大きすぎるプレッシャー
――スキル『隠密』。
ただただ〝隠れる〟というその行為に特化したそのスキルを明が初めて目の当りにしたのは、アーサー・ノア・ハイドという一人の男と対峙した時のことだった。
攻撃を行おうとすればスキルが強制的に解除されるというデメリットがありながらも、上手く使いこなすことが出来れば常に不意打ちが可能となるそれは、『疾走』や『剛力』と同じく対モンスター戦においても非常に強力で、当時、『危機察知』スキルを取得していなかった明はその男の攻撃にかなり手を焼かされた。
あのスキルなら、今まで以上にモンスターとの戦いが楽になるはず。
そう思ってあげた声は、意外なことに彩夏によって遮られた。
「あー、そのスキルを取得するのは止めた方がいいよ。というより、今の私たちには使いこなせない」
「どうして?」
と明は彩夏へと目を向けた。
彩夏はその視線に小さく肩をすくめながら言葉を続ける。
「アーサー……アイツが、『隠密』スキルを使ってるのを初めて見た時、私も使おうと思ってスキルを取得しようと思ったんだ。でも、スキル説明文に書かれた効果を見てやめた」
「何が書いてあったんだ?」
「……なるほど。スキル使用に伴う魔力の消費、これですね」
彩夏の言葉にステータス画面を開いたのだろう。宙を見つめた柏葉が呟いた。
「一度の発動につき、消費する魔力が10。確かに、これだとそう何度も発動することが出来ないかも」
「そういうこと。攻撃すればスキルの発動はキャンセルされるし、そうでなくても効果時間は一分間って短いし。一対一ならまだしも、一対多は向いてない。そのスキルを取得するぐらいなら、まだ他のスキルにポイントを割り振ったほうがマシだと思うけど」
言われて、明はなるほどと頷いた。
確かにそのスキルの発動に魔力が必要ならば、今この場で取得するメリットは薄いだろう。
「範囲魔法とか範囲攻撃が出来るスキルないの?」
と彩夏が明に向けて言う。
「一つだけ、あるにはある。『魔力撃』っていう、斬撃に魔力を乗せて範囲と威力を拡大させるスキルだ。ただ、それを取得するには――」
「かなりのポイントが必要、か?」
奈緒が明の言葉の先を察した。
その言葉に明は頷く。
「その通りです。『魔力撃』を取得するための条件としてはおそらく、何かしらの武器習熟スキルと『魔力操作』スキルを取得することです。『魔力操作』自体はポイント7つで取得は出来ますが、習熟系スキルを取得するには少なくともポイント15以上が必要だし、『魔力撃』そのものを取得するのにもポイントが12は必要です。さらに言えば、『魔力撃』を使用するのにも魔力を5つ消費するから、『魔力回路』は取得しておかなくちゃいけない。いまからそのスキルを柏葉さんが取得するには、いくらなんでも間に合わない」
「あ、でも。『魔力回路』ならもうすでに取得してますよ」
と、明の言葉に柏葉が言った。どうやら、レベルアップで溜まったポイントを使っていつの間にか『魔力回路』を取得していたらしい。
「だとしても、残りのスキルを取得するにはポイントがキツイ。今からじゃ間に合わないですよ」
「……というか、そもそも。なんでそんなに、ポイントが必要なスキルをアンタが持ってんのよ」
ぼそりと、彩夏が言った。
呟かれるその言葉に、明はちらりとした視線を彩夏へと向けて考える。
(……そういえば、コイツは俺がどれだけこの世界を繰り返したのか知らないのか。この街に近々ギガントっていうヤバいモンスターが来ることを知って、それだけで自分に出来ることがあるならって立ち上がってくれたんだもんな)
花柳彩夏という少女は、そのヤンキーも同然の見た目に反して義勇あふれる少女なのかもしれない。
そんなことを思いながらも、明は彩夏へと向けて言葉を口にした。
「そのあたりの説明は後でするよ。とりあえず、今すぐに柏葉さんがそのスキルを取得するのは難しいってのは分かってくれ」
「それは分かったけど……。それじゃあ、どうすんの? 『魔力撃』っていうスキルが取得できるようになるまで、ポイントを貯めとく?」
「……いや、だったら『身体強化』のスキルレベルアップや筋力、速度にポイントを使ったほうが結果的に早く、多くのモンスターを倒すことが出来るようになるはずだ。今の俺たちに出来るのは、とにかく、柏葉さんが出来るだけモンスターを倒しやすくなるようサポートするだけだ」
そう言うと明は彩夏から視線を外し、険しい顔となってエントランスホールにある壁掛け時計へと目を向けたのだった。
◇ ◇ ◇
モンスターがこの世界に現れてから五日目。現在時刻、午後四時二分。
ギガント襲来まで残り五時間をきり、柏葉のシナリオを進める明達にもいよいよ焦りが見え始めた。
「はぁ、はぁ、はぁ、……ッ、ふっ!!」
荒い息を吐きながら、柏葉はグレイウルフに向けて狼牙の短剣を振るう。奇妙な悲鳴を上げて倒れるグレイウルフのその後ろから、その死体を踏み台にするかのように今度はゴブリンが飛び出してきて、柏葉に向けて手にした血錆びたノコギリを振り下ろした。
「っ!」
寸でのところで柏葉はそのノコギリを避けると、返す刃でゴブリンを切り裂く。服に飛び散る返り血を気にも留めず、追撃するようにゴブリンへと蹴りを放つとトドメとばかりにまた短剣を突き刺した。
(……シナリオ)
呟き、傍で柏葉の戦いを見ていた明はシナリオの進行を表示させる。
――――――――――――――――――
柏葉薫によるモンスター討伐数 617/1000
――――――――――――――――――
現状、奈緒と彩夏がモンスターの釣り出しを行ってくれているおかげで、柏葉の討伐速度は一時間に三十から四十体前後のペースだ。柏葉自身も戦闘に慣れてきたからか、以前と比べれば無駄のない動きでモンスターを相手にすることが出来ている。
(……でも、足りない)
けれどそれでもまだ、足りない。
レベルアップによって得たポイントを身体強化のスキルレベルアップへと回し、残ったポイントをさらに速度や筋力へと割り振り、ゴブリンだけでなくボアやグレイウルフ、さらにはブラックウルフまでも相手にすることが出来るようになってもまだ、討伐速度が足りていない。
原因はやはり、休みなく続けざまに行う戦闘の疲労だ。
街に繰り出し、モンスターを相手に戦い続けて十六時間が経過している。数時間に一度、一時間の休憩を取るようにしてはいるが、たったそれだけの休憩で疲れなど取れるはずもない。
柏葉の身体はボロボロだ。彼女は、気力だけでその手にもつ短剣を振るっている。
休憩を挟む頻度も、今や奈緒と彩夏が連れてくる大きな群れを一掃するごとに取るようになっているし、その戦闘中にも積み重なる疲労によって注意が散漫になってきていた。今だって、少し前なら背後から飛び出してくるゴブリンにすぐ気が付き、余裕を持って対処出来ていたはずなのに、彼女はゴブリンが飛び出してくるまでその姿に気が付いていないようだった。
(このまま続けると、さすがに危ないか)
多少の怪我であれば彩夏の『回復』で傷を治すことが出来るがそれも限りがある。彩夏が言うには、『回復』回数の残りはたったの一回。それ以上は、日付を越えない限り無理だという。これから先、何が起こるのか分からない以上、その最後の一回はそう簡単に使いたくはなかった。
「柏葉さん。一度、休憩しましょうか」
「休憩って……! ついさっき、取ったばかりじゃないですか! もう時間がありません。大丈夫ですよ!!」
「いや、これ以上は危険です。一度休憩を挟みましょう」
「でも……!」
柏葉は悔しそうに口を開くが、結局はそのまま続きの言葉を口にすることはなかった。
「…………分かりました」
項垂れるように、小さく彼女は頷く。
自分でも、気力だけではもうどうにもならないほど疲れているのが分かっているのだ。
少し遅れて、次の群れを釣り出してきた奈緒達へと休憩することを伝えて――その群れは、明の手によって一瞬で殲滅された――、明達は物陰へと移動して隠れるように腰を下ろした。
「…………」
誰も、何も言わなかった。
いや、言うべき言葉が分からないのだろう。
頭の中には、もう間に合わないのではないかという言葉がちらついている。けど、その言葉を口に出せば、身を削り頑張っている柏葉にプレッシャーを与えてしまう。
それが分かっているからこそ、誰もが焦りを感じながらも、モンスターを討伐し続ける柏葉に何も言えないでいた。
「……ごめんなさい」
そんな時だ。
ぽつりと、柏葉が呟いた。
「今の私では、残り五時間で四百近くものモンスターを倒すことなんて出来ない。出来やしない!! ……ごめんなさい。ごめんなさい、一条さん。私の、私のせいでッ!」
自分の身に圧し掛かるプレッシャーに耐え切れなかったのだろう。柏葉は、叫ぶような声をあげるとわっと泣き出した。
すぐに奈緒が柏葉の傍へと寄り添い、その背中を優しくさする。
大丈夫だ、と。どうにかなる、と。声を掛けるその言葉が、柏葉の声によって掻き消される。
その姿に、明はぐっと唇を噛みしめた。
ギガントを倒すため、これまでの繰り返しの中で身に付けたこの力も、このシナリオの前にはどうすることも出来ない。
このシナリオの進行は全て、柏葉本人の手に掛かっている。
柏葉自身がモンスターを倒さなければならないシナリオなのだ。
本来ならば時間を掛ければそう難しくはないシナリオのはずが、こうして彼女にとって大きなプレッシャーになっているのは、この複雑に絡み合った状況が全てだった。
「……柏葉さん」
と明は呟く。
「俺のことは、気にしないでください。大丈夫です。柏葉さんがこのシナリオをクリアするまで、時間は稼ぎます。そうすることが出来るぐらいには、この繰り返しの中で力を身に付けているんです。だから」
「でも!! それで、一条さんが死んじゃったらどうするんですか!? 一条さんだけじゃない。私のシナリオが終わらないとみんな死んじゃうんでしょ!?」
柏葉は涙で濡れた瞳を持ち上げるとそう叫んだ。
「みんなの命が、私にかかってるっ! 私が頑張らないと、みんな死んじゃう!! それなのに、私は……。私は!!」
言葉は最後まで続かず、涙に流され消えていく。
沈黙した明達の耳に届く彼女の小さな嗚咽が、その場に集まる明達の胸を痛いほど締め付けていた。