みんなの為に2
「――っ!」
ヒュンと耳元を通り過ぎるジャイアントバットの鉤爪に、うなじの産毛が一気に逆立った。
一瞬、気が抜けていた。物陰に隠れていたこのモンスターに、気が付かなかった。
柏葉はすぐに身体を翻して短剣を振るうと、背後へと通り過ぎたジャイアントバットの翼を斬りつけた。
「キイイイイイイイイイ」
耳障りな鳴き声が耳を打つ。
その鳴き声を止めるため、もはや反射的とも言える速度で短剣を突き刺し、その命を奪い取るとすぐさま地面を蹴って前に飛び出し、ジャイアントバットの断末魔に呼び寄せられてくるビッグスパイダーの元へと向かう。
――もう、どれだけこの刃を振るっただろうか。
時間の感覚は酷くおぼろげで、手に持つ短剣の重さも感じない。自分の意識とは切り離されたかのように動く自分の身体が、まるで殺戮のためだけに造られたロボットなのではないかと感じてしまう。
「ふっ」
小さな息が漏れた。
目の前に飛び込んでくるビッグスパイダーへカウンターを放つように短剣を振るって、追撃を放つように蹴りを叩き込む。バキリと甲殻の割れた感触が伝う。手応えは浅い。もう一度だ。
「っ!!」
声もなく振り下ろした踵が、今度こそ本当にビッグスパイダーの動きを止めた。
「あと、二十五っ!!」
すぐ傍で、彩夏の声が聞こえた。
それが残りの討伐数を示す言葉だというのはすぐに分かったが、柏葉にはもう、その言葉に反応する余裕すらなかった。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しいっ!!
息が詰まる。呼吸が出来ない。暴れ回る心臓がうるさすぎて、その音を今すぐにでも止めてしまいたい。
…………もう、今すぐにでも止まりたい。
「ふっ!!」
そう、思っているはずなのに。
柏葉の身体は、そんな彼女の思いとは逆に一度も止まることなく、モンスターを殺し続けている。
「あと、十ッ!!」
奈緒の泣き出しそうな声が聞こえた。
声には出さずとも、見守ることしか出来ない自分がもどかしいと、その声はそう言っていた。
「あと五体!」
身体が揺れる。視界が揺れる。一歩、足を踏み出せばそのまま前に崩れ落ちそうになる。
――ダメだ。まだ、ダメだ。
もう少しだけ。
もう少しだけ、頑張って欲しい。
モンスターが現れて、世界が変わって。何もできずにただ震えることしか出来なかったこの日々が変わろうとしているのだ。
家族は死んだ。
友人も死んだ。
近所の人も、職場の人も、顔だけ知っているあの人も。みんな、みんな死んだ!!
目の前で誰かが死んでいくのはもうたくさんだ。
みんなの為に、出来ることがあるのならこの命すらも惜しくないと誓ったのだ。
「ッ、ぁぁぁぁああああああああああああああああッッ!!」
柏葉は叫ぶ。
その声で、目の前のモンスターを殺すように。
限界を迎えたその身体が、止まってしまわないように。
「――ラスト!!」
夜空に奈緒と彩夏の言葉が響く。
その言葉に反応して、柏葉は地面を蹴って目の前のモンスターへと目掛けて飛び込む。
「これで、終わりだぁあああああああああああああああああああああああ!!」
月明りに短い銀閃が煌めいた。
その銀閃は、飛び掛かるビッグスパイダーを一撃のもと葬り、その死体を地面に転がす。
「―――――っ」
ふらり、と。柏葉の身体が揺れた。
「ッ!」
彩夏が小さく息を飲む音が聞こえる。
そんな彩夏を安心させようと、身体に力を入れようとするが上手く力が入らない。
ゆっくりと身体は前のめりに倒れて、柏葉はその衝撃に備えて瞳を閉じた。
「……お疲れ。これから先は任せろ」
そんな時だ。
ふいに、身体が優しく受け止められた。
「ふ、ふふっ。七瀬さん、ちょっと……男らしすぎますよ?」
「そうか? でも、間違っちゃいないだろ。少し休め――と言いたいところだけど、悪い。もう少しだけ、頑張ってくれ」
「……はい。もちろんです」
こくりと、柏葉は頷いた。
そして、
「ステータス」
と呟き、大量のポイントを獲得したその画面を開いたのだった。
◇ ◇ ◇
――チリン。
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柏葉薫のシナリオ【みんなの為に】が進行中。
柏葉薫の討伐したモンスター数1000/1000
柏葉薫のシナリオ【みんなの為に】の達成を確認しました。報酬が与えられます。
シナリオクリアの達成報酬として、柏葉薫に固有スキルとポイントが与えられます。
・固有スキル:人形師 が柏葉薫に与えられました。
・ポイント100が柏葉薫に与えられました。
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瓦礫に埋もれた男の眼前で、軽やかな音を響かせて画面が開かれる。
自らの存在に気が付いて欲しいと、男にしか見えないその画面が明滅し語り掛ける。
けれど、血に塗れた男はその画面に反応しない。いや、もうすでに反応することが出来ないのだろう。
瓦礫の広がる街に巨人の咆哮が響いている。
空気を震わせるその咆哮は、勝利に酔う雄叫びに他ならなかった。
男の目は未だ開かない。
明滅する画面はしばらくの間その存在を主張し続けていたが、やがて画面に反応しない男に呆れたかのように、唐突に現れた時と同様にふっと消えた。