でその全てを理解するのは難しいように思えた。
「よく分からない」
と蒼汰は表情を曇らせる。
明は、ゆっくり分かれば良いよ、と笑いかけた。
そんな会話をしていると、出掛けていた彩夏が戻って来た。軽く走ってきたのか、彩夏の額や首筋には汗が流れている。
「ただいま」
「おかえり。今日のクエストは何だったんだ?」
「フルマラソン。おかげで、街の端から端までを何往復もするはめになった」
彩夏は小さく息を吐き出して、コンビニの中へと引っ込んだ。飲み物を取りに戻ったのだろう。
彩夏の後ろ姿を見つめて、蒼汰が呟く。
「今の人は?」
「あの人も俺の友達。見た目は怖いけど、根は良いヤツだよ」
と蒼汰に向けて彩夏の説明をしたところで、明は柏葉のことを思い出した。
「そうだ。蒼汰、中にまだ寝てる人がいるんだ。その人も俺の友達なんだけど、朝ご飯が出来たって起こしてきてくれる?」
「怖くない?」
「怖くないよ。優しい人だ」
「分かった」
小さく頷き、蒼汰はコンビニの中へと駆け込んで行く。
その後ろ姿を見つめて、奈緒が呟いた。
「……いい子だな。人見知りもしないし、素直だ」
「そうですね。レベルやステータスの概念は何となく分かってたみたいですし、聞き分けもいい」
あの様子なら、連れて歩くのに何も問題はないだろう。少なくとも蒼汰は、自分からその身を危険に晒すような子供ではないように思えた。
蒼汰を含めた五人で、明たちは輪になって朝食をとる。そこで、明達は改めて簡単に、蒼汰へと自己紹介をした。
自己紹介が終わると、話題は必然的に、蒼汰のことが中心になる。
「蒼汰、昨日の夜のことは覚えてる? あの時、蒼汰は俺に『パパに置いて行かれた』って言ってたけど、それは間違いないんだよね?」
明が視線を向けると、蒼汰は小さく頷いた。
「お父さんは何か言ってた?」
「お父さんはいつも『ここから逃げなきゃ』って言ってたよ」
「逃げなきゃ、か。モンスターのことかな」
奈緒が呟く。
その言葉に、明は小さく頷いて考え込んだ。
逃げる、と言われて最初に思いつくのは、やはりモンスターのことだ。その中でも、特別に強力なモンスターがそれぞれの街には必ず出現している。
(ボスモンスターから逃れるために、蒼汰の父親は、蒼汰を連れてこの街へとやってきた?)
可能性としては十分にあり得る。でも。
(……けどそれは多分、違うような気がする)
明は、すぐに自分の考えを否定した。
この世界にモンスターが出現したのは、一週間以上も前の話だ。一週間もあればそれなりの情報は集まるし、他の街にもボスが居ることも知っているはず。この世界にはもう逃げ場がないことなんて分かっているはずだと考えたからだった。
明は状況を整理するため、蒼汰へと問いかける。
「蒼汰とお父さんは、どこから逃げてたの?」
「どこから?」
蒼汰は質問の意味が分からなかったのか首を傾げた。
「うん。今まで、別の街に居たんだよね? どこに居たの?」
「人が多いところ。いっぱい居た」
「生き残ってる人達かな」
彩夏が言った。
「どうだろうな。……ねえ蒼汰。そこの地名は分かる?」
「ちめい?」
「あー……。なんだろ。蒼汰が今まで居た、場所の名前って言えばいいのかな」
「……わかんない」
蒼汰は小さく顔を横に振った。
少しだけ考えて、明は質問を変える。
「蒼汰が住んでたところの名前は?」
「よこはま」
「横浜なら、私たちが昨日、足を踏み入れてすぐに出た街だな」
奈緒が小さく囁いた。
「行くの?」
と、蒼汰が首を傾げた。
その言葉に明が唸るように考え込んで呟く。
「そうだね。あとで行ってみようかな」
「連れてって」
「危ないよ」
「それでもいい」
「ダメだよ。死んじゃうかもしれない」
「でも、もう一人になりたくない」
小さく、溢すように蒼汰は呟く。
明はハッとした表情になって、すぐに難しい顔になるとガリガリと頭の後ろを掻いた。
(……そうだよな。昨日、あの部屋に置き去りにされたばかりなんだ。また、置いて行かれるんじゃないかって不安になるのも当然か)
蒼汰を連れて行くかどうか別として、まずは蒼汰を安心させるのが先か。
そんなことを考えて、明は蒼汰に向けて微笑む。
「大丈夫。一人にはしないよ。ひとまず、蒼汰のお父さんが迎えに来るかもしれないから、それまで俺たちと一緒に待ってようか」
「分かった」
蒼汰が頷いたのを確認すると明はマグカップの中見を一気に飲み干して、この話を終えた。




