決めたんだろ
「奈緒さん。柏葉さん。大事な話があります」
三十三回目になる『黄泉帰り』は、目覚めた明が口にしたその言葉から始まった。
奈緒と柏葉は、柏葉に発生したシナリオについて話し合っているところだった。その会話を遮るように、声をあげた明に向けて二人の視線が一斉に向く。
「一条?」
奈緒は、すぐに明の雰囲気が違うことに気が付いたようだ。
微かな戸惑いを浮かべたまま、そっと彼女は語り掛けてくる。
「どうした? 何かあったのか?」
「……ええ、まあ」
その言葉に頷くと明は、二人に向けてこれから起こる未来での出来事について語り始めた。
滔々と語られるその未来に、奈緒も柏葉も言葉を発することが出来なかった。彼女たちはただただ驚きと戸惑いを浮かべて、明の言葉へと静かに耳を傾けた。
やがて明が知り得た全てのことを聞き終えると、ゆっくりと、奈緒は息を吐き出した。
「……嘘じゃ、ないんだな?」
「はい」
「――――……そうか。分かった」
「分かったって、七瀬さん! 今の話を信じるんですか?!」
奈緒があまりにもあっさりと明の言葉を受け入れたからだろう。柏葉が驚いた表情となって奈緒へとその視線を向けた。
すると奈緒は、柏葉へとちらりと視線を向けると口を開く。
「信じるも何も、ついさっき柏葉さんだって聞いただろう? 一条の力はそういうものだ。一条と同じく、時間を巻き戻れない今の私たちには、その話の真偽を確かめる術はない」
「っ、だったら!」
「でも私は、コイツがこんなつまらん嘘を言うようなヤツじゃないことは知っている」
柏葉の言葉を遮るように、奈緒は言った。
あまりにもはっきりと奈緒が言い切ったからだろう。
柏葉は一度、二度。明と奈緒の顔を交互に見渡すと、狼狽えるようにしてその口を噤んでしまった。
奈緒は、そんな柏葉に向けて少しだけ申し訳なさそうな顔でまた笑うと、すぐにその表情を改めて、明へと視線を向けた。
「それで、お前はこれからどうするんだ?」
その言葉に、明は視線を落とすと自身の右手を見つめた。
明の時間感覚からすれば、ほんの数分前までボロボロだった右腕だ。いや、その時は腕とも呼べる状態なのかも怪しかった。
それが、こうして目覚めた今、何もかもが無かったことになってそこにある。
もう一度また、武器を手に立ち上がることが出来るようになっている。
「これまで、俺は……幾度となく理不尽な目に合ってきました」
小さく、明は呟いた。
「でも、そんな理不尽の中でも、諦めなければどうにかなるんだって思ってた。実際に、これまではそれでどうにかなってきた。……でも、そうじゃない。それだけじゃダメなんだ。諦めなければこんな世界でもどうにかなるだなんて、この世界そのものを受け入れちゃダメなんだ! 俺たちが生きるべき世界はここじゃない。俺たちが生きるべき世界には、レベルもスキルも、モンスターも存在しちゃいない!!」
呟かれた言葉は段々と熱を帯びて、明の中に滾る激情を秘めるように激しい口調となって吐き出される。
気が付けば、明の右手は固く握り締められていた。
ポタポタと流れ落ちる血を見るに、自分でも気が付かないうちに相当な力で握り締めていたらしい。
明は気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと長い息を吐き出すと、少しだけ間を空けて、途切れた言葉を言った。
「――――だから俺は、この世界を滅ぼすことに決めました。どれだけ時間が掛かっても。どれだけ、この世界を繰り返そうとも。…………そのために俺は、今以上に力を身に付けなきゃいけない。明日、午後九時になればギガントというボスがこの街へとやってきます。今の俺は、まだアイツには勝つことができません。だから、しばらくの間、俺はこの状況を繰り返そうと思ってます」
「……それは、どのくらいだ?」
「正直、分からない。見当もついていません」
静かに問いかけられる奈緒の言葉に、明は呟くように言った。
「その、ギガントというモンスターのことは分かってるのか?」
「まだ、何も……。はっきりと分かっているのは、今の俺じゃ絶対に勝てないってことぐらいで」
「なるほどな」
奈緒はゆっくりと息を吐き出した。
それから、視線を彷徨わせるように明は何かを考えると、やがて考えが纏まったのか、その視線をついと明に向けた。
「だったら、お前が今回やるべきことは一つだな。その、ギガントとやらを倒すためにどの程度力を身に付けるべきなのか、それを知るべきだ」
「……? それって」
呟く明に、奈緒が大きく息を吐き出した。
「分からないか? ギガントにもう一度、挑むしかないってことだよ。名前だけしか分かっていない、効果不明のスキルをそのままに戦略なんて立てることが出来ないだろ? 『再生』なんて名前をしておきながら、その効果はまるきり予想と違った――なんてことになったら目も当てられない。だったら、事前に調べる。調べて、その効果が分かった上で必要な力を身に付ける。それが一番、ボス攻略をする上で手っ取り早い」
そう言うと、奈緒は懐からシガレットケースを取り出し、その中身を口に咥えた。
それから、火をつけようとしたところで室内だということに気が付いたのだろう。バツの悪そうな顔になると、すぐに口に咥えたタバコをケースの中に仕舞い込んだ。
「どうせ繰り返すなら、徹底的にやり通せ。効率を考えろ」
静かに奈緒はそう言うと、明の瞳をジッと見つめた。
「決めたんだろ?」
その言葉に、明は思わず息が詰まった。
……ああ、そうだ。奈緒さんはいつもそうだ。
一条明という男のことを真っ先に理解し、考え、そして最後にはいつも背中を押してくれる。
その決断が迷いのないように。
前を向いて、まっすぐに走り出せるように。
一条明という人間を、いつも支えてくれる。
「はい」
明は呟く。
「はいっ!」
再び、明は頷く。
その表情に、奈緒は優しく小さな微笑みを浮かべると、それまで戸惑うように二人の様子を見ていた柏葉へと目を向けて、口を開いた。
「と、いうわけでしばらくの間、柏葉さんのシナリオ攻略は私と一緒に進めることになりそうだな」
「私と一緒って――七瀬さん、一条さんを一人にするんですか!? それに、そんな強いモンスターが来るなら、一刻も早くこの街から出た方がいいんじゃ……」
「確かに、この街から出ることが出来るならそうした方がいい。けど、どうやってこの病院にいた人達を移動させる? 外はモンスターがいっぱいだぞ」
「それは、一条さんが今話したように、車で」
「車が移動手段にあがったのは、ギガントというモンスターがこの街に攻め込んだことで他のモンスターが逃げたからだ。一条の言葉通りなら、明日の午後九時にならないとモンスターの姿はいなくならない」
その言葉に、柏葉もようやく事態が飲み込めたのだろう。
「それじゃあ、結局……。私たちは、このまま何も出来ないんでしょうか?」
と小さく言葉を溢すと、明と奈緒の顔を交互に見つめた。
すると奈緒は、その言葉に小さく首を横に振ると答える。
「何も出来ないわけじゃない。今聞いた話を、他の人に伝えることぐらいは出来る。事前に荷物だけでも纏めておけば、実際にその時間になった時に移動もしやすくなるはずだ。……まあそれも、意味があるかどうか分からないがな」
そう言うと、奈緒はちらりと明へと視線を向けて笑った。
「一条、何か困ったことがあれば相談しろ。状況さえ伝えれば、どの私も必ず、お前の力になろうとするはずだ」
「ありがとうございます」
明は、その言葉に深く頭を下げた。
それから、ハッと何かを思い出したような表情となって、あたりを見渡し床に置かれたソレを見つけると、拾い上げて二人へと手渡す。
「そうだ。奈緒さん、柏葉さん。コレを」
「……それは? というよりも、いつからそんなものがそこに」
驚きに目を見張りながら、奈緒が呟いた。
明が手渡したもの。それは、前世で『インベントリ』に登録していた、三人分の『狼牙の短剣』と『毛皮の外套』、そして一本の『猛毒針』だった。
明は、それらの物へと視線を落としながら、簡単に奈緒たちへと説明を行う。
「これは、『黄泉帰り』にある効果の一つ『インベントリ』に登録していた、俺たちが前世で使っていたものです。こっちの短剣も、この外套も、どれも今ある武器や防具に比べれば遥かに良い代物なので、良ければ使ってください」
「良ければって……。良いのか? そんな、大事なもの」
「構いません。インベントリに登録している限り、俺が死に戻ってしまえばまた、俺の手元に戻って来るものなので。それに」
言葉を区切り、明は状況についていくことが出来ずに戸惑っている柏葉へとその目を向けた。
「これは、柏葉さんが俺たちに創ってくれたものですから」
「え?」
「前世――俺が死に戻る前の世界では、柏葉さんには武器製作と防具製作っていうスキルを取得してもらったんです。その時に出来た武器や防具がこれです」
「これを、私が……」
柏葉は、明の言葉にそう呟くと明の手の中にあるそれらをジッと見つめた。
「この小さな針だけは取り扱いに気を付けてください。刺されば最後、ボアでさえもその毒に苦しみあっという間に死にます。間違えても指に刺したりしないように」
「なんだその恐ろしい武器は。前世の私たちは一体何をしていたんだよ」
奈緒は明の言葉を耳にすると呆れたように笑った。
その言葉に、明もまた小さな笑み浮かべて言い返す。
「何もしてませんよ。今と同じ、必死にこの世界で生きていただけです」
「……そうか。それならいい」
優しく、奈緒が笑う。
そんな奈緒へと向けて明はまた笑うと、それらの武器や防具を奈緒達へと預けて、床に残されていた手斧と鉄剣を手に取り立ち上がった。
「それじゃあ、行ってきます」
呟き、明は二人の横をすり抜けるようにして部屋の入り口へと向かう。
すると、そんな明へと向けて背後から奈緒の声が掛かった。
「一条!」
「……? はい? うわっ、ぷ」
呼ばれて、振り返ると顔面を何かが覆った。
明は、慌てて顔に掛かったそれを引きはがす。
「これは」
明の顔を覆った物。それは、つい今しがた奈緒達へと預けた、三枚の『毛皮の外套』のうちの一つだった。
「持っていけ。今あるどの防具よりも、良い物なんだろ?」
「でも」
「私たちの分はある。いいから持っていけ」
そう言うと奈緒は、それ以上の返答を受け付けないとしているかのように明へと向けてひらひらと手を振った。
その仕草に、明はジッと奈緒の顔を見つめると、すぐにその表情を引締めて頭を下げた。
「行ってきます」
「ああ」
別れの言葉は短かった。
明は渡された外套を身に付けると踵を返して今度こそ、その部屋から出て行ってしまう。
そんな明の後ろ姿を柏葉が見送るように見つめて、ぽつりと呟いた。
「良かったんですか?」
「何がだ」
「一緒に行かなくて」
その言葉に、奈緒は小さく笑った。
それから、大きく伸びをするとゆったりとした足取りで窓辺へと近づき、ガラリとその窓を開け放った。
「一緒に行ったところでもう、今の私にはアイツと一緒にこの世界を繰り返す権利がないんだよ。隣に立つ権利は、もうなくなってしまったんだ。……だから、今の私に出来るのは、走り出したアイツの背中を必死に追いかけることだけさ。大丈夫、何かあればきっと、アイツは話してくれる。その内容を、今の私は知ることが出来ないけど、きっと。その時の私がどうにかしてくれる」
奈緒はそう呟くと、シガレットケースから再びタバコを取り出して、口に咥えた。
ゆっくりと、大きく吐き出された紫煙が風に乗る。
その流れを、奈緒はただぼんやりと見つめ続けた。