やるべきこと
病院へと辿り着くとすぐに、柏葉は身体を休めるために自分の部屋へと足を向けていた。
口では平気だと言っていたがやはり相当無理をしていたようだ。
別れ際、柏葉と話し合い三時間後に再び合流することを決めて、明はひとり、残されたエントランスホールで立ち尽くす。
(……一度、奈緒さんの様子を見に行くか)
柏葉と共にシナリオへと取り掛かっている間、奈緒にはこの病院に残るすべての人々に向けて、これから起こりうる事態の説明をお願いしていた。
あれからもう随分と時間が経つ。
奈緒に任せていたそのあたりの問題が今、どうなっているのかも気になるところだ。
明は、エントランスホールを抜けて奈緒が居るであろう会議室へと向かう。その途中、慌ただしく廊下を駆けていく自衛官の人達や、ぼそぼそと不安そうに会話を交わす街の人々の姿を見つけて、奈緒に任せていた話し合いも無事に上手くいったのだろうということをなんとなく察した。
「奈緒さん」
予想通り、奈緒は会議室にいた。
一つの机を囲み、軽部とその部下である自衛官と共に、真剣な表情で話し合いをしていた奈緒は、明の声に反応して顔を上げた。
「一条、戻ったのか。……柏葉さんは?」
「今、休憩中です。奈緒さんのほうは――どうやら、上手く話が纏まったようですね」
言って、明はそこに居る軽部へと向けて瞳を向ける。
その視線に、軽部は小さな頷きを返すと口を開いた。
「……はい。すべて、七瀬さんからお話は伺いました。そして、実際にこの街を襲うギガントとやらの姿も見てきました」
その言葉に、明は思わず眉を持ち上げた。
「見てきた? ってことは、アイツのいる街まで行ってきたんですか?」
「私が何を言っても信じなかったんだ。未確認の情報をもとに、この拠点は捨てられないって言い切られて……。それで、仕方なくソイツの姿を見に行った。この人達だけで向かわせたら何が起きるか分からないし、私も含めた四人で」
奈緒は大きなため息を吐き出しつつ言った。
その言葉に、明は思わず大きなため息を漏らす。
「にしたって、どうしてそんな無茶を……。下手をすれば全滅していてもおかしくはない行動ですよ? 奈緒さんらしくないですね」
「我々の独断で様子を見に行ったんですよ。それを見咎めた七瀬さんが仕方なく付いてきてくれたんです」
そう言って、明の言葉に答えたのは軽部だった。
明は、軽部へと視線を戻すとその瞳を細めた。
「どうしてそんなことを? 軽部さんなら、そのあたりの判断が冷静に出来ると思いましたが」
「冷静に判断したからこそ、ですよ。我々の判断ミスで、ここに残る人々の命が左右される。拠点を捨てるということはすなわち、その命を危険に晒すということです。いくら一条さんや七瀬さんの言葉であっても、その決断が正しいのだと鵜呑みにすることは出来ない。守るべきものが多ければ多いほど、組織の長というのは腰が重くなるのです。……私は、一条さんや七瀬さんのことを信じてます。信じてるからこそ、その話が本当だと決めつける何かしらの証拠が欲しかったんです」
軽部は、静かな口調で明の言葉に答えた。
「私には、一条さんのように過去に戻る力もない。一つの判断ミスが、すべての終わりになるかもしれないんです。その意味を、お察しください」
言って、軽部は小さく頭を下げる。
その姿に、明はガシガシと頭の後ろを掻くと、やがて大きなため息を吐き出した。
「……いや。こちらこそ、すみません。俺も、これ以上アイツに殺されたくはないし、俺と同じく皆さんにも死んでほしくはないので、ついキツイことを言ってしまいました。軽部さんの立場を考えれば、今はまだ起こってもいない未来のことを話されてもすぐに判断することは難しいのは当たり前ですよね」
「申し訳ございません。ご理解いただけて、ありがとうございます」
「……それで? 実際に見てみて、どうでした?」
その言葉に、奈緒達はギガントの姿を思い出したのか表情を硬くした。
「あれは、ヤバいな。想像以上の大きさだった。お前は、あんな化け物をずっと相手にしていたのか?」
そう言って、口を開いたのは奈緒だ。その言葉に、明はこくりと頷きを返すと、じっと奈緒の瞳を見つめた。
「怖いですか?」
「まさか」
明の言葉に奈緒は笑った。
「むしろ、あんな化け物を倒すことができれば、最高に気持ちがいいだろうなって思ったよ」
それはかつて、七瀬奈緒に向けて一条明が口にした言葉の一つだった。
今となっては数多くの繰り返しに沈んだ記憶の一つとなってしまったけれど、あの時の出来事を明は忘れるはずがなかった。
「……ええ。間違いなく」
と明は笑う。
その言葉に奈緒はまた小さく笑うと、ついで明から視線を逸らしてその瞳を軽部たちへと向けた。
「あの化け物を見た時点で、拠点を捨てることに反対する人は誰も居なかった。今は、次の拠点となる場所を検討していたところだ。けどそれも、一条が戻って来たならすぐに終わりそうだな。……一条、次の拠点に相応しい場所、お前ならどこなのか知っているだろ?」
言われて、明は机の上に広げられた地図を見た。地図上にはいくつかの丸が記されていて、どうやらそれが次の拠点となる候補のようだ。
(この病院内に負傷者や元々入院していた人達がいるからか、候補として出ている場所はどこも医療施設だな。医療施設をふたたび拠点にするのは問題ない。モンスターが現れて、あらゆる機能は麻痺してしまったが、元々、その施設に備蓄してあった医薬品は残されているはずだ。自動再生スキルの無い人達が怪我をすれば真っ先に使うのは医薬品だろうし、俺だって自動再生スキルが傷を治すまでの間、止血のために包帯やガーゼなんかが欲しい。だが、問題は……)
明は地図から視線を持ち上げて、そこに軽部や奈緒の顔を見渡すと口を開いた。
「ギガントが来ることを想定して、候補に挙げた施設が全部市内の端に固まっているのだと思いますが……。結局のところ、市内に残っていればギガントに殺されます。俺たちが次に拠点を構えるべき場所は市外、隣街です。ボスが不在であれば、その街に向かったとしてもすぐに殺されることはありません」
「ですが、隣街まで向かうとなると移動距離が長すぎます。負傷者を抱えたまま、その距離を移動するのは難しいですよ?」
明の言葉に、難しい顔となった軽部が口を開いた。すると、その言葉に同意するように奈緒も続けて疑問を口にする。
「そうだな。それに、モンスターはどうする? 隣街へと向かう間、モンスターに襲われない保証はどこにもないだろ」
「移動に関しては車を使います。この病院に残る全員を乗せて、隣街へと向かうことはこれまでの繰り返しの中で出来たことなので可能です。本来、車を使えば音によってモンスターを呼び寄せることになりますが、ギガントがこの街に足を踏み入れた時点でこの街から全てのモンスターが逃げ出します。タイミングとしてはそこを狙いましょう」
「なるほど」
と奈緒は明の言葉に頷いた。
それとは別に、さらに疑問の声を上げたのは軽部だ。軽部は、眉間に深い皺を刻み込んだまま明を見つめてその言葉を口にした。
「……一条さん。その、モンスターが逃げ出すのはこの街の中だけですか? それとも、私たちが逃げ込んだ街にも影響しますか?」
「…………この、街の中だけです」
明は言い出しにくそうにその言葉を口にした。
そう、それこそがまさに、この作戦の問題でもあった。
この作戦を立てたあの時は、目の前に迫ったギガントの襲撃から逃れるため、とにかくまずはボス不在の隣街へ向かおうという話にはなったが、その街へと向かったとしてもボス以外のモンスターが存在している。そのモンスター達はまだ、ギガントという脅威に晒されていないから、その街から逃げ出してもいない。
結局のところ、四方をモンスターが巣食う街に囲まれたこの街の人々は、どこに向かおうがその脅威から逃れることなど出来ないのだ。
それを、軽部は明の言葉から察したのだろう。
一度瞼を閉じて、何かを我慢するように大きな息を吐き出すと、
「そう、ですか」
と言って口を閉ざしてしまった。
沈黙が部屋の中に満ちる。
誰もが、言葉を発することが出来ずにただただ地図上へと視線を落としていた。
「他の方法は、ないんですよね?」
ふいに、軽部が沈黙を破り小さな声で呟いた。
その言葉に、明は首を横に振って答える。
「もしかすれば、あるのかもしれません。ですが、俺は……。この方法以外で、全滅を免れる方法が見つけられなかった」
「…………分かりました。覚悟を、決めるしかないようですね」
軽部は深いため息を吐き出す。
そして、その視線をあげると傍に居た部下へと向けて指示を飛ばした。
「全員へ通達。これより、この拠点を破棄するための準備を行う。我々自衛官は、ギガントがこの街を襲撃するまでの間、残された人々の命を守るため死ぬ気でレベルを上げろ」
「了解」
軽部の言葉に、傍で控えていた自衛官が敬礼をした。
その自衛官へと向けて、軽部もまた敬礼を返すと明へとその視線を向ける。
「一条さん。……我々は、生き残ることが出来るのでしょうか」
その言葉に、明は軽部の瞳を見つめた。
いつもは毅然とした態度で、胸の内の不安をおくびにも出さない男の瞳が揺れている。
その問いかけは、自衛官の軽部稔としての言葉ではなく、ただ一人の、目の前の恐怖に晒された男の言葉だった。
だから明は、そんな彼を安心させるように笑う。
「もちろんです」
その言葉に、軽部は何も言わなかった。
ただ明の瞳を見つめて、やがて小さな笑みを浮かべて立ち上がる。
「でしたら、問題はないですね。一条さん、七瀬さん。私もこれで、失礼いたします。どうやら悠長に休んでいる余裕はなさそうだ。部下と共に、少しでも皆さんを守れるよう力を付けねば」
言って、背中を向けて軽部は歩き出した。
明は、その背中に向けて声を上げる。
「軽部さん! 俺が寝泊まりしていた部屋に、いま奈緒さんが身に付けているものと同じ、毛皮で作られた外套と、短剣があります。それを、まずは身に付けてレベルを上げてください。スキルで創った武器や防具なので、この世界に元々あった武器や防具よりも断然強力です。そして、軽部さん達もレベルが上がってポイントが溜まれば、『解体』と『武器製作』、もしくは『防具製作』を取得してください。その武器や防具があればあるほど、軽部さん達が生き残ることが出来る可能性は高くなるはずです!!」
「――――っ、分かりました。ありがたく、いただきます」
その言葉に、軽部は小さく笑って頭を下げると、部屋から出て行ってしまった。
その姿が見えなくなったのを確認して、ぽつりと。奈緒が明に向けて言葉を口にする。
「……一条。私たちは、これからどうする? 拠点を破棄する準備を手伝うか?」
「いえ、俺たちは俺たちでやることがあります」
「やること?」
首を傾げた奈緒へと、明は視線を向けた。
「はい。このままだと、この世界に異世界が現れます。それが出現してしまえば、また状況が変わってしまう。それを防ぐために、今のうちに周囲のボスを手あたり次第に潰しましょう」
柏葉のやるべきこと。
軽部のやるべきこと。
そして、明や奈緒がやるべきこと。
この絶望的な状況を回避するためには、一人ひとりがそれぞれ出来ることを行わなければ最善の未来には辿り着けない。
休んでいる暇はない。
今はとにかく、この足を前へと動かし続けなければならなかった。