画面にない
それから、奈緒の体調が戻ったのは数分ほど時間が経ってからのことだった。
「――――……すまん。助かった」
ぼんやりとしながら奈緒の回復を待っていると、ふいに呟くような小さな声が聞こえて、明の肩がふっと軽くなる。隣へと目を向けると、乱れていた呼吸を整えるように、大きな深呼吸を繰り返す奈緒の姿が目に入った。
「もう平気なんですか?」
「ああ、動けるぐらいにはなった。このまま、ここで休んでいても時間がもったいないし、次に行こう」
そう言って奈緒は立ち上がろうとするが、足腰に力が入らないのか大きく身体が揺れた。
明は慌ててその身体を支えると、呆れた表情を奈緒へと向ける。
「時間がないのは確かにその通りですけど、まだ大丈夫ですよ。もう少しだけ、あと五分だけでも休憩しましょう」
「いや、でも」
「でも、じゃなくて。その調子で隣街まで動けます? 無理でしょ?」
「っ、……そうだな。すまん」
呟き、奈緒は大きなため息を吐き出すと、どさりと腰を下ろした。
そんな奈緒の顔を、明はちらりと横眼で盗み見る。
魔法を続けざまに発動した反動によって呼吸がままならないほど体調を崩していたが、少しの休憩でどうにか呼吸だけは落ち着いたようだ。
だが、まだ本調子ではないのは今の様子を見ても明らかだ。顔色も、多少は血色が良くはなってきているが、それでもまだ薄っすらと額には汗が残っている。それなのに、自分の体調を押して次に向かおうとするのは、今の事態が切羽詰まっているという焦りよりもむしろ、七瀬奈緒という人間に染み付いたかつての生活の名残による影響だと明は感じた。
明はそんな奈緒の様子に一度小さな息を吐くと、視線を逸らして口を開いた。
「……奈緒さん。あなたはもう、会社員でもなんでもないんです。あのブラック環境で働いていた時のように、多少体調が悪くても無理をする必要は、今はもう無いんですよ?」
「……ああ。分かってる。でも、それはお前だって同じだろ? 追い詰められれば追い詰められるほど、一人で何でも抱え込み始めるのは会社勤めの時とまるで変わらないじゃないか」
奈緒は、唇を尖らせると明に向けてそう言い返した。
その言葉に、明は一瞬ぽかんとした表情を浮かべるとすぐにその言葉の意味を理解して、小さな笑みを浮かべる。
「……たしかに、そうですね。俺も、あまり人のことは言えないです。身体に染み付いたものは、そう簡単に変えられないのかも」
「まあ、お前の場合。昔から、一人で何でも抱え込もうとする癖だけはあったがな。……その癖も、あの環境でより顕著になってしまったが」
奈緒はそう呟くと、ぼんやりと視線を彷徨わせた。
「誰もが自分に精一杯で、他人を気遣う余裕すらもない環境だったんだ。お前が助けを求められなくなったのも、案外それが原因なのかもな」
「……奈緒さん。もしかして、俺がすぐに助けを求めなかったこと、怒ってます?」
「正直に言って、少しな。でもどちらかと言うと、怒るというよりも悲しかった。私は、お前にとって助けを求めることも出来ないような存在なのかなって、本当にそう思った」
「違います! それは違いますよ。俺は、奈緒さんを本当に頼りにしてます!!」
「それじゃあどうして、ボロボロになるまで何も言わなかったんだ」
「それ、は……」
呟き、明は視線を落とした。
会話が途切れて、沈黙が続く。
そんな沈黙を破るように、明はぽつりと、その会話の続きを口にした。
「俺がこの繰り返しを始めたきっかけは、みんなで生き残るためだった。この、レベルやスキルがある世界を滅ぼして、みんなと一緒に笑い合えるような世界を目指すためだった。……みんなに、死んでほしくなかったんです。みんなが目の前で死んでいくのを、もう見たくなかったんです。あんな光景を、もう見たくはなかった。……だから、出来るだけ俺の手でどうにかしようと、そう……思ってました」
「…………そうか」
奈緒は静かに呟いた。
それから寂しそうに、悲しそうに、その口元を歪めると小さく笑った。
「馬鹿だな。それで、お前が傷ついていたら意味がないだろ。どうして、そのみんなの中にお前が入っていないんだ。頑張るのはいい。お前が決めたことを、否定したりもしない。でもな、お前が全部、一人でやろうとしなくてもいいんだ。お前が背負えない荷物を、私や他の誰かにも預けたっていいんだよ」
「……はい」
明はそう言うと、しっかりと奈緒に向けて頷いた。
奈緒は、そんな明の顔を見つめてまた笑うと、空気を換えるように声を上げる。
「よし、それじゃあ言いたいことは言ったし、話を変えよう。――そうだ、一条。今の戦いで、レベルが結構上がったんだ。さっそく、『魔力操作』と『魔力回復』のスキルをとってもいいか?」
そんな奈緒の切り替えの早さに、明は思わず苦笑を浮かべた。
奈緒は昔からそうだ。時おり、妙にサバサバしているというか、言いたいことを口にすればそれ以上の言葉を口にすることはなくなる。
そんな奈緒に合わせるように、明は小さく頷くと言葉を返した。
「ポイントが溜まったなら、いいと思いますよ。ちなみに、今のでどのくらいレベルが上がったんですか?」
「18だな」
「結構あがりましたね」
明は奈緒の言葉に驚いた。
けれど、そう口にしながらもそれだけ上がるのも当然か、と思い直す。
ハイオークに挑む前の奈緒のレベルは、確かちょうど40だったはずだ。対して、奈緒がトドメを刺したハイオークのレベルは104と、そのレベルの差は大きく開いている。途中、明が攻撃を加えていたとはいえ、その体力の大半を削り取ったのは奈緒の魔法だ。当然、それに伴う経験値も多く流れたのだろう。
「なあ、一条」
ステータス画面を開いたのだろう。奈緒がぼんやりと宙を見つめながら言った。
「これから先、同じスキルを取得するよりかは役割を分けて、違うスキルを取得していた方が良いと思うんだ。だから、参考にするために、お前がいま取得しているスキルを教えてくれないか?」
「ええ、構いませんよ」
明はその言葉に頷くと、自分のステータス画面を開いてそこに表示されたスキルを奈緒へと説明した。
奈緒は、明が取得した数多くのスキルの種類にまず驚いていた。
そうして、一つひとつのスキルの効果を自らの目でも確認するように、宙へと向けて指を滑らせていた奈緒の手が、ふいにピタリと止まった。
「……一条。第六感というスキル、ポイント12で獲得したって今、言ってたよな?」
「……? ええ」
「それは、確かか? 私の画面には、『第六感』なんてスキル、出てないぞ」
「えっ、いやそんなはずは」
言って明は自分の記憶を手繰り寄せる。
だが、何度思い返しても間違いない。『第六感』を取得した際に支払ったポイントは12だ。『疾走』や『剛力』などといった魔力消費に関連したスキルは、一つ、いずれかのスキルを取得すれば、他の同じ系統であるスキルを以前とは同じポイントで取得出来ないということは前にもあった。
けれど、『第六感』に関してはそれが当てはまらない。『第六感』と同じ系統を持つスキルなんて、奈緒が取得しているはずがない。
であれば、奈緒の画面に『第六感』が表示されていないのはおかしい。奈緒の持つポイントは18もある。ポイント12で取得できる『第六感』は、本来はその画面に表示されていなければならないはずだ。
(……どういうことだ? 『第六感』スキルを取得するためには何かしらのスキルを取得しておく必要があるのか?)
あの時、『第六感』を取得した明のスキル構成と、今の奈緒のスキル構成はまるで違う。『第六感』がスキル取得の画面に現れない可能性としては、それが一番だろう。
(かといって、その原因を探るために、今からあの時の俺と同じスキル構成にしてもらうわけにもいかないし……)
と明が画面に現れない『第六感』について考えを巡らせていたその時だ。
「ちなみにだけど、それはどんな効果なんだ?」
と、奈緒が小さく首を傾げながら尋ねてきた。
「えっと……。画面には、〝五感以外の感知能力を有するようになる。また、五感では感じ取ることの出来ない、物事の本質を見極めることが出来るようになる。スキル所持者の第六感の強さは、スキルレベルに依存する〟って書かれていますね」
明は画面に表示された『第六感』の効果を読み上げる。続けて、
「簡単に言ってしまえば思考や何かしらの仮説に対して、それが正しいって確信が持てるようになる……って感じですね。例えばですけど、奈緒さんが使う魔法が『魔力回路』っていうスキルによって、身体に創られた回路そのものを魔法陣として発動するものだって妙な確信を持つことが出来たり、反転率が4%になって世界が変わった時に、目の前の地形の変化がモンスターの『解析』画面に表示されている、ダンジョンに関係しているんだって確信が持てたり……。まあ、そんな感じです」
「なるほど」
奈緒は明の言葉に考え込むような表情となって頷いた。
「それが『第六感』による効果なのだとしたら、確かに物事の本質を見極めることが出来るようになっているんだろうな。本質を見極めるってことはつまり、その事象に対して正しい理解が出来ているということだ。スキルやらレベルやらが出てきたおかげで、以前とは違う世界にはなってしまったが、そのスキルさえあれば下手に間違った解釈をしなくても済みそうだな」
「ええ、とはいってもスキルレベルそのものが低いので発動するタイミングはそう多くはないですけどね」
明は奈緒の言葉に頷くと小さく笑った。
「スキルレベルは上げることが出来ないのか? そのスキルレベルが高ければ、判断に迷うことも無くなりそうだが」
「次のレベルアップに必要なポイントが、40も必要なんですよ。そう簡単に上げられない」
「なるほど、確かにその通りだ」
奈緒は呆れるように笑った。
「発動するタイミングにムラがあるなら、同じスキルを私も取得することでそのあたりのことをカバーできそうな気もするが……。画面に出てこないのなら仕方ないな」
そう言うと、奈緒は小さくため息を吐き出す。
「ひとまず、探知系のスキルが足りてないのは分かった。余裕があれば、私がそのあたりのスキルを取得しよう」
「ありがとうございます。……でも、あまり無理はしないでください。探知そのものは、最悪、『黄泉帰り』でカバーできることです」
その言葉に、奈緒の眉間に皺が寄る。それから、深いため息を吐き出すと、
「あまり、そんな方法でカバーして欲しくはないんだが」
と、明の言葉に苦言を漏らすのだった。