捨て子
少年はなかなか泣き止まなかった。
これまで、ずっと心細かったのだろう。明の姿を目にした途端に、決壊したダムのように流れだした涙はしばらくの間止まらなかった。
少年は、何かを伝えるのに必死だった。
けれども、泣きじゃくりながら口にするその言葉は、あまりにも要領を得ない。さらには時系列もバラバラに話すものだから、明は少年が伝えたいことを一度の話では理解することが出来なかった。
「うん……。うん。いいよ、ゆっくりで。それで?」
明は、泣きじゃくる少年に向けて何度も優しく問いかける。
少年の口から出てきた言葉の切れ端を拾い上げて、繋ぎ合わせる。
そうして、少年が伝えたい事柄を明がようやく理解した時には、窓の外に広がっていた夕闇は隙間のない夜空へと変わっていた。
明は、懐から取り出したスマホを見つめた。
奈緒たちと約束した時間は、とっくに過ぎている。今頃、時間通りに戻らない明のことを彼女たちは心配していることだろう。
全てを話し終えると、少年は泣き疲れたのかそのまま眠ってしまった。涙の跡が残るその寝顔は、年相応にあどけない。こんな世界じゃなければ、素直にその寝顔が可愛いと思えた。
どうしたものかな、と明は考える。
このまま、少年をこの場所に放置しておくわけにもいかない。となれば、今はひとまず少年を連れて帰る他に方法はないわけだが。
「そうなると、騒ぎになるのは当然だよなぁ」
明は、これからのことを考えて、ため息を吐き出す。
その吐息は、確実にこれから行われるであろう彼女たちの質問攻めと、少年が伝えてきた厄介事ともいうべき言葉に対して向けられていた。
◇ ◇ ◇
少年を背負って奈緒たちの元へと戻ると、コンビニの外で待つ奈緒と遭遇した。
タバコを吹かしながら呆と外壁に背中を預けていた奈緒は、夜闇の中から現れた明に向けて手を挙げる。
「遅かったな。どこまで行ってたんだ? みんな、心配して――」
言葉が止まった。彼女の視線は、明の背中へとすぐに向けられる。
そして、ポカンとした表情で奈緒は明を見つめると、手に持つタバコをポトリと落とした。
「ッ、あっつぅ!?」
手に落ちたタバコの熱に、奈緒がビクリと身体を震わせながら声を上げた。
その声が、あまりにも大きかったからだろう。奈緒の声に呼び寄せられるように、コンビニの中から柏葉と彩夏が揃って顔を出す。
「どうしたんですか? 七瀬さん、何かありまし、た……」
柏葉の言葉は、奈緒と同じく途中で止まった。視線は、やはりと言うべきか明の背中へと向けられている。
「どうしたの、その子」
柏葉の後ろから顔をのぞかせた彩夏が呟く。
「迷子? 親はどうしたの?」
「親はいない。それにこの子は多分、迷子じゃない……と思う」
「……? 歯切れが悪いな」
奈緒が明の言葉に首を傾げた。
「両親がモンスターに殺されたってこと?」
と、明の様子を見た彩夏が同様に首を傾げた。
明は、そんな彩夏の言葉に小さく首を横に振ると、ちらりと柏葉へと視線を向けて口を開いた。
「柏葉さんが、昼間見つけたっていう落書きがあったでしょ? そこに俺も行ったんですよ。そこで、この子を見つけました」
「あのアパートに? えっ、でも……。昼間は本当に、誰も……」
「ええ。多分、柏葉さんが探索をした後にあのアパートに入り込んだんでしょうね」
明は大きくため息を吐くと、背中へと瞳を動かす。
「この子がこの街に来たのは、ついさっきのようですから。だから、柏葉さんがあのアパートを探索した時には、本当に誰も居なかったんだと思います」
「……ん? ちょっと待て。この街に来た? この子は、今まで別の街にいたのか?」
明が口にした言葉に、違和感を抱いたのか奈緒が眉根を寄せた。
「こんな小さな子が、たった一人でここまで移動して来たって言うのか?」
「いえ、この街には父親と一緒に来たみたいです」
「それじゃあ、その父親はどこに居るんだ?」
問いかけられる奈緒の言葉に、明は一度口を噤んだ。
それから、背中の少年が寝ていることを確かめるように。もう一度、その瞳を背後へと動かすと、ゆっくりと、躊躇うようにして明はその言葉に答える。
「この子を置いて、どこかに行ってしまったみたいです」
「どこかにって――。まさか」
奈緒は、明の言いたいことをすぐに察したのだろう。ハッとした表情となって、明を見つめた。
明は、その瞳に向けて頷きを返す。
こんなこと、言いたくはなかった。
口に出したくはないが、この子の置かれた状況をみんなと共有するためには、どうしても言わねばならなかった。
明は、本当に小さく。背中の少年が起きないよう最大限に声を絞った声で、囁くように言う。
「はい。この子は、多分……。父親に、捨てられてます」
すっ、と。
誰かが短く息を飲んだ気がした。それが、奈緒のものなのか。柏葉や、彩夏のものなのかは分からない。
けれど、明がその言葉を口にしてからしばらくの間。
彼女たちの中から言葉が消えたのは、一つだけ確かなことだった。
「……それで? これからどうするつもりだ」
コンビニの外に作った即席の焚き火台を四人で囲んでいると、そっと奈緒が問いかけてきた。
奈緒の視線は、コンビニの中へと向けられている。そこには、拾ってきた段ボールと見つけてきたバスタオルで作った、即席のベッドに寝かされたあの少年がいる。
明は、奈緒の視線を追って瞳をコンビニへと向けると、小さく呟いた。
「ひとまず、連れて行くしかないでしょうね。あのまま放置してればモンスターの餌になるのは確実ですし。せめてどこか、人が集まってるところには連れて行かないと」
「まあ、そうだよな。そうするしかないか」
奈緒は明の言葉に小さく息を吐いた。それは、半ば分かっていたことをあえて再確認したことで覚悟を決めたような、そんな吐息に似ていた。
「そうなると、これからが大変だぞ。あんな小さい子を連れて移動するとなると、今までのようにはいかない。モンスターに襲われでもした時には、誰か一人があの子を守らなくちゃいけない。単純に、戦闘に加わる人数が減るんだ」
「そうですねぇ……。今の私たちなら、あの子を守りながらでもそこらのモンスターには負けないと思いますけど……。それでも、絶対とは言い切れないですからね」
奈緒の言葉に頷き、柏葉が呟く。
「そもそも、あの子の名前はなんていうの? 見た感じ、小学校に入ったばかりっぽいけど。歳は聞いてる?」
彩夏が言った。
その言葉に明は答える。
「清水蒼汰……だそうだ。六歳だって本人が言ってた。一応、『解析』でも確認したから名前も歳もまず間違いないよ」
「レベルは?」
「画面上ではLv1だな」
「低すぎ……。だけど、まあそうだよね。固有スキルは……当然、持ってないか。ってことは、あの子はずっと、父親に守られてきたってわけか」
彩夏は、黙って首を横に振る明を見て、ため息を吐いた。
奈緒が口を開く。
「母親は? まだ生きているのか?」
「……分かりません。それを聞いたら、さらに泣き止まなくなっちゃって。あの様子だと多分、もう死んでるでしょうね」
「そうか」
奈緒は伏し目がちになって、小さく呟いた。
口を閉ざした奈緒に代わって、今度は柏葉が明へと問いかける。
「それじゃあひとまず、蒼汰君を連れて行くとして。問題はどこに連れて行くかのか、ですよね。一番はやっぱり、軽部さん達のところですか?」
「そうですね。ここ数日、他の街を探索し続けてますけど、コミュニティらしいコミュニティを見つけることが出来てないし。俺が知ってる中でも、今のところあの場所が一番安全です」
「あたしも、あの街に連れて行くのは賛成。……ただ、その前に。ちょっと気になるんだけど」
明と柏葉の会話に、彩夏が口を挟んだ。
「あの子って、本当に父親に捨てられたの? 状況だけを見ればさ、あの子の父親が食料を探してる間だけ、あの子にはそのアパートに隠れてもらっていたってこともあり得るわけでしょ?」
「一応、その可能性も考えて、あの子――蒼汰が居たアパートに置手紙をしてある。もしも父親が戻ってくれば、あの置手紙に気が付いてココまで迎えに来てくれるはずだ」
――でも、と。明は心で呟く。
はたしてその可能性が実現するのは、いったいどれだけの確率なのだろうか。
蒼汰のレベルやステータスは、『解析』で見るかぎりでは間違いなく初期値だ。あの数値では、モンスターに襲われれば抵抗することなど出来やしない。常識的に考えて、モンスターも倒すことが出来ない小さな子供を一人残して、父親がその姿を消すはずがない。
だからこそ、あの子は父親に捨てられたんじゃないかと想像する。
その可能性を、容易に想像することが出来てしまう。
(……それに。あの部屋に蒼汰が居たのも気になる。本当に、ただの偶然なのかもしれないけど、あそこは、あの落書きが記したメッセージで示されていた場所だ。他のどの建物や部屋よりも、誰かしらに見つかりやすい場所だ)
まるで、この場所を訪れる誰かに、自分の息子を託したみたいだ。
明はそう考えると、小さく息を吐いて思考を切り替えた。
焚火を囲む彼女たちの顔を一つ一つ見渡して、言葉を口に出す。
「ひとまず明日の朝……。遅くても、昼までは様子を見よう。父親が迎えに来ればそれでよし。迎えに来なければ、蒼汰を連れて軽部さん達のところに戻る。そんなところでどうだ?」
そんな明の言葉に、彼女たちは小さな頷きを返したのだった。