失態、敗北
(――――さて、と)
病院を飛び出してから、しばらくしてからのことだ。
記憶を辿り、ギガントと初めて遭遇した街へと足を踏み入れた明は、物陰に潜みながらその街の様子を観察していた。
以前であれば昼夜を問わずに多くの人々が行き交っていた駅前の通りも、今ではもう人の気配一つ感じられない。
空を覆うかのように背丈を伸ばしていたビル群はギガントの反感を買ったかのようにその身体を半ばからへし折られ、その姿を瓦礫へと変えている。
道路も酷いものだ。
アスファルトで綺麗にならされていたその通りも、ところどころ穴が空いて陥没しており、通りによっては下に伸びていた水道管が破裂したのか一面が水浸しとなっていた。
――街跡だ。
そこはもう、街と呼べるようなものは何一つとしてない。ただ、人の営みという残骸が残された瓦礫の山だ。
「酷いな」
ぽつり、と。明は小さく言葉を漏らした。
それは、本当に小さく溢したものだったはずなのに、人気のないその場所ではよく聞こえた。
「………………」
明は、無言で瓦礫の中を進む。
ゆっくりと、慎重に。
焦ることなく一歩ずつ確実に前へと進むようにして。
明は、数時間以上をかけて街の中を散策していく。
そして、空に昇る陽が西へと大きく傾き始めた頃。明はようやく、目当てのモンスターを見つけた。
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前回、敗北したモンスターです。
クエストが発生します。
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B級クエスト:ギガント が開始されます。
クエストクリア条件は、ギガントの撃破です。
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ギガントの撃破数 0/1
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――チリン、と。
鈴の音を思わせる軽やかな音と共に、眼前に現れるクエスト画面。その画面へと明は目を向けて一瞬、その動きを止める。
(……B級、だと)
これまで、明が倒してきたボスは全てC級だ。
それはつまりギガントというモンスターは、これまで出会い戦ったボスとは一線を画していることを示す情報に他ならなかった。
「はっ」
思わず、明は鼻で笑った。
だから、どうした。
それが、どうしたというのだ。
これまで出会ってきたどのボスよりも一線を画す相手だということが判明したからといって、それを理由に足を止める理由が今、ここにあるのか?
「こちとら、テメェが強いことはもう百も承知なんだよ。テメェがB級だろうが何だろうがもうこの際、関係ねぇ。俺は、テメェを殺すしかねぇんだよ」
呟き、明は画面を手で振り払い消す。
それから、目の前にそびえるそのモンスターへと視線を向けると、その瞳を鋭く細めた。
「――――チッ、このヤロウ……」
明は、ようやく見つけたそのモンスターに向けて眉毛をピクリと動かすと、低く唸るような声を出した。
ギガントは、住宅街の中で寝ていた。
身体を大の字に広げて、多くの家屋を押しつぶしながら、穏やかな寝息を立てていた。
何か面白い夢でも見ているのだろうか。ときおり、その巨大な口元が吊り上げられて「ぐがががが」と耳を塞ぎたくなるような大きな笑い声を上げている。
「呑気に寝息なんか立てやがって……」
ゆっくりと上下する腹を見つめて明は舌打ちを漏らすと、衝動的に飛び掛かりたくなる気持ちを抑えるように大きく息を吐き出した。
(……落ち着け。チャンスだ。もしかすればこのまま、アイツに致命傷を負わせることが出来るかもしれない)
焦りは好機を潰し、失態を招く。
致命傷を負わせるためにもまずは、こちらのステータスを整えるほうが先だろう。
「ステータス」
小さく、明は呟いた。
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一条 明 25歳 男 Lv1(68)
体力:95
筋力:195
耐久:164
速度:177
魔力:51【56】
幸運:69
ポイント:17
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固有スキル
・黄泉帰り
システム拡張スキル
・インベントリ
・シナリオ
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スキル
・身体強化Lv3
・解析Lv3(MAX)
・鑑定Lv3(MAX)
・魔力回路Lv1
・魔力回復Lv2
・自動再生Lv2
・剛力Lv1
・疾走Lv1
・第六感Lv1
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ダメージボーナス
・ゴブリン種族 +3%
・狼種族 +10%
・植物系モンスター +3%
・虫系モンスター +3%
・獣系モンスター +5%
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目の前に現れた画面を、明は見つめる。
以前、確認したギガントのステータス画面ではその耐久値は780だった。
今のままでは決して超えることが出来ないその数値だけど、幸いにも今は、前世で取得したトロフィーによって稼いだポイントが未使用のまま残っている。
(ええっと、確か……。このポイントを全部、筋力値に割り振ればギガントの耐久は超えることが出来たよな?)
と、明は前回、自分で行った火力計算を思い出し、取得しているポイントをすべて筋力値に割り振ろうと指を動かして、止めた。
「――――――待て。待て待て待て。俺、とんでもない思い違いをしてないか?」
ふと明は気が付く。いやもっとはっきりと言えば、その存在へと思い当たる。
「筋力値じゃなくて、魔力に全部割り振ればいいじゃねぇか」
それは、あの時。
初めてギガントという存在を目の当りにして、これまでのボスとは一線を画すステータスを前に、混乱していた頭ではすっかりと抜けてしまっていた、もう一つの選択肢。
『剛力』や『疾走』といった、ステータス補助の効果を大きく引き出すことが出来るその項目の存在。
「あ~~…………馬鹿だ。あの時、焦ってたとはいえ、根本的なところが抜けてたなんて」
明は頭を抱えて蹲ると、ガシガシと頭を掻き毟った。
あの時の火力計算は、持てるポイントを全て筋力値へと割り振った場合でのものだ。もしもこのまま、筋力値へとすべてのポイントを割り振れば、引き出せる最大火力は900弱でしかない。
けれど、今あるすべてのポイントを魔力へとつぎ込めば、『剛力』使用時における瞬間筋力値は1200を超える。
筋力値へと割り振ってもギガントの耐久値を破ることは可能だが、より大きなダメージを与えることを考えるとまず間違いなく、ポイントの割り振り先は魔力一択だろう。
「はぁああ~~……………」
深いため息を明は吐き出した。
もしもあの時、この事実に気が付くことが出来ていれば、みんなを危険に晒す前にギガントを殺すことが出来ていたかもしれない。
しばらくの間、立ち直れそうになかった。
激しい自己嫌悪に陥る。こんな簡単なところにまで頭を回すことが出来ていなかった自分自身が本当に許せない。
「ぁー…………」
しばらくの間呻き、やがて明は顔を上げた。
自己嫌悪は止まらない。
とはいえ、このまま俯いてばかりもいられない。いつギガントが起きるとも分からないのだ。
今は、この好機を活かす時。
反省会は、コイツを倒した後にするとしよう。
「ひとまず、全部のポイントを魔力に振ろう」
呟き、明はポイントを魔力に回した。
けれど再び、その指が止まる。
すべてのポイントを魔力へと割り振り終えるその直前で、その割り振り画面から魔力値の項目が消えたのだ。
(……なんだ?)
一度、ポイント割り振り画面を消して、再び開いてみる。
やはりと言うべきか、画面は何も変わらない。試しに、他の項目にはポイントが使えるのだろうかと、筋力値へとポイントを割り振ってみると無事に消費された。
(何か、原因があるんだろうな)
これまでのことを考えるに、ポイントの割り振りが出来なくなったのは何かしらの原因があるに違いない。
(奈緒さんだったら、何か知ってるか?)
魔力へと重点的にポイントを割り振っているのは奈緒も同じだ。
もしかすれば、この原因に心当たりがあるかもしれない。
明は再度、自分のステータスへと目を通す。
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一条 明 25歳 男 Lv1(68)
体力:95
筋力:198(+3Up)
耐久:164
速度:177
魔力:93【98】(+42Up)
幸運:69
ポイント:2
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(……ポイント、2つも残ってしまった)
当初の予定通りとはいかなかったが仕方あるまい。
これでも一応、魔力値は100近くまで上昇している。この数値で『剛力』を使用すれば、ギガントの耐久を破るには十分だ。
明は最後にもう一度、確認をするように自分のステータスへと目を通すと、その画面を消した。
「ふぅー…………」
ゆっくりと息を吐いて――――
「剛力」
呟き、手にした斧を構えて両足へと力を込めた。
――瞬間。明の両足が一気に膨張してパンパンに膨れ上がる。
「疾走ッ!!」
前を向き、溜め込んだ力を解放するかのように明は一気に駆け出した。
ギガントまでの距離は約1000メートル。その距離を、明は爆発的に上昇したステータスによって、一瞬にしてゼロへと縮める。
「ぉおおおおおおおおおおおッ!!」
狙いは、ギガントの足。
まずはその動きを確実に封じようと、明は手にした斧を全力で振り払った。
「っ!」
肉を断つ確かな感触。
「ッ、ウゴォオオオオオオオ!!??」
同時に、身体に走った激痛に反応するようにギガントがその身体を動かした。
「くっ!」
対して、斧を振るった明の表情は苦々しいものだった。
剛力によって上昇した筋力は、確かにギガントの耐久を破りその身体を引き裂いた。
固い皮膚を破り、確かに肉を断って斧で斬った箇所からは血が噴き出している。
――だが、その傷はギガントの全体からすればあまりにも小さい。
数十メートルの巨体を持つギガントに対して、明の持つ斧は一撃でその身体を引き裂けれるほど大きくはなかったのだ。
「だったら!!」
叫び、明は再びギガントへと飛び掛かる。
一度でダメならもう一度。それでも無理ならもう三度。
巨体に対して与える傷の範囲は狭くとも、それでも確かに、その身体へとダメージを与えているのだ。
ならば、動きを止めるわけにはいかない。
この腕を、止めるわけにはいかない!
「おおおおおおおおおおおお!!」
叫びを上げて、明は斧を払う。
上段から下段へ、下段から身体を捻って斬り払い、身を翻してその身体を蹴りつけると横薙ぎに刃を突き立てる。
腹、胸、腕、肩、首、腿に脛。
振るわれる斬撃は一瞬にして数回。『疾走』により四桁にも及ぶその速度は明の姿を掻き消し、次の瞬間には別の場所へと現れては新たな傷をギガントの身体へと付けていく。
無数の小さな傷がその巨体へと付けられて、傷口から溢れ出る血が血霧のように辺りへと舞った。
それらの痛みに、ギガントが耐え切れずに動き出した。
明からすれば止まって見えるほどゆっくりとした動作で立ち上がり、身体中から血を流しながらギガントが叫びをあげる。
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
直後、ギガントの身体に変化が現れた。
身体中に無数に付けられていた傷が一瞬にして消え始めたのだ。
(――――『再生』か!)
すぐに明は察した。
ギガントの状態を確認するため、明は距離を取ると解析を発動させる。
――――――――――――――――――
ギガント Lv112
体力:900
筋力:680
耐久:780
速度:192
魔力:80
幸運:70
――――――――――――――――――
個体情報
・ダンジョン:巨人の台地に出現する、巨人種亜人系のボスモンスター
・体内魔素率:27%
・体内における魔素結晶あり。筋肉、骨に軽度の結晶化
・体外における魔素結晶あり。体表に点在する軽度の結晶化
・身体状況:正常
――――――――――――――――――
所持スキル
・再生
・ストレングスアップLv1
――――――――――――――――――
やはり、間違いない。
画面上でも、ギガントが負った傷が消えている。
(くっそ! やっぱりそうか!!)
心の中で言葉を吐き捨てると、明はもう一度ギガントへと攻撃を加えようと走り出した。
「――――ッ!?」
途端、がくりと。
自身の身体から力が抜けるのを感じた。
線のように流れていた景色が一瞬にして形を取り戻し、視界に映り出す。
(ッ、効果切れ!)
すぐさま、明はそれを察した。
「『しっ――」
速度を上げようと、再びその効果を口にする。
けれどその言葉は、最後まで続かなかった。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
雄叫びが上がった。
ギガントの腕が、その場を薙ぎ払うようにもうすでに動き出していた。
「そ―――――」
言葉は途切れて、衝撃が明の身体を襲う。
バキバキと骨がひしゃげて折れる音が聞こえた。
そして、ブツリと。
一条明の意識は闇に飲まれて、消えた。